第56話 私の出逢った名探偵 8


 地天馬がいなくなったあと、私達四人は時間を潰すのに精一杯努力をしていた。遺体を安置する適当な場所がないことと、まだ今日中に地元警察がやって来る可能性が残るため、現場のリビングルームはそのまま保存され、立入禁止となっていた。故に別荘内を歩き回る訳に行かず、となると必然的に、個室にこもるか、庭をぶらぶらするかぐらいしかない。

 私は最初、中間刑事の動きを見守っていた。事件の関係者という理由が大きいが、推理作家としての関心もあったのだ。だが、刑事も一人ではさすがに手詰まりらしく、颯爽たる捜査活動の様子はついぞ拝めなかった。ただただ、地道に玄関や勝手口、それに格子付きの窓を調べ、別荘内部及び周辺の地べたに顔を近付け、遺留品を探しているようだった。

 私は個室に入り、自分がするべきことにしばらく没頭してから、また外に出た。なかなか広い庭をのんびりと散歩していると、じきに吉口と房村に出会った。二人とも口々に、部屋にいると息が詰まると言った。誰もが同じ気持ちになるらしい。

「楠田は?」

「見てないわ。中じゃない?」

「あいつは特別、滅入ってるんじゃないか。昔付き合っていた相手が死んだんだし、動機の面では一番疑われるだろうし」

 そんな会話を交わしたあと、バーベキューをどうしようかという相談が始まった。視界の片隅に、バーベキューのコンロが入ったのだ。

 食欲のある者は少なかったが、無理をしてでも食べておいた方がいいだろうという結論になり、昼食の準備に取り掛かることにした。

「楠田も誘うか。気分転換になるだろ」

「いやあ、それはどうかと思う。無理に仕事させても危なっかしいだけじゃないかな」

「そうね。準備は簡単だし。私一人でもできるわ」

「まあ、そう言うなって。俺達も何かしておきたいんだよ」

 最終的に、楠田はそっとしておき、三人で仕事を分担することになった。私がバーベキューのコンロのセッティングをし、吉口と房村が材料の下ごしらえをする。

 テニスをしたときの格好に着替え、軍手を填め、庭で作業に没頭していると、刑事が近寄ってきた。

「ほう。食事の準備ですか。結構ですな」

「え、ええ。当初の予定通りにね。こういうときこそ、日常を大切に……」

 我ながら、よく分からないことを口走った。刑事から怪しまれるのではないかと不安を覚えたせいかもしれない。

「刑事さん、これってやはり不謹慎ですかね」

「いや。そんなことないんじゃないですか。しっかり食べてくれた方が、私は安心しますけどね」

「もしかして……食事の様子を見物して、犯人を見抜こうと考えてるんじゃありませんか」

「おお、それはいい考えだ。思い付きませんでしたよ」

 答えて、にやりと笑う中間。やはり刑事だ。一筋縄では行かない。私は少し考え、昼食に誘うことにした。

「中間刑事も、昼食、ご一緒してくださるんでしょう?」

「は? あ、そうか。当初の予定通りとはつまり、私もいただけるんですな。ううむ。事件関係者と食事を同席するのは、ちょっとという気もするが、いちいち食事を摂るためにこの場を離れるのは、捜査上、好ましくないですからねえ」

「いいじゃないですか。私達は魚料理をいただいたお礼をしないといけない」

「それでは、物々交換ということで。あっと、もちろん彼も――地天馬鋭も一緒でかまいませんね?」

 私はうなずいておいた。誰も反対するまい。

 話がまとまり、刑事と別れたあと、私は作業に没頭し、時が過ぎるのを待った。地天馬は何を手間取っているのか、なかなか戻ってこなかった。彼と話をしてみたい欲求が、強く起きている。探偵という職業に興味を持ったし、警察から頼られているらしい点も気になった。

 準備が整ったところで、私は別荘に戻った。真っ直ぐキッチンを目指し、そこにいた吉口と房村に、セッティング完了を伝える。

「そうか。すまないな。作家に肉体労働をやらせて」

 私と同じくテニスウェア姿になって働く房村は、肉の下ごしらえをやっていた。厚手の牛肉を、何やら赤い半透明の液体に浸している。

「それ、地天馬さんからもらったワインかい? 何ていうか、芳醇な香りが充満してる」

「ああ。もったいない気もするが、こんなことが起きたんじゃあ、昼間から飲んでる訳にも行くまい。そこで志保がアイディアを出したのさ」

 吉口の方に顎を振った房村。彼女の方は、昨日と変わらぬ三角巾にエプロン姿だ。

「これ、凄くいいワインみたい。いっそシチューでも作りたいわ」

「へえ? じゃ、夜はシチューにしてもらおうかな」

 私が軽口を叩くと、意外にも彼女は、「それもいいか」と請け合った。

「さあ、こちらはだいたい完成。房村君の方は?」

「もう少しかな。まだまだ染み込ませたい気が……」

 そう言って房村が肉の一枚を裏返した次の刹那。激しい足音がしたかと思うと、中間刑事が我々の前に滑り込むようにして姿を見せた。

「楠田さんの部屋の鍵は?」

 鬼気迫る表情で言い、手を突き出してきた。

「はっ? か、鍵なら、それぞれ部屋を使ってる本人が持ってるはずですが」

 一番近くにいた私が答え、三秒遅れて、自分の鍵を取り出した。

「ほら、この通りですよ」

「合鍵はないんですか、合鍵は」

「ないんじゃないですか。死んだ遠藤が言ってましたから。どうしたんです、刑事さん? 楠田の部屋で何かあったんですか」

「庭にいて、窓から中をふっと覗いたら、首を吊っているように見えた」

「な、何ですって?」

 呆然とする私達をよそに、中間は続けた。

「声を掛けても反応がないし、窓には格子があるから叩き割っても入れない。それで鍵を借りに来た」

「――行きましょう!」

 私は刑事を押しやり、自らも駆け出した。このとき、私は自分が書く推理小説の登場人物になりきっていた。ワトソン役なんかではない。背後に、靴下にスリッパ履きのぱたぱたという音が続く。房村もコンマ五秒と遅れずに着いてきた。

 楠田の部屋の前に到着すると、男三人、顔を見合わせる。足下を見やると、房村の両足からスリッパは脱げてしまい、靴下で直に板を踏んでいた。

「声を掛けても、反応はなかったんですね?」

 房村がまだワインに濡れた手を振りつつ、刑事に確認を取る。刑事は大きく、確信ありげにうなずいた。

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