21 サイコドラマ

 死んだ夫、ジョニー・ハートマンの同僚、外資系精密機器メーカーに勤めていた芳沢義一は、土屋隆司を名乗った。彼の真実は、警察庁警備局公安部の特務員だった。そのことは早坂とのチャネリング中、彼のすがたを見かけていて知ったことだった。

土屋は、四谷南署の牛島を伴って、大学医療センターにいる秋月の前にすがたを現した。

 事件の真相を明らかにするため、そして死後画像診断技術の利用を乞うためだった。

 冒頭、秋月は夫のことを問い質した。土屋は、技術営業マンの夫が営業で向かった先が、海外にある本当の「戦場」であったことを打ち明けた。前線にいる、未熟な徴用兵士たちに、戦闘系ドローンの技術指導を行うためだった。計画を主導したのがDARPAだった。勤務していた外資系精密機器メーカーは、DARPAが支援する事実上の国策会社だったのだ。公安部特務員の土屋は、計画の参画者の一人だった。夫を前線に送り込むことを計画した内の一人だった。

「敵の侵攻計画は、彼の勇気ある技術指導によって、大きく後退を余儀なくされた」

当初に侵攻してきた敵の進軍部隊は、ドローンから繰り出される携帯型多目的ミサイル、「ジャベリン」によって悉く粉砕されていった。「全ては、君の夫、ジョニー・ハートマンの功績だった」土屋が発した賛辞だった。

 栄誉ある夫は、しかしドローンの届かぬ遠方から、市街各所に無差別に放たれる敵のロケット弾によって不運にも、粉みじんに吹き飛ばされたのだ。そのことを、打ち明けることができなかったことを土屋は詫びた。

 その後に彼がつぶやいたことばがあった。

「生命の中に潜む死の影を見つけ出すことが、透視撮像の専門家、君たちの仕事だろ」そしてこうつづけた。

「ジョニーと早坂は、その逆だった」

「その逆とは?」

 問い返してから秋月は気づいた。

「死の中に潜む、生命の影――」

 周囲を敵に囲われた、死が忍び寄る戦場に飛び込んでいった夫は、戦場に残された者たちにとっての、生命の影だった。そして、早坂進一もまた、死の中に飛び込んでいった一人だった。生命の影をひるがえして……。

「私は二度、その生命を奪い去ることになるのか」

 諦観の顔色で俯き、ぽつりつぶやいた土屋だった。しかしその直後、焦燥の気持ちを振り払うかように、その目顔を振り上げた。

「早坂を、救い出せないだろうか」

 鋭くひかる瞳を大きく丸くさせて発したことばだった。黒いシャツに白い背広の風情が発した、心からの懇願のことばだった。

 秋月が、その奇跡を実現させるための条件として出したのが、志摩みつるだった。

 ――――

 白いコロナが、面前を通り過ぎたのは、秋月ら一行を乗せた車が緊急車両用ゲートから一般車道に出ようというときだった。水木新平が握るハンドルを制し、助手席のドアを押し開けた秋月かおりは、その後を追いかけた。病院の正面ゲート前で追いついた秋月が助手席へと回り込む。志摩みつるとの再会の瞬間だった。視線が交差した二人は、無言で頷き合った。秋月は後方を振り返り、追ってきた水木に向けて追尾することを告げ、後席に乗り込んだ。

 安全ベルトを引き伸ばしながら秋月が言った。

「見たわよ。あなたの過去を」

 志摩は後方を振り返っておどろきの目を膨らませた。その目顔に向けて、秋月が訊いた。

「それで、早坂は何を企てようとしているの?」

 …………

 秘術を完成させたい早坂は、決死の覚悟で死の中に飛び込み、自らを「蛹」に変えた。そして、志摩みつるのナビゲーションを得て、新宿御苑トンネル内に突入したのだった。

 頭上を茂る樹木、或いはそこに棲むよろずの精霊たちがすぐれたパワースポットを形成させていたトンネル内は、誘雷塔にふりそそぐ雷光の「爆撃」を受け、なおさらに猛烈なマイナス電荷を帯電させていた。その極限と、トンネルに侵入した早坂とが接点に至ったところで、コントローラにある露光釦を押し込んだ志摩だった。直後、早坂の全身に発生させていた巨大なプラス電荷が、トンネル内に満ちていたマイナス電荷を誘引し空間放電を発生させた。その強烈な閃光が、早坂の体内に封じ込められていた異形の時間を奇跡のホログラムに変えたのだ。

