第5話:その名はエンタープライズ


◆◆◆◆


 私の通う『エリウゲナ学院』には、由緒正しいライダーを育てるための練習用コースがある。元々ドラゴンライディングは、王に仕える騎士たちがその実力を発揮し、栄光と名誉を手にするための競技だった。今でこそ盛大なスポーツの一つだけど、昔は騎士と騎士のプライドと本気の実力がぶつかり合う命がけのものだったらしい。だから、私たちライダーは竜に乗るときは専用のユニフォームを身につけるし、手にはアームを持ってタイムだけではなく空中戦でも他のライダーと競い合う。

 授業が終わり、私が寄り道せずにコースの入り口にたどり着くと、もう既にほかの学生ライダーたちがいた。チームで集まっていたり、コーチと一緒に何か話していたり、一人で竜の手入れを行っていたりと様々だ。何人かの女子生徒が私を見てひそひそ話をしている。あざ笑っているのではなくて、私の最近の成績を思い出して呆れているんだろう。竜に乗り始めの頃は連戦連勝、昇級戦も余裕で一着という成績だったのに、今は失格やら失速やらで私の成績はさんさんたるありさまだ。


「やあ、エミリア・スターリング。早めに練習に来るというその精神は賞賛に値するね」


 そんなひそひそ話の海を割って、一人の男子生徒が私に話しかけてきた。まるで絵本の中の王子様が、そのまま現実に姿を現したのような姿の男子だ。長身で筋肉質で、あちこちが跳ねた髪の色は目の覚めるような銀髪。鼻筋の通った、通りを歩けば誰もが振り返りそうな美形。おまけに不思議とよく通る声だ。周囲のひそひそ話が消えて、視線が私からその男子生徒へと一瞬で移動する。


「人を待たせているの。用がないならどいて。『聖剣』のアーサー」


 私はそっけなくそう答える。嫌みで言ってるのではないと頭では分かっているけど、あんまりにも白々しくてつい憎まれ口を叩いてしまう。彼の名前はアーサー・フィッツジェラルド。このエリウゲナ学院創設以来の天才児として期待と賛辞を欲しいままにしているライダーだ。あだ名は使用するアームと、まるで剣で一刀両断するかのような鋭いフォームで飛ぶことから『聖剣』。乗る竜はヴァスコニア産の、彼以外乗りこなせないとされる非常に狂暴なル・ファンタスク。


「無愛想だね、君は。僕は心配しているんだよ。最近の君の成績は見るに忍びない。いったいどうしたんだい?」

「ただ飛んでいるだけよ」


 あくまでも無愛想を貫こうとする私だけど、アーサーはしつこく私に話しかけてくる。さっさと無視して横を通り過ぎればいいのかもしれないけど、無駄に体格がいいのですり抜けられない。


「それがおかしいんだよ。いいかい、ドラゴンライディングはこの国で、いや、この世界で最も注目されている最高に素晴らしいスポーツだ。でもそれは、拍手と喝采を送ってくれる観客がいてこそだよ。君はもっと、君に期待している多くの人に感謝するべきじゃないかな?」


 うわあ。何を言い出すかと思えば。アーサーの言葉は、きっとドラゴンライディングの関係者や、競技のスポンサーが聞いたら涙を流して喜びそうな内容だ。「なんて謙遜なんだろう」「スポーツマンシップを守る現代の騎士だ」とかなんとか言われそうなのが目に浮かぶ。非の打ち所がないお説教だ。ありがたすぎてつい文句も言いたくなる。


「アーサー、あなたは――」


 けれども、実際文句なんて出てこない。何しろ、アーサーの言っていることは何一つ間違っていないからだ。どこに出しても恥ずかしくない、そのまま競技が開始する前のスピーチに採用したいくらいの内容だ。でも私は、つい彼に質問する。


