第39話 溶解する屍 18

 竹中と福井は何度か室内に呼び掛けたが、いつまで待っても部屋は静かだ。

「まさかとは思うけど」

 ノブを握ってがちゃがちゃさせると、鍵が掛かっていると知れる。

「ま、まさかっ、中で死んでるなんていうことに」

「冗談はやめてくださいよ、竹中さん。大方、とうに起きて部屋を出て、鍵を掛けただけなんでしょう」

「あ、そうだな。だが、殺されてる可能性もゼロじゃあないぞ」

「それを言い出したらきりがなくなります。琴恵さんの無事を確認するのが先です」

 福井は手始めに、隣の三〇一号室を覗いてみた。定が失踪して以来、鍵がないため、扉の開閉は自由である。琴恵が定の荷物を調べることは充分ありそうに思えた。が、ドアをノックせずに開けてみると、定の部屋に人の姿は見当たらなかった。昨夜から手を着けられた様子はない。

「琴恵さんが朝一番に行きそうな場所は、やっぱり本館か」

 竹中が妥当なところを述べる。

「ホールもあり得ますよ。お手伝いさん達の様子を見に行くために」

「そうか。ホールに向かうのは御免だよ。と言うか、お手伝い達の疑惑が晴れない限り、接したくないよ。どんな態度でいればいいのやら、困る」

「じゃあ、本館に行きましょう。閉まってるかもしれないけれど、いずれ琴恵さんが開けてくれるでしょう」

 一階へ降りる途中で、枝川と合流した。挨拶もそこそこに、「三階に、何をしに?」と問われた。

「琴恵さんに、朝食がどうなるのか尋ねようと思って。でも、もう起き出しているみたいでした」

「そうか。お手伝いのことがあったな」

 合点した風にうなずくと、枝川は話題を換えた。

「遅くに何人かがゲームを辞退して、帰ったようだよ。幸田君も帰った」

「え?」

「夜、幸田君が部屋を訪ねてきてな。自分は元々ゲームに大して興味なかったし、こういう事態になるとは思ってなかったから帰ると言い出した。私に断ったのは、気を遣ったんだろう。私も止める権利はないから、琴恵さんに言って出て行けばいいと送り出したんだ」

「何時頃でした?」

「彼が部屋に来たのは、十一時だったな。そのあとすぐ、琴恵さんの部屋に行ったはずだ」

 自信に満ちた口ぶりの枝川だが、福井の方は首を傾げた。一階に着き、足を止めて疑問を呈す。

「車の音が、僕には聞こえなかったなあ。竹中さん、聞きました?」

「いいや。と言っても、自分はさっさと寝てしまったから、聞こえなかっただけかもしれないんだが」

「ああ、それはだな」

 枝川はゆっくりと歩を進め出した。福井らもあとに続く。

「十一時に幸田君が琴恵さんにゲーム自体を申し入れたというだけで、即座に出て行ったというんじゃない。アルコールを抜く意味もあって、しばらく滞在したんじゃないかな。実際に帰って行ったのは……午前三時前だったか」

 外に出、思い起こす風な仕種で、空を斜めに見やる枝川。

「うつらうつらしておったときだから、しかとは覚えていないが、車の出て行く音がした。窓から外を見たが、角度が悪いのか車のライトは確認できなかったが、何台か出て行った」

「幸田さん以外に誰が出て行ったかは、分かります?」

「さあて。中澤嬢は姿を見掛けたから、間違いなくいるがね」

 本館前に立つ。すると、中から人の気配がした。

「お。どうやら琴恵さん、ここにいるみたいだ」

 竹中がほっと、表情をやわらげる。琴恵の身を心配していたのと同時に、朝食の心配もしていたのかもしれない。

「まだ早いですよ」

 先ほどあれだけ悲観的だったのが、本館が開いていただけで楽観に転じるとは、竹中も単純だ。

「ちゃんと会ってからでないと……」

 そう言い掛けたとき、玄関ドアが開き、中からお手伝いの一人、渡辺が顔を出した。彼女はすっと頭を下げると、静かに言った。

「皆様、おはようございます。朝食の準備をしてお待ちしておりました。どうぞ中へお入りください」

「あ。あの」

 意外感に襲われへどもどしつつも、福井は聞き返す。

「琴恵さんとは……」

「昨日はお恥ずかしいところをお見せし、大変申し訳なく思っています。琴恵さんは今朝方、ホールまでお越しになられ、私達を許してくださいました。お互い、感情の行き違いがあったと仰ってくれて、それはもう、感動でしたわ」

 若い渡辺は、最後の方は夢見る少女のごとく、両手を胸の前で絡み合わせ、天を仰いでいた。福井からすれば、はあそうですかと納得するほかない。

 その後、朝食の席へ通された三人を待っていたのは、琴恵の変わらぬ笑顔だった。テーブルには他に誰も着いておらず、渡辺と松本が忙しく立ち回っていた。

「おはようございます、皆さん」

 声の調子も変わっていない。健康そのもので、午前中にモデルの仕事があったとしても悠々こなせるであろう。

「何人かが昨晩遅くから未明に掛けて、ゲームを辞退し帰ったと聞きましたが」

「ええ。幸田静雄さんと飯田孝之さん、それに山城ご夫妻ですわ。相次いでお帰りになりました。この度は数々の不手際でこのような事態になり、誠に申し訳ございません」

 席を立ち、丁寧にお辞儀する琴恵。

「いや、それはいいんですが」

 枝川の反応を横目で伺いつつ、彼が特に何か言いたいようでもないので、福井は発言を続けた。

「幸田さん達は、何か見返りを持って帰られたんですか」

「些少の志をお渡ししようとしたのですが、皆さんゲームを辞退するのだからとお断りに」

 今朝の琴恵の話し方は、福井一人を相手にしても、かしこまったままだ。責任を感じ、自省しているのかもしれない。

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