第22話 溶解する屍 1

 夕刻になり、パーティが終幕を迎えても、会場には饗宴の楽しさと騒がしさと馬鹿々々しさの残滓が漂っていた。後片付けをするのは誰かなんてことには気に留めず、いつまでもお喋りと酒に興じるグループが、大広間にちらほらと。数は三つ、それぞれを構成する人数は二人から四人だ。

「イベント参加者の方だけになりました?」

 最前から機械的かつ穏やかに散会を宣言し、退出を促していたアナウンスの女性が、若干砕けた調子になって、場に尋ねる。

「そーみたいやでー、琴恵ことえさーん」

 舞台に一番近い二人グループの内の男が手を挙げ、大きく振った。両眼の形がまるで平仮名のへの字だ。

「どっちを向いて手を振ってるんです」

「どっちって? どこにおるん?」

「今出て行きますから」

 顔見知りの男に対し、呆れ声で告げる。横木よこぎ琴恵はコントロールルームから出ると、舞台右下の扉を押し開け、歩を進める。彼女の頭部にはヘアバンドに似せた形のヘッドフォンマイクがあった。髪のカーテンの向こう、口元に伸びたマイクを通して話していたとみえる。

 彼女の美しさはそのような無粋な物一つぐらいでは、微塵も揺るがぬらしい。背筋をぞくりとさせる笑顔を持つと評され、東洋の氷華なるニックネームを頂く、一流のファッションモデルだ。

栄一えいいちさん、少しは落ち着きなさい」

 すでにマイクはオフになっているらしく、琴恵が喋ってもスピーカーは静かだった。

「おや。パーティでのドレスとは打って変わって、えらくシンプルな」

 振り返った山城やましろ栄一は、琴恵を身体の正面に捉え、口笛を吹くポーズをした。

「ローヒールでも、あなたと琴恵さん、ほとんど同じ身長。情けないわあ」

 栄一が身体の向きを換えたことで彼の背後に立つ形になった女性、山城寿子ひさこが嘆息混じりに言った。

「いやはや、ファッションモデルにはかなわへんなあ。モデルはモデルでも、私めが勝てるのはプラモデルが関の山」

「しょうもない。苦節うん十年、やっとこさ売れてきたお笑い人が、世界を舞台に活躍してはる人の前で、ようそんな恥ずかしいこと言えるわ」

 謙遜と言うよりも芸風なのだろう、夫婦漫才の妻が夫の頭を後ろから押し、無理矢理お辞儀させた。

 微笑を浮かべた琴恵の周囲に、他のグループの人達も集まってきた。

「楽しそうな話し声につられて来ました。私も混ぜてもらえますかな」

 白のスーツを着こなした、カイゼル髭の男性が言った。喋り方に比すと、外見は若々しい。もっとも、この男、年齢不詳を通している。

「パーティでは素晴らしいショーをありがとうございました、じょうさん。楽しませていただきました」

「お誉めに預かり、光栄です」

 定は胸元に右手をかざし、腰を折って大仰に頭を下げた。

「雰囲気がよく、私も気持ちよく演じられました。ただ一つ心残りなのは、琴恵さんのためにと、このヘンリー定、初公開の大がかりなマジックを披露する所存でしたが、こちらのホールでは種を仕掛けるのが困難なため、やむなくあきらめた点。いつか私のイベントにお越しください。そのときに」

「まあ、嬉しい。楽しみが増えたわ」

 一層顔をほころばせた琴恵。そんな彼女の前で、山城栄一はしゅんとうなだれてみせた。

「いやあ、ほんま、物凄い手品やった。度肝を抜かれましたわ」

「どうも」

「それに比べて私らは、お客さんの雰囲気に合わへん言われて、漫才さしてもらえへんかった。情けない」

「そやねえ。当たり前やけど」

 妻の相槌に夫が、沸騰したやかんのごとくオーバーに怒った。全ての動きがコミカルだ。

 琴恵はこれをいい機会と捉えたか、各人を互いに紹介した。山城夫婦、ヘンリー定の他の面々も、話の輪に順次加わる。

 幸田静雄こうだしずおは元プロ野球選手で、往年の名投手。現役を退いて二十年近くになるが、引退後しばらくして事業の失敗や家庭問題が重なり、一気に落ちぶれた。現在は某テレビ局と専属の解説者契約を結び、タレントめいたこともやっている。特に高身長ではないが、胸板が厚く、横幅もあった。何より指が長い。眉が太く色黒で、印象に残る顔立ちをしている。

 枝川二瓶えだかわにへいは映画監督として知られる初老の男性。若い頃から映画の仕事に携わり、カメラから美術からスクリプター、果ては弁当の手配やロケ地の交渉役まで、何でもこなしてきた。『近未来もののふ紋様』の演出で頭角を現し、監督業に手を染め始める。エンターテイメント性を追求したヒット作を飛ばして名を高め、スポンサーから金を集めると、自己満足のような映画を好きなように撮って浪費、次にまた娯楽映画という繰り返しで渡り歩いている。

 幸田は枝川の映画にやくざ役で出演した経緯があり、今も親交は続いている。今日のパーティへも、招待を受けた枝川が幸田を誘ったという事情があった。

 茶色のサングラスを掛け、ココア色に染めた髪の飯田孝之いいだたかゆきはイメージコンサルト業の若き社長。昔はおいたもしたらしく、喧嘩等で頻繁に警察の厄介になったとは本人の弁。事実、鼻が少々歪んでおり二枚目崩れといった風貌だ。

 彼に寄り添う年齢の見当を付けにくい女性が、中澤万知子なかざわまちこ。アイドル歌手グループの一人としてデビューし、四年近い活動のあと独り立ち。人気が下降したところで女優に転身、これが当たった。悪女役が似合うと評判を取り、私生活もそれ風になりつつあるとの噂だ。飯田の恋人であるのは、公然の秘密。

 一人、浮いたように若いのは福井弘志ふくいひろし。英俊社主催のFS(ファイブスター)大賞を獲り若干十五歳でデビューを飾った高校生推理作家で、評判も上々。期待の大型新人とされる十七歳。楕円形の眼鏡の奥では、見る物全てに感心するような瞳があった。片田舎の素朴な高校生だったのが、出版社の方針によりハンサムな好青年に仕立て上げられ、本人は未だ戸惑いを引きずっている様子が露わだ。

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