第53話 もう一人の若い愛人

 その『掟』とは、恋しくても引き留めない。自分から誘ってはいけない。休みでも彼には電話をしない、一緒に歩かない。妊娠しない、避妊はきちんとする。自分から求めてはいけない……。


 悲しい女が守らなければならない掟がこれほどあるとは。悩みがあっても、決して誰にも打ち明けないほうがいい。ただし、秘密を守れる友人は必要だと、誰かがが言っていた。


 その友人は自分を推薦した村木玲子である。誰にも悩みを打ち明けられない沙也香は彼女に久しぶりに電話を掛けた。


「玲子さん、お久しぶりです」

「まあ、沙也香さんね。珍しいわね。どうしたの?」

「おねがい。玲子さん、わたしをたすけて!」

「どうしたの? 沙也香さん。仕事が上手く言っていないの?」

「いえ。違います。実は……」


 沙也香の悩みを知って彼女は驚いた。しかし彼女を推薦したのも玲子である。それ以来、沙也香は玲子に胸の内を打ち明け、アドバイスを貰いながら、心のバランスを保っていた。


  玲子は結婚して子供もいる。しかし、玲子は相談された沙也香のことは誰にも言わなかった。勿論、夫にも黙っていた。


 自分が真一郎の秘書の時には、そういうことはなかったのだが。おそらく沙也香の魅力に真一郎が魅了されたのだろう。

 そう思うと、自分が真一郎に沙也香を推薦したことを悔やまれる玲子だった。



 真一郎は昨夜も愛菜とは、いつもの自分のペースで、若い肉体を楽しむつもりだった。それが、どう感じ味をしめたのだろうか、彼女は自分とのセックスに目覚めたようである。若い肉体の味は彼を驚愕させた。


 愛菜は小柄だが、均整がとれた理想的な肉体を持つ少女だった。栗色の髪の毛はショートで、細い首とキュートな顔によく似合う。顔は童顔とでも言うのか、笑うと笑窪が可愛い。


 乳房はきゅんとマリのように弾み、ウエストはくびれ、ヒップはプリプリしている。真一郎は彼女の裸体を見ているだけで、欲情よりも美しさに目を奪われた。

「真一郎さん、あたし綺麗ですか?」


 そう言いながら愛菜はヌードで真一郎の前に立った。愛菜の姿は絵になっていた。

 真一郎は絵が好きだった。昔は油絵を描いていたものだが、忙しい今は描いていない。その彼の頭に閃いたものがある。それはフランスの画家のドミニク・アングルが描いた絵だった。


 裸の少女が壺を頭の横に掲げて立っている『泉』という有名な絵画である。愛菜の顔がその少女に似ていると思った。


「ねえ、愛菜。アングルの絵で『泉』って知っているかい?」

「うん、知っているわよ。女の人が壺を持って立っている絵でしょ?」


「そうそう。その格好をしてくれないかな。ちょうどここに小さいけれどコーヒーの受け皿があるから、それで代用しよう。どうかね?」


「わー、楽しそうね。うん。やってみるね」

 愛菜はテーブルの上の皿を持ち、右足を少し曲げ、左手で皿をつまみながら少し曲げてポーズをとった。


「ちょっと笑ってごらん」

「うん。でも恥ずかしい……」


 真一郎の前には、即席で壺の代わりに皿を持ち、微笑んでいる愛菜が『泉』の姿で立っていた。

 彫刻のように白く、乳房も柔らかく、くびれたウエストで立つ愛菜の姿はラブホテルの部屋では似合わない美しさだった。


 愛菜がアングルのモデルの少女と少し違うのは、愛菜の少し大人びた肉体だった。




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人はなぜ、愛してはいけない人を愛するのか、愛されてしまうのか ミツル オガワ @ogamitsuM

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