第15話 反転する殺意  11

「――ふん」

 一瞬、唖然とした刑事は、すべて了解した風に椅子にすとんと腰掛け、それから苦笑した。

「いつでもこんな調子です、俺は」

「そうかい? まあ、その議論は最高に暇なときのために取っておこう。さっき挙げた四名が、メモを書ける人物像に最も近いことは認めてくれるね」

「え、ええ、まあ。細かいことを言うと、有島と森谷は全てを書けるだろうが、吉山と倉塚は、一部、知らないことがあるはず」

「いいんだ。有島洋殺しの動機を持つ者を犯人と想定しており、元々、この四名は真犯人ではないという前提に立っている。いや、本人を除いて三名とすべきかな。ともかく、これら四人に近い人間が、有力容疑者なんだ。その中に必ずいる。全ての人間関係を把握し、この殺人を行った者が」

「お言葉を返しますがね。そういう考え方をするなら、結局は、有島洋に関係ある連中に絞られることになる。動機の面から、有島に近い人間が犯人と見込んでるってことをお忘れなく」

「有島洋に近い者で、森谷裕子の存在を知り得るのは?」

「うーん。ま、家族でしょうな。あとは大学の同僚に、歯医者に行ったことを話すついでに、ぽろっと漏らすかもしれない」

「では、倉塚暁美の存在を知り得るのは?」

「……可能性だけでいいのなら、家族。家族しかいないでしょうな。脅迫してきた人間のことを、家族以外に話すとは考えづらい。有島に女がいれば、それも加えていいが、実際はいないから」

「最後は吉山です。先の二人を知り、なおかつ、吉山の存在を知ることができたのは?」

「……だから、そいつが分からないってんですよ」

 小さな癇癪を起こした刑事が吐き捨てた。しかし、地天馬の方は冷静なまま、「家族の中で株などに手を出している人間はいないのですか」と問うた。

「いますがね。父親がやってる。だが、吉山とは全くつながりがない。違う証券会社を通じてやってるんだ」

「千鶴夫は?」

「弟ですか。彼は株をやるほど余分な金はないですね。そもそも、興味がないような印象でしたが」

「そうですか。ならば、証券でのつながりではなく、別のルートがあるんだな。徹底的に調べてください」

「調べろって、千鶴夫について? 地天馬さんは、千鶴夫を犯人だと睨んでいたんですか?」

「怪しいなと思っただけです」

 地天馬は静かな笑みを浮かべた。対する刑事は首を傾げるばかり。

「何の根拠があって? 疑わしいとするなら、何らかのきっかけがあるはず」

「先日、下田さんとあなたがお越しになった際、葬式で有島千鶴夫と会ったくだりも聞かせてもらいましたが、あの中に不自然さを感じた。殊更にアリバイを主張するような言い種をしていたようですね、彼」

 地天馬の話で、私も朧気ながら思い出してきた。“隣町”で、”六時三十分から二時間、ただただ馬鹿騒ぎに興じていた”と語ったらしい。

「その段階では警察は犯行時刻を七時前後と考えていたため、アリバイ成立と見なしてしまった。だが、通報の内容を分析すれば、犯行時刻は九時前後ではないかと推測できる。隣町から殺人現場まで最短何分で移動できるのか知らないが、調べる価値はあるでしょう」

「言われてみれば、不自然な気がしてきましたが……やっぱり、変だ。成り立たない」

 花畑刑事は手を打つと、地天馬を真正面から見た。

「吉山が襲われた六時五十分については、有島千鶴夫にはアリバイがある! 犯行は不可能だ」

「交換殺人に偽装した計画殺人を思い付く人間なら、そこへ別の交換殺人を引っ付けるという発想をしてもおかしくはない」

「ええっ、何ですと?」

「全くの想像だと思って聞いてほしいんだが、今度の犯人はちょっと変わった交換殺人を画策したんじゃないかな。殺したい相手の始末を人任せにせず、自分の手で殺す。交換殺人ではなく、むしろ、アリバイ互助組合といった趣だな」

「アリバイ互助組合……」

「二人で組合と言っては少々奇妙かもしれないが、最低二人いれば遂行可能な計画だからね。この仮説では、千鶴夫の共犯者は、ほとぼりが冷める頃を待って、千鶴夫にアリバイ作りを手伝わせた上で、自らが憎む人間を自らの手で殺そうとする訳だ。そして恐らく、その共犯者は、吉山を知っている。共犯者と千鶴夫それぞれの知識を活かして、あの偽のメモは作られた」

「非常に興味をそそられる見解だとは思いますが……証拠がない。共犯者を見つける作業は、これから取り組めば何か出て来るかもしれないので、そこを突破口とするほかなさそうだ」

「……いや、もしかすると、何も出て来ない目もあり得るな。犯人が執った手段によっては、共犯者の影すら踏めないがありますよ、花畑刑事」

「何のことです、地天馬さん? あんたの言うことを聞いてると、頭の中がこんがらがる。つまり、共犯はいないって?」

「いえいえ。共犯者はいるでしょう。しかし、これは問題だな。共犯者の正体を掴むのが骨だとすると、別の方向から攻めねば。千鶴夫の携帯電話を押さえて、発信履歴を調べられないだろうか? 所轄署への通話記録が残るはず」

「うーむ。無理をすればできなくはないかもしれない。でも、礼状を取るには、もう少し強い理由があった方がいいなあ。今のところ、聞かれもしない内からアリバイ主張をしたっていうだけなんだからねえ」

「だったら、かまを掛けてみてはいかがですか。有島千鶴夫の携帯電話に、例の所轄署から電話をして、こう言ってやる。『最近は警察への電話はたとえ非通知に設定されていても、実際には表示される仕組みでしてね。殺人事件通報者のあなたの話を是非伺いたいと考えておるんですよ』……どうです?」

 そう語る地天馬の目は、いたずらっぽく光ったようだった。

 それよりも私が意外だったのは、花畑刑事が腕を固く組んで、検討する様子を見せたこと。警察がこんな引っかけの手口じみた捜査をするというのだろうか。まさかとは思うが……。


 有島千鶴夫が兄殺しの容疑で逮捕されたとの知らせがあったのは、二日後のことだった。

 動機は、千鶴夫は中学生の頃から兄のしでかした失敗や悪事を全て被ってきており、その積年の恨み、鬱屈感が殺人に走らせたらしい。

 また、犯行当日午後六時五十分に吉山を襲ったのは、有島洋であると供述しているそうだ(これを私は非常に意外に感じたのだが、地天馬にとって予想の範囲内だったようで、かすかにうなずいただけだった)。何でも、兄が倉塚から脅迫を受けていることを知った千鶴夫は、「昔のように僕がかたをつけてあげるよ。その代わり、兄貴も別のことを少しだけ手伝ってほしい」云々と言葉巧みに持ち掛け、殺したい相手を共犯役に引きずり込んだ。有島洋は弟の殺意を知らないまま、操り人形と化したことになる。

 千鶴夫が吉山卓也の存在を知ったのも、兄を通じてであった。洋は二度目の通院時に、森谷が吉山へ半ば嫌がらせめいた抗議の電話を掛けているのを、たまたま立ち聞きし、そのことを弟に単なる雑談のつもりで話していた。それが殺人計画の発端の一部になるとは、夢にも考えなかったに違いない。その上、自分が襲った相手が吉山であることも知らなかった。

 なお、警察が証拠を掴み、有島千鶴夫から自白を引き出すに当たって、地天馬の提案した作戦を採用したかどうかは、定かでない。


――『反転する殺意』終

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