罪の意識

それからいくつかの季節が巡って、早いもので雫が来てから二年が経っていた。雫は小学六年生になっていて、最初に会った時よりもそれなりに成長していた。

背も伸びたし、顔も少し大人びて、以前にも増して利発な印象を感じさせるようになった。


この日は珍しく啓二が日曜休みの日だった。休日は大抵寝て過ごすか仕事の報告書を作っていたが、起きた後食事を摂った啓二はたまには出掛けるかと思い至った。


雫はひと足早く起きて朝食の片付けをしていた。彼女はいつも規則正しい生活を送っていて、学校が休みの日でも七時頃に起きていた。

共に生活をしてからこの二年間、雫とは特別どこかに出掛けたりはしなかった。もともと寝床と金を提供するだけという話だったからそんなつもりはなかったし義務も無かったが、たまにはどこかに連れて行ってやるかという気持ちになった。


「お前、今日は何か用事あるのか?」

洗った皿を仕舞っている雫に声を掛けた。雫はきょとんとした顔で振り返り、

「用事、ですか?特には・・・。本でも読んでいようかと思いましたけど」

と啓二をまじまじと見つめた。

「たまには何処か行くか」

寝転がって新聞に目を落としながら啓二はふてぶてしく言った。雫はえ、と先ほどよりも目を開き驚いていた。

「お、お出かけですか・・・?一緒に・・・?」

「俺は人混みが嫌いだからそういう所はパスだけどな。お前が何処か行きたいところがあるなら」

雫はしばらく固まっていた。今まで近所の買い出しくらいしか一緒に行ったことがなかったのに、突然そんなことを言われれば動揺するだろう。しかし彼女はしばらく考えると、あ、と啓二に向き直った。

「一つだけ、行きたいところがあるんですけど。そんなに遠くないですし、人も居ないと思います」

「車で行けそうか」

「はい。むしろ駅からは離れていると思うので、車の方が良いと思います。」

そして雫は支度をするべく、自室の方へ小躍りするように走って行った。出掛けるのが思いの外嬉しかったらしい。いかんせん、しっかりしているように見えてまだ小学生だ。もっと色々な所へ連れて行った方が良かっただろうかと一瞬考えたが、別に俺は父親じゃねえよ、と頭の中で呟いて啓二も準備に取り掛かった。



 目的地は啓二の家から車で一時間ほどの場所だった。行きたい場所を聞いた時ナビに載っているか気がかりだったが、運良く載っていた。


啓二が運転する横で、助手席に座る雫は窓から見える景色を見てはしゃいでいた。大きいショッピングモールがあるだとか、美味しそうな飲食店があるだとか。それに対して全て「ああ」とか「そうだな」とだけ返す啓二に雫は前を向き居住まいを正した。

「一人ではしゃいじゃってすみません。前の家に居た時は車が無かったので、こうして車で出掛けるのは初めてで・・・」

「別に構わねえけど」

啓二は窓を開けて煙草を取り出した。

「車じゃなくても、電車で出掛けたりしなかったのか?」

雫は少し目を伏せた。

「あるにはあるんですけど、数える程度です。私がまだ赤ちゃんの時にお父さんは死んじゃったので、お母さんはいつも働きづめで。もちろんお休みもありましたけど、疲れきっていたので、出掛けられることはほとんどありませんでした」

黙って聞いていた啓二は煙草をふかした。

「そうか。それは難儀だったな」


走る距離が伸びていくにつれて都市部から離れていった。住宅や畑がまばらにあり、それらからも少し距離を置いた一角に目指すそれは有った。


雫が来たがったのは、木々が生い繁るひっそりとした場所にある教会だった。教会といってもそこは既に廃教会となっていたが、まだ朽ちているという程ではなく、年季を感じる傷みが逆に神聖な雰囲気に拍車をかけていた。

