12 光バイオチップ

 大きなゴシックの書体で、一般社団法人医療機器工業会主催「国際医用画像総合展示会」と記された超大型タペストリーが、空調機からながれ出る換気の風をうけて、展示ホール上方をゆれていた。品川国際展示場パシフィコにある展示棟のホール前だった。

待ち合わせていた技術科技師の伊澤と合流した秋月かおりは、会場入り口で、展示会の入場手続きを行っていた。

 年に一度、五月初めの時期に開催される学会総会に、時期と場所とを併せてひらかれる医療画像診断機器の総合展示会だった。医療機器マニアの伊澤と共に、早々に総会の方を抜け出てきた秋月だった。

「かおりちゃん、お久しぶり」

声をかけられた秋月が後方を振り返った。東京メディカル・ジャパンの片桐幸雄だった。

「お招きいただきありがとうございます。いろいろと勉強させてください」秋月は招待状を送付してくれたことの謝辞を返した。

 医師を「ちゃん」付けする、招待状を送付した者が、送付された者へむけられた気安いことばに、技師の伊澤が、訝し気な顔色になった。それを察した秋月が言った。

「学生時代からのお友達。――夫との間を取り持ってくれたキューピット」

 片桐と夫、ジョニー・ハートマンとは、かつて仕事を通じて知古を得た間柄だった。今回その夫の親友が、医療機器選定委員でもないレジデントの身に、VIP向けの招待状を送付してきたのは、秋月が晴れて専門研修医になったことへの祝いのシグナルでもあった。

 秋月としても、展示会へのVIP待遇は大歓迎だった。画像診断部門と放射線治療部門とによって構成される放射線科は、選定される医療診断機器によってその成果が左右される、「装置医療」の性質があった。故にその進化を日々ウォッチングしておくことは、重要なタスクとしていた秋月だったのだ。とくに今回、展示会が彼女を引き寄せたのは、まだ、処理作業の一部に利用される「非万能型」ではあるものの、話題の「量子ビット」を利用した量子コンピュータ搭載の画像処理システムにお目に掛かれることだった。その販売代理店ディーラーに、医療用理化学機器の技術営業担当として勤務する片桐だった。

 案内されたのは、ドーム型のブースだった。中に足を踏み入れ頭上を仰ぎ見た。ドーム内は、天蓋の空間だった。ブース全体が、VR用の没入型ディスプレイだった。

 ――――

 照明が消された薄暗がりの中、中央のステージに姿を現したのは色艶やかなコスチュームを身に纏ったコンパニオンだった。展示台を前に、両手をひろげて披露しているのは、ブースの主催社、世界最大手の半導体ファウンダリ企業、ゼネラルチップス(GC)が開発した、量子チップのラインナップ――。スポットライトに照らされ、それはジュエリーの登場を思わせる演出だった。

 影の声がブース内部を流れはじめた。

 ――この度は、当社プレゼンテーションにお集まりいただき、誠にありがとうございます。今回お披露目させていただきますのは、我社が、これまで総力をあげて開発につくして参りました光量子マイクロプロセッサ、『GC光バイオチップ』の、驚きのパフォーマンスでございます。どうぞごゆっくりとご視聴、ご体感ください。

 コンパニオンの立つステージが溶暗し、没入型ディスプレイに《現実と仮想》の文字が、溶明してあらわれた。また影の声がながれた。

 ――現実と仮想とは、果たして対立するものなのか? そしてもし、二つが紐帯できるならば、それは、いったい何なのか? 我々ゼネラルチップスは、その二つの問いにこう答えるでしょう。

 抑揚を演出した声色だった。

 ――現実と仮想とにもはや違いはない。二つはGC光バイオチップで結ばれる。

 バックミュージックが流れはじめ、没入型ディスプレイに映像がひろがった。飛行場を俯瞰する映像だった。

 ――今回にお見せするプレゼンテーションは、64量子ビット、浮動小数点演算処理速度1秒毎――8ペタ・フロップスという驚異のGC光バイオチップの威力が、果たしてどれほどのものなのかを、これまでの古典型シリコーン・マイクロチップでは使い切れていなかった、3D映像アルゴリズム《ニューリアル》を用いて、ご覧いただこうというものです。

