13 パーフェクトスーツ

 秋月かおりは、USエコー検査室の前室内で、鏡に映る自らの全身に目をそそぎこんでいた。

 パーフェクトスーツの着心地は、通っているフィットネスクラブで身に付けるスポーツタイツの比ではなかった。身体への圧迫感は、薄地のウレタン製だからなのか、身に付けているという感覚を感じさせなかった。フェイスパックを全身に施術されたかのような感触だった。

 その乳白色の全身に、検査着を身に付けた秋月は、伊澤が待つUS検査室に足をふみいれた。

 エコー検査機の横に置かれたサイドテーブルの上には、四角い水槽に液浸された球形があった。鈍色にひかるバイオチップだった。

片桐から借り受けた、人体自動モニタリング・システムを、試用することを決断させたのは、刑事の牛島だった。

 ふたたび液浸されたものに目をやった。牛島がカメラマンの永井を通じて探り当てた、早坂を物語る物証だった。一時、早坂と志摩とが共同生活していた写真スタジオに残されていたものだった。そのバイオチップは、早坂が引き起こした「オンラインリモート撲殺事件」に利用された、「殺人装置」のサーバーに搭載されていたものと同型だった。牛島刑事をさらに瞠目させたのが、バイオチップの素性が、早坂自身の体内から抽出されたものであることが、DNA結果から判明したことだった。そのことが、死後画像診断を依頼してきたことの理由だった。

 スーツのベルトから伸びるケーブルを、手にあるスマホに接続させた秋月は、スマホをフロアに置かれたボックスに向けた。人体自動モニタリング・システムのグラフィックサーバーだった。バイオチップを搭載したシステムの核心を担う装置だった。スマホ画面にダッシュボードをあらわした。人体自動モニタリング用のアプリだった。

「何かあったらすぐに切断しますので、ご了承ください」

 伊澤は、診断時に生じた非常時の対応について、確認のことばを向けた。

「了解しました」

 素直になって、ベッドに仰向けに横たわった秋月は、VRゴーグルを装着した。

 検査機の横に腰をおろした伊澤が、防水処理をほどこしたプローブを液浸されたバイオチップに差しむけた。検査機のスイッチが入れられた。まもなくして、秋月の身に付けたパーフェクトスーツに映像が浮かび上がった。鈍色の氷裂の罅が、全身を覆う映像だった。走査をはじめたバイオチップ内部の映像だった。秋月がスマホに入力しているのは、予め用意していた早坂進一のデモグラフィックスだった。生前の早坂を物語る、物理的、経済的、知的、精神的情報――「人口統計学的」データだった。それを撮像画像に重畳させようというのだった。フロアに置かれたグラフィックサーバーがサウンドアイコンを鳴らした。送り込んだデータの受信完了を告げる音だった。

 サーバーから漏れ聞こえてくるファンの回転音が、にわかに高鳴った。データの解析が始まったのだ。氷裂の罅に覆われていた二つのディスプレイ――パーフェクトスーツとVRゴーグルの画面――が、徐々に白色に染まっていった。やがて白一色に染め上げられた。「ホワイトアウト」を思わせる光景だった。予想していたことだった。顔貌再現のために、液浸させた遺体に、エコーを実施したときの、あの奇妙な結果と同じだった。

 秋月は伊澤に向けて言った。

「音響の周波数を上げてちょうだい」

 伊澤が躊躇いの表情になったのは、高性能の量子プロセッサで検査機を稼働させていることの不安だった。検査機にとって、バイオチップは未知のパフォーマンスだった。それが発する高周波が、秋月の内蔵に低音火傷を負わせる危険を思ったのだ。

「躊躇わないで。上げてちょうだい」

 秋月が再度放った強い口調だった。気圧された伊澤がダイヤルを右に捻った。――「えっ?」

 秋月が映像の異変を感じ取った。白一色に染まっていた画面に、薄い小さな波紋がぽつぽつとあらわれ出てきたのだ。それらは、しだいに数を増やし、やがて画面一面を覆い尽くした。それぞれは、周囲にひろがる動きをしている。

