第36話:飛行試験02


◆◆◆◆


「行ってくるわ、ジャック」


 サドルにまたがってランスを手にしたエミリアに、俺は余計かもしれないがファントムについての情報を伝える。


「気をつけろ。あの仮面の男、俺のところにもやってきた。妙になれなれしいし、なぜかほかの奴が知らないようなことを知っている」

「あなたの知り合い?」

「まさか。俺の知り合いに、あんな仮面をつけて人前に出てくるような変人はいないぜ」


 はっきり言って、俺は余計なことをしているのかもしれないという実感はある。ただでさえ正体不明のファントムについて、さらに混乱させるような情報を今ここで伝えているのだ。エミリアからすれば、ますますファントムを怪しむことになる。その疑念がフライトに響かないという保証はない。


「相手が誰であっても、私は飛ぶしかないわ。たとえ亡霊でも」


 しかし、幸い俺の心配は杞憂だったらしい。エミリアは俺の言葉を聞くと、すぐに気持ちを切り替えたらしくうなずいてから前を見据える。そこにいたのは、自由を求めて貪欲に空を駆ける、あのエミリア・スターリングというライダーの姿だった。


「ああ、無事を祈っている」


 俺はうなずき、関係者のために設けられた場所に下がった。後はもう、彼女とエンタープライズを信じるだけだ。俺たちの待ち焦がれたフライトが、幻影という異物を交えて始まる。


◆◆◆◆


 スターターの杖が掲げられ、竜炎がともる。

 私はエンタープライズと共に空へと飛び立った。かなりのブランクがあったけど、ジャックの指導の下で何度も練習してきた。勘は戻っていない。でも、ジャックと共に繰り返した練習が活きた。悪くない。エンタープライズも応えてくれている。私は渓谷のコースを、設置されたフェザーを頼りに上昇していく。

 遅れて協会のライダーたちが離陸した。伝統にのっとって、私を試すために。昔の騎士は、この渓谷を飛び、追っ手をすべて倒して身の潔白を証明、あるいは罪を償ったことを証明したらしい。本当に――古風な試験。でも、今の私にはぴったりだ。私には再び飛び立つための儀式が、きっと必要なのだから。


「追跡を開始する」


 耳につけた竜炎を用いた簡易通信機に、ヘレン教官の声が聞こえる。私は気を引き締める。教官たちは本気で追ってくる。この渓谷に慣れた手練れのライダーぞろい。私の最も苦手とする一対多数。囲まれたらおしまいだ。一気に引き離そうとしても、おそらく先手を打ってスピードに特化したライダーたちが前方をふさぎ、遠距離の射撃と近距離の攻撃を同時に織り交ぜてくるに違いない。そしてとどめは、ヘレン教官のモーニングスターの痛撃。私はまるで、無数の猟犬と狩人に追われるキツネだ。


「フォーメーションは規定通りの…………!」


 次の瞬間、激しい何かがぶつかる音が聞こえた。


「なに!?」


 一瞬、事故かと思った。もしかしたら、竜の操縦を誤ってヘレン教官が渓谷の岩壁にぶつかったのかもしれない。私はタイムも追いつかれることも忘れて、減速して後方を見た。


「申し訳ないが、皆様は招待状をお持ちではない。故に、丁重にお引き取り願おう」


 ヘレン教官と協会のライダーたちを竜から叩き落し、風圧のネットへと沈めたライダーがいた。


「ファントム――!」


 飛び入りでこの試験に乱入した仮面のライダー。彼の乗る竜の周囲では、剣の形をした複数のアームが旋回している。


(竜因を利用した遠隔操作のアーム!? なんてマニアックなものを使うのよ!)