 プレゼンテーションは、開発したバイオチップの性能を、現行ある最強のVRソフトウェアを介して披露しようというのだった。

 ――これまでの《ニューリアル》の利用は、主にゲームや映画等、エンターテインメント等における平滑的なスクリプト画像に特化した利用が主でした。その理由は、高度な現実空間を、フルサイズでかつ、リアルタイムに描き出せるマイクロプロセッサが存在しなかったことにあります。その問題を一気に解決してくれるのが、我社期待のGC光バイオチップ――。先ずはその脅威のパフォーマンスをご覧ください。

 天蓋のディスプレイに、空港ターミナル内が映し出された。実写に見えるそれは、ニューリアルとGC光バイオチップとが、ハイブリッドで描き出す仮想映像だった。

 映像は、ターミナル内のフロアをゆく歩行者の目線で移動していた。それが忽然として宙を舞い、屋外へと舞い上がると、駐機中の飛行機がならぶエプロンの映像に換わった。さらにカメラ目線は、その内の一機にむかってズームインをはたすと、機内に潜り込み、乗客たちの頭上を前後左右になめまわし、コクピットに突入して静止した。実写にしか見えない映像は、驚くべきことにレンダリング処理された仮想映像なのだ。没入型ディスプレイは、クロームメッキをきらきらとひからせる集合計器を映し出した。画面を凝視してみると、計器の表面に、パイロットのにこやかな表情が映り込んでいるのが見える。そればかりではなかった。仮想現実映像は、リアルを超えた臨場感を描き出していた。集合計器のデジタル表示は生き物のように微動する、インジケータをうごめかせていたのだ。驚かせるのは、精緻をつくした光のレイブラントだけではなかった。

 立体スピーカーが作動をはじめた。ジェットエンジンの爆音がとどろき渡る。直後に天蓋の斜め上方、オーバーヘッドの位置にあるフロントウインドウがうごきだした。機首がエプロンを離れ、滑走路へむけて誘導路をタキシングしはじめた。コクピットのインジケータがにわかに揺れ幅を大きくしてゆく。仮想現実映像は、現実のエンジン出力状況を、忠実にシミュレーションしていた。前方を滑走路が伸びている。立体スピーカーから流れでてくる爆音に、管制塔からの無線のこえが重なった。その音響効果もまたその全てが、音声合成だった。

 ――こちらタワー。ANA00X、風向200度、風速20ノット、滑走路16左より離陸支障ありません。

 ――滑走路16左より離陸支障なし、ANA00X。滑走路の方位で飛行します。

 管制官とパイロットとの会話のシミュレーションは、その緊張した語気までもが、音声合成として忠実にあらわされていた。……映像はテイクオフの模様を描き出した。驚くべきことに、仮想現実映像は、雲を裂き上昇をはじめた翼の後方で、水蒸気を散らす物理現象までをも完璧に再現していた。

 光量子マイクロプロセッサ、GC光バイオチップが演算処理をし、没入型ディスプレイにえがきだす仮想現実映像、そして脅威の音声合成は、実写を遥かにしのぐ臨場感をあらわしていた。

 ――ANA00X、出域管制席に通信設定して下さい。

 ――ラジャ。ANA00X、出域管制席に通信設定します。

 ――東京出域管制席。ANA00X。高度1300フィート、滑走路方位で飛行中。

 ――ラジャ。ANA00X、東京出域管制席。レーダーで確認しました。針路160度で飛行して下さい。守谷へ誘導をおこないます。上昇して高度13000フィートを維持して下さい。

 再び影の声が天蓋をひびいた。

 機首が右側へとおおきく旋回し、コクピットの窓が、富士山が落とした巨大な日陰を映し出した。深い紫色をしたそれは、西湖らしき湖面をおおいつくしている。続けてあらわれた富士の頂きは、太陽を照り返した光の輻射光をきらきらと回転させた。

 ――――

 セッション入れ換えのため、ブース出口に姿をあらわした秋月らの周囲には、退場を待ち構える人々が輪をつくっていた。ゼネラルチップスの製品を扱う、各社ディーラーの営業担当者たちだった。

その中の一人、片桐が、早速に近づいてきた。

「プレゼン、どうだった?」

 満足げにうなずいた秋月の反応を伺い見て、片桐は、「VIP用の場所を用意したから」と言って、ブースのバックヤードに備えられた商談コーナーに向けて手をのばした。

後方でにこやかな表情でいる一行は、画像処理サーバー関連会社の技術営業マン等のスタッフたちだった。

 一行は商談コーナーの一角を陣取った。片桐がリーフレットをテーブルの上に一冊ずつ横一列に置いていった。画像処理サーバー関連機器の概説書だった。そして最後に、「これが実物だよ」と言った片桐は、黒いビロードに覆われた厳かなジュエリーケースをテーブルの中央に置くと、そのプロポーズカバーを引き開けた。

