第49話 私の出逢った名探偵 1

 ここに記す事件は、私が地天馬鋭と初めて逢ったときの物語である。

 振り返ってみると、あれから十数年、いや、数十年が経過している。そう考えると、何もかもが懐かしく思い出される。

 あの頃、私も若かった。今以上に愚かでもあった。初めての殺人事件に冷静さをなくした挙げ句、失敗し、周りの者に多大な迷惑を掛けた。

 本来なら、誰にも知られたくない話である。

 だが、随分と時が流れた。いささか自虐的ではあるが、事実を包み隠さずに綴ることとしよう。

 あれは、そう、私が学生時代の仲間四人とともに二泊三日の旅行に行った先での出来事だった。旧交を温めるだけのはずが、大事件になってしまった……。



 五人で細い野道を行くと、突然、前が開けた。抜けるような水色をした空と深い青を宿した湖面、そして緑萌える山々を背景に、洒落たログハウス風の白い建物があった。

「凄くいいところじゃないか」

 そう言って楠田勝夫くすだかつおは足を止め、眼鏡の位置を直した。山と湖の描き出す雄大な風景を確かめるかのごとく。ペットショップを経営する彼の目に、自然は動物達の宝庫に映るのかもしれない。

「でしょ」

 当たり前と言いたげに、遠藤貴子えんどうたかこがうなずいた。もっとも、彼女自身は、別荘の豪華さを誉められたのだと思い込んでいる様子が窺える。到着するまでの車中で、散々自慢話を聞かされたものだ。

「風景もいいけれど、早く入りましょうよー」

 吉口志保よしぐちしほが、さほど大きくないバッグを両手で持ち、呼吸を乱しながら言った。其の腕や、短パンからすらりと伸びた足の肌は白く、外出機会の少ない今の生活を代弁するかのようだ。

「そうだな。俺もひと休みしたいよ。寝不足だし」

 言葉通り、欠伸をかみ殺す仕種をしたのは、房村良二ふさむらりょうじ。髪をきれいにセットし、濃いサングラスを掛けているため、強持ての二枚目に見えるが、実際は少少垂れ目気味の柔和な男だ。ギャンブル好きなところも昔と変わっていない。それどころか、趣味を商売にまでしてしまった。

「あ、今の内に言っておきます。麻雀の相手は遠慮申し上げますからね。やるのなら、皆さんだけでやってください」

 吉口は、立ち止まっているのが我慢できなくなったか、先に歩き始めた。

「そうだな。男三人は問題ないとして」

 ギャンブル評論家を生業とする房村は、私と楠田を一瞥し、最後に遠藤を見やった。

 吉口に続いてすでに歩き出していた遠藤は、房村の視線に感づき、肩越しに振り返る。

「嫌いじゃないけれど、指先が汚れるから、あんまりしたくないのよね。みんな、手袋をしてくれないかしら」

「手袋なんかしたら、やりにくくてたまんねえや」

 お手上げのポーズをした房村。学生時代、彼は盲牌が得意だった。当然のごとく、先積も禁止令が出たものだ。

「そんなこと言わずに頼むよ。宝石、儲かってんだろう? ちょっとは回してくれ」

「負ける気なんて更々ないんだけれど」

 ジュエリーデザイナーとして成功した遠藤に、麻雀はあまり似合わない気がする。だが、生来の賭け事好きは、彼女もまた昔のままらしい。人生の賭けに勝って、自らの店を持ち、別荘を購入できるほど儲けたのだろう。

「儲けていると言えば、作家先生の稼ぎはどの程度?」

 遠藤は遠慮が微塵もない口ぶりで、私に聞いてきた。

「夢の印税生活、左団扇ってとこかしら」

「冗談! まだデビュー一年ちょっと。新人と変わらない。むしろ、忘れられないよう、馬車馬のごとく必死に書いてるさ」

「だから、旅先にまでそんな物を持って来たのか」

 楠田が私の手荷物に顎を振る。ノートパソコンだ。

「いや。締切に追われてるような仕事は、今はないんだ。旅先で環境が変わったら、グッドアイディアが閃くかもしれないと思ってな」

「バッグの方も大荷物だけど、中身は本? ライバル作家の本を読んで研究?」

 遠藤が私のバッグをさすりながら言った。手の感触で本の角が分かったのだろうか。

「本は本でも、小説じゃないよ。他人の作品を読んでる暇があったら、自分の知識を深めたいからね。全部、資料さ」

「ご苦労なこった。その点、志保は気楽でいいよ」

 楠田はそう言うと、今度は吉口に顎を振った。家事手伝いに収まっている彼女は、もう別荘の玄関先にたどり着き、座り込んでいた。


 あれだけ疲れた様子の吉口が、いざ家事となると、水を得た魚となって、てきぱきと動いた。夕食時、おかず四品を手際よく作り、テーブルに並べる様は、調理に無縁な私なぞには、魔法にさえ見える。

 対照的に、遠藤はさっぱりだった。人間には得手不得手というものがある。家事全般、特に料理に関する無能力を自覚し、何もしないでいる分、彼女は利口であると言えよう。

「ぼちぼち、やるとするか」

 手つきで麻雀の準備を促したのはギャンブル評論家ではなく、楠田の方だった。昼間、テニスやディスクゴルフを楽しんだときも、どうも本気を出していないように見えたが、夜の麻雀に備えて皆を疲れさせ、自分だけ体力温存する作戦だったのかもしれない。そんなことを考えた。

「私、やっぱりパスするわね」

 突然、遠藤が言い出した。訳を尋ねると、右の手を突き出し、甲をこちらに向ける。

「爪が割れちゃったのよ」

 中指を押さえた彼女。なるほど、切ってやすりを掛けた痕があるが、爪のより深いところにひびが残っている。

「おいおい。ここまで来て三人麻雀をしろってか。そりゃないよ」

 いわゆる本気モードに入りつつあった房村は、気抜けしたようにソファに倒れ込んだ。その手前に立つ吉口に、私は目を向けた。

「じゃあ、すまないけど」

「嫌です。学生時代で懲りましたから」

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