二度目の講演にも関わらず客足は想像以上だった。三井先輩の演技がSNS上でもかなりの評判になったことが要因の一つになったとされる。それにしても、楠木先輩はちゃっかりとチケット代を徴収していたことには驚いた。この感じだとかなりの額が演劇部の懐に入っていると予想できる。私達への還元も期待できるかも。


 文化祭は夕方に終わって、そこから大急ぎで片付けが始まった。明日も登校して片付けることになるかもだけど、全生徒が明日の午前中に終わらせるために尽力する。


 ゴミ捨てをしてから演技部の部室に寄っていくと、榊原先輩と楠木先輩が売上金の計算をしていた。二人とも真剣な趣で数字と睨めっこをしている。表情から感情を読み解くことはできない。


「どうしたんですか? 二人して真剣!」


 私は空気が読めない嫌な女を演じて話してみる。この技術は演劇部での経験を活かしたものだ。新しい自分を開拓したことに、私は興奮していた。


「見ての通りだ。僕たちの演劇が評価された」と楠木先輩はノートに書き起こされた数字を私に見せてくれた。ゼロの多さ。ここでは控えなくてはならない数字であった。


「野原、今回は本当にすまなかったな。色々迷惑をかけたと思う」


「そうですよ。愛木先輩の名前を出して、私を上手く操って」


 ここぞとばかりに私は鬱憤を口にした。楠木先輩は目を大きくした。


「その言い方だと僕が騙したみたいじゃないか。愛木を通して、正式に風紀委員からの許可からとってるぞ」


「え!? そうだったの」


「当たり前だ」


「もしかして愛木先輩は今回の事件に関与しなかったのは……」


 私の中で渦巻く違和感が氷解していく。榊原先輩がついに語り出した。その表情はあまりにも卑屈で、可哀想に思えた。


「すまない。全ては俺の責任だ。俺はやってはいけない過ちを犯したんだ」


「榊原、無理はするな。全ては水に流そう」


「いいや。野原には話したい。義理は通したい」


「わかった」


 楠木先輩と榊原先輩のやり取りの後に、私は真実を聞かされた。榊原先輩の過ちと、元凶の存在。


「始まりは去年のことだ。協賛で募った大切なお金を魔が刺して使ってしまったんだ。今年に入ってから俺は事の重大さに気づいて演劇部の廃部を考えるようになった。そんな時に脅迫の手紙が届いたんだ。俺は全てを失う覚悟もできずに、有耶無耶にしようとしていたが、脅迫はエスカレートしてきた。そんな時に……」


「僕が榊原を助けたいと志願したんだ。彼の様子がおかしいことは誰もが気づいていたし」


「楠木は演劇で売り上げをあげれば全てがチャラになると、総監督を願い出た。藁にもすがる思いの俺は彼に託すことにした。実際にこうして上手くいった。本当にすまない。迷惑をかけた」


「えええ。ちょっと色々よろしくないような。だったら悪戯とか台本の取り替えは?」


「全ては僕がやったことだ」と楠木先輩は楽しそうに話した。私はこれをどのように解釈すればいいかわからない。動機は最悪だし、なんなら榊原先輩は悪だし、楠木先輩も演劇部のためだったのかもしれないけど、方法は最低じゃない。楠木先輩は演劇部を立て直す為に、文化祭での講演を計画した。協賛を募って援助金で費用を賄いながら、努力をした。3枚のポスターをモチーフにした悪戯で集客を最大限にまで引き上げた。台本を取り替えたのは三井先輩の抜きんでた才能を評価してのことだったそうだ。なんなのマジで。愛木先輩は最初から知ってたってこと?


 けど、なんか足りなくない?


 それで脅迫の手紙は誰が書いたの?



 一週間が経過しても文化祭の余韻が残っていた。忙しかった文化祭までの日々と、なんでもない日常が噛み合わない。頭の中が今だに忙しかった日々を欲していた。あれだけ嫌々やっていた演劇部の手伝いも終わってみれば寂しいものだ。


 三井先輩が空虚を見つめては物思いにふけっていたのは、放課後のことだった。部室の前で三井先輩は、部室に入ることは拒んでいるようにも見える。三井先輩は私を認めると、小走りをした。