 しかし予想外だったのは、その後におきたトラックとのクラッシュ事故だった。

 秘術は、早坂の身体をホログラムに変えた後、卵生動物が卵を孵化させるときのようなしばしの鎮静化が必要だった。生前、数々の謀略を受けつづけ無念の思いに晒されていた早坂だからだった。しかしトンネル内を走行中、思わぬ事に地点測量に誤差が生じ、志摩の遠隔操作をわずかに誤らせた。制御不能に陥った改造車は、側壁を伝ってトンネルの出口を飛び出し、トラック後方の架装車に激突したのだった。その時、衝突時に生じた高圧現象のため、早坂は図らずも異次元へと変態を果たしてしまったのだ。癒されない早すぎる変態だった。

 だから志摩みつるには、異次元をさまよう早坂の気持ちを鎮める必要があった。木深い公園などのパワースポットに、ひそかに隠して置いて回った球形とは、早坂の右眼球に遺されていたスーパーレイヤを培養させたものだった。それは癒しの行為だった。時空に封じ込められて鎮静の場を失った憎悪の気を、球形から放出させようとした行為だった。鈍色の球形は、怒れる想いの換気口だった。しかし思いのほか早坂の憎悪は大きかった。「換気口」は仇となって、早坂の憤怒の思いを噴き出させる「捌け口」となってしまったのだ。

 今、地上で生じている奇怪な現象とは、図らずも変態した早坂の荒々しい想いの放出現象だった。それを鎮め、テロリストに立ち向かわせねばならなかった。


「すでに準備はできています。講堂のほうへ」

 一行を出迎えたのは、東京メディカル・ジャパン技術営業の片桐幸雄だった。片桐は苦い顔付きになって、秋月に歩み寄り、耳元で小声になって苦言をつぶやいた。

「むちゃくちゃな要求だよなぁ」

「ご協力いただき、感謝申し上げます」

 秋月は、自らが立てたシナリオに従って、片桐らが舞台の組立てをしてくれたことに感謝のことばを向けた。

 一行は、GC日本支社のエントランスホールを横切って講堂へと向かった。扉が押し開けられ、足元を白い明かりが扇状にひろがった。視界にあらわれた講堂内を一瞥した一行の全員が、目を見張った。  

 客席が撤去された講堂内は、巨大な没入型ディスプレイに改造され、空いたフロアのあちこちに、ダビデスーツが設置されてあったのだ。秋月が頭上を見上げた。天蓋は、眩しい白い光に照らされていた。前方のステージ後方には巨大なスクリーンが下ろされてあった。そこに映し出されていたのが、MRI検査室だった。GC日本支社のデモルームにある、技術指導用の実機だった。

 秋月が、一行をステージ上にうながし、計画した死後画像診断を利用した、「サイコドラマ」の説明をはじめた。冒頭、一行に配られたのが、乳白色のパーフェクトスーツだった。

 ――――

「補助自我?」

 志摩みつるが質問を返したのは、自らに振り当てられた役回りだった。

「演劇を利用し患者の過去を、劇として演じさせることによって、そこからトラウマに陥った原因を探り出そうという療法、サイコドラマ――あなたの役は、その劇中で最も重要な役回りだわ」

 秋月は言って、配布してあったシナリオに目を落とした。配役が記されたページだった。

 ドラマの劇中、演者としてもっとも重要な存在が、患者と密接にかかわる人物、それが補助自我とよばれる「脇役」だった。志摩みつるこそ、早坂進一の脇役として最も適した人物であることは、誰の目から見ても明らかだった。秋月が、牛島らに志摩の消息を突き止め、連れ戻させることを強く勧告したのは、それが理由だった。サイコドラマにとって、志摩みつるは、居なくてはならない存在だったのだ。

 ……その他、早坂を直接的に知る人物、土屋隆司、永井薫らに対する役目について説明を終えた秋月は、シナリオのキャスティングにある配役名で、一行に居ない人物の名を口にした。

