第2話 本文

 本文は、冒頭部分の「プロローグ」「第1章 エピソード1」と、ラストシーンの「第4章 エピソード16」の三カ所を載せます。



**プロローグ**


 この部屋に入る時は、いつも少し緊張する。

 狭い室内にぎっしりと並ぶ棚に置かれた、未整理の本たちの背表紙の文字が、襲い掛かるように立ち上がって僕の目の前に迫って来る。机の上に無造作に置いてある雑誌の表紙タイトルも、あざ笑うように踊っていた。ここは図書館の横についている資料準備室だから、沢山の文字が待ち構えていた。


「大丈夫? 中井君。あ、じゃなくて水人みなと君って呼ばなきゃいけないんだっけ」

 前を歩くリオさんは、振り向いて僕の目を見ながら優しく微笑むと、そっと両肩に手を置いて、めまいを起こした僕が机の横の椅子に座るまで支えてくれた。

「この部屋でやるのは、やっぱり考えものかな。文字が多すぎるよね」

「いえ、大丈夫です」

 正面に向き合った椅子に座るリオさんを見ながら、これから始まるいつもの営みルーティーンへの期待で、胸の鼓動が大きくなるのを感じる。

「じゃあ私以外、何も目に入れなくていいから」

 そう言ってまた微笑んだリオさんは、学校の先生という肩書きを外した一人の女性として僕の前にいる。少なくとも僕はそう感じていた。

「始めてもいい?」

「はい」

 リオさんは、机の上に用意してあった本を取り上げてページを開くと、僕がスマホの録音ボタンを押すのを待って読み始めた。


立原道造たちはらみちぞう萱草わすれぐさに寄す。はじめてのものに。

ささやかな地異は そのかたみに

灰を降らした この村に ひとしきり

灰はかなしい追憶のやうに 音立てて

樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた」


 たちまち僕の目の前には、うす暗い空の下、木々の間にぽつんぽつんと家が建つ寂しい村の光景が広がる。読み上げているリオさんの声は、僕の耳から体全体にしみわたり、心の中をゆっくりと満たしていく。僕の中は、リオさんで満たされ、リオさんの語るイメージであふれていった。視界に入るのは、本を読み上げるリオさんの美しい顔だけ。


 艶やかに音を紡ぎだすくちびるに、僕はたまらなくキスをしたかった。






** 第1章 エピソード1 **

 あーあ。また一から描き直しかあ。面倒くさいなあ。

 図書館の隅の目立たない場所にある机の上で、僕は、黄色と緑の表紙のスケッチブックを折り返し、新しい紙に鉛筆でラフの線を入れ始める。もう二回も色付きで描き上げたテーマだけど、「ココカラ」でイラストを注文してきた購入者さんは、また気に入らなかったらしい。どこが気に入らないのか、くどくどと長文で書かれたメールは来ていたが、何が悪いのか今一つ読み取れなかった。星空を背景に、男の子と女の子が手をつないで立っていて、女の子が空を指差しているイラスト。配信コンテンツのヘッダーにするという話だった。コンテンツのシナリオも送られて来たが、中身は全く読んでいないから、どんな子たちなのかは知らない

 まあいい。最初に来たオーダーの通りに、もう一度丁寧に描けばいいんだろう。


 うちの学校の図書館は、休み時間以外も開いていて、いつも誰かしら生徒がいて勉強していた。陽向が丘ひなたがおか高校と言えば、このあたりではちょっと知られた進学校で、二年生から理系と文系に分かれて選択授業になる。私立文系選択だと、ちょくちょく空きコマができるらしく、授業時間に図書館で自習している生徒がいても気にする人はいなかった。

 でも、一年生の僕は、本当は教室にいなければいけない時間だ。しかも、ネットで注文を受けてイラストを描く「ココカラ」の仕事は、学校で禁止されているバイトみたいなものだから、見つかったらえらいことになる。

 入学してまだ一ヶ月しかたっていないけど、教科書を読まされるか板書をするばっかりの授業には、もうついていけなくなっている上に、教室から抜け出してこんなところで絵を描いている僕は、立派な不良かもしれない。


 白紙の上に、これが三回目になるラフな線を描きながら、時々前のページの完成した二枚目の絵に戻って、どこを直すか考えていると、突然後ろから声をかけられて飛び上がった。

