3 死後画像診断

「……肺野のCT死後画像診断では、背面に高度の血液就下像、つまり鬱血肺がみとめられました。また同様に、急死であることを示す三主徴として、その他諸臓器の鬱血も確認できています。それに対して、心臓MRIでは、異常所見は認められませんでした。そのことと、事故当時の周囲の状況を鑑みて、本案件の死因は、落雷による雷撃死であると推察しています」

 プロジェクタに映し出された撮像画像を赤いポインタで指し示しながら、放射線科診断専門医が所見を説明していた。デスカンファレンスに同席していた法医学教室所属の医師は、苦い顔色で自ら作成した報告書に目を落とした。

『死後一ケ月。推定死亡日時は三月初旬』

 革皮様化した表皮等を、病理学的にみて推定した所見だった。死後画像診断と撞着しているのは明らかだった。

診断専門医が話をつづけた。

「……本案件が、急死であることを同定したいため、本診断では、さらに動脈解離を検証してみました」

 諸臓器の鬱血は、血流の突然の遮断によって生じるものなのだ。故にその痕跡は、検跡になってくれる。担当医は、それを検証していた。

「手法は、自動心臓マッサージ器を用いた、造影CT診断になります」

 血管や神経系の「循環」を利用して行われる造影CT診断は、生きた生体におこなわれるものだった。しかし死後画像診断の充実を目指す秋月の所属する放射線科では、心臓マッサージ機等の人工動力機器を利用して、造影CT診断を試みる手法を開発していた。

「生食(生理食塩水)で、二倍に希釈した非イオン性造影剤を、自動注入機で、毎秒○・八ミリリットルで一○○ミリリットル投与後、心臓マッサージ機、ルーカスⅡを用いて、毎分百回の胸骨圧迫を二分間実施。……ルーカス停止後に実施したCT結果がこの動画になります」

 担当医が、画面にあらわれた再生ボタンにカーソルを合わせ、マウスのボタンを押下した。再生をはじめた映像は、注入した造影剤の流動が、胸部大動脈部分で、忽然と解離し、四方に乱流している様子を生々しく映し出した。

「このことからも、雷撃等による急性の死因が推定できます」

 カンファレンスに参集していた医師他看護師等コメディカルたちは、皆が不審がる表情だった。死後長期間を経過した、永久死体を思わせる死蝋体の死因が、死後まもない電撃死であることを訝る表情だった。

「ミステリーだね」

 カンファレンスルームの片隅でつぶやいたのは、聴講していた水木新平だった。隣席にすわる秋月かおりが、小さく相づちを打った。同意のシグナルだった。

そこで法医学教室の担当医が発言をもとめた。

「雷撃を死因としている点は、警察がおこなった事故現場の実況見分と、死後画像診断とを齟齬なく結びつけてくれていて、適切な所管とは思います。しかし、死蝋体であったこと、つまり表皮の革皮様化と死体硬直が即時的過ぎる点について、妥当性ある説明が必要と考えます」

 問いに同意の相槌をうった水木だった。異様であったのは、表皮ばかりじゃなかった。触診でも明らかなように、全身の死体硬直が即時的すぎた。

診断医が応えた。

「ご指摘の通りです。本講座でもその点、解釈に難航しているところです。……現在のところは、取りあえずの仮説にはなりますが、ご指摘の点、雷撃によって突発的な熱凝固が生じたことによる、特異な死体現象ではないかと考えています」

 しかし、外科医として数々の症例を見てきた水木だった。納得できる話じゃなかった。

 懸案事項は、結論を先送りするかたちで、カンファレンスは終了した。参集者が、三々五々、カンファレスルームを立ち去ってゆく中、腕時計に目をふった秋月が、席を立とうと浮き腰になった水木に小声をかけた。

「これから顔貌再現の読影作業を始めるんですが、立ち会いますか?」

「顔貌再現?」

 オウム返しにつぶやいた水木だったのだが、すぐにひらめいた顔色に変わった。死因の推定の他、死後画像診断の重要な目的の一つに、故人の特定があることを思いだしたからだった。

 ――――

 死後画像読影用に特設されたUS読影室には、大小様々なステンレス製の水槽が置かれてあった。水木にとっては初めて見る光景だった。数ある水槽の内の最大のものが、読影室中央にある電動式作業台の上に設置されてあった。周囲を技術課の技師が、装置のセッティング作業をおこなっていた。

「これを装着してください」

 技師から手渡されたされたのは、フェイスマスクだった。

「防臭用です」

 秋月が言った。理由は、水槽を覗き込んですぐに分かった。中には件の死蝋体が、ホルマリンに液浸されてあったのだ。超音波読影は、魚群探知機として利用されていることからも知られる通り、液体内にあるものを撮像するための技法だった。

 無影灯に照らし出された遺骸は、全身が革皮様化され、無数の皺に覆われていた。四肢五体、整合性のない、どこかふぞろいな印象だった。左の眼窩が窪んだようになっている以外、外傷は見当たらない。