 私は目を疑った。操作が難しい上に才能が必要で、しかもレースにおいて特にアドバンテージのない遠隔操作のアームは、今時まず使われない過去の遺物だ。


「改めて――ようこそ、エミリア・スターリング。聞こえているのだろう? 君が竜に捧ぐ魂の形を私に見せてくれ」


 ファントムの声は通信機ではなくて、竜炎を用いた共鳴作用で私の聴覚に直接聞こえてくる。はるか下方で、彼の顔が私の方を見上げたのが分かった。


「あなたが勝手に入ってきただけでしょう!?」


 なんてひどいことをするのよ。一方的に私の試験に乱入してきた上に、ヘレン教官を不意打ちするなんて。いくらなんでも身勝手すぎる。私はエンタープライズを加速させた。


「駆けてエンタープライズ! このまま突き放すわ!」

「そうはいかないよ、お嬢さん。ダンスは二人で踊るものだ。私の手を取りたまえ」


 ファントムの乗るイラストリアスが加速を開始した。まるで影のように追いついてくる。その飛行には、竜炎の熱をまったく感じない。不気味なくらいに静かで気配も躍動も伝わってこない。


「亡霊の名前のとおりね」


 後方から迫る無数の剣。ファントムがヘレン教官たちを勝手に蹴散らしたから、私はファントムと一対一となったと思いきや、状況はまったく変わっていない。ファントムの操る無数の剣が、ヘレン教官たちに代わって私を四方から取り囲もうとする。

 うなりを上げて斜め下から飛んできた剣を、私はランスで弾いた。徐々にエンタープライズとイラストリアスとの距離が縮まっていく。


◆◆◆◆


「くそ、ふざけた奴だ。何がファントムだ。ただの厄介者じゃないか!」


 俺の周囲で、協会の関係者が口々に空を指さして怒鳴っている。それも当然だろう。とてつもなく珍しい、アンヌン大渓谷の飛行試験における乱入者。それを規則通りに認めて試験に参加させたら、いきなり何を思ったか他のライダーたちに牙をむいたのだ。しかしこれもまた古くからの規則だが、試験中に起きるあらゆるトラブルは、試験を中止する理由にはならない。何しろこのフライトは、かつて神前で行われる神明裁判だったのだ。どのような苦境も横やりも、すべては神の意志として扱われていた時代から、この試験は続いている。今更伝統を放棄するわけにもいくまい。


「い、いったいなんなんだあのライダーは!? スターリング家の回し者か!?」


 椅子に座ったままの俺に対し、一人の紳士が血相を変えて詰め寄る。俺はうっとうしくて簡単にこう言った。


「冷静になってくれ。あのオールドレディが、エリザベス・スターリングが、孫を勝たせるためにあんなふざけたライダーを雇うと思うか?」


 俺の言葉に、その紳士はきょとんとした顔になったが、すぐに冷静になってくれた。


「確かにその通りだ」

「だろう? 今はとにかくエミリアの試験を見守るぞ」


 その時、風圧のネットから救助されたヘレンがこちらに近づいてきた。どうやら、さっさと他のライダーによって引き上げてもらったらしい。何しろ落ちたのが近場だったからな。


「手痛い一撃を食らったな、教官」

「ええ。予想外だった……なんて言えないわよね。生徒に合わせる顔がないわ。悔しいけど」


 ヘレンは心底悔しそうに唇をかむと、苛立たし気に俺の隣に腰かけた。エミリアがなついていただけあって、相当負けず嫌いらしい。よく似た教官と生徒だ。


「気にするな。あのふざけた奴がいきなりこんな暴挙に出るなんて、思いもよらなかっただろう?」

「そんな言い訳で済むなら、レースの結果になんの意味もないわ。私が甘すぎたのよ」


 ひとしきり悔しがってから、改めてヘレンは俺をまじめな顔で見つめる。 


「ジャックさん、彼女に伝えて。あのライダーのアームは目くらましや大道芸じゃないわ。れっきとした主力の兵装よ。油断したら死角からの一撃で竜から叩き落されるわ」

「分かった。忠告感謝する」


 俺はヘレンに礼を言ってから立ち上がり、通信機に近づいた。エミリアの通信機に周波数を合わせる。


「エミリア、エミリア、聞こえるか?」


 マイクに声を出すと、スピーカーからひどいノイズ交じりのエミリアの声が聞こえた。


「何、ジャック? こっちは今……トム……で……なのよ!」


 すぐに彼女の声は激しいノイズにかき消される。


「通信がおかしいぞ。何があった?」


◆◆◆◆


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