17 ハイパーテロリスト

 鋭い眼光、痩身を包み込む黒シャツに白い背広姿。警戒心を抱かせる風袋は相変わらずだった。

 かつてのABトレーニングのアドバンストレーナー、その後反社会的組織、土屋企画を主宰し、そして早坂をGCテクニカルセンターに仲介した男の肩書は、警察庁警備局公安部に所属する特務員だった。早坂にとって、初めて明かされた事実だった。

 土屋は、「ダビデスーツ」を送り付けてきた理由について説明をはじめた。

 冒頭のことばは二人を震撼させた。コンフィデンシャル(機密)だと前置きをして土屋が口にしたのは、「染井孝太郎はハイパーテロリスト」ということばだった。

 声を上げて驚いた志摩みつるだった。

「米国中央情報局CIA筋からの情報だった」

「DARPAを語って染井に近づいたのはそれが理由だった?」

 早坂が問いただした。

「当然のことだ。情報を得た我々は、直ちに生命科学研究所を通して、染井に接触した。テロリストにとって喉から手が出るほどに欲しいだろうダビデプログラムをちらつかせてだ」

 染井は、研究室名義で立ち上げた「生命機能科学研究ユニット」を介してその開発に参加した。

「我々の狙いは、染井が開発に従事していた量子コンピュータだった。彼は、中井光学を隠れ蓑にしてその開発をつづけていた」

「光バイオチップは?」

 早坂は、自らが開拓者となったプロセッサの話を向けた。

「染井もそれには驚いたようだった。困難とされていた開発の筋道を、君は一人で立ててしまったんだから――。それが契機となって、滞っていた開発は一気に進んだ」

「全てお見通しだった?」

「当たり前だろ。我々を何だと思っている。関連した行動は全てつかんでいた」

 土屋はテーブルの上に置かれてあった光バイオチップに目をふった。

「テロリストらによるネット犯罪、サイバー攻撃への対応は待ったなしの状況なんだ。その上に、量子コンピュータの主導権を握られでもしたら、世界全体が取り返しのつかない事態に陥るのは目に見えている。染井らの開発は何としてでも止める必要があった」

「GC社を借りて中井光学を解散させ、研究所を閉鎖させたのも、あんたたち仕業だった?」

 早坂の指摘に、土屋は飄然とうなずいて応えた。

「公安の目的は、国の安定だ。庶民の安静を目的とする刑事とは異なる。目的のためなら手段は選ばん」

「……まさか、染井の事故死もあなたたちが仕組んだこと?」

 焦燥にかられた顔で問いかけた志摩みつるだった。

「あれは事故だった。想定外の出来事だった」

「想定外? 詳しく説明してくれ」

 土屋は苦い表情で語りはじめた。

「君がおこなった修了セッション、我々は当初から君が負けるものだと考えていた。染井を侮ってはいけない。彼はテロリストとしての教育を長年受けていた人物だった。あのときはむしろ、君の方を……」

「染井? どういうことだ」

 話のつづきを遮って詰問した早坂だった。

 思わず口が滑ったのだ。土屋は、打ち明けるべき内容と、今はまだ、秘匿すべきこととを交錯させてしまったことの「過失」に気づいて口をつぐんだ。土屋が何かを秘匿したことに感づいたのは志摩だった。志摩は「まさかっ」と叫んだ。

 隠し覆せないことを察した土屋が、観念した顔を早坂に向けた。

「染井を死に追いやった事故というのは、君との修了セッションだった」言い終えない内に、泣き崩れた志摩だった。

 驚きの告白だった。ダビデスーツを身に付けて、対戦していた相手とは、染井孝太郎だった。泣き崩れる志摩を、呆然と見下ろす早坂だった。染井を死に追いやったのは自分だった。その贖罪の念が全身を打ちふるわせていた。見下ろしていた目顔を真上にむけた。濡れた隻眼が悲し気だった。

土屋が苦し気な口調でつづけた。

「我々は君を見誤っていた。君は想定外に強かった」

 早坂を見やる土屋の瞳は、これまでにはみられなかった、畏敬の色をにじませていた。

「君の勝利に、いや染井の死に、我々は慌てた。……我々の計画では、光量子プロセッサの完成を待ったところで染井を引き剥がす予定だった」

 頭上を見上げたていた早坂が、ようやくことばを絞り出した。

「開発を泳がせる予定だった?」

「そうだ。GC社との取引が絡んでのことだった。光量子プロセッサが得られることを条件に、我々の無理難題を受け入れてくれた先方だった」

「それで私が代役としてGC社へ?」

「実を言えば、修了セッションを勝利してしまった君の処遇をどうするかという問題も裏にはあった」

「ということは、ダビデプログラムは最初からなかった?」

「あのときまではたしかにそうだったかもしれない」

「あのとき?」

 問いただす早坂に、土屋はいったん押し黙った後、目をダビデスーツに振り向けた。

「今は違うということだ。DARPAもそれを了解している」

 その真意とは、たった今、晴れて脳内戦士の称号を授与しようという意味に他ならなかった。

「どうする? この話を飲むのか、飲まないのか」

 応え如何によっては、早坂の脳内戦士への道がひらける場面だった。泣き崩れていた志摩が、黙考する早坂を見上げている。祈るような眼だった。拒否を願う目顔だった。染井を失い、そしてまた、新たに結ばれた男を失いたくない女の希う想いのあらわれだった。早坂の隻眼の中で脳内戦士の雄姿が立ちつくしていた。拒否するには、雄姿の輝きはあまりにも明るすぎた。――早坂は小さく首肯した。