「不謹慎かもしれないが、人体の抽象彫刻をみるようだな」

 遺体に目を這わせていた水木の感想だった。

 診断するものの確認を終えた秋月は、指導医と共に隣室に移動した。部屋は大小様々なモニタ画面によって埋め尽くされていた。撮像された画像を確認するモニタリングルームだった。水木が後につづいた。

「ところで、何故また、USなんだ?」

 モニタ画面の前にすわる秋月に向けた水木の問いだった。秋月が後方を見上げて応えた。

「軟部組織の情報を得る必要があるんです」

「脂肪や筋肉のことか?」

「ええ。顔貌再現にとって重要な、鼻先やら眼窩奥の細部における体内情報は、レントゲンでは撮像できません」

 顔貌再現のためには、臓器や筋肉、軟骨やじん帯といった軟部組織の読影に特性を発揮するUSが欠かせなかった。

「何故、全身を液浸しなければならない?」

 続けての問いに、秋月は解説を後にすることを告げ、マイクに向けて技師に指示を送った。

 技師は、水槽の縁に渡された二本のレール上に、防水処理が施されたプローブを装着し、液面へと下ろしはじめた。間もなくして水没したプローブから、ぶくぶくと細かな水泡が噴き出てきた。発振する超音波エコーの放射波だった。秋月の面前にあるモニタ画面に、青く縁取りされた画像パレットが姿をあらわした。数秒後、画像着信を告げる音声アイコンが鳴った。プローブから送られてきた透視画像が、解析用サーバーへ着信したことを告げるチャイムだった。

 ――着信時は不明瞭だった画像は、解析処理状況をしめすプログレスバーの上昇に合わせて、徐々に解像度を上げていった。やがて画像パレットが、捉えたものの輪郭を鮮明に映し出した。秋月と指導医とが、検める目を画像に這わせはじめた。

 数秒後のことだった。二人が同時に、眼を瞬かせながら、互いの顔を見やった。奇妙なものを見る目の色だった。

 指導医が忌々し気な口調でつぶやいた。

「撮り直しだな」

 ――――

「何か問題があったのか?」

 落ち着かない様子の秋月を察した水木が訊いた。三度撮り直しをおこなったUSの後だった。秋月は、しばしの間、モニタ画面を凝視したまま無言でいた。やがて発したのは、「どういうことよ」と、いう苛立ちのことばだった。

 水木が秋月の面前にあるモニタ画面を覗き込んだ。画面には、CTで撮られた画像と、撮像したばかりのエコー画像の二つが、並べ置かれた配置だった。

「何があった?」

 再度の問いかけに秋月が口をひらいた。

「先生は、先ほどに液浸について理由を訊いてきましたよね?」水木が点頭を返した。

「理由は、体内から気体を追い出すためなんです」

「気体?」

 訝しがる水木の反応を見て、秋月が回転椅子を回し水木と向かい合った。

「……USは、放射され反射してくる波の強弱で、対象物の存在を測定するものです」

 得心した顔の水木だった。

「そのとき音波は、液体であれば通過するだけで何も写さないんですが、気体はそうじゃない」

「液体と気体とに違いがある?」

「そうです。……音波は、気体に接すると入射波を乱反射させて画像一面を白くしてしまうんです」

 ふたたびモニタ側に向きを返した秋月は、胸ポケットからボールペンを取り出して、ペン先をエコー画像に這わせた。

「この部分、骨格までもが白く塗り込まれたようになっている」

 頭部の左眼窩の周辺だった。

「空気が抜け切れていなかった?」

「有り得ません。液浸後に真空処理を施して、三度おこなった撮像すべてが同じ結果です」

 秋月は画面を這わせていたペン先を、眉間に押し当てた。

 ――――

 大学医療センター放射線医学教室の小会議室――。

 モニタ画面に映し出されていたのは、頭蓋に凹んだ二つの孔だった。眼窩を拡大したCTの死後画像だった。

「小線源治療の線源?……」

 牛島刑事が発したのは、聞き慣れない治療法の名だった。秋月かおりの指導医、丸山高志が説明をつづけた。

「……放射性同位元素が封入された金属カプセルを、腫瘍周辺に直接埋め込み、患者の体内から、腫瘍にむけて、微量の放射線を照射する治療法です」

 さらに拡大させた眼窩の奥を、カーソルの先端が近づいてゆく。「この部分です」丸山がまるく動かしたカーソルの軌跡の中に、複数個もの微細な塊がみえた。輪郭をはっきりさせた黒い粒状だった。埋め込まれた線源カプセルだった。