「もっと上げてみて」

 周波数を上げることの要請は、画像をより鮮明にしたい欲求だった。パーフェクトスーツに現れた異変を、面前で察知していた伊澤も、異変の原因を突き止めたい気持ちは同じだった。横たわる彼女を気に掛けながらも、慎重な手付きになって、周波数可変コンデンサーをさらに右に回した。となり合う波紋同士が、互いに引き寄せられて一つに重なり合う現象が映し出された。その重なり合った一つは、さらに膨張し、となり合うもの同士がまた一つになる。その連鎖の動きが、画面全体に広がり、やがてディスプレイ全体が、巨大な一個の波紋となった時だった。その内側を、火影のようなものが仄かに揺れたのだ。秋月のゴーグルの中で一個に集合した巨大な波紋は、彼女の視界全体を飲み込むような光景だった。その中を、火影が横切った

「何?」

 秋月は、そっと揺れる火影に手を伸ばした。直後に、ばちばちと細かな火花が腕のまわりを散った。―― 痛っ。小さく悲鳴を発した秋月は、おもわず手を引いた。ゴーグル越しに、引き抜いた腕に眼を這わせる。異常はみられなかった。ふたたび火影に目を伸ばした。「えっ!」驚きの声が口を突いてでた。

 人影が垣間見えたのだ。真相を突き止めようと、秋月が身を乗り出す動きをした。直後、全身が浮遊する体感を感じた。ゴーグルの画面にくりひろげられていた、奇怪な空間の中に、みずからの身体が吸い込まれてゆく感覚だった。堪えて視線を人影にそそぎこんだ。あきらかに人の後ろ姿だった。

 人影が秋月を振り返った。軽やかに揺れるショートヘア。鍛えられた体躯。えくぼが頬に浮いている。志摩みつるであることは明らかだった。「あ、あなた?」秋月がつぶやく。近づこうとして一歩を踏み出そうとした。しかし足は動かなかった。

 ――――

 梅雨間近の日射しは痛いくらいだった。その強い日射しが和らいだのは、車が鈴掛けの木の並木道に入ってからだった。

「……干渉模様?」

 水木新平は秋月かおりが口にしたことばをオウム返しにつぶやいた。それこそが、「ホワイトアウト」の「源泉」だったという秋月の主張だった。

「エコーされた部分が、白く見えていたのは、体内の軟質部分にできていた、微細で複雑な干渉縞の塊が、照射したエコーを乱反射させていたことによる現象だった」

 鈴掛けの木の葉を透かして入り込む日射しが、車内に木陰のまだら模様をえがきだしていた。秋月は、一昨日、人体自動モニタリングを試用した、バイオチップの診断結果について説明をつづけた。

「遺体の眼窩内に生成された干渉縞と、バイオチップの組成は同じものだった。そのことは、察しがついていた。意外だったのは、それが記録媒体の性質をもっていたことだった」

「記録媒体?」

 疑問のことばを発した水木にむけて秋月が言った。

「ホログラムよ」

「……?」

「一つの被写体を、時間と位置とを微妙にずらせて、光源を照射させ、それらをまた一つに重畳させ露光させた像のこと」

 説明に納得した顔の水木が訊いた。

「その光源に似た音波の干渉縞の塊が、記録媒体の役割をして過去を再生させたという議論だよな」

 昨日の診断時に、その「干渉縞の塊」が繰り広げた、不思議な現象についての指摘だった。木陰模様に全身が覆われた水木が、ポツリ呟くように言った。

「遺体はホログラムだったと言いたいわけだよな?」

 秋月がうなずいて、「……そこで問題となるのが、それを作り出した音源」と言った。

 前方に白煉瓦の建物がみえてきた。目的地の東京観察医務院だった。秋月は、「続きは後で話します」と自らの話を遮ると、握っていたハンドルを右に回した。車は正門をくぐり、中庭の丸いコンコースを時計回りに侵入していった。

