第57話 私の出逢った名探偵 9

「じゃあ、ドアを押し破るしかないでしょう」

 私はこう言って、扉表面をノックした。かなり頑丈なようだが、力を合わせればどうにかなるだろう。

 念のため、施錠されていることを再度確かめてから、我々は順繰りにドアに突進した。ドアはぎしぎしと軋みを立てるが、開くまでには至らない。

 単独での突撃が二周りしたところで、今度は私と中間刑事とでスクラムを組み、二人がかりでぶつかる。ぱんっと弾けるような音がして、ドアは開いた。

 長い毛並みの絨毯に突っ伏したが、急いで体勢を立て直し、中間刑事、私、房村の順番で室内に入った。

「く、楠田……」

 天井の梁に長い手拭いを通し、彼は首を吊っていた。足が揺れているように見えたのは目の錯覚か、あるいはドアを開けようと私達が奮闘した名残か。だが、実際には、絶命してからそこそこ時間が経過している。その証拠はいくらでもあった。血の気のない顔、冷たくなった肉体。そして、髭に付いたあぶくのような唾は、とうに乾いていた。

「お二人とも、身体に触らないで。……遺書はどこだ?」

 刑事が鋭く命じ、次いで空間に問うた。彼は部屋や楠田の身体を念入りに探ったが、遺書は出て来なかった。

「くそっ。これでは自殺かどうか、決め手がない」

「中間刑事」

「何だ?」

「あ、いや。鍵を探さないといけないんじゃないかと……」

 目と鼻の先で死人を出し、気が立っている様子がありありと窺える刑事に、私は恐る恐る提言した。すると相手も冷静さを取り戻したようだ。目を皿のようにして室内に走らせ、同時に楠田の衣服のポケットにも手を伸ばそうとする。

 が、その寸前で、動きを止め、床にしゃがみ込むと、絨毯の毛をかき分けた。

「あった……」

 ハンカチを取り出し、鍵を包む。それから私と房村に、鍵を見せてくれた。曇り一つない表面はよく乾いていた。

「これですか、この部屋の鍵は」

「ええ。どの部屋かは断言しかねますけど、私が持たされたのと同じタイプの鍵であるのは間違いありません」

 これを受けて、刑事はハンカチを手袋代わりに鍵を摘み、ドアに向かった。内側に折れ込んでぐらついたままのドア、その鍵穴に差し込み、施錠可能であることを確かめた。

「窓ガラスは庭に面したあれだけで、ロックされていた。格子を取り外した形跡もない。ドアは施錠され、鍵はここに落ちていた……」

 鍵をハンカチで包み直し、ポケットに仕舞った中間刑事は、腕組みをしてうんうん唸った。

 私は差し出がましいかと思いつつ、はっきり言った。

「密室、ですね。自殺じゃないとしたら、厄介なことになりそうな」

「あなたの仰る通りですよ」

 忌々しそうな口ぶりだ。表情も、苦虫を潰したという形容がぴたりと当てはまる。しかし中間刑事は気を取り直した風に、続けて言った。

「だが、自殺の可能性が高いと見てます。彼が遠藤さんを死なせてしまい、その罪の意識に堪えかねて自殺を選んだ……辻褄は合いますからな」

「そう言われても……心情的に信じられない。楠田が殺したなんて」

 私が震える声で言うと、房村も賛同した。

「刑事さん、確かに楠田は貴子を恨んでいたかもしれないが、殺すようなことはないですよ。考えられない」

「友人に関して、そういう意識を持つことはよく理解できますが、警察はドライに、冷静に捜査を進めるのみです。今後はこの線で調べていきますので、どうかより一層のご協力を。まず、電話を借りてよろしいですな? 警察署に報告を入れねばならんので」

 言うが早いか、中間刑事は私達二人を部屋からキッチンへと追い払った。そして楠田の部屋に近付かないように言い置き、電話機へと急いだ。


 カメラで写したあと、遺体を梁から下ろす。そんな憂鬱な作業の最中に、別荘に帰って来た者がいた。言うまでもあるまい、探偵の地天馬鋭だった。

 彼は事情を聞くよりも先に、楠田の遺体を目の当たりにし、

「これは僕のミスだ!」

 と悔しさを露にした。どうやら楠田の死に責任を感じているらしい。

「地天馬さん、そんなに憤慨されなくても、彼は自殺なんですよ」

 私は探偵を落ち着かせる台詞を吐いた。いや、実際、楠田は自殺であるのだと思いたかった。彼の遺体を発見した直後、刑事に言った言葉と食い違うが、自殺と見なすことで全て丸く収まるなら、それに越したことはないではないか。楠田の死もまた殺人で、仲間内から真犯人が出るなんて、誰も望むまい。

「自殺と決め付けるのに、僕は反対だな」

 言い張る地天馬に、私と刑事とで、状況の説明をした。刑事は鍵を取り出し、ハンカチごと地天馬に渡すまでして丁寧に話したのだ。これで分かってくれるだろう。

「――こういうことなんですよ。遺書はなかったが、現場は、その、いわゆる密室だった。自殺に間違いありません」

「何という短絡!」

 地天馬が吠えた。そして鼻で笑うような仕種を覗かせ、呆気に取られた私や中間刑事に対し、指を振った。

「殺人を悔いて自殺する者が遺書を記さず、鍵を床に放り出して死ぬ? そんなことは心理的にまずないと言っていいでしょうが。違いますか、中間刑事?」

「あ、いや、しかし。発作的な自殺なら、遺書がないケースはしばしばある」

「鍵を掛けて部屋を密室状態にしてから自殺する人間は、充分に冷静と言えます。遺書があって、鍵が掛かっていないのなら、まだ分からなくもないが、今回のような逆パターンは到底、容認できないね」

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