20 禁断の未来図

 金属の反響する音が冷たく鳴り響いていた。非常階段のステップを鳴らす音だった。コンクリートに囲われた薄暗い空間をひびかせる足取りだった。その音が止まった。

 面前にある灰色の扉が押し開かれた。電子音が耳を吹き付けてきた。アジトは、店子から見放されたような、空き事務所ばかりの寂れたビル最上階にあった。室内は電子装置によって埋め尽くされていた。マイク・ギャラガーは、床に巡らされたケーブルを、足先でかき分けるようにして足をすすめた。立ち止まったところに目的のサーバーがあった。黒い立方体だった。サイバーテロを主導するテロリストのための「兵器」だった。暗号解読用のサーバーだった。ネットワーク上に流通するシークレットキーの解読を目的する、バイオチップを搭載した光量子コンピュータだった。本体のカバーがひらかれて装置の内部が視界にあらわれた。マイクは隠し持っていたものを手にひろげた。青く澄んだ色の球形だった。早坂から奪い去ったスーパーレイヤによって、高純度化を果たした光バイオチップだった。

 彼等サイバーテロリストが解読を目指すシークレットキーとは、米陸軍エンジニアリング研究開発センターの集中管制室、その厳かな空間の中で稼働する備蓄核兵器安全管理プログラム、通称核兵器計画だった。その鉄壁のキー解読の作業がたった今、開始されたのだ。

 最終標的にむけてランディング態勢に入ったマイクらの最初のミッションは、研究開発センターのセキュリティ・オペレーションオフィスで管理されている、認証用コードの奪取だった。

 すでに、偽装メールに添付したマルウエアを利用したフィッシングによって、米国人事管理局から研究開発センターの名簿を盗み取っていたマイクだった。――マイクが今、さらに盗み出したいコードとは、システム管理者の生体認証、その内の最も安全性が高いといわれる声紋だった。それゆえに、名簿からシステム管理者を特定していたとはいえ、その後の諜報活動は困難を極めた。しかしマイクはそれを見事突破していた。手口はこうだった。

 システム管理者のデスクには、AIスピーカーがある。その製品プロトコルは、研究開発センター出入りのシステム設置業者からすでに盗み取っていた。だからAIスピーカーへの遠隔アクセスは容易だった。マイクの面前にあるPCからその管理者のこえが漏れ聞こえてきた。盗み取ったシステム管理者の声――。

 マイクがそのとき、「変換」を入力したのは、その声紋を、パラメトリック・スピーカーによって超音波の暗号に変換したいからだった。変換された音波暗号を解読ウイルスと共に、人知れずに管理者のAIから発音させる。すると管理者の面前にあるPCは、その指令を受けてコードを返してくれるのだ。策は功を奏した。

 そうして得られた認証用コードで、標的の核兵器格納システムに侵入を図る。第二段階目のミッション。しかしここで大きな問題が立ちはだかった。核兵器格納システムは外部から隔絶されていたことだった。ネットワークが利用できないのだ。

標的は、遠隔操作が及ばないエリアにあった。「隔絶されたエリアを遠隔する」――。スパイを忍び込ませでもしないかぎり、不可能といってよいミッションだった。

 その課題を解決してくれたのが、バイオチップだった。

 今や、コネクテッド・ワールドと呼ばれる時代なのだ。PCや電化製品ばかりでなく多くのプロダクトがネットを介して接続されている。マイクが捕捉したシステム管理者が日頃身に付けているものには、スマホの他にスマートウォッチ、モバイルメモリ、そしてIDカード、スマートネックレス等があった。もちろんそれらを身に付けて、核兵器格納システムを操作することはできない。何故ならば標的となるシステム、核兵器格納システムのオペレーションは隔離された特別室にあるからだ。部屋への出入りは厳重に管理されている。入室時、身に付けてあるIOTプロダクトはすべて一次預かりの対応がとられるのだ。だからそれらIOTを介してシステムを遠隔操作することは不可能だった。しかし浮動小数点演算速度でエクサの性能を誇る驚異のパフォーマンス、古典派PCで千年かかる処理をたったの五時間で処理でき、物体を透明体に変えることをも可能とする光バイオチップを利用するのならば、システム管理者自身、或いは彼の周囲に帯電している静電気すなわち電荷同士の振る舞いから発生される「クーロン力」の利用が可能なのだ。

 つまり人体或いは衣服、アンダーウエア、さらにはモバイルIOTプロダクト――それらが様々に接触或いは摩擦、剥離することを精緻に事前に「計画」するならば、その帯電の振る舞いをプログラムに置き換えることが可能となる。人体周囲に帯電するわずかな電荷を一電荷漏らさず最大限に利用できるのならば、目的のプログラムを電荷に変換させ、そしてそこからIOTに接続できる「ゲート」を作り出し、その「穴」を通して、標的のシステムに侵略プログラムを「注入」することなど容易いことだった。――マイク・ギャラガーが「SET」を入力した。モニタ画面にアバターが映し出された。核兵器格納システム、そのオペレーション特別室のコンソールの席についたシステム管理者のアバターだった。マイクが眼前にあるキーボードで「実行」を入力したのは、アバターがコンソールに両手を置いた瞬間だった。

