第14話 反転する殺意 10

 話す内に不安をかき立てられたか、下田は沈黙してしまった。一旦うつむいたかと思うと、急に顔を上げ、「まさか、通報者が犯人だったと?」と叫ぶ。

「まだ断定は避けましょう。ただ、犯行に関与した可能性は大いにありそうじゃないですか」

「何ということだ。所轄署に掛かってきたから逆探知も録音もできていない。恐らく、番号も非通知だったろうし……。案外、吉山が掛けたのかもしれませんな。奴の携帯電話を押さえて、発信先を全て洗えば」

「吉山犯人説には、僕は反対しておきますよ。遺体があることを通報するメリットがない」

「そうか、そうですな」

 腕組みをした下田。彼が唸り始める前に、地天馬は新たな理屈を追加した。

「赤い液体という表現が気になるな。吉山が犯人なら、有島殺害は七時前後。十時過ぎに遺体を見つけた人間が、流れ出る血を認視できるものかどうか」

「ああ……血は水流に紛れてほとんど分からないはずだ。で、では、やはり通報者こそ実行犯?」

「九時頃に殺害し、遺体を見下ろしながら通報したのかもしれない。つい、川面に広がる血を描写してしまった訳だ」

 地天馬の言葉を耳にして、私は想像した。

 肌寒い闇に立ち、刺し殺したばかりの死体を見下ろす人影。おもむろに携帯電話を取り出し、冷静にボタンを押す。声は全く震えていない……。

 何と大胆で残忍な犯人だろう。

「地天馬さん、助言を感謝します。しかしこれでスタート地点に逆戻りだ。アリバイの点を含めて、有島に近い人間を全て洗い直す必要が出て来ましたよ。誤りをしでかすよりはよほどいいものの」

「大した手間は掛からないでしょう。動機を持ち、交換殺人のメモを作ることができる人間が容疑者です」

 もはや自分の元から離れたとばかりに、地天馬は手を返すと、下田警部を促した。


 三日後の午前中、花畑刑事一人が地天馬の事務所にやって来た。と言っても解決の知らせではなく、途中経過の報告が用件だった。事件のその後が報道に載らなかったことから予想できていたものの、残念な事態である。

「またもや、ですよ」

 花畑は自虐的と表してもよさそうな奇妙な笑みを浮かべ、切り出した。目の下には疲労の度合いを反映した濃い隈ができ、心なしかしわが深くなったようにさえ思える。

「行き詰まっております」

「花畑さん、酔っ払っているんじゃないでしょうね」

 椅子を勧めながら、心配になってそう尋ねた。無論、酒臭さはなかったが、それだけ花畑刑事の態度が気弱なものに映ったのだ。

「とんでもない。早く解決して、浴びるほど飲みたいとは思ってますがね」

 椅子に深く腰掛けると、花畑は私から地天馬に顔を向けた。上司の目がない気軽さもあってか、粗野な口ぶりで一気に喋る。

「有島洋を殺す動機を持っていそうな人間は、割といるんだ、これが。真面目そうに見えて、助教授の身分で裏口入学の指南めいたことをやってたんだから、当然と言えば当然だな」

「具体的に、たとえばどんな動機があるんです?」

 地天馬はいささか白けた感じながら、落ち着いた調子で尋ねる。

「そんなこたあどうでもいいんですよ、名探偵。問題はメモ。交換殺人のメモだ。あれをこしらえられそうな奴が、見当たらない」

「……まさか警察は、有島洋、森谷、吉山、倉塚の四人に共通する知り合いを捜しているんじゃないでしょうね」

「まさかとは失礼な。そうしてますよ。決まってるじゃあないですか」

 理路整然というものからはかけ離れた具合になってきた。寝不足で思考回路の一部が断絶していることにしておこう。

「それでは見つかりっこないな」

 ため息混じりに地天馬。花畑は疲れているに違いない。地天馬の辛辣な物言いにも、怒る様子は全くなく、黙ってただうなずいた。

「まず、あのメモを書き得そうな人物をピックアップしてみる。少なくとも四名、ぱっと浮かぶはずだ」

「……だめだ。何にも浮かばない」

 垂れたこうべをゆるゆると振った花畑刑事。粗悪品のシャンパンを開けるとき、コルク栓の動きがちょうどこんな風になる。

 地天馬の返答はあっさりしていた。

「有島洋、森谷、吉山、倉塚の四人ですよ」

「は?」

 目が覚めた、そんな感じで面を上げた刑事は、途端に渋い顔をし、椅子から腰を浮かせた。

「地天馬さん。あんた、俺をからかってるんじゃないだろうね」

「とんでもない。事実を述べたまでさ」

 飄々として応じ、次いで、刑事を指差す。

「花畑刑事、いつもの調子が戻って来たようで結構なことだ」

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