「素敵なイラストね。君が描いたの?」

「うわっ。え、えと、はい」

 左の肩越しに、黒いサラサラの長い髪が揺れて、ふんわりと甘い香りが漂ってくる。少し前かがみになって、後ろから僕の絵をのぞきこんでいたのは、図書館の司書の先生だった。入学後のオリエンテーションで、去年大学を出て着任したばかりの社会人二年生だと自己紹介していた。確か名前は二宮にのみやリオ先生。若い女性の先生は一人しかいないから、すぐに名前を覚えた。

 カタカナでリオだけど、ブラジルとか全然縁が無いんですよと笑う顔は、化粧らしい化粧もしていなくて、まだ高校生だと言っても通用しそうな可愛さだった。でも、黒いスーツの胸元は、真横から見ると結構なボリュームがあるのがわかる。


 あわてて描きかけの白紙に戻すと、二宮先生は不思議そうな表情になった。

「また一から描き直してるの? もしかして、美大受験のトレーニング?」

「あ、いえ、そうじゃないですけど……」

 二宮先生は、座席の横に回り込んできて僕の制服の胸についているバッチを見ると、ハッと目を見開いた。

「あれ? 君、一年生なの?」

 しまった。バレた。怒られる。

 そう思って背中を丸めた途端、授業時間終了のチャイムが鳴り始めた。

「ぎりぎりセーフだね。でも授業サボっちゃだめじゃない」

「済みません」

「君、名前は?」

中井 水人なかい みなとです」

「中井君ね。で、なんで完成した絵をまた描き直してるの? あんなに素敵に描けてるのに」


 名前を聞かれたから、きっと担任に報告されるのかと思ったら、クラスは聞かないしイラストの話を続けるし、五時間目をサボったのは大目に見てくれるってことか? さっきから、先生とは思えない口調で話しかけてくるし、司書って担任や教科の先生とは違うのかもしれない。オリエンテーションの時も、調べものや相談事があったらなんでも気軽に話しかけてね、と言っていた。

 優しそうな目で見つめられているうちに、思わず話し始めてしまった。

「実は、頼まれて描いたんですけど、気に入らないらしくて。どこが気に入らないのかわからないんです」

「なんて言われたの?」

 言ってしまってから急に焦る。ちゃんと読めていないけど、購入者さんから来たメールしか説明できるものは無い。でも、メールを見せて「ココカラ」でバイトしていることまでバレたら、今度こそ担任に報告されて大ごとになってしまうかもしれない。

「いえ、やっぱりいいです」

「気になるなあ。あんな素敵なイラストのどこが気に入らないんだろう。私が頼んだ人なら、ありがとうって額に入れて部屋に飾っちゃうけど」

「そ、そうですか?」


 自分でも自信があった。コピックペンで描く水彩タッチのイラストは、「ココカラ」に写真でサンプルを出した途端に問い合わせが入ってきて、オーダーをくれたのは、この購入者さんで二人目だった。最初にオーダーされた通りの構図で、自分なりにファンタジックな雰囲気を出して描けたと思っていたのに、描き直しを指示する長文のメールが二回も来てしまった。

 でも、長文で書かれた文章を、僕はほとんど読むことができない。


 最初におかしいと思ったのは、小学校低学年の時。元々本を読むのは大嫌いだったが、教室で先生に当てられて教科書を読む時、自分は一文字一文字指で押さえながらたどっていかないと読めないのに、友達はすいすいと話をするように読めるのが不思議だった。テストも、問題文を読んで理解するのに時間がかかって、最後までたどり着いたことはほとんどなかったから、当然成績も最下位だった。

 でも、授業中先生が説明していることはちゃんとわかるし、他の生徒が読んだところについて質問されると、スラスラと答えられるので、逆に先生や友達には不思議がられていた。

 六年生になって病院で検査を受け、学習障害の一種の読字障害ディスレクシアと診断されて、初めて自分のことが理解できるようになった。自分は、文字で書かれた文章を読むことができないらしい。


 購入者さんから送られて来た描き直し指示のメールも、ちゃんと読むことはできなかった。文章を見ていると、文字が大きく前後左右に動き始めて、まるで高層ビルを上から見下ろしているような光景になってしまう。定規をあてて、一行だけ見えるようにすると少しはマシになるが、読むのにものすごく時間がかかる。そのため、長文を読んでいると最初に書いてあったことと最後がつながらなくなり、理解するのが難しくなってしまうのだ。