 直後にアバターの全身が黄色く明滅した。それは、侵略のプログラムが、隔絶されたフィールドに放たれた瞬間だった。

 そしてそれは、核兵器格納システムを破壊するための侵略のプログラムを背負ったトロイの木馬が、最終標的が棲むフィールドに放たれた瞬間だった。

 今、サイバーテロリスト、マイク・ギャラガーの面前には、網目模様の地球図が映し出されていた。

 その「地表」には、突き上げられたような格子の赤い盛り上がりが幾つかみえていた。彼等テロリストが「暴発」させたい最終標的地――。その禁断の標的に向けて、網目を赤く染めてゆく侵略の道が、たった今、うごめきはじめた。

 ――ゴールへのランディングは間近だった。そのときだった。画面がゆれた。何事が起きたのかと、マイクが画面右下にあらわれた吹き出しに目をふった。吹き出しが明滅していた。チャットボットだった。誰から送られてきたのか分からない、身元不明のチャットボットだった。何かが映っている。眼を瞬かせてメッセージを覗き込む。

 ――Mike, good morning.

(……何?)

 ――Mike, it's me. Shinichi Hayasaka.

「ハヤサカッ!」

 声を上げ、その名を叫んだマイクだった。

 後方に設置されてあった通信サーバーが暴発したのは直後だった。

 メッセージはさらにつづいた。

――WhAB are you doing now? It's been a long time. It's been three years, right? How have you been?

 早坂がきた。

――――

 隣室から電子音が漏れ聞こえていた。志摩みつるは聞き耳をたてた。脱出の機会を探るためだった。この部屋に幽閉されて三日が経とうとしていた。彼女がマイクたちの囚われの身になったのは、放射線科医の秋月かおりと接触した直後のことだった。

一度は謀略の餌食にした早坂だった。しかしマインド・ウォーリアの称号を得た奇跡の男なのだ。マイクにとって驚異の存在であることに変わりはなかった。早坂との戦いは熾烈をきわめることが予想されていた。志摩の存在は大きかった。人身御供としての利用だった。

 ……突如として隣室で電子装置の破裂音が立ち上った。志摩は何事かと覗き窓に歩み寄った。覗き見た。混乱した様子のテロリストたちが隣室を右往左往する光景が見える。騒然とした空気だった。事態の情報を得るためなのだろうか、皆、手にしたスマホを耳にしていた。脱出のチャンスは今だと察した。思い立った志摩は、テーブルの下に置かれてあったショルダーバッグを拾い上げた。扉に歩み寄りドアノブに手をかけた。おおきく息をついた。そして心の中で自分に言い聞かせた。(チャンスは今よ)――。扉を小さく押し開けた。気づかれていない。背を低くした態勢で電子装置を掻い潜り、忍び足になって出口への扉にたどり着いた。

 テロリストの一人が、志摩の動きを察知した。慌てた顔で駆け寄ってくる。志摩はビルの内廊下におどりでた。左右に首をふった。非常出口のサインを察知した。出口に向けて走り出す。志摩はショルダーバッグの中からフラッシュライトを取り出し、自動モードに設定して押し込んだ。バシャバシャと強烈なストロボが瞬きはじめた。後方にそれを放り投げた。強烈な光の嵐が追手に降り注ぎ、追撃を急停止させた。志摩みつるは悲鳴を散らして非常階段をかけおりていった。裏口をでた志摩は、ビルの駐車場が目に入った。ブリテングリーンのワゴン車があった。しかしキーを取り上げられていることに気づいた。舌を鳴らして踵で地面を蹴った。そのときだった。志摩の横を白いコロナが停まって助手席のドアがひらいた。

「乗れ」男の声だった。躊躇う顔の志摩に男が言った。

「秋月先生からのお誘いだよ」

 助けだと察してかかえもっていたショルダーバッグを後席に向けて投げ置き、助手席に乗り込んだ。

 車は急発進をしてその場をはなれた。

 後方を振り返った。リアウインドウ越しに、両手を膝にして、肩を上下させる追手たちのすがたがあった。その光景を覆い隠す男の顔があらわれた。

「土屋さん」

「久しぶりだな」

 平然とした口調は相変わらずだった。

「どうして、ここを?」

 問いには、運転席の男が応えた。

「決め手は、ブリテングリーンだった。車の色としては特別な色だからね。地域課の協力で、難なく突き止めた」

「何故、わたしを?」

 問いには土屋が応えた。

「秋月先生からのミッションだよ。どうしても探し出せ、今後の計画に君が必要なんだ、とのね」

 前方に視線をもどした。車内を警察無線の声が流れでていた。都内各地の河川周辺で生じている、「地域IP網」の大規模通信障害を告げていた。

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