第35話 溶解する屍 14

「仰る通りです。定さんは辛抱できなかったのでしょう。プロマジシャンにしては珍しいというか、してはならない行為と言えるけど……恐らく、琴恵さんが消失現象をやるから対抗心を燃やしたのかも」

 言いながら、福井は違和感を覚えた。

 福井の現時点の感触では、ヘンリー定が部屋から消え失せ、池に沈んだのはマジックであり、琴恵も承知していると見なしている。換言すれば、定と琴恵は協力関係にあるはず。なのに、定が琴恵に対抗意識を持つとは、辻褄が合わない。

 もしや、定が消えたのはマジックではなく、琴恵の所業によるものなのか? それとも、琴恵と定は無関係で、定が勝手に消えただけか? だとしたら、琴恵は何故ゲームを中止しないのか。

 福井はちょっとした混乱を来した。だが、これを口に出すことはせず、胸に仕舞っておく。

「ワイングラスは偽物だった、かあ」

 感嘆した様子でつぶやき、竹中はまたも椅子に収まった。

「同じ方法で、ヘンリー定自身が消えることは無理かね?」

「は?」

 竹中をまじまじと見返す福井。対照的に竹中の瞳は、にやりと笑みを湛え、得意げでさえあった。

「だからさあ。君が見た定さんは、定さんではなかったんだ。別人が三〇一号室に入り、本人は池で溺れたように見せかけ、水底でアクアラングを着けて我我をやり過ごした」

「それ、変ですよ」

 突拍子もない、段階を無視した推理なので、相手を思わず指差してしまった。

「何歩か譲って、三〇一号室に入ったのが別人だとしましょう。その別人さんはどうやって消えたんですか」

「うぇ?」

 竹中の口から奇妙な呻き声が発せられる。途端に自信喪失の体をなし、両肩が下がった。座った姿勢のシルエットが、おにぎりのようになった。

「……俺は酔っ払ってるんだ」

 独り言のように言って開き直った竹中は、数秒遅れで照れ隠しに、手を頭にやった。

「酔っているのなら、僕一人で本館を見てきましょうか。天気も崩れ掛かっているみたいですし」

「うむ。どうせ個人参加のゲームだから、こっちに気を遣うことはないんだよ。どうぞ行ってらっしゃい。あとで情報をくれると、嬉しいんだがね」

「考えておきます」

 言い置くと、福井は手早く準備をすませ、部屋を出た。

 一階まで降りる間、誰ともすれ違わなかった。枝川を誘ってもよかったが、常に行動をともにしているようなのもおかしいかなと思い直し、そのまま別館を出る。強風に顔を背けた。空気も湿気を含み、むっとする感じがあった。

 本館に向かう前に、どうしても気に掛かるのは池の様子。本物の事件なら、池にはヘンリー定が沈んでいるかもしれない。

 マジックだとしても、その方法が見当も付かない。まさか竹中が言ったようにアクアラングを担いで身を潜めているとは考えられなかった。池から何者かが上がれば、当然、周囲は水浸しになるはずだが、実際には濡れていないのだ。夕食後から今までずっと潜っていることはなかろう。

 吹っ切り、改めて本館に足を向ける。

 すると、視界に人影を捉えた。まるで福井が出て来るのを待っていたかのように、ためらいのない足取りで近付いてくる。

「あら。高校生探偵のお出まし?」

 琴恵の声が言った。館からの明かりで、その顔がはっきり見て取れた。

「探偵じゃありません。作家です、駆け出しの」

「ゲームの参加者は全員が探偵みたいなもの」

 決め付ける口調の琴恵は、手首を返して腕時計を見た。こちらの方は光が足りず、ライトの力を借りて読み取る。

「予定通りだわ」

「それって、つまり」

「これから参加者の皆さんを、本館前にご招待するところだったのよ」

 そう言うと、琴恵は手を伸ばし、福井の顎を軽く撫でた。

「待ちかねたでしょう?」

 高鳴る心臓を胸の上から押さえ、深呼吸した。自分も割と健全な高校生じゃないかと思い、苦笑がこぼれる。

「――ええ。まるで、最愛の恋人にやっと逢えるかのような気分ですね」

 福井の返事を気に入ったのか、目を細める琴恵。それから、おもむろに歩き出した。

「あなたはそこに残っていてもいいわよ。私が皆さんを呼んでくるから、待っていてね」

「あ、その前に、ぜひとも教えてほしいことが」

 授業中みたいに挙手してしまった。幸い、琴恵が振り返るときにはもう手を降ろせていた。

「何?」

「ヘンリー定さんの消失がゲームに関係あるのか否か、明言してください。それがフェアというものです」

「え? 何のこと、定さんの消失って?」

 琴恵の目が大きく開かれる。首を傾げた様子は、モデルとして撮影されたならとてもキュートに写るに違いない。

「……訳が……分からない」

 福井はそう答えたきり、しばし絶句せざるを得なかった。これまで積み上げてきた物が、音を立てて崩れる様をイメージした。

 冷静になれと自らに命じ、選択を自らに課す。

 事情を目の前の主催者に伝えるか、それともあのお手伝い(ああ、特定できない! どんな顔だった?)を今すぐつかまえて、問い詰めるか。

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