中からあらわれたのは、鈍色にひかる球形だった。表面には、白く刻印された『GeneralChips』の文字があった。初めて目の当たりにする、GC光バイオチップだった。

 片桐が説明をはじめた。

「……プレゼンにもあったように、このバイオチップが、医用画像処理業界に大きな発展をもたらすことは間違いない。そのことに関して、GC側では、大きく二つの革新を視野に入れている」

 そこで片桐は、面前にあるノートPCのモニタ画面を開き、秋月に向けてみせた。

「その一つが、電子カルテを共有させた、完全オンライン化による人体自動モニタリング」

 片桐が立ち上げたダッシュボードにあらわしたのは、女性モデルがベッドに仰臥位した映像だった。薄い乳白色に覆われたすがただった。四肢五体に、細分化された身体各部位は、それぞれに色分けされたレイヤを重畳させていた。

「――オーバーラップして見えているのが、身体の各部位を、定期的に測定しているパネルデータの3Dチャートだ。このシステムのガジェットを見てくれ」

 片桐はカーソルを操っていた手を止めて、秋月の面前に折りたたまれた半透明の素材を差し向けてきた。艶のない、ポリ袋のような見た目だった。小首を傾げて手にとった秋月が、折り畳まれていたものを広げてみた。ポリ袋というよりも、薄いウレタン製の感触だった。

「パーフェクトスーツと呼んでるモニタリングスーツだ」

 片桐の言葉に秋月が何かを察して、PC画面に目をもどした。その目が、横たわる、女性モデルの乳白色の全身を這った。

「そうさ。モデルが身に付けているものと同じものだ。そのスーツは、人体自動モニタリングを実現させるボーラスのような役割を持っている」

 説明されたように、それは放射線科治療に用いられる、外部放射線ビームを調整するための透明カバーを、さらに極薄にした存在感だった。

「これが基本操作だ」

 停止させていた映像をまた再生させた片桐が画面に目顔をおくった。横たわるモデルの全身にスポットライトが当たった。そこであらわれた白衣スーツの看護師が、横たわるモデルの身体にスマホを這わせた。モデルが身に纏ったスーツの上を縦横に走査する手つきだった。スマホがブザー音を鳴らした。同時にダッシュボードの隅にプレビュー画面があらわれた。スマホ画面を拡大した画像だった。凝視しみれば、それが音響陰影であることが分かる。

「このスーツを利用するならば、エコー等の撮像情報に、電子カルテを紐づけしてモニタリングすることが可能だ」

 そこで片桐がカーソルを動かし、「電子カルテ」をタップした。直後にプレビュー画面に映る撮像画像の上に、折れ線チャートがオーバーラップしてあらわれた。

「モデルのカルテにある測定情報が、各部位毎にチャートとなって視覚化されている。このことによって、患者自身が、在宅にいながら自らの身体情報のモニタリングが可能になる」

 片桐は、このモニタリング・システムが、昨今の医療問題の解決策の一つになることを指摘したのだった。片桐はさらにつづけた。

「このシステムの驚くべきところは、フィジカルな測定情報ばかりでなく、患者の心的情報を視覚化してオーバーラップすることが可能になる点なんだ」

 片桐はそこで、ダッシュボードにある「mind」のボタンをクリックした。するとレビュー画面は、一旦溶暗してから、幾重かの白い曲線をあらわした。等高線のように重なり合う曲線の群れだった。

「情動三極線モードと呼ばれるもので、被験者の心情を色分けによって表示している」

「情動三極線?」秋月が問いただした。

「心理学者、K.M.Bブリッジェスの、感情の分化図式に示されている、興奮を原初とする、快・不快・興奮の三極で、ヒトの心持ちを分析する指標だよ。それによって、その時々の患者の心持ちを視覚化している」

 片桐の説明に合点のゆかない秋月が、「三極線の裏付けは?」とさらに問いただした。

 思ったのは、対象となる人物の身体反応のモニタリングのみで、時々の感情を推し量れるものだろうかという疑問だった。心的情報なのだ。感情を押し隠す者もいるはずなのだ。感情を測定するには、対象となる人物を物語る、より広範な客観的データベースが紐づけされなければならない。それが秋月の問題提起だった。問いの意味を察した片桐が点頭を打った。

