第48話 閉ざされたキョウキ 4

「理由はないみたいでしたよ。習慣で身に付けたままだったのを、そのまま持って行っただけだと。全行程十日の国内クルーズ。事件発生時に、もう一つの鍵は海の上にあった訳です」

「地天馬さんが秋谷さんに会ったのは、旅行から戻ってだいぶ経っていたんでしょう? 本当に鍵を持って行ったのか、怪しいものですよ。持って行かなかったのに、持って行ったと言ってるだけかもしれないじゃないですか」

「同じ劇団員の同行者がいて、船旅の途中、その人物にも鍵を見せていました。確認済みです」

「……だったら……」

「あなたが必死になる事情は分かりますが、この線は追っても無駄でしょう。何故ならば、そもそも、二舟氏運転のバンは、美波が所有する稽古場にしか行ってないのだから。生前奏の稽古場には、近寄ってもいない」

「どうしてそんなことが言えるんです?」

 意気消沈気味だった平川だが、地天馬の断定に驚いたのか、再び身を乗り出してきた。

「警察が、位置情報の記録を辿ったんです。車に備わったGPSと、二舟氏所有の携帯電話の位置情報を合わせて。事件当日、二舟氏運転の車は、間違いなく美波の稽古場に行った。当日だけでなく、練習期間中ずっと」

「そ、それは……く、車と携帯電話、それぞれ同じ物をもう一つずつ用意して、事件の起きた日は二舟氏はそれを使い、今まで使っていた車は共犯者が運転し、美波の稽古場へのルートを行き来したとか……」

「当日、二舟氏は携帯電話から親族や親しい知り合いに電話を掛けている。通報も氏の電話からだった。これらの通話の音声は記録が残っており、いずれも二舟氏の声に間違いない」

 理路整然と告げる探偵の口ぶりに、依頼人は沈黙し、肩を落とした。

「このままでは櫛原が……宮子が……」

 半ば嗚咽のような声で、そう呟くのが聞こえた。地天馬はタイミングを計る風に、数秒待った。何をきっかけにしたのか分からなかったが、やがて始めた。

「確かな点を並べてみましょうか。事件の起きた現場は、美波の稽古場であり、凶器はそこのセットである箱に入っていた。凶器の入っていた箱は施錠されており、開けられる鍵はこの世に二本だけとみてよい。内一本は、事件の日、遠く離れた海を行く船上にあった。残る一本を持つ人物は、事件当日、現場に居合わせた――これらを総合的に判断すると、櫛原宮子が真犯人で間違いありません」

「ばかな!」

 弾かれたように叫び、面を上げた平川。その顔は激しく紅潮していた。

「そんな結論を聞くために、あなたを雇ったんじゃない! あなたの役目は、真犯人が途轍もない奇抜な方法で、凶器のすり替えを行い、宮子に罪を着せようとした、それだけなんだ!」

「違うな」

 依頼人のリクエストを、探偵は当然、撥ね付けた。

「真犯人を見付けるというのは、なるほど、名探偵の役目かもしれない。だが、依頼者の狙い通りの結果を出すというのは違う」

「……すみません、取り乱してしまいました。さっきの言葉は忘れて――」

「真犯人を指摘しろというのであれば、もう一人、列挙してもかまいませんよ」

 平川の台詞を遮って、地天馬は言った。相手は「は?」と怪訝がる色を顔に貼り付けた。

「それってどういう意味なんでしょう……」

「この件には黒幕がいると考えている、という意味ですよ。平川朝明さん、あなたがこの犯罪を計画し、櫛原宮子に実行させたんじゃないかな」

「――意味が分からない」

 頭を振った平川だが、動揺が手に出ていた。震えるせいで、テーブルがかた、かた、と鳴る。そのことに平川自身も気付き、両手を引っ込めたが、それでも震えは収まらないようだ。

「『あまりにもあからさまに殺しを行うことで、警察は、自分を犯人ではないと考えてくれる』ことを期待した犯行ではありませんか? もし捕まってもそれは一時的なことで、警察は二つ目の稽古場をすぐに見付けて、凶器すり替えの方法に思い至るはず。そして犯人は二見貞邦氏以外にあり得ないと考えるはず。そういう目論見だったんでしょう。だが、目算は外れ、そのまま櫛原宮子が犯人として起訴される状況になった。慌てた共犯者は、二つの稽古場というある種ばかばかしい仕掛けに気付いてくれるであろう探偵を求め、地天馬鋭を探し当てた。そして依頼を持ち込み、当初の思惑通りに捜査が進むよう期待した」

「な……何か証拠があるんですか」

 平川は、反論とも呼べないような反論を絞り出した。

 対する地天馬は、あっさりと答える。

「状況証拠だが、なくはない」

「嘘だっ」

「あなた達の計画では、事件前日までの稽古は、美波の稽古場で行われ、当日のみ生前奏の稽古場を使ったことになる。だが、実際は全て一方の稽古場のみで行われた。使わなかった稽古場の方に、青写真に沿った痕跡を残しておく必要がある。そう考え、いかにも稽古していたような使用感を残そうとした。でも、稽古の期間中は抜け出せない。だから、仕方なしに事件後に動いたんだろう。動けるのは平川さん、あなただけだ。櫛原宮子は身柄を拘束されている。あなたは使われなかった稽古場に忍び込み、適度に散らかし、自分や櫛原宮子の生物的痕跡を故意に置いた。ええ、警察が捜査して、見つけ出しましたよ。劇団員の毛髪や汗を吸ったタオル類なども、全員分ではないが、いくらか発見された」

「そ、そういった物が見付かってるのなら、やっぱり、二つの稽古場を利用した凶器のすり替えが行われたんじゃないんですかっ」

「警察の科学捜査を見くびらないことだ。優秀な彼らは、クラミジアも見つけたんですよ。肺炎の原因の一つに数えられる、真菌です」

「……まさか……自分の肺炎の」

 全てを悟ったように、自身を指差した平川。

 地天馬はそれでも念押しした。

「あなたの肺炎は、事件以降に発症した。事件前日までに通ったとする稽古場から、真菌が見付かるはずがない。事件以降に入らない限り」


――『閉ざされたキョウキ』終

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