「ちょうど良かった。少しだけ付き合ってくれない?」


「え!? どうしたんですか」


 強引に連れ出された私は、そのまま校舎を降りて中庭近くにある自動販売機に連れて来られた。ポケットから財布を取り出した三井先輩は、小銭を取り出す。


「何飲む?」


「え! そんないいですよ。申し訳ないです」


「何を言ってんの。お礼だよ。演劇部を手伝ってくれた。まだお礼してなかったでしょ」


「お礼ならいただきました」


 文化祭が終わった後に、演劇部と関係者を集めてみんなジュースやお菓子を食べた。それだけで充分なんだけど。


「私からは何もしてないから。何が好き? そういえば打ち上げでコーラ飲んでたよね。コーラで良かった?」


「炭酸は好きですけど」なんて言ってたら、三井先輩はおもむろにコインを投入してコーラを買っていた。私は手渡されたので、受け取る。


「ありがとうございます」


「そんな別にいいのよ。こちらこそ本当にありがとうございます」


 先輩に奢ってもらっコーヒーを口にする。いつもよりもずっと美味しく感じた。糖を摂取すると脳味噌が元気になっていくような気がしてくる。


「ところで、どうして部室の前で立ち尽くしていたんですか?」


「そ、それは……」


 三井先輩は頬を染めて言う。


「もしかして新田先輩ですか?」


「どうしてわかったの。もしかして新田くんから」


「そうですね。偶然にも聞かせてもらったんですよ。そんなことよりもなんて答えたんですか」


「先日、告白されてからまだ答えてないのに、部室で二人きりは気まずいじゃない」


 どうやら新田先輩は本当に三井先輩に愛の告白をしたようだ。有言実行はすごいことだと思う。うん。


「どうしてですか。新田先輩はいい人ですよ。本気で三井先輩のことを好きだと思いますよ」


「だからよ。新田くんはいい人だよ。意外と真面目だし。私も嫌いじゃない。だけど混在していると思うのよ。演者として私と、本当の私を」


「それは誰でもそうなのでは? 私も正直に言って演劇部の手伝いなんてしたくなかったですけど、結局は最後までお手伝いしました。世渡りの大切さは理解しているつもりです。だから自分を欺いて手伝ってました。みんな演者なんですよ」


 本当はそれなりに楽しめたことは三井先輩には言わない。


「それはきっと演技というよりは心のコントロールが上手いのでは? 僅かな感情を肥大させるか、それとも減退させるか。それとも見えなくするのか。私がやってるのは別人格の生成かな? 多重人格者は負の感情が成長することで人格になるそうよ。きっと演じるとは感情から疑似的な人格を作り出す技術だと思うの。新田くんは多分、劇上の私に惚れてるんだよ。私じゃない私。存在しない私。偽りの私」と三井先輩は言った。なんだか悲しそうな表情だった


「新田先輩は演じてる三井先輩を含めて、全部好きなんだと思いますよ。それとも信用できないんですか? 新田先輩がどれだけ信用できる男性なのかは、私よりも先輩の方が知ってるはずです。つべこべ言わずに好きなら好きって言えばいいんですよ」


「そ、そうね。ありがとう。本当に君は頼もしいわね」

 

 三井先輩は唖然としていたけど、私は至極真っ当なことを言ったつもりだ。



 愛木先輩はもういない。三年生になった私は風紀委員に所属しながら、相変わらず風紀も乱す生徒を取り締まっている。愛木先輩には遠く及ばないけど、主観にはなるけどそれなりに威厳はあると思う。先日も後輩から相談を受けたし、もしかすると私って結構いい先輩なんじゃない? 愛木先輩が卒業したことで、すっかり疎遠になってしまった。私は寂しいんだけど、先輩は特に気にしてないと思う。なんせ私が連絡しても、無視されるんだから。


 さて、前置きは終えて、そろそろ本題に入ろうと思う。演劇部の件だ。去年の文化祭では大掛かりな悪戯が仕掛けられたんだけど、楠木先輩による演出だったことがわかった。だけど謎が残るわけなのだ。最初に発見された脅迫状は誰が送ったのだろうか。


 榊原先輩によれば、文化祭の数ヶ月前に脅迫状が届いたと言う。榊原先輩が協賛金を無断で使用したことを仄めかす内容だった。学校側に正直に話して演劇部を解散することを考えるが、楠木先輩が登場する。楠木先輩は協賛金を埋め合わせるために、文化祭でチケット代を稼げばいい。それが上手くいったのは奇跡のような気がするけど。とまあ事件の大まかな内容はわかっていただけただろうか。


 話を戻そう。発端に当たる脅迫状は誰が書いたのだろう。楠木先輩は脅迫状すらも利用して悪戯を決行したなようなので、別に脅迫した人間がいることは確定的なのだ。

 

 私が事件の真相を知ることになるのは、卒業した愛木先輩が高校に再訪したことに始まる。


 おおよそ9ヶ月ぶりの先輩は、薄らと化粧をしていて、髪型も服装も洗練されていた。つまり高校生の私たちとは、まるで違う世界の人に思えた。こんなにも大人びるものなんだろうか。大学生の愛木先輩は、私を認めると手を上げてくれた。私も倣って手を振る。


