第24話 溶解する屍 3

「殺人があったのは確かなのでしょう? だったら、事件は迷宮入りってことですか。十六年といえば時効……」

 高校生作家が険しい顔つきで言った。

「その通りよ。殺人も強盗も未解決のまま」

 福井に答えてから、琴恵の話は事件のあらましに戻る。

「一番下の子以外の家族は亡くなるか、行方不明になるかしました。遺体で見つかったのは父親と子供三人。いずれも刃物類で滅多刺しにされ、父親は首と右手の指を切断されていました。母親と執事は行方不明のままだそうです」

「一人だけ助かった子供には、いかなる幸運が働いたんです? あやかりたいものだ」

 飯田が興味丸出しで聞いた。明らかに成り上がりタイプの実業家である飯田にとって、幸運は欠かせぬアイテムなのかもしれない。

「当時七歳だったその子は体調を崩し、薬を飲んで家に残ったようです。その子が警察にした話では、執事が看病をし、子守唄を唄ってくれたと。それ以後は惨劇を知ることなく、眠りに就いていたと考えられています。子供部屋が屋敷の一番奥にあったのが幸いしたのでしょう。執事が侵入者に気付かなかった、もしくは気付くのが遅れたのは、執事自身も看病疲れの気の緩みから微睡んでいたのだと警察は見たようです」

「行方不明の二人が犯人という可能性はないのかな?」

 念のためという風に、ヘンリー定が右手のひらを外側に、人差し指を伸ばして問うた。孫悟空のわっかのようなブレスレットが小さく揺れる。

「それはないというのが警察の見解です。と言いますのも、母親と執事のいずれか、もしくは二人の共犯としても、この屋敷から脱出せねばなりません。それができなかったはずなんです」

「足が不自由やったとか?」

 殺人事件や恐怖話に最も縁遠そうな山城栄一が探るように言った。彼の声は、喉がからからに乾いているときのそれに似ていた。

 首を水平方向に振った琴恵。

「歩けないとか、交通手段がなかったという意味ではありません。事件の発生当時、季節は冬。この一帯は大雪に見舞われたと記録にあります」

「あ、雪の密室? 足跡がなかったのか」

 編集者の竹中が、先回りしてつぶやいた。脇に立つ福井に肩を引かれ、慌てた様子で唇にチャックする仕種を見せた。

「事件当日のお昼過ぎに雪は上がり、その後二日間、気温は低いまま、降雪はなかったとのことです。警察は強盗犯のグループを追って、事件の翌朝、この屋敷に辿り着き、惨状を発見した」

「……」

 多くの者が息を飲む中、福井が推理作家らしく発言した。

「犯人と目されるグループの足跡は、どんな風に残っていたんでしょうか」

「屋敷に侵入、いえ、乱入する際の足跡が入り乱れるようにして雪面に着いていたそうよ。人数は三名。彼らは走ったため、靴底の模様が崩れてしまったが、長靴みたいな物を履いていたと考えられる」

「強盗犯が長靴なんか履いてたとは、にわかには信じられないな。それと、店に押し入った人数が三人なのかどうかも気になるところだ」

 飯田が言った。まるで十六年前の事件がゲームそのものだと錯覚しているかのように、謎解きに意欲を見せる。琴恵は変わらぬ笑みを湛えて対応した。

「足跡が長靴と決まった訳じゃありません。はっきりしなかったんです。人数は宝石店に押し入ったのは二人で、もう一人、運転手役がいたと見なせば、計算は合います」

「ふうむ。屋敷から出た足跡は?」

「ありました。やはり三つ。申し添えておきますと、屋敷からは現金だけが消えていたそうです。宝飾品や絵画、骨董品の類は手つかずだったと」

「それじゃあ、やはり三人組が押し入り、家族を襲ったと考えるしかないな」

「ですね。首を切断する理由がないけれど」

 福井が同意しつつ、疑問を呈す。飯田は「ん?」と短く呻き、目を剥いた。

「どういうことだい、作家センセイ?」

「文字通りです。強盗グループに一家を殺す動機はあります。目撃者の口を封じる絶対確実な方法は、殺害ですから。だけど、父親の首や指を切断することはない。押し入った先でそこまでの恨みを抱くはずないし、他に肉体を切り刻む積極的かつ必然性のある理由が、自分には思い付きません」

「理屈っぽいな。犯人達に、父親がひどく反抗的な態度を取ったとでも考えれば、辻褄は合うだろ。犯人達も急に家人と出くわして恐慌を起こしたろうしな」

「一刻も早く現場を立ち去りたいはずですけどね。わざわざ首を……」

 自らお喋りを中断すると、福井は琴恵に視線を向けた。

「首を切断した凶器は分かっているのでしょうか」

「ええ。屋敷にあった斧よ。付け加えておくと、刺殺に使われた凶器は、大型のサバイバルナイフとか。屋敷の誰もこんな物は持っていなかったらしいわ」

「分かりました。想像通りだ。わざわざ斧を持ち出して、首や指を切断することはないと思う。犯人達が被害者をどんなに気に入らなかったとしても、ナイフで滅多刺しにするだけで充分でしょう」

「しかしそれじゃあ、ますます不可解になるぞ」

 飯田が声のトーンを一段高くした。彼と福井との間で再び論戦が始まりそうなところへ、山城寿子が足音を立てて割って入る。

「そんなこと、今はどうでもええやないの。大事なのは、ゲーム。ゲームが一番。早く全部話してもらわんと、私ら喉かきむしって血ぃ出そうやわ」

 言いながら寿子は顎を上げ、喉を掻くポーズをした。場にかすかな笑いが生じる。一番受けたのは、彼女の夫だったが。

「私も問われるままに答えすぎましたね。十六年前の因縁話について解決を試みるのは、時間があるときにしましょう」

 琴恵が自省を込めた口調で述べ、時計を一瞥した。

「ゲームに関係があるのは、行方不明者。母親と執事が生きているにしろ死んでいるにしろ、一体どこに消えたのか。この謎に挑戦していただきます」

「ええっ?」

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