 ――――

 死後画像診断によって、身元が判明し、死因が落雷による雷撃死と検案されたものの、事件が解明されていないこと、また遺族がその引き取りを拒否していることなどを考慮して、早坂の遺体は、監察医務院の遺体安置所に保管されたままでいた。それを、人体自動モニタリング・システムを得た秋月が、再度死後画像診断をおこないたいため、牛島刑事を通じ、検死の刑事手続きを申請したのだった。その動きに横やりを入れてきたのが、観察医務院副院長の国橋正二郎だった。

「話は報道で知っている」

 元警察病院の病理担当医をつとめていた国橋は、医療過誤の事件の証言をしたために医学会から見放され、止む無く開業医から勤務医へと転身した経歴を持つ、生っ粋の正義漢だった。

 研究室を兼ねているという副院長室は、ホルマリンの臭いをただよわせていた。周囲には茶色や紫色の薬種器具が建ち並んでいる。その奥にかくれるようにしてホルマリン固定された標本臓器たちが垣間見えた。

 国橋は、黒縁の眼鏡から覗ける瞳を鋭くひからせてから、低音をひびかせた。

「……断っておくがね、秋月先生。我々病理担当医というのは死体現象の専門家でもあるんだ。臨床医を圧倒する解剖歴を持っている。それを差し置いて……しかも、言いたかないが、手を汚そうとしない最近流行りの放射線科医が、死体を鑑定したいっていうからには、それなりの説得力が、なくちゃならねえよな」

 聞き知った強面だった。しかし秋月は、臆することなく、テーブルに置かれた茶碗を隅に滑らせ、かかえ持っていたエコー画像を空いたスペースに勢いよくひろげた。人体自動モニタリングで得た、バイオチップの透視画像だった。 

――――

「ホログラム?」

 国橋が小首をかしげた。秋月は画像に這わせていた指を立てた。干渉縞が集中している部分だった。

「ホログラムとは、波動干渉によって過去の情報を立体的に貯蔵したものと指摘できます」

「……?」

 訝し気な顔の国崎にむけて、秋月がタブレットを差し向けた。画面に氷の画像が映っている。

「光の化石です。南アフリカの凍土から発見されたものです」

画面がスワイプされ現れたもう一枚の画像を見て、国橋が身を乗り出した。

「花か?」

 写真中央にある氷塊のすぐ横の虚空に、一輪の白い花影が写っていたのだ。国橋が眼鏡をはずしてタブレットを両手に受けた。

「セルリアとよばれる古代性のワイルドフラワーです」

「出典は?」水木が問いかけた。

「早坂進一よ。彼のリサーチマップから見つけ出したものだわ。彼の研究成果の一つ……」

 国橋がひらめいた顔で言った。

「つまり、あの変死体は、この光の化石に似た生成環境で、奇跡的につくられたものだと言いたいわけか?」 

「その発生源、音源をつきとめたいんです」

 国橋が小声で返した。

「その謎を解く鍵が、遺体から抽出されたバイオチップ……なんだか皮肉な話だな」

 独り言のようにつぶやいた国橋を、凝視していた秋月が、バイオチップの透視画像に目をふった。どうしても解明しなければならない人物が、その中に記録されていたのだ。志摩みつるだった。忽然と秋月の前にすがたを現した彼女は、「かならず連絡をとる」「次回に真相を全て話す」ことを約束して、あの日、慌ただしく別れたのだった。しかしその後、彼女からの音信は途絶えた。言い逃れをするような、狡猾な人物像は想像できなかった。何か思わぬ事態が彼女に生じたに違いない。秋月を真相解明に突き動かす理由だった。もう一つ理由があった。実施した、人体自動モニタリング作業の最中で体感したことだった。情動三極線を利用した、感情解析を行った際、結果は、興奮と不快の二極が、大きな数値をあらわしていたのだ。「憎悪」を示す結果だった。その診断結果は、纏っていたパーフェクトスーツを赤く発熱させた。診断した早坂は、希代の極悪人と称される犯罪被疑者なのだ。その彼を支配する憎悪が、何者かに憑依、伝達されているとしたら、今後に恐ろしい出来事を勃発しかねない。そんな不安が、真相解明に突き動かしていた。

