「アリエル王妃。あなたがやったのではないですか?」

 

「何を言う。どうして私が夫を殺さなくてならない」


 三井先輩の演技を初見で拝見した時に鳥肌が立ったことはよく覚えている。三井先輩が演じるアリエルは全ての元凶で、王を暗殺に加担してきた悪女だ。その悪意に満ちた感情を上手く見え隠れさせながら、演じている。普段とはまるで違う。おそらく頭一つ抜けて三井先輩の演技力は高い。


「また見ぼれてんのか?」


 私の隣に新田先輩が座った。


「なんですか。何か問題でも?」


「いいや。俺も三井先輩の演技は好きだよ」


「演技じゃなくて先輩自身がでしょ?」


「ば、馬鹿野郎が。そんなわけあるか」


 新田先輩は頬を紅潮して言った。なんてわかりやすい反応だろうか。これだから恋する男子は面白い。


「ダメだ!!!! 何度言ったらわかるんだよ。俺のイメージと違う。三井もう少し、なんて言うか悪意を隠してくれないか」と楠木先輩の怒鳴り声が部室内で響いた。


「アリエルは罪の意識と戦っているのよ。嘘と罪悪感を隠せるほどに器用な人間じゃない。だから事件を言及されたら、どうしても感情が表に出てしまう。私はそう思うわ」


 三井先輩も考えて演技をしてるんだなぁって呑気に感心しているが、楠木先輩と考えが合わないようで、二人の衝突は激しくなっていく。榊原先輩と輪島先輩も介入していくとより複雑になる。本当にこの演劇部は上手くいくのだろうか。


「喧嘩はよくないですよ」と私も話に割り込もうと思ったけど、無視された。なんだか悲しい。所詮は外部の人間だから仕方ないのかもしれないけど。


「新田先輩も止めてくださいよ」


「嫌だ」


 私は嘆息してから、逃げ出したい気持ちを飲み込んだ。けど、気持ち悪かった。



 

 文化祭まで一週間。どこのクラス、部活、グループも、タイムリミットまでのラストスパートに追われていた。余裕がなく忙しそうにしている人もいるし、楽しみなのかソワソワしているような人もいる。私が後者のタイプなら毎日ワクワクしてるんだけど、あいにくにも前者なのだ。そもそもなんで私が演劇部を手伝っているのだろう。楽しみたい。


 さて、こんな根暗前回の主張を頭の中で泳がしているにも理由がある。ポスターをモチーフにした3番目の悪戯がついに起こったのだ。ロレール・ファルコスはクーデターを成功させて王になるが暗殺される。死因は毒殺だ。裏庭に紅色の液体を流す人の形をした何かが発見された。人混みを掻き分けて、近づくと、大きなサイズのパーカーに風船を詰め混んで人の形を成していることがわかった。鮮血のような紅の液体は、ペンキだろう。パーカーのチャックを開けると、風船が空を駆け上がっていったのは、印象的だった。


 風船も、ペンキも文化祭の準備で入手は簡単である。そうなってくるとパーカーこそが犯人の手がかりになるかもしれない。と意気込んで、調査をしていくと、リーズナブルな有名メーカーの物だった。タグを見たときの絶望。このパーカーを好んで着用していた生徒を探すなんて、困難に思えた。



「どう思いますか? 愛木先輩!」


 午後の9時ごろ。帰宅した私は入浴して、お気に入りの少し高めのシャンプーとリンスの匂いに包まれる。お母さんが調理してくれた晩ご飯を堪能してから、ソファーで頭を空っぽにする。二度寝しているかのような、贅沢な時間を過ごした後に、私は事件のことを思い出して愛木先輩に電話した。


「どうって言われてもね」


「やっぱり事件はポスターの内容、意味がわかる人物。演劇部内部の仕業ではないでしょうか」


「そうね。そうかもしれない。だけどポスターの内容がわからなくても悪戯はできるんじゃない? 思いつきでなんとなくやってみたんでしょ。それが想定以上に反応が良かったから、続けて悪戯を決行したとか」


「そうなんですかね」


 愛木先輩から憂鬱な印象を受けた。事件の進展に興味がないと言うか。普段なら積極的に調査をすると思うんだけど、なんだか私だけ?