「GC光バイオチップのたった一個が、一度に処理できる情報量は、現行の古典派に慣れた我々にとっては、理解し難いかもしれないが、……爆発的情報量なんだ」

 片桐は、ビッグデータのことばを使って、GC光バイオチップの威力を指摘した後、システムが紐づけできるデータベースは、電子カルテ以外、マーケティングリサーチ会社が保有しているDMS顧客データをはじめとする、SNS口コミ情報等、世にあるあらゆるデータデータを網羅できることを指摘した。その爆発的情報量の中から、患者の心持ちのその位置を、情動三極線を利用して割り出しているのだった。得心の表情をうかべた秋月だった。

 片桐は、「このシステムの実力は、実はそれだけではない」と意味ありげにつぶやいた後、

「まだ、試用段階なんだが」と断りを入れてからダッシュボードを操作した。画面にあらわれたのは、「人体型ディスプレイ・モード」と記されたタイトルだった。片桐は、

「それを装着してくれれば実感できるんだが……」

 と言って苦笑すると、PC画面に映っていた映像を切り替えた。あらわれたのは、モニタリングスーツを纏った立位の男性モデルだった。乳白色の全身に、白衣を着たすがたが異様に見える。

「スーツは、モニタリング測定機能の他、ディスプレイ機能を兼ねている。それを利用するならば、患者の情報を、医師が纏って診察や治療を行うことができるようになる」

 画面に立つ男性モデルが、みずからの全身を、両手で摩るすがたが映し出された。

「モデルが今行っているのは、オンラインで繋がった患者の触診なんだ」

 秋月と伊澤が、驚きの目顔を向き合わせた。

 …………

「そしてもう一つ、このGC光バイオチップが画像処理業界にもたらすのが、読影の四次元化だ」

「画像処理の四次元化?」

 同行伊澤が、耳慣れないことばをオウム返しにつぶやいた。

片桐は、後の説明を画像処理サーバーの技術営業マンにゆだねた。バトンを受けたかたちの担当者は、「画像の時間分解能力というようなものです」と言って、片桐から引きついたPC画面上に一枚の透視画像をあらわした。人体の肺臓を写すX線のレントゲン画像だった。

「ご存じのように、透視医用画像の歴史は、二次元、そして三次元と進化してきた、と指摘することができます」

 聞き耳をたてていた秋月が首肯の相槌を返した。医用画像の歴史にも通じている医師の表情だった。

「具体的には、X線のレントゲン画像に代表される、平面的な位置情報がみられる二次元画像。そしてMRIによって可能となった立体的な位置情報を得られる三次元画像――という進化の構図です。それが、今回に実用化された、ゼネラルチップス社製新世代型によって、透視画像処理の歴史にあらたなる一ページが加わったのです。それこそが、経時的な観察、すなわち時間軸情報をもつことを可能にした四次元画像に他なりません」

 担当者はPC画面上に透視画像を映し出した。細部が見通せる鮮明な画像だった。

「これは、GC光バイオチップが搭載された、最新鋭のMRIにてレコーディングされた人体透視画です」

「臓器が動いている」

映像を見た伊澤が思わずつぶやいた。その「動く透視画像」は、エコー画像にあるような茫漠とした画像ではなかった。眼前にたつ人物の、その内側が透けてみえているような、奇妙な光景だったのだ。瞠目した顔付きの伊澤が我に返って秋月をふった。

 何故なのか無言の秋月だった。

 目の前に、この四次元化の可能性を見せつけられて驚かぬ者などいるわけがない。驚きの近未来を見せつけられた彼女を、無言にさせていたのは、早坂進一だった。――彼女の脳裏にそのとき浮かんでいたのは、早坂進一の変死体だった。DNAの調査結果によれば、早坂は体内時計のリズムを狂わせた、時計突然変異体質だった。あの体内の読影を「四次元化」することによって、今まで見えなかった細胞や臓器の「変異の仕組み」を捉えることができるのではないか、……彼女を無言にさせたのは、そのひらめきだった。

 片桐の声が耳に入ってきた。

「……どうだろうか。もし秋月先生が良ければ、専門研修医、昇進のお祝いに、これまでに紹介したシステム一式、貸し出したい。一部試用レベルのものもあって、医療用には利用できないかもしれないが、臨床実験としてならば、使用許可をとれるはずだ」

 ――――

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