第40話 溶解する屍 19

 程なくして中澤が駆け込んできた。息を切らして、肩を上下させている様子から、朝食を楽しみに来たのではないことが分かる。大股で琴恵の席のそばまで行くと、声を張り上げた。

「ちょっとぉ、琴恵さん! 飯田さんが出て行っちゃったみたいなんだけど、どうなってるのよー」

「昨晩、飯田さんがゲーム辞退を申し出られたので、認めました。そのあとお帰りになったようですわ」

「ええ? 冗談じゃないの?」

 力が抜けたのか、近くの椅子の背もたれに腕を載せた中澤。

「うっそー。早く言ってよ。それなら私も一緒に帰ったのに」

「お帰りになりますか?」

「え? ううん。車がなくなっちゃったから、帰れない。誰かに乗せてもらうか、タクシーを呼ばないと」

 福井達の方をちらと一瞥してから、彼女は言葉を重ねた。

「それに、こうなったら私は辞退なんかしないんだから。最後までやって、賞品もらっていくもんね」

「分かりました。果敢な挑戦、私も主催者冥利に尽きます。――皆さんも続けますね?」

 琴恵が福井達を見た。異存は出なかった。

 中澤が椅子に収まった時点で、料理が運ばれ始めた。当然のように洋食である。バスケットに山と盛られたパン、場を彩るボールいっぱいのサラダ、きれいに仕上がったサニーサイドエッグとかりかりのベーコン……。スープは大きな鍋のまま、ワゴンで運ばれてきた。

「ヘンリー定さんの件が、まだ気になるのですが。依然として現れていないのは、マジックじゃなかったのか、何かミスがあったのか」

 そうつぶやきながら、スープを注いでもらう福井。

 と、妙な感じを受けた。スープをワゴンで運んできたのは、コックの姿をした男性だったのだ。

「出題者と参加者とお手伝い三名以外は、誰もいないじゃないんですか?」

 思わず琴恵に鋭い声を投げる。

 女主人は口元を覆って笑うと、「よくよくご覧になったら」と、コックを目で示す。福井らは言われた通りにした。

「……ああ。定さんじゃないですか」

「もっと驚いてもらおうと思っていたのに、いまいちでしたかな」

 調理帽を取った男は、ヘンリー定の顔をしていた。ただし、トレードマークの跳ね上がった髭を落として。

「えっと、てことは……定さんと琴恵さん、やっぱりぐるだったの?」

 竹中が二人を交互に指差しながら、口をあんぐりさせていた。

 琴恵が微笑で応える。

「ごめんなさいね。驚きだけでなく、スリルも味わってほしかったのです。ええ、もちろん、お手伝い三人も予定通りの行動をしたまでで、私はちっとも怒っていません」

「何だ何だ、話が見えてこんなあ。突飛すぎて」

 枝川が呆れ顔を作って、抗議の声を上げる。それもまた腹を立てたのではなく、やられたという雰囲気だ。

 琴恵の説明によると、昨日の出来事は全て彼女がヘンリー定の協力を得て演出したものだという。ゲームイベントの本番直前に、定が不可解な状況下で消え失せ、更にお手伝い三名の不審な行動が加わることで、不安感を煽る。翌朝(つまり今現在のことだ)までゲーム辞退を言い出さず、残った者に本当の挑戦資格を与えようという主旨らしい。

「無論、細かいハプニングはありましたが、どうにか乗り切れたようです」

 そう言って、琴恵は目を細めた。

 ハプニングとは、定の消える状況を差す。当初は、参加者全員の前できれいにかき消えてみせるはずが、枝川が種明かしを要求したことで、やりにくくなってしまった。

「種明かしをする予定ではいましたが、枝川監督に先手を打たれ、自然な流れが壊れてしまったんです」

「おお、それはすまなかったなあ」

 頭を掻く定に、枝川は胸を反らして驚いているようだった。

 計画修正を迫られた定は、福井一人に的を絞った。アイディア提供話を持ち掛け、自分の部屋の前まで呼び寄せることに成功すると、消失を決行した。

「どうやって消えたんです? 隠し扉はなかったようだから、やはり窓ですか」

「その通り。窓から下にロープを垂らし、降りただけ。君の推理と異なるのは、降りた先が地上ではなく、一階の窓から中に直接飛び込んだ点だ。琴恵さんに準備してもらっていたから、容易かったよ」

 別館一階に身を隠した定は、休む暇もなく、池での消失を演じた。

「池でのあなたは、本当に消えたように見えましたよ。溺れる演技をしただけじゃあ、ああいう風には見えないはず」

「距離と暗がりの魔術にごまかされたね。あれは人形だったんだ」

「人形?」

 説明を聞く者全員がおうむ返しをする。

「そう。それも水溶紙で作った大がかりかつ精巧な人形だよ」

「水溶紙?」

 今度おうむ返しをしたのは、半分に減っていた。福井が口を開く。

「水に溶ける紙ですね? 川を汚さない目的で、精霊流しなどで使われるとか」

「さすが、推理作家。よく知っているね。その水溶紙を用いて自分自身の人形を作り、池に放り込んだ。溶けていく過程を見られても不自然じゃないよう、中身も内臓や骨に似せた作りにしたんだ。いやはや、苦労した。ステージで使いたかったよ」

 消失現象を終えてからずっと、定は本館に隠れたという。琴恵の協力があれば、これも簡単だ。

「我々はまんまとだまされ、辛抱できなかった四人が排除されたという訳か」

 愉快そうに枝川は言い放つと、豪快に笑った。

 そこへ、中澤がふてくされたポーズで付け加えた。

「私は置いてけぼりを食らっただけだけど。ま、ラッキー!ってところかしら」


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