「せんぱーい。お久しぶりです。会いたかったですよ」


「野原さんは相変わらず元気ね」


「先輩に会えたから、めっちゃ元気になりました!!」


「あら、そう」


 愛木先輩はなんだか困惑した表情を見せた。


「それで、突然どうしたんですか?」


「楠木くんに頼まれてね。去年の文化祭で起こった演劇部のことで、話を聞きたい人がいてね」


「え!? 悠木のこと?」


「そう。悠木くんはどこにいるかわかる?」



 演劇部の部長になった悠木は、部室の真ん中でパソコンと睨めっこをしていた。おそらく次の演技プランを考えているんだろう。私の記憶では数代前の台本をそのまま転用すると聞いている。悠木は私の後ろをついて来ていた愛木先輩に視線を向ける。


「これは……愛木先輩ではないですか? どうしたんですか?」


「単刀直入に話すね。これ見たことあると思うんだけど」


 愛木先輩が悠木に提示したのは、演劇部の榊原先輩に届いた脅迫状に酷似したものだった。


「俺は知らない。そんな薄気味悪いもの触りたくもないよ。どうして俺に聞くんだ」


「これはね。私の元に届いたものなのよ。面白いことに榊原くんのもとに届いた脅迫状に酷似している。間違いなく同一人物による犯行よね。私が裏金をもらったことを知っているみたいな内容で、正直驚いた」


 この時の悠木はとても悪い顔をしていた。そして、冷笑をしてから、表情が凍りついた。


「裏金……私はそんなもの貰ってないよ」と愛木先輩が言った。微笑んで続ける。


「そもそも、脅迫状は誰が書いたのか? 榊原くんが協賛金を私用で使っていたことがわかった人物なんて、演劇部の誰かに決まっている。そうは思わない?」


「よくわかんないな。それをどうして俺に話すんだい」 


 悠木は立ち上がると、荷物の整理を始めた。


「あなたでしょ? 脅迫状を書いたのは。ね、悠木くん。私も最初は逃してあげようかと思っていたんだけど。楠木くんはそのつもりがないようで、敢えて部活動の帳簿を部室に置いていったのよ。ちょうど君が使っている机の引き出しにね。もし脅迫状を書くような部員が今も演劇部に在籍しているなら、また脅迫状を書くかもしれないってね」


「なるほど。確かに帳簿なら確認させてもらった。不信な点は確かにあった。だけど俺はどうこうする気はなかったよ。と言うかそんなものを残すなんて馬鹿なのか。自分の悪事をわざわざ残すようなことを」


「それが嘘も混じってるのよ。売り上げから協賛金も返還したし。私や楠木くん、榊原くんが不正に金銭を受け取った事実はないのよ。あるように見せかけて、悪戯をする悪い子を取り締まろうってね」


「なんだよそれ。犯人を探してどうするの? 脅迫状は確かに書いた。だけど書いただけだから、バレたとしても特にデメリットはないよ。そっちこそ今更何がしたい?」


 悠木はなんでもない様子で、脅迫状を書いたことを認めた。あまりにも簡単に認めたので、聞き逃すところであった。


「どうして脅迫状を書いたんですか?」


 私の問いに悠木は答えた。


「ただ反応を楽しみたいだけ。ようはストレス発散だけど」


 悪びれる様子もなく悠木はいった。不快であった。とても気持ち悪い。はじめて私は、純然たる悪意を見た。そんな気がしてならない。


愛木先輩は悠木の元に近づくと、耳元で何かを言った。悠木の顔色が蒼白になっていく。それから「じゃあね」と部室を後にする。私は駆け足で愛木先輩の元に向かった。その後ろ姿に私は聞く。


「何を言ったんですか? 悠木。尻餅をついて動かなくなった」


「彼の悪行を知っている」


「それって……」


「本当は二年生の時、つまり一年前ね。彼も私用で協賛金を使っていたのよ。管理が杜撰だったから榊原くんは気付いていなかったようだけど。そこで悠木くんは榊原くんを追い詰めて、足りない部費の責任を全て榊原くんに擦りつけようとした」


「どうして悠木はそんなことを? 意味がわかりません」


「当時付き合っていた彼女さんと色々揉めたみたいね。両親からも侮蔑されたようで。そして、このタイミング。彼女さんが次のステップに踏めるタイミングが必要だと思ったの」


 愛木先輩は深いところまでは話さなかった。その後もそそくさと帰宅していくので、聞きたくても聞けなかったが、正解かもしれない。ただし、愛木先輩が今日になって、悠木の悪行を言及した理由は後日になって知ることになる。



 私の残り少ない高校生活が終わる頃に、副島さんと仲が良かったグループに誘われて、とあるカフェに向かった。多分だけど私が色々動いていたからこそ、副島さんからしっかり話したいことがあるのだろう。一体どんな話を聞かされるのだろうか。


 約束の場所であった郊外のカフェに入店すると、副島さんと見知ったクラスメイトが二人いた。本当に仲が良かったメンバーだけの集まりなんだろう。私はお邪魔していいのだろうか。副島さんの身に何が起こったのかは、彼女達の中で一際にして輝いている小さな子供の姿で、全てを悟ることができた。

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クズのクスノキ 名無与喜 @ryomtga

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