「――冒険家を目指してライダーになったの?」


 私の質問に、彼は目を丸くして驚いた。顔立ちがハンサムだと、驚いた顔さえも見栄えがする。


「冒険家? まさか。僕は生まれも育ちもエグバートだ。ここを離れる気はないし、今のエグバートが大好きなんだ。僕は皆に希望を与える立派なライダーになりたいんだ」

「そう。それはよかったわね」


 一瞬で私は関心をなくした。冒険家に興味がないのは仕方がない。でも、今のこのばい煙に包まれたエグバートが大好きといった時点で、私とアーサーとの間に極地のクレバスよりも大きくて深い裂け目があるのがよく分かった。何も言うことがなくなった私に、しつこくアーサーは恐らく親切心からつきまとってくる。


「今の君がスランプに陥っているなら、それはもしかすると神様が与えた試練かもしれないよ。でも、安心していい。だって、神様は耐えられない試練はお与えにならない。僕が保証しよう。実は僕も――――」


 なんて言って話を打ち切ろうか、そう考えていた私の耳に、突然第三者の言葉が聞こえてきた。


「……じゃあ、耐えられなかったらそれは神様じゃなくて、耐えられなかった自分が悪いってことか? ありがたいご高説だな、おい」


 苦虫を噛み潰したような、この世の中のすべてが気に食わないと言わんばかりの陰うつな声は、聞き覚えがあった。私は弾かれたように顔を上げて、声のした方向を見る。

 薄汚れて裾がボロボロの上着にポケットを突っ込んで、顔色の悪い男の人がこちらにふらふらと歩いてくる。顔にはあちこち剃り残したヒゲが残っている。顔色だけじゃなくても目つきも人相も悪いその顔は見間違えようもない。私の新しいコーチ、ジャック・グッドフェローだ。


「な、なんだ君は!? ここは学校の関係者以外立ち入り禁止だぞ!」


 どう見ても不審者のジャックが近づいてきたことで、アーサーは思いっきり警戒している。さりげなく私を守るような体勢で、私とジャックの間に立ちはだかる。普通の女の子だったら胸が熱くなるような仕草だけど、ジャックの素性を知っている以上、私は特に何とも感じない。もっとも、誰に強制されなくても自然と女の子を守るような態度が取れるのはまあ……立派だとは思うけど。


「俺はそいつのコーチだ」


 ジャックは私の方を見てぼそりと言う。


「嘘をつくのはやめたまえ!」

「どうでもいい。どいてくれ。時間がもったいない」


 ジャックは右腕を伸ばすと、義手でアーサーの肩を掴んで強引に押しのける。心なしか、ジャックの方がよろけていた。……もしかして、彼、酔ってる?


「待ちたまえ! アルコールの匂いを漂わせているような人間が、竜と人が集う神聖なコースに入ってはいけない!」


 すぐ近くにジャックの顔があったことで、アーサーはジャックが酒臭いことに気付いたんだろう。アーサーは顔色を変えて叫んだ。


「ジャック……あなた、また飲んでいたの?」


 信じられない。コーチになるときに自分が酒浸りだって告白してたけど、まさか夜飲むんじゃなくて昼間から、それも私のコーチをする直前まで飲んでいたなんて呆れてものが言えなかった。これじゃただのアルコール中毒だ。


「……次は気をつける」

「呆れた。お酒を飲んで空が飛べるわけないでしょ?」


 私が本気でため息をつくと、うるさそうにジャックは嫌な顔をした。


「だから、俺はもう飛ばないんだよ」


 その時、横から割り込んできたのはアーサーだった。


「ちょっと待ってくれ。ジャックだって? そしてその右手……まさか、あなたはジャック・グッドフェローなのか!?」


 さっきジャックがしたように、今度はアーサーが私を押しのける。もちろん力ずくじゃなくてそっとだけど、それでもここまで強引な態度を彼が取るの初めてだった。いつもアーサーは女性に優しく親切に振る舞うのを心がけている感じだったのに。


「うるさいな。だったらなんなんだ。警官でも呼ぶのか?」


 ジャックの前に立ったアーサーに、ジャックは心底嫌そうな顔で吐き捨てる。


「いえ、あの……」


 しばらくアーサーは珍しいことに口ごもってから、いきなり腰を曲げて深々と一礼した。


「サ、サインをいただけますか!? あの波乱のアウレリウス賞一位のライダーに会えて光栄です!」


 ジャックはどんよりした目でアーサーを見ながら、はっきりとこう告げた。


「断る」


◆◆◆◆


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