「そもそも動機はなんだと思う? 演劇部の内部事情についてはどこまで調査できたの? スパイじゃないけど内部に侵入できてるんだから私よりも材料は揃ってるはず。野原さんはどう感じてるの?」


 もしかして私って怒られてる? 萎縮していくことが心苦しかった。だけど感情と記憶、考えをまとめていく。そして丁寧に言葉にした。


「私は、やっぱり。演劇部に関係する誰かだと思います。部外者で、この一ヶ月くらい演劇部のお手伝いをさせてもらったのですが、内部ではかなり軋轢があります。楠木先輩が総監督して部を率いていることが、不仲の理由みたいです。毎日のように演劇プランで大喧嘩してるんです。これは疑わないわけにはいきません。安直でしょうか?」


「いいえ。そうは思わないわ。その線で調査してみたらいいと思う」


「あ、ありがとうございます」


 初めて褒められた気がする。私の中で踊る感情が、弾けては収拾がつかなくなっていく。これは一種の麻薬かもしれない。癖になる感覚を認めると、自然と微笑んでいた。


「私からも聞いてもいいかしら?」


「なんですか?」


 愛木先輩から聞きたいことなんてなんだろか。無駄に心拍数が上がっていく。


「演劇部の悠木くんの元彼女さんのことを知りたくて」


「副島さんですか? あの子ならおおよそ二ヶ月前に登校しなくなって、一ヶ月前に退学しましたよ。私もなんとかコンタクトを取って副島さんや悠木に話を聞いたけど、なかなか上手くいきませんでした」


「そうなのね。登校を拒否した理由はわかったの? 退学理由とか」


「それもわかりませんでした」


 役に立てなくてすみません。



 今日は母と父が仕事で帰宅が遅くなるみたいなので、夜ご飯は私が準備することになった。両親の帰りが遅いことは、珍しいことではない。弟はまだ小学生だし、家事はできるだけ私も参加して、両親の負担は可能な限り少なくしたい。けど、私も文化祭で忙しかったりする。今日も少しだけ演劇部のほうに顔を出してから、楠木先輩と他の部員の雰囲気を観察して、「喧嘩をしないでください」と拝んできてから、帰宅した。きっと大丈夫だ。


 近所の商店街に寄り道をして、足りない材料を買って帰る。昨日の夜に冷蔵庫を確認していた私。さすがじゃない? なんて自画自賛して八百屋に向かう。目的の物を買って帰えろうと思っていると、八百屋に貼ってあるポスターに既視感を覚えた。


「もうすぐ文化祭だろ。楽しみにしてるぞ」


「はい。ありがとうございます。このポスターは?」


 私が指差したポスターは登校の文化祭だけではなく、演劇部のポスターも貼られていた。


「演劇部のポスターだよ。お嬢ちゃんの学校のことだろ?」


「このポスターは他のお店でも貼られているんですか?」


「どうだろうな? 俺は知らん。熱心に頼まれたからスポンサーすることにしただけだし。こっちのメリットなんてほとんどないけど、若人の青春を奪うわけにもいかんしな」


 それってどういうこと? 私はいち早く帰宅して、晩ご飯の用意をしているけど、商店街で見かけたポスターの意味を考えた。当校の文化祭ポスターはわかるけど。演劇部のポスターはどう言うことだろうか。


 家事を一通り終えて一休み。ゲームに熱中している弟をハグして、拒否される。いつものルーティンをやってから、自室に戻る。愛木先輩に今日のことを聞こうかと思ったけど、先日も電話したばかりだ。今晩はやめておこうと思った。



「榊原先輩じゃないですか。おはようございます。朝に会うなんて初めてですね」


「そうだな」


 今朝は珍しく榊原先輩と会った。演劇部のイメージと言えば、物静かなタイプが多くて、比較的内気なタイプが集まっている。そんな偏屈なイメージが私にはあるのが、榊原先輩を見てると、バイアスであると考えを改めるしかない。高身長の筋肉質だし、体育会系じゃないの? 文化部なんて嘘でしょ?


 私の困惑を他所に榊原先輩は神妙な顔になる。私の勝手な感想だ。


「手伝ってもらってすまないな。野原も忙しいだろう」


「いいえ。そんなことないですよ」


 私は反射的に言うが、本当に忙しいんだよね。


「演劇部は文化祭の初日で公演が終わるから」


 なんだろう。榊原先輩はとても悲しそうに言った。


「演劇部では協賛とかしてるんですか?」


「それは……先輩達の時代ならスポンサーを募って大掛かりな演劇をやってることはあった。なんでそんなことを聞くんだ? 何かあったのか」


「いいえ。なんでもないです」


 今年の文化祭でも演劇部が協賛を募っていることを知らないなんてことあるのだろうか。しかも私が話しているのは演劇部の部長なのだ。把握をしていないことなんてないだろう。