「その頼んで来た人は、どこを直してほしいって言ってるの?」

「あの、これ頼まれて描いていることは、内緒にしてほしいんですけど、その前提でメールを見てもらってもいいですか? 実は、どこが気に入らないのかわからなくて」

「よくわかんないけど、とりあえず見せて」

 二宮先生は、首をかしげた。それはそうだろう。頼まれていることは内緒にしろとか、描き直せと言われて描いているのに、どこが気に入らないかわからないなんて、意味不明だ。


 僕はスマホを出して、メールの画面を開いた。一回目の描き直し要望メールと、二回目の描き直し要望メールを見せて、それぞれのイラストも開いて見せる。

「うーん。これ、一回目の直し指示も、よく読まないで描き直したでしょ」

「……ちゃんと読めてなかったかもしれません」

「そうだよね。まあ、遠回しな表現をしてるから、わかりにくいかもしれないけど。中井君。根本的に勘違いしてるよ」

「え? どこですか?」

 二宮先生は、イラストの男の子の顔を指差しながら言った。

「頼んだ人は、女の子同士の絵を描いてくれって言ってるの」

「へっ?! 女の子同士?」

 僕は心底びっくりした。高校生の尊いカップルが、仲良く立っているところを描いてほしいというのが最初のオーダーだったから、てっきり男子と女子だと思い込んでいた。


「一回目の直しの時に、百合な感じにしてほしいって書いてあるでしょ。百合って、女の子同士のカップルのことだから」

 そんなことは知らなかった。というか、そんな単語は読み飛ばしていた。先生は、スマホのメールの一部を拡大してしてくれたが、確かにそこには「百合な感じを希望」と書いてある。

「ぜんぜん読めてませんでした。そうなんですね」

 あんなに頑張って描いたのに、半分はそもそも無駄だったということだ。がっくりきた。でも、これで三回目は間違いなく描けそうだ。

「あとね、星空の他に、足元に灯りを点けてほしいとも書いてあるけど、わかってる?」

「いいえ、それも読めてませんでした」

 二宮先生は、首を振りながらつぶやいた。

「大丈夫かなあ」


「どうもありがとうございます。購入者さんが何で気に入らないのかわかりました」

 先生は、黙って僕の顔を見ていた。聞こえなかったかな? それとも変なこと言っちゃったかな?

「ねえ。購入者さんってどういうこと?」

 さっきまでの明るい話し方が一転して、トーンが下がってゆっくりとした言い方。

 やばい、やばい、やばい。購入者って言っちゃった。

 あー、バカだ。バイトだってバレたかも。

 急に顔が怖くなっちゃったよ。


「あ、えっと、購入者さんっていうのは……」

 じっと黙ったままこっちを見ている。

「あの、もう先生には隠し事できそうにないんで、全部話しちゃいます。ごめんなさい」

 まず、頭を下げた。大人に対しては、先に謝っておいた方が、何かと都合がいい。

「実は僕、文章を読むのがすごく苦手なんです。苦手というか、そういう障害なんです。小学校六年生の時に検査を受けてディスレクシア、読字障害と診断されました」

 先生はハッとした顔になり、右手で口元を押さえた。

「ご、ごめんなさい。それは知らなくて」

「いいえ、言わなきゃわからないですから。ただ、文章を読むのにすごく時間がかかるから、ここの高校を受けた時も、時間を延長してくれる『合理的な配慮』の特別措置で受けてます。下駄履かせてもらって合格してるんだから、恥ずかしいですよね」

「そんなことないでしょ。その人の条件で公平になるように試験をしてるんだから、合格したのは実力じゃない! 堂々として!」

 二宮先生は、ワタワタしながらフォローしてくれた。なんか、さっきまで怖い顔をしていたのに、急に可愛くなるところが不思議な人だ。


「それで、中学の時に、ディスレクシアの勉強法の一つで、マインドマップっていう絵を描くんですけど、その紙とペンを使って好きなストーリーのイラストを描いて、姉に見せたらすごくほめられて。これなら売れるって『ココカラ』にも登録してくれたんです」

