第52話 愛人になって

 元々、頑張り屋の彼女は、秘書になるための必要な知識を吸収していった。「秘書技能検定」を受け、何度目かでやっと合格した。村木玲子が退職するときに彼女の勧めもあり、そのまま真一郎の秘書になった。


 一般的な企業では、秘書として採用をすることは稀であり、入社した後に、適性や資格などにあわせて秘書業務を任されること多い。前任者の玲子もそうだった。


 沙也香は慣れてくるうちに、てきぱきと仕事をこなすようになり、着実に実力をつけていった。次第に彼女は真一郎に公私共に可愛がられていく。

 ある日、沙也香は真一郎に高級ホテルのレストランで食事に誘われた。


「だいぶ、秘書の仕事にも慣れてきたようだね」

「はい、これも玲子さんのおかげです」

「君が頑張っていたということは、ときどき玲子君からも聞いていたよ」

「あら、玲子さんから……」

「うん、いつも君のことを気にしていたみたいだよ。彼女らしいな」

「そうですか。嬉しいです」


 沙也香は、今までの努力が結ばれたことがとても嬉しかった。

 その夜、心が弾んでいた沙也香は、真一郎と飲むブランデーの甘い香りと、ムーディーなその雰囲気に酔っていった。

 その夜、彼女はラブホテルの部屋で真一郎に抱かれていた。


「とうとう、君とはこう言う関係になってしまったね」

「はい。真一郎さん」

「後悔はしていないかな?」

「はい。勿論です」

「そうか。ではたまに、これからも君を抱いていい?」

「はい。でも奥様は大丈夫ですか?」

「ああ、君が心配することないよ。安心したまえ」

「分かりました」


 沙也香は、彼の大きな手で優しく身体を愛撫され、抱かれて初めて女としての喜びを知るようになった。それから、真一郎は彼女の賃貸マンションに時々やってくる。彼女は昼間は真一郎の忠実な秘書として堅実に仕事をこなし、夜になると、たまに来る彼の愛人となっていく。


 彼との関係がより深まり、それからは彼がすべてになっていく。沙也香の実家は田舎であり、東京に出てきて短大で学んだ努力家である。美貌の彼女に言い寄る男達はいたが、元々真面目な性格な彼女はそれを避けていた。


 始めは、自立して生活が出来るように、普通に結婚を夢見ていた沙也香だった。仕事は順調であり生き甲斐を感じていた。


 そのとき秘書に抜擢され、恵まれた環境の中で実力を付けていった。それからの沙也香は、真一郎になくてはならない存在になっていく。


  或る日、真一郎は仕事が終わり、沙也香の賃貸マンションの部屋を訪れていた。それは土曜日の夕方である。さきほどはベッドで抱き合い、結合した後の気怠い身体で沙也香の肩を抱き毛布にくるまっている。


 向き合った沙也香の額にキスをして、

「まだ良いのかい? こんなに狭い部屋でも……」


 その部屋は一Kで、キッチンと六畳だけの部屋で広いとは言えない。真一郎は沙也香にはもう少し広いマンションを借りてあげよと思っていた。


「部長のお言葉は有り難いのですか、もう少しここで頑張ってみたいんです」

「そうかい、君がそれでいいのならそれでいいさ」

「はい、部長からのせっかくのお言葉を……こんな生意気な女、嫌いになりません?」

「馬鹿だな、嫌いになっても良いのかい? 沙也香」

「嫌です! いや……」


 そういうと沙也香は甘えるように、再び真一郎に抱きついてきた。

 それを真一郎は受け止め、まだ濡れている沙也香の中に入っていった。


 それからも沙也香の部屋に真一郎はたまに訪れてくる。しかし、彼には妻がいる。いくら尽くしても、自分はその代用なのだと割り切るしかない。


 彼に抱かれていて辛くなるときがある。抱かれながら、そのまま一緒に眠りにつければどんなに幸せか……しかし、いつも彼は妻の元に帰っていく。その辛さに耐える為に心したことがある。


 それは自分自身に科せた「愛人の掟」である。




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