「染井孝太郎――」

 志摩が全身をびくりと震わせた。かつての恋人、テロ首謀者の名だった。

「彼の役については、私が代役します」

「ちょっと待ってくれ」

 秋月のことばに反応したのが水木新平だった。テロリストである故人の役目を、秋月自らが務めることを気にかけてのことだった。MRI、核磁気共鳴発振装置によるディスプレイの中で行われるサイコドラマなのだ――劇中、精神障害等、危険に晒されるやもしれなかった。それを不安がってのことだった。

「染井については、私にやらせてくれ」

 水木が、挑む眼を秋月にむけた。気圧されたかのように、眼を伏せた秋月が、首肯の相槌をかえした。

「これから行われるドラマは、相当の臨場感をともなって、皆さんに振りかかってくるはずです。もしも異常を感じたならば、躊躇なく離脱ボタンを押してください」

 劇に挑む者への、秋月が指示した忠言だった。

 身に着けたパーフェクトスーツを検査着で覆い隠した身の一行は、それぞれに決められたダビデスーツに身を押し入れた。

「片桐さん、お願いします」

 ステージ上に、脚本家の風情で立つ秋月が、ドラマ開始のことばを発した。検査開始の合図を受け、コントロールルームのコンソール卓の前にすわる技術営業の片桐が、MRI検査機の始動ボタンを押し込んだ。

 検査室に鎮座するガントリの中に、架台に横たわる早坂の遺骸が滑り込んでゆく。まもなくしてガントリが発する打撃音が、一行が装着したHMDの中を流れ始めた。ステージ後方のスクリーンに映し出された撮像映像は、HMDのゴーグル、そして皆が身に着けたパーフェクトスーツに映し出されたものと同じだった。その映像が、皆の視界を呑み込んだ。

 ドラマ第一章は、研究科学生時代の早坂だった。現れた早坂が失意の顔付きでいるのは、光バイオチップの研究が、研究室教授等から忌み嫌われ、開発から身を引く立場に追いやられたからだった。その早坂に対し、染井の代役、水木が優しげな顔付きになって話しかけた。生命機能科学研究所で立ち上げた、「脳内戦士」のユニットへの参加を口利きするシーンだった。その後の第二章、冒頭から脇役を演じ始めたのが、パーソナルトレーナー、志摩みつるだった。ダビデプログラムに沿って、ジム内での激しいトレーニングをおこなうシーンが暫くつづいた後、永井薫との接触シーンを最後にして第二章が終了した。そして第三章――志摩に加わってドラマを演じ始めたのが、土屋隆司だった。眼光を鋭くさせ、早坂進一を叱咤激励する土屋だった。プログラムは、ABトレーニングに至り、ドラマ全体がにわかに深刻な色を帯び始めた。一行が身に着けていたパーフェクトスーツが発熱しはじめたのはその頃からだった。早坂の情動を測る、興奮、快、不快の三極性の内、興奮と不快とが急激に上昇をはじめたのだ。第三章は、水木が覆面を被って早坂との格闘シーンで終了した。水木の出番はそこで終わったのは、その格闘の最中、染井が不慮の事故に遭遇したからだった。発熱するスーツで全身を濡らした水木だった。しかし彼は、離脱せず、観劇者にまわって劇中にとどまる決断をした。

 ドラマは第四章に至った。スーツの発熱は、そこから暫くの間、小康状態を保った。何故ならば、早坂が、GCテクニカルセンターにて、光バイオチップの開発に合流したからだった。

 スーツの小康状態が途絶え、ふたたび発熱をはじめたのは、映像に、「オンラインリモート撲殺事件」のスーパーが出現する直前のことだった。

 観劇する者たちが、次々に離脱ボタンを押し込んだ。耐えられない発熱だったのだ。それを必死に堪えていたのが、志摩みつる、土屋隆司、そして水木新平だった。その内の土屋も、早坂に、脳内戦士、マインド・ウォーリアの称号を与える、自らのシーンを終えた直後に、離脱ボタンを押し込んだ。劇中に残されたのは、志摩みつる、そして水木新平だった。  

 志摩みるに異変が生じたのは、それまで堪えていた水木が、堪えきれずに離脱した直後だった。

 彼女の姿が、ダビデスーツの中から姿を消したのだ。

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