「ここから? なあにそれ?」

「スキル販売サイトです。オーダーを受けて、イラストを描いたり、ウェブをデザインしたりする個人が登録してるんです。僕はそこでイラストを描いて売ってます」

 先生は、急に前かがみになり、耳元に口を近づけて来た。

「つまり、ネットでやるアルバイトってこと?」

 耳元で、小さな声でささやかれる。周りにいる生徒に聞こえないように、気をつかってくれたみたいだけど、すぐ目の前に可愛い顔を近づけられると、ドキドキしてきて苦しい。

「は、はい」

「あきれた。授業をサボってアルバイトの絵を描いてるなんて」

 こんなに耳元でささやかれると、背中がぞくぞくして、なんだかおかしな気分になってくる。椅子の上で体の向きを変えて少し先生から離れた。


「あ、あの、姉には、あんたは高校を卒業できるかどうかもわからないから、得意な技能で独り立ちできるようにしておきなさい、って言われてます」

「そうかあ。文章がうまく読めないって、試験にしても勉強にしても大変だよね。確かにお姉さんの言うことは一理ある」

 先生は、体をまっすぐに伸ばして腕を組み、うんうんとうなずいている。なんか姉の言葉に納得してくれたみたい。姉の七海ななみは、去年から美大に進学して、本当にデザインで飯を食っていこうとしているから、僕もそれに影響を受けているところはかなりあると思う。

「お姉さんって、そういう仕事に詳しい人なの?」

「はい。京都の美術系の大学に行っていて、家にはいないんですけど、春休みに帰省してきた時に、ココカラに登録して、古くなったパソコンとスキャナーもくれたんです。一応、姉のアカウントで、僕は制作協力者ってことになってます」

「そうなんだ」

「ただ、オーダーとか、見積もりの回答とか、購入者さんからのメッセージが来る専用のメールアカウントは僕が対応しているんですけど、これが長文で読めなくて」


 先生は、また体をこちらに傾けて、耳元に口を寄せてくる。

「何か困った事があったら、ここに来てこっそり相談して。校則でアルバイトは禁止されているけど、中井君には事情があるから見逃してあげる。でも、図書館以外で他の先生に見つかったら、守ってあげられないから気をつけてね」

「……はい。わかりました」

 なんで二宮先生の声は、こんなにドキドキするんだろう。いや、こんなきれいなお姉様みたいな人に耳元で言われたら、ドキドキするのが普通だよな。


「あ、図書委員の子が来たみたい。それじゃ」

 先生は、何事もなかったように貸出カウンターの方に歩いて行った。

 後に残された僕は、耳元のゾクゾクするような感覚が消えてしまうのがもったいなくて、しばらくそのままじっとしていた。




** 第4章 エピソード16 **

 資料準備室に戻って来ると、机の上にはハサミや糊がいくつも出しっぱなしになっているし、床には、切り落とした紙テープの屑やラッピング用のビニール袋がそこらじゅうに散らかっていて、大変なことになっていた。

 今朝はいつもより一時間早く登校して、始業前の時間と、昼休みだけで教室の飾り付けを全部作り切った。さらに昨日家でiPadを使って描いてきた似顔絵を、図書館のプリンターで拡大印刷し、授業が終わると大急ぎで教室に運び込んで飾り付けるので手一杯だったから、これから片付けないといけない。


