第36話 溶解する屍 15

 犯罪がらみかもしれないという予感が走る。よほど後者を選択しようかと思ったが、琴恵を放って動くのも無責任だ。お手伝いが信用ならないとなると、琴恵にも危険の及ぶ可能性が生じる。

 福井は琴恵の腕を掴み、一呼吸挟んでから話し始めた。彼女が夕食の席を離れて以降、本館の外で何が起きたのかを知っている範囲で、説明し尽くす。お手伝いが嘘の応対をしたらしいことも、もちろん付け加えた。

 福井が喋り終わっても、琴恵は表情をかすかにしかめたまま、しばらくの間、黙っていた。ようやく出て来た第一声は、判で押したかのようにお決まりのフレーズ、「信じられない」だった。

「信じられない気持ちは分かりますが、事実です。僕以外にも証人はいます。枝川監督がそうです」

「全然、報告が上がってきていないわ」

「お手伝い三人の内、あなたに報告する役は特定の一人に決められているんですか」

「いいえ。何かあったら知らせるように、みんなに言ってある。それが当然でしょう?」

「ゲームの中身について知っているのは?」

「大まかな流れは全員に伝えていたけれど、種まで知っている者はいないはず」

 誰が情報を彼女に伝えなかったのか、特定したいのだが、決め手がない。三人のお手伝い全員の共謀もあり得る。

 何よりも不気味なのは、狙いが明らかでないことだ。

「三人の身元ははっきりしているのですか」

「え、ええ。元木栄美もときえみ松本知香まつもとちか渡辺亜矢奈わたなべあやな。細かなことは履歴書を見つけないと分からないけれど、父と母が選んだ、きちんとした人よ」

「……どんな字を書くか知りませんが、“あやな”さんはやけに若い感じがする名前ですね。あのお手伝いさん達、みんな少なくとも三十五は越えているように見えたんですが、実際は若いのかな」

「松本さんは今年四十になるはずだけど、他の二人は三十五より下。今言った渡辺亜矢奈は私と同い年じゃなかったかしら」

「てことは、二十三、四?」

「まあ、そんなところ」

 曖昧に答えてかすかに笑う琴恵。実年齢を言いたくないようだ。

「年齢が関係あるとは思えないわ」

「身元を偽るとしたら、年齢が一番ごまかしやすいかなと思って。でも、女性が年齢のさばを読むのは、特別なことじゃないんでしたっけ」

 福井はため息をつき、頭を切り換えた。

「今、この三人はどこに」

「一人は本館で、さっきまで私の世話をしてくれていたわ。渡辺よ。あとの二人は多分、別館にいるはずだけれど、確かじゃない」

「そうですか。……あ! ヘッドフォンマイクは?」

 琴恵の頭にあるそれを指差す。アクセサリーのように見えるから、すっかり失念していた。

「それでお手伝いさん達に呼び掛けることはできますか」

「もちろんよ。寝るとき以外はスイッチを入れておくように言ってあるから、通じるはず。ただ、個別に話すのは無理だから三人全員に聞こえる……」

 福井が次の指示を出すよりも早く、琴恵はマイクを摘んで口元まで引き出し、耳の後ろにあるスイッチに触れた。抑えた調子でありながら、怒りを含んだ声で呼び掛けを行う。

「あなた達、聞きたいことがあります。至急、別館の玄関に集まりなさい」

 そうして質問を許さず、電源を切る。

「あ、あの、琴恵さん。大変結構ですけど、もしもお手伝いの誰かが悪意を持っているとしたら、命令したって現れないかも」

「それならそれでいいわ。現れない人がいれば、その人こそ何かを企んでいる張本人。明白な証拠だわ」

 単純に考えていいのだろうか。たとえば、三人全員が悪意を持っているなら、どう展開するのか、予測不能のところがある。

「照明器具があるから、それを庭に持ち出して、池を捜索しましょう」

「え?」

「警察への通報は、池から何か出たあとでも充分間に合うでしょ?」

「い、いや、それはまあいいとしても、誰が池を浚うんですか。お手伝いを信用できない状況の今、僕達がやることに……」

「心配いらないわ。あの人達にやらせます。私に背いたら、それもまた容疑を深めることになるのだから」

 琴恵が若き女主人らしい言葉を発したそのとき、本館の方から足音が聞こえ、じきに新たな人影が現れた。

 渡辺亜矢奈は、この薄明かりの中でも、琴恵と同年齢には見えなかった。


 幸いにも強風が治まり、池の水面の揺れは極小さなものになっていた。濁りもほとんどないため、大型の照明スタンド二機で左右から照らすだけで、池の中の様子はほぼ見通せた。

「……何にもないわ」

 ヘンリー定を除く十二名が居並ぶ場で、琴恵が判断を下した。水面下に、特に異物は見当たらない。岩や泥、漂う藻のような物。定の肉体が沈んだとはとても思えなかった。

「でも、まだ安心できる状態じゃない」

 断定的に言うと、彼女は三名のお手伝いに顔を向けた。

「もう一度聞くけれど、あなた達全員が定さんの事件を私に伝えなかったのは、私のゲームの進行を妨げないためだった。そう主張するのね?」

 三人の内で最年長の松本が沈黙のまま首肯した。

 お手伝い三人の言い分はこうだ。今回のゲームは、琴恵が綿密に計画を立て、準備をし、スケジュールを調整してようやく実現にこぎ着けたイベント。それを無駄にするような事態は極力排除しようと、事前から三人で話し合い、結論を出していた。全ては雇い主を思う余りの出すぎた真似だった。それは申し訳なく思うし、いくらでも謝罪するが、悪意はないというのである。

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