手入れがされているのかいないのか、敷地の草や低木はやや伸びていて、建物の印象と相まってどこかノスタルジックだった。


「どうしてここに来たかったんだ」

車を適当な場所に停めると、雫と啓二は敷地内の草を踏みしめた。

「お母さんに前教会の名前だけ聞いてたんですけど、なんでもうちのお母さんとお父さんって駆け落ちだったらしくて、だから結婚してもちゃんと式を挙げられなかったんですって。それで二人で出掛けた時にたまたまここを見つけて、二人だけで結婚式みたいなことをしたらしいです。お母さん、懐かしそうに話してくれました」

ツツジに似た低木の前にしゃがみ、その葉を弄びながら話す彼女もまた懐かしそうに笑っていた。母親が居なくなってから二年、さすがの雫も彼女の生存を期待してはいないのだろう。前に住んでいた家に寄る頻度も減っていた。

そして雫は立ち上がると、建物の方へと小走りで駆けて行った。鍵はかかっていないようだった。雫は扉の取手を掴むと少しだけ開けて、中の様子を窺った。

「おい、勝手に入っていいのかよ」

啓二が雫のもとまで近付くと、

「開いてるんだからいいんじゃないですか?それにもうお母さん達が入っているんだから今さらですよ」

彼女はいたずらっぽい笑顔を浮かべて振り向いた。

そういう問題かよ、と呆れた啓二だったが、扉を開けて中に入ってしまった雫に続いて自分も建物内へと入った。


教会は想像していたよりも広かった。板張りの通路を挟んで左右に長椅子が二十ほど、合わせて置いてあり、通路は啓二が過去に写真で見てきた他の教会より幅があった。その最奥には祭壇が今もなお存在を主張するように設置されている。中へと歩を進めると、長椅子は埃を被っていて木も傷んでいた。

灯りが無いので室内は当然薄暗く、しかし壁の高い位置に取り付けられたステンドグラスが教会内を部分的に照らしていた。


雫は通路を半分程進むと立ち止まった。そしてきょろきょろと辺りを見回し、最後に正面の祭壇を見据えた。雫の両親がそこで結婚式らしきものをやっているところを想像しているのだろうか。しばらく祭壇を見つめたまま動かなかった。

一、二分程そうしていただろうか。やがて彼女はくるりと振り返ると、来た道を戻りながら周囲の長椅子を眺めたり、手でそっと触れたりしていた。しばしの間そんなことを繰り返していた。

「連れてきてくれてありがとうございます」

入口付近で壁に寄り掛かっていた啓二に、雫は両手を後ろで組んで頭を下げた。

「もういいのかよ」

「はい、どんなところか、見てみたかっただけなので。せっかく一時間も運転してもらったのに申し訳ないんですけど。でもドライブもお出かけの一部ってことで、勘弁してもらえませんか?」

雫が最近やるようになった、どこか茶目っ気を含む笑顔で彼女は言った。

「俺は別にいいけどよ。たまには外に連れてくかと思っただけだ」

ジーンズのポケットに手を突っ込みながらぶっきらぼうに言うと、雫はまた頭を下げた。

「ありがとうございます。家に置いてもらってるだけで十分なのに、こうしてお出かけさせてもらえるなんて思っていませんでした」

「そんな大したことはしてねえよ」

照れ隠しだけではなかった。雫に居場所を与えたって、こうして行きたい場所に連れて来てやったって、啓二が彼女の母親を殺害した罪が清算される訳はなかった。啓二は未だに自分が雫をどのような感情で匿っているのかよく分かってはいなかったが、おそらく罪の意識が最も強いのだろうと思った。これから自分は、雫と、この意識とどう向き合っていけばいいのだろうか。そんな気持ちを抱えながら啓二は古い教会の扉を開けて出た。



 それからまた更に四年が経ち、雫は十六歳になっていた。この頃彼女はだいぶ大人びてきていて、女子にしては少し高めの背に、肩甲骨辺りまで長く伸びた黒髪は高校一年生ながら凛とした雰囲気を漂わせていた。