 直後、ふたたびうなだれた志摩だった。

 安堵した顔の土屋が言った。

「早速、脳内戦士として晴れてミッションを授けたい」

「何だ?」早坂の決意をにじませた声色だった。

「GC社には、まだ残党がいる。それを排除してもらいたい」

「残党?」

「染井がGC社に引き連れていった人物だ」

 早坂の顔がひらめいた。口元から漏れ出たのは知古の名だった。

「マイク・ギャラガー」

 ――――

 輻射線防御用ゴーグルを装着したマイク・ギャラガーだった。ゴーグル越しにみえるのは、今まさに、目的の性能を獲得した、光バイオチップだった。スーパーレイヤ高純度化の決め手となったのは、アイマスクを利用して進められてきた、神経伝達物質の測定リサーチなどではなかった。高純度化に寄与したのは、走査装具を偽装したアイマスクそのものだった。アイマスクが発生させた放射線による、眼球の発がん化というテロ行為だった。

 体質的に構造異常性を帯びた遺伝子をもつ早坂だった。ピリオド遺伝子を変異させるための理想的な体質だった。早坂は、純度の高いスーパーレイヤを「採掘」するためのこの上のない資源だった。彼が小線源治療を受けることになった理由だった。そうして主治医を取り込んだマイクは、眼球摘出を成功させたのだ。

 バイオチップに立体回路を注入するホログラム転写装置を覗き込んでいたマイクは、人の気配を感じて後方を振り返った。

「めずらしい人からの届け物よ」

カレン・ギャンブルが立っていた。押し滑らせた台車の上には、三つの荷が置かれてあった。

「東京からだわ。ハヤサカからよ」

 カレンは、荷に貼られたインボイスに目をふって、その品名を口にした。

「ダビデスーツ」

 直後にマイクが顔をゆがませた。染井を死に追いやった装置だったのだ。

(感づいたのか?)

 心の中でつぶやいたマイクだった。

 眼球を摘出され、失意のまま東京へと発ったその哀れな後姿が思いだされた。しかし本来、侮れない人物だった。超人といって過言でない男だった。その証左が、染井孝太郎を打ちのめした事実だった。精鋭のテロリストの中でも、図抜けた能力を持っていた染井を打ち負かした男なのだ。

(送り付けてきたダビデスーツとは、謀略を嗅ぎつけた早坂が放った刺客)そんな憶測が、マイクの中で急速に沸き上がっていた。

 カレン・ギャンブルが、ドームの片隅に置かれてあったダビデスーツの中で、撲殺されたすがたで発見されたのは、翌日のことだった。

ダビデスーツを、早坂が送り込んだ刺客だと疑いを強めたマイクが、カレンに対して、「東京で流行りのフィットネスマシン」だと虚言を弄して、彼女にその試用を勧めたのだ。その一方で、早坂に連絡をとったマイクだった。

 ――――

 受けた呼び出しは、審査会議システムだった。ダビデスーツを端末とした、リモート会議システムだった。参加ボタンをタップした画面には、マイクが映っていた。背後に見えるのがダビデスーツだった。

「お前。ようやく、俺の正体を知ったみたいだな」

 マイクの第一声は、挑発のことばだった。

 以前までのマイクとは違った、手のひらを返したような、陰険な口ぶりだった。

 マイクは手の中にあったものを差し向けてきた。それまでに見たことのない澄み切った透明のバイオチップだった。

 早坂が目を瞬かせた。

「見て分からないのか?」

 口許を引き上げ、嘲笑しながら訊いたマイクだった。早坂は真意を測りかねて押し黙った。

「ついに達成したのさ。高純度化をね」

「高純度化? 馬鹿な」

 早坂が疑いのことばを吐き捨てた。バイオチップの開発課題――高純度化は、容易に克服できる問題ではなかった。

「成功したんだよ。お前のお陰でね」

「どういうことだ?」

「哀れなやつだね」

 見下したことばを発してから、マイクはレイヤに隠されていた驚くべき真相を明かしたのだった。それは、早坂進一を奈落に突き落とすのに十分な衝撃力だった。


 激情にかられた早坂のパンチが、巨大な力積をともなってHMDの中のマイク・ギャラガーにむけて放たれた。

 日々、ルーティンとして装着していたアイマスク。そこから仄かに漂うミントの香り。そして、あの美しい花影をひらかせてくれたプロセッサ開発装置での作業――それらは全て、謀略の中に仕組まれたテロリストの仕業だった。早坂は、隻眼を剥き出しにさせて仮想現実空間の中にいる相手に拳を打ち続けた。鬼の形相だった。ふと気づけば、早坂の身体は灰色のノイズの中に呆然と立ち尽くしていた。耳をすますと遠くから高笑いが聴こえてきた。テロリスト、マイク・ギャラガーの不敵な笑い声だった。

 ダビデスーツにあらわれたマイクは、彼みずからが仕組んだ欺瞞映像だった。全てが果てたとき、早坂の面前には、顔面を無残に腫らした女の顔があった。それは仮想の映像ではなかった。実写映像だった。

 マイク・ギャラガーに送ったダビデスーツに身を没入させていたのは、意外にも、最新のフィットネスを楽しめるものだと思い込んでいた、早坂のかつての事務補助、カレン・ギャンブルだった。

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