「半日で、よくあれだけの飾りを作り切ったわね。松田君も、意外と手先が器用だったし。でも、全部ドンキで買ってきてもよかったんじゃないの?」

 机の上の文房具を片付けながら、リオさんが聞いてきた。

「それじゃダメですよ。カラオケルームで作業していたことにしないといけないから、全部手作りすることに意味があるんです」

「なるほどね」

「平塚が、手作りホームパーティー装飾ってサイト見つけてくれたのは、本当に助かったよ。あれで材料とか作り方がすぐにわかったし」

「でしょ? 全部百均で買えたし。あたしがいると役に立つでしょ?」

 得意そうな平塚と並んで床にしゃがみ、散らばったゴミを、プラごみと紙屑に分別してそれぞれ別のゴミ袋に入れていく。


「それにしても平塚。お前、本当に役者だな」

「そう? 水人のシナリオ通りに演じただけよ。それに本当のことしか言ってないし」

 机の横の椅子に座り、頬杖をついてこちらを見おろしていたリオさんが、あきれたように突っ込んで来た。

「本当のこと? 自分が水人君の勉強のフォローしているんですって、よく言うわよね。もう少し漢字が読めるようになってから言ってほしいわ」

「ちゃんと難しい漢字の勉強もしてるし、もう、この前みたいなことは無いから」

 平塚は、しゃがんだまま挑戦的な目付きで見上げているが、リオさんはふふんと鼻で笑った。

「そう? できるものなら、朗読で水人君をセックスしている気分にさせてみなさいよ」

「な、な、な、せ、せっく……って。あんた先生のくせに、なんてこと口走ってるの!」

 いつかの恋愛小説の朗読の時の、柔らかくて温かい唇の感触を思い出して、心臓がドクンと跳ねる。

「私は、水人君の前では先生じゃないの。ごめんなさいね」

 リオさん、そんな表情で微笑まないで。また我慢できなくなりそう……。

 大人なマウントの取り方をされて少し凹んだのか、平塚は真っ赤な顔のまま下を向き、黙ってゴミを片付け始めた。


 床に散らかっていたゴミを、あらかた袋に詰め終わったので立ち上がると、リオさんは部屋の隅を指差した。

「今日は、あそこの隅に置いておいて。明日、図書委員の子がゴミ捨て場まで持って行ってくれるから」

「はいはい」

 平塚が、嫌そうに返事する。自分から図書委員になったんだから、文句は言えないだろう。リオさんは、ペロっと舌を出した。

「じゃあ、今日の分、始めましょうか」

 机の横の椅子に座ると、リオさんと平塚の二人が並んで僕の正面に座った。三人になってから、これが定席になっている。

「あんまり時間がなさそうだから、短めの詩集を選んできたけど」

 リオさんが、机の上に置いていた本を手に取ったが、それをさえぎる。

「あの、今日は本の朗読はいいです」

「どうして?」

「誕生パーティーと片付けで、遅くなってしまったので」

 リオさんは、腕時計を見ると、口をきゅっと結んで不満そうな顔になった。

「最終下校時刻まで、あと十分しかないか。メールはどうする?」

「それはお願いします」

 スマホを出してロックを外し、リオさんと平塚の前に置くと、二人はいつものように、メールを一つ一つ削除するかチェックしながら読み上げ始めた。


「これ、削除でいい?」

「いつものSPAMだ。削除。いい加減パターン変えればいいのに、いつもワンパターンってなめてるとしか思えない」

「次は?」

「お。これは新しいパターン。削除。でも、なんでケータイ会社の名前にハイフンとか付けんだろう。一目で偽メールってわかるのに」

「どうしてかしらね。次も削除ね」

「ちょーい! 待った、待った、待ったー! これはダメでしょ読まなきゃ」

 平塚が、大あわてでスマホをつかんで取り上げた。

「なんで? こんなゴミ」

「コラー! あたしが心を込めて水人のために書いたメールだっての。ちゃんと読みなさーい!」

「こんなジャンクメール読む必要ないわよ。やっぱり削除」

「あたしが読む!」

 平塚は、僕のスマホを持ったまま、画面は見ずに僕の方を向いて語り始めた。

「さっきも教室で言った通り、あたしもメール削除を監視するだけじゃなくて、水人のサポートをするから。この人の言いなりになってたら、水人がダメになっちゃう」

「なに勝手なこと言ってるの。これからも、水人君に必要なのは私だけだし、私にとっては、水人君に奉仕することが、この学校にいる唯一の意味なの。あなたが入り込む余地は無いから。横で見ているって言うから、仕方なく置いといてあげるけど、邪魔しないでね」

「ふざけるなー! あたしだって水人の役に立てるわよ。どっちがより水人のためになるか競争だからね!」


 放っておくと、いつまでも二人のマウント合戦は終わりそうになかった。でも、そろそろ下校時刻になってしまう。

「あのー、次のメール読んでもらっていいかな? そろそろクライアントからイラストの見積りに返事があるはずなんだけど……」

「今、大事な話をしてるの!」

 正面から、声を揃えて二人に睨まれてしまった。これは『合理的な配慮』で、下校時刻を延ばしてもらうしかないか。


 そう思ったところで、平塚の手元にある僕のスマホで着信音が鳴り始めた。

「おわっ! み、水人、電話」

 手渡されたスマホを耳に当てると、懐かしい大声が聞こえてきた。

「ヤッホー! 水人、元気ー?」

「あ、姉ちゃん……」

「大学が夏休みに入ったから、明日帰るね。なんか読んでもらいたい本ある? 気になるタイトルがあったら買ってくから、また久しぶりに読んであげるね」

「あ、ああ」

 正面のリオさんの目付きが変わった。

 こ、怖っ。

(完)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

②本の読めない僕が毎日図書館でしている幸せなこと 代官坂のぞむ @daikanzaka_nozomu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