 秋月は国橋の黒縁の奥に目をそそぎこんだ。凝視する目顔だった。想いが通じたかのように、国橋はゆっくりと口をひらいた。

「承知したよ」秋月の表情に安堵の色がひろがった。

 国橋は立ち上がって、医務院地下にある、遺体安置所に足を向けた。

 ――――

「事故車を遠隔操作していた人物、……それが、志摩みつるではないか、と?」

 問い返した水木だった。秋月は、「確かな証拠がある話じゃないけれど」と断定を避けた口調で、志摩みつるの運転技術の巧さを語った。秋月の脳裏を、同乗していた志摩のワゴン車が、隘路で行き場を失ったトラックの前で演じた、巧みな脱出劇が浮かび上がっていた。低侵襲手術等でマニピュレータを利用した遠隔手術を要求される放射線科医だった。その操作には、相応の「ドライビング感覚」が必要であることを知っていた秋月だった。志摩はその技術を取得している。彼女の推理だった。

そのことは、事故直後、現場付近でトレンチコートを羽織った女の不審な姿が目撃されていたことを口にした、牛島の話を裏付けるものでもあった。

「……なる程、だとすると、問題は志摩みつるが早坂進一の自殺幇助をした理由だな」

 早坂の死を、自殺だと決めつけた口ぶりの水木だった。

 秋月が強化窓越しに臨めるMRI検査室に目を伸ばした。ガントリと呼ばれるトンネル型の撮影装置が鎮座している。周囲を技師の伊澤とメーカーの技術営業マンが作業しているすがたが見える。秋月と水木は、その撮像検査機を操作管理するコントロールルームの中にいた。

「その謎が解明できるかもしれない」

 秋月の視線は、検査機の架台に注ぎ込まれていた。監察医務院の遺体安置所から移送されてきた早坂の遺体が横たわっていた。

「まもなく撮影装置の方、準備が終わります」

伊澤の声がコントロールルームのスピーカーを流れ出た。彼らの作業がいつもより慎重だったのは、撮像システムの中に、件の光バイオチップが搭載されたグラフィックサーバーを接続しなければならないからだった。

 MRI、核磁気共鳴診断とは、磁場と電波とを利用し、人体の水素原子核が発する微弱な電波を受信して、臓器の構造や動き、そして可視化された血流などを診断するものだった。診断システム全体は、トンネル型ガントリが象徴的な撮影装置部分と、そこで撮影された電波信号をデジタル画像に再構成する画像処理装置との二つのシステムに大別できた。その内、強烈な磁力を発生させる撮影装置は、金属探知機によって守られた検査室に隔離するかたちで設置されてあった。

検査室の作業を終えた伊澤らが、台車を押し滑らせながら、コントロールルームに入室してきた。台車には、黒い立方体が置かれてあった。光バイオチップが搭載されてあるグラフィックサーバーだった。それを伊澤と技術営業とが、慎重になって卓上コンソールの片隅に置いた。画像処理装置に接続しようというのだった。

 サーバーのキャビネットが開かれた。内側に立てかけられたマザーボードの中央に、球形の物体が搭載されてあった。ゼネラルチップス社製、GC光バイオチップだった。筐体の陰に隠れてぎらりとひかった鈍色は、猫の目のような隠然とした輝きだった。

 サーバーの設置作業が終了した。

 秋月は、「それでは、準備してきます」と言い残し、検査室の前室に姿を消した。人体自動モニタリング用に利用されるパーフェクトスーツに着替えるためだった。着替えを終えて前室から現れた秋月は、乳白色の全身に、検査着を羽織った姿だった。

 ベッドに横たわる秋月の腰部には、スーツと処理装置とを繋ぐ接続ケーブル用のベルトが装着されていた。伊澤が、手に持った幾本ものケーブル端子を、ベルトに組み込まれたスロットに、差し込んでいる。画像処理装置とグラフィックサーバーから伸びているケーブルたちだった。精神科医がすがたを見せたのは、全てのケーブルを接続し終え、秋月がVRゴーグルを装着したときだった。前回の経験から、「チャネリング体験」中に、精神的苦痛におそわれることを予想してのことだった。