説明に耳を傾けているのは、四谷南署刑事課強行犯係警部補、牛島次郎――。死蝋体の死後画像診断結果についての報告を受けていた。

「本人は癌を患っていた?」

 牛島が問いただした。

「そう推定できるんですが、しかし気になるのは、眼球が摘出されていたことです」

 曖昧に応えた丸山だった。

「……?」

「小線源治療は、放出エネルギーが低く、主に部位温存のための治療に用いられるものです。眼球を摘出するほどの重篤な症状ではなかったと推察できます」

「治療後に悪化した可能性は?」

「……であれば、線源を残しておくことは考えにくい」

 押し黙った牛島だった。もっとも表情は明るげだった。謎めいた遺体は腫瘍に侵されていた。電子カルテルのオーダリングから、身元を割り出せる可能性が高まったからだった。

 すでに顔貌情報は得ていた。医療側が守秘義務を理由に情報の公開を拒もうとも、捜査照会を盾にすれば情報は得られる。身元を得たのも同然だった。そこで秋月が口をひらいた。

「もう一つ、DNA鑑定であきらかになった事象をお伝えしておきます」

 画面に映し出したのは、細かなバーコードを幾重にも並べたようなDNAの泳動パターンだった。牛島が目を凝らした。

「変死体のなかで、唯一高品質の状態を保っていた眼窩奥の切片を、様々な鑑定法で調べた結果です」

 カーソルをあやつる秋月が、「この部分です」と言って、牛島の横顔に目をふった。牛島の瞳を青白い泳動パターンが映っている。

「ピリオドと呼ばれる遺伝子です」

 泳動パターンを構成する横縞のバンド数本が、おおきくゆがんでいた。

「明らかな構造異常です」

 牛島が目顔を返した。説明の詳細をもとめるシグナルだった。

「体内時計をご存知でしょうか?」

 耳に聞いて知っていた牛島が、小さく相槌を打った。

「既日リズムともサーカディアンリズムとも呼ばれる体内のリズム機能です。動物は日周期にしたがって、その周期をきざんでいます。その周期を発振させているのが、ピリオド遺伝子だと言われています」

 牛島が聞き返した。

「遺体は生前、体内時計をもっていなかった、と?」

「ええ、時計突然変異体という特異体質だったと思われます」

「そのことが、重篤な病の原因になっていた?」

 問い質す牛島に、秋月は、

「まだ詳細のところは明らかになっていないのですが、……睡眠・覚醒障害など、精神障害が生じることや、腫瘍産生、循環器障害について報告されています」

『時計突然変異体』

牛島は、事件解決のヒントになるものと直感し、それをメモに記録した。


 水木が秋月を呼び出したのは、大学病院至近にある老舗の喫茶室だった。

「医局の名誉にかかわる事案でしたから……報告書からは省いておきました」

 秋月の応えに水木は安堵の顔を返した。

 変死体を撮像したUSは、CTと異なる「白い空洞」という結果をあらわしていた。水木は、その奇妙な診断結果を、捜査当局の報告書に記したかどうかを問い質したのだった。

「それは果断な対応だった」

 水木は安堵した表情で、コーヒーカップに手をのばした。彼にとっては、貴重な研究試料だったのだ。身近なところに留めておきたい気持ちが水木の中にあった。「白い空洞」という奇妙な事実を、人知れずに研究対象としたい思惑が彼のなかにあったのだ。

 窓辺のボックス席だった。喫茶室の庭内には、棕櫚の木が二本立っていた。

「伝えたいことというのは、そのことでしたか?」

 水木は手のひらをふって否定して、

「変死体の身元が分かった」と声をひそめて言った。

 秋月が眼を上げた。早晩あきらかになる身元だった。水木の言葉にそれほどの驚きはなかった。周囲を気にかけながら水木がつづけた。

「知人の警察医が教えてくれた。身元特定の決め手になった、顔貌再現のお礼にと言ってね」

 水木が、秋月にむけてテーブルの上を滑らせたのは新聞記事のコピーだった。二年少し前の日付の記事だった。

秋月が見出しに目をそそぎこんだ。


 ――最高学府出身者による前代未聞、オンラインリモート撲殺事件


 本文には、東大出身者による女性事務員殺害事件の詳細が記されてあった。

海外に住む女性事務員が、日本に居た当該東大出身者に、オンラインリモートによって撲殺された事件だった。訝る顔の秋月が、水木に目をふった。記事と変死体との関係が理解できないのだ。察した水木が口をひらいた。

「その犯人が、変死体の正体だった」

 秋月がふたたび記事に目をおとした。犯人の名を特定したいからだった。その名が瞳に映った。

「早坂進一」

「――二年ほど前に発生したこの事件を最後に、男は消息を絶っていたらしい」

 ふと隣のボックス席の会話が耳に入った。老女二人の会話だった。

「やだ、何この虫」「浮塵子(ウンカ)っていうやつよ」

 喫茶室の日陰の庭にたつ棕櫚の木を棲家にしていたのだろうか、湧きあらわれた羽虫の群れが、店の明かりにつられて窓の外を舞っていた。

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