少女との生活

翌日は休日だった。


雫は啓二が寝ているうちに学校へと出掛けて行き、啓二は昼前に起きて軽く食事を摂るとそのまま居間で寝てしまった。ここのところ、今標的にしている男を張りっぱなしだった為疲労が溜まっていた。


雫が帰って来た音で目を覚ました。熟睡していたらしく、時刻はもう五時半だった。


「ただいま帰りました・・・」


起き上がった啓二を見て雫が声を掛けた。小学生が学校から帰って来る時間にしては遅い。両手に手提げ袋を持っているところを見ると、今日も家に行って荷物の持ち出し兼母親の安否確認をしてきたのだろう。

雫の挨拶に対し、ああ、と髪をぐしゃぐしゃに掻きながら返事をすると、啓二は顔を上げて雫を見た。

「学校の方は上手く誤魔化せたのか」

雫は「はい」と頷いた。

「先生たち少し驚いていましたけど、無事手続きしました」

学校には引越したと伝えることにしていた。

啓二は「そうか」と返事をすると雫に風呂に入るよう促した。そして雫の後に自分も入浴を済ませると、二人で夕飯を食べ始めた。


雫はコンビニで買ってきた弁当を、啓二はカップ麺と冷凍庫にあった唐揚げをそれぞれ食べだした。雫に生活を合わせる努力はしていなかったが、二人揃って家に居る時はなんとなく共に食事を摂っていた。

「そういえば」

点けたテレビで流れていたバラエティーを眺めながら雫が口を開いた。

「松浦さんって、お仕事は何をしてるんですか?」

その質問に啓二は咀嚼していたものを飲み込んでから、

「警備員だ」

とだけ答えた。他人と関わらない為職業を聞かれることは殆ど無かったが、聞かれた時はそう答えるようにしていた。ちなみに詳しく聞かれた時の為に、職場はオフィスビルで、地下で設備異常の監視をしているという設定も用意してあったが、そこまで踏み込んで聞かれたことは無かった。

啓二の素っ気ない返事に、雫はまだ何か聞きたそうな顔をしていたが、「だから仕事のスケジュールが不定期なんですね」と一応納得した。


そして再び弁当を食べ始めた雫を啓二はさりげなく観察した。

彼女と会ったあの時は気まぐれでここへ連れてきてしまったが、どう考えたってお互いの為に良くないのは明白だった。啓二は啓二で殺した人間の家族と関わるなんてリスクがあるし、雫にしたってこんな真っ当とは言えない仕事をしている奴に保護されて良い人生が送れるはずがなかった。少しでも彼女を助けるつもりがあるのなら、ちゃんと親戚を探すか養護施設に入れるべきなのだろう。


啓二は頬杖を付いてテレビを眺めた。画面の向こうではタクシーの運転手が自分の家族についての想いを語っていた。気づけば啓二はリモコンを取って、半ば無意識にチャンネルを変えていた。



 それから数週間、雫とはすれ違ったりかち合ったりしながら生活をしていた。最近は夜の仕事が多かったので、どちらかと言えばすれ違うことの方が多かったと思う。


その日は久し振りに夕方に仕事が終わった。自宅のアパートの階段を上がりながら時計を見ると時刻は六時過ぎだった。


玄関の前に辿り着くと、鍵を取り出しドアを開けた。その瞬間ふわりと香ばしい匂いが鼻をついた。

それと同時に目に入ったのは、キッチンで火の点いた鍋の前に立つ雫だった。啓二の家は玄関のすぐそこが狭いキッチンになっていた。

「あ、お帰りなさい」

雫ははにかむように笑った。

「あっちの家に住んでた時はほぼ自炊してたので、お鍋とか借りちゃいました。勝手に使って大丈夫でしたか?」

笑いながらそう言って、鍋の様子を確認した雫は火を弱めた。

啓二は少し面食らいながらもああ、と返事をした。

「別に使って構わねえけど、お前料理できたのか」

雫は少し得意げに、はい、と言いながらおたまを持った手を動かし始めた。

「お母さんが作ってくれることもあったんですけど、仕事の時はくたくたで作れないこともよくあったので、自分でも作るようになりました」

鍋の中をかき回す雫は母親のことを考えているのか、懐かしむように笑った。そして啓二を振り返ると、

「多めに作ったので、もし夕ご飯買ってきてなかったら、松浦さんも食べませんか?良かったら」

と言葉は少し遠慮がちに、しかしはっきりとした口調で言って啓二を見た。

そんな雫から視線を外して鍋の中身に目を走らせる。作ったのはビーフシチューのようだった。誰かに食事を作ってもらうのは久し振りのことだった。

「・・・じゃあ、余ってんなら貰おうか」

啓二が頷くと、雫は顔をほころばせた。

「良かった、松浦さんあり合わせの物しか食べないから、体に悪そうだと思ってたんですよ。これからは度々作るので、食べれる時は食べてくださいね」

「別に俺の心配は要らねえよ・・・」

啓二はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。自分の健康に執着の無い啓二はコンビニ飯やカップ麵、何かを作ってもインスタントラーメン等で済ませることが多かった。

そんな彼を見て雫は微笑んだ。ここのところ雫はたびたび笑顔を見せるようになっていた。


ビーフシチューは旨かった。テーブルの向かいでシチューをすする啓二を雫は不安げな上目遣いで見た。

「どうですか・・・?」

感想を求めてきたので、「・・・いいんじゃねえか」とだけ言っておいた。人を褒めるのは苦手だった。

しかしそれだけで伝わったのか、雫は嬉しそうに顔を緩めると自分もちびちびと食べ始めた。

その様子を横目で見ながら啓二も食事を再開した。シチューに入っていた人参を咀嚼していると、数日前に考えていたことが頭をよぎった。


『親戚を探すか養護施設に入れるべきなのだろう』


人参を飲み込むと、茶色くてやや濃いめのルーにスプーンを付けた。

親戚はいるのかいないのか分からないと言っていた。仮に探し出すことが出来たとして、あるいは見つからなくて孤児院行きになった後、どこかの家に引き取られたとして、そいつらは雫をちゃんと人間として扱うのだろうか。それはつまり、暴力という意味での虐待や、性的な虐待にさらされないのだろうかということだ。実際、啓二が居た孤児院でそういった話は聞いていないが、子どもの耳に入らないようにしていただけという可能性もある。雫は見た目が整っているのでその辺の危険はあると思われた。

一生ものの傷を負うくらいなら、後ろ暗い人間に育てられている方がまだマシだろうか。

それとなく雫を見ると、食卓を汚すことなくきっちりと食事をしていた。

結局彼女をどうするかはっきりと決められなかったが、口の中に広がるビーフシチューの香りが啓二から思考力を奪った。「何も結論を急ぐことはないか。」そう思った啓二は皿を傾け残りのルーを流し込んだ。

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