 ベッドに横たわる秋月の周囲には、得も言われぬ緊張感がただよいはじめていた。伊澤が検査室のハッチを閉じた後、「それでは、撮影をはじめます」と小声で検査開始を告げた。架台に横たわる早坂の遺体が、ガントリの中へ侵入していった。まもなくして周囲を打撃音がひびきはじめた。MRIを利用した人体自動モニタリングがはじまったのだ。卓上コンソール中央に設置されたモニタ画面が、診断画像をあらわしはじめた。同時に、秋月が纏ったパーフェクトスーツに透視画像が浮かび上がった。驚くべき高解像度だった。映し出された遺体の右眼球内部は、虹彩の毛様体の筋ばかりでなく、水晶体を透かしてみえる網膜の脈流までもが鮮明に浮かび上がっていた。秋月のパーフェクトスーツ上にも、透視された領域が姿を現わした。臓器の透視画像だった。架台に横たわる早坂の臓器が、ベッドに横たわる秋月の全身に映し出されている光景だった。人体自動モニタリング・システムのディスプレイ機能だった。

 バイオチップの威力は絶大だった。

早坂の体内が、自らの全身に出現したことを確認した秋月は、手にもつスマホを操作した。テキストや数値、そして約物たちが、爆発的量となって、画面を上下に豪雨のように流れはじめた。早坂のデモグラフィックスだった。爆発的情報量だった。それらが、モニタリング・システムを介して、早坂の体内に重畳しようというのだった。送信のボタンをタップした。グラフィックサーバーから漏れ聞こえていたファンの音が、一際甲高く響きわたる。その振動は、サーバーの筐体をがたがたと揺らすほどだった。

 秋月のスーツ全体を覆い尽くす臓器の上に、幾重もの白熱線がすがたをあらわした。早坂を物語る質的データが、フィジカルの上にオーバーラップをはじめたのだ。画面の下隅に見えるプログレスバーが、その解析状況を表示していた。白熱線たちは、それぞれの間隙を密にしてゆき、やがて一個の白い光に統合された。秋月の全身が白く発光する光景だった。

「おい、大丈夫か?」

 不安になった水木が声をかけた。秋月はゴーグル越しに苦笑して、

「まだ正気だわ」

 水木が秋月の肩に手をやって言った。「無理するなよ」――そのときだった。青白い火影が画面を揺れたのだ。待ち構えていたかのように、秋月が拡大表示ボタンを連打した。火影は膨張して、ゴーグルをはみ出し、頭部を飲み込むほどに膨れ上がった。ふと水音が聞こえてきた。開栓されたシャワーヘッドから飛び散る水音のようだった。体内に発生した音波だった。(何なのよ、これ?)……心の中で発したつぶやきは、音波にかき消された。

「何がおきている?」

(水木のこえ)

 分かったが、反応する気力が沸いてこなかった。

 音波は、震えになって体内を群発しはじめた。異変を受け入れる決意をした秋月は、前方にあるものの気配を、より鮮明にしようと凝視した。水木が横たわる秋月の顔をゴーグル越しにのぞきこんでいる。反応が鈍くなってきた秋月を心配してのことだった。しかしその眼は輝いていた。

「大丈夫よ。システムは落とさないで!」

 じつは投げやりに放ったことばだった。遠ざかってゆく意識の中、捨て鉢に叫んだことばだった。不安を感じつつ、真相究明を果たしたい意志がそうさせたのだ。

 意識が遠ざかってゆく……しかし一方で、鮮明となるものがあった。秋月の中で生じた音波のシャワーは、彼女の身体のなかで二重現象を引き起こしていた。眼でみえていた視界が、徐々に不明瞭になってゆくのだが、それに換わって、体内を現れ出てくるものがあった。その体感は、……頭部を覆い尽くしていた青い火影に、全身が飲み込まれてゆく感覚だった。浮遊する感覚だった。

「誰、わたし誰なのよ?」

 秋月の口を突いて出たことばだった。彼女が、早坂進一への「チャネリング」を成功させたのは、その直後だった。

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