ある夜更け、啓二は薄汚い雑居ビルの一室に居た。そこは近頃悪質な手法で荒稼ぎをしていた、風俗店の経営者が事務所の一つにしていた建物だった。その人物を始末する仕事で、今日が実際に手を下す日だった。

事務所には経営者の中年男の他に、従業員と思われる男が三人居たので全員射殺した。建物の外でも確認したが、室内にも防犯カメラは無いようだった。

仕事を終えるといつものように佐野に1コールで電話を入れた。そして足早に現場を立ち去った。


外の空気を吸った啓二は何となく夜風を浴びたい気分だったが、現場の近くをうろつくのは危険だった。仕方なく彼は車に乗り、三十分程走らせると適当な河原で車を降りた。

そのまま川を眺める形で草はらに座り、煙草に火を点けた。そして煙を吐き出すと、先程の男達の事を思い出した。

この仕事をしてきて今まで何人殺したか数えてはいなかったが、果たしてどのくらいになるのだろうとぼんやり考えた。百はとうに超えているだろう。二百人までいっているだろうか。連続殺人犯だってそんなに殺せないはずだった。自分の両手は見えない大量の血で染まっていると思った。

昔だったら別段考えない事だった。雫との六年間の生活が、啓二を微細ながら感傷的な人間に変えていた。


しばらく煙草をふかしていると、携帯電話が振動した。ディスプレイには佐野の名前が出ていた。

「何だ」

いつものように愛想のかけらもなく応答すると、食ってかかるような佐野の声が携帯から響いた。

「お前、何だ、じゃないだろ!?仏の処分に行ったら一人だと思ってたのが四人いたぞ!?電話掛けてきた時教えろよ」

啓二は煙草を上下に揺らして弄んだ。

「ああ、悪いな。全員同じ部屋で殺したから行けば分かると思ってよ」

「いや、複数だったから他にも居るかと思って、他の部屋も確認する羽目になったんだぞ!?とんだ大仕事だったよ」

「悪かった、社長に報酬弾んでもらってくれ」

啓二は電話越しに苦笑した。すると佐野は一瞬無言になった。啓二がどうした、と呼び掛けると佐野はいや、と切り出した。

「お前が笑うなんて珍しいと思って」

「俺だってたまには笑うさ」

「・・・あれかな、雫ちゃんの影響かねえ」

雫のことはたまに様子を聞かれていた。その度に啓二は適当に生活させていると答えていた。

「雫ちゃんいくつになった?」

佐野は車の中で話しているのか、エンジンの音が聞こえてきた。

「十六になった」

「十六歳か~。ていうかそんな年頃の女の子と二人で住んでて、本当に何もしてないわけ?」

「そんなダセェことするかよ」

雫には指一本触れていなかった。

「お前なりの矜持ってことかね。まあ大切に育てているようで何より」

「だから別に大切になんかしてねえし、勝手に育ってるだけだ」

啓二は右手に持った煙草を携帯灰皿に押し込んだ。

「それにしても、本当に雫ちゃんを手元に置き続けるとはね。お前のことだから「面倒くさい」とか言ってすぐに放っぽりだすかと思ってたよ」

「あれは金さえ与えれば一人で生きていける奴だったからな」

「親が水商売だったからほとんど自力で生活してたんだっけ?当時小学生だったのにしっかりしてるよなあ。しかも綺麗な子なんだろ?今度会わせろよ」

「なんでだよ」

急に強い夜風が吹いてきて草原を撫ぜた。その風を身に受けながら雫の事を考えた。彼女はこの頃更に賢くなってきた。そんな彼女の行き着く先を考えた。

啓二は顔を上げて川の向こうに広がる夜空を見た。星一つ無い、暗澹とした夜空だった。その景色を眺めながら、啓二は口を開いた。

「なあ、佐野。頼みたいことがあるんだが——」

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