「以前から聞こうと思ってたんですけど。どうして楠木先輩が演劇部を手伝うことになったんですか?」


「それは……だな。俺は演劇部を廃部にするつもりだったんだ」


 劣等、喪失、羞恥。榊原先輩の言動からは負の感情がだだ漏れだった。


「色々あってな。部員には悪いが、廃部が妥当だと思った。だけど楠木に説得されて、あいつが全ての責任を取ると意気込んでな。次の日には台本を書いてきたんだ。その次の日には計画表を制作、その次の日には各所で協力者を募りはじめた。俺はその熱意に負けた。演劇部の連中も最初こそは受け入れられなかった。だけど、誰よりも本気で取り組んでいることは、俺たちが一番知っている。昨日も遅くまて残ってたよ。部外者にあれだけやられると部長に俺の立つ瀬がない。参るよ」


「楠木先輩ってしっかりしてるんですね。なんだか意外です」


「意外も何も、なかなかしっかりしたやつだ。それは俺が保証する」


「そうですかね」と私は呟くが、納得はまるでしていなかった。



「お金が絡んでるみたいです」


 私は昼休みに愛木先輩に報告した。愛木先輩は相変わらず無関心が態度に現れていた。私が少しだけ話を大袈裟にしても、上の空だ。


「演劇部と悪戯の関係は学校内でもかなり噂になっているみたいですし。やっぱり楠木先輩が集客を狙って、悪戯をしていたような気がするんです。きっと協賛金を着服することが目的だと思います。間違いないです」


「それっていくらからかな?」


「え!? それはわかりません。勘ですけど10万円とか?」


「10万円なんて額で楠木が動くとは思えない。けど協賛金が絡んでいるのは、目の付け所がいいじゃないかな。協賛金が何に使われたのか? 学校側が把握しているのかが、ポイントになってくるんじゃない?」


「なるほど、差額があれば、間違いないわけですね」


 愛木先輩とのお昼での会話はとても充実した気持ちになる。会話の内容は大したことないかもしれないけど、私のリフレッシュには必要なことだと思う。天気も良かった。暖かい陽気な太陽の光が、心を綺麗にする。明日はついに文化祭だ。事件の真相は何もわかっていない。演劇部の公演には私も少しだけ劇に立つ予定だ。無論、木の役です。



 なんだくよくわからないテンションに奇声も飛び交う。いつもより人口密度も高い。文化祭当日の私は普段よりも早く登校して、風紀委員のミーティングに参加していた。せっかくの文化祭なのに何をするや、と心の中で叫んだけど、誰にもこの苦しみは伝わらないだろう。ミーティングでは風紀委員が交代で見回り当番をすることになったことが通達された。直前になって何を言ってんの? どんなに正義感が強くて、真面目な人材を多く揃った風紀委員でも、今回ばかりは場が硬直して一向に進まない。最終的に私が直前まで見回り当番をすることになったので、演劇部の公演にはギリギリになりそうだ。斜向かいの愛木先輩は重たい瞼を必死に開いていた。時よりゆらゆらと力がない様が、可愛かった。今朝は十分な睡眠を取れてないのかもしれない。


 風紀委員と書かれた蛍光色のたすきを肩にかけて、私は早速校内を回っていく。三年生の教室では喫茶店を出店していた。これは何か怪しい。私は早速、コーヒーを注文して危険がないか味をチェックする。うん。異常はなさそうだ。なんていい仕事なのだろう。


 お昼近くになると私は露店ゾーンを徘徊した。焼きそばとかクレープとか、各クラスが提供する屋台をそれぞれ見ていく。どれも美味しそうだ。今日のお昼は何を食べようかな。立ち並ぶ屋台の中で、一際にして行列をつくっているのは、焼そばであった。悠木のクラスだ。私はひっそりと顔を出すと、汗をかきながら焼きそばをひたすら焼く悠木の姿が見えた。並んでいる子に聞くと、どうやら一食分を丁寧に焼くスタイルなので、味がしっかりしていて美味しいと、評判がいいらしい。まだお昼になったばかりなのに、すごい評判だ。よっぽど美味しいんだろう。と言うわけで私も行列に並ぶことにした。順番が回ってくると、悠木が私に気づいた。


「優雅に焼きそばか?」


「何よ! 悪い?」


「いいや。あと1時間もしないうちに本番だろ」


「それはあなたもでしょ。なんなら私より重要な役割じゃない」


「そろそろ抜ける。先輩達がいるし問題はない。野原も焼きそば食べたら早く来いよ」


「はいはい」


 本番前はこんな感じのやり取りをしたと思う。この時点では私に緊張なんてなかった。これが体育館に向かうと大きな変化に直面することになる。なんと予想を超える人数が体育館に押し寄せていたのだ。まさか、ポスターの悪戯でここまで注目を浴びることになるなんて、普通は思わないじゃん。私の心臓は急激に高鳴っていく。苦しいくらいに辛かった。


 

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