由美が隣に引っ越してきたのは、日向が小学4年生の時だった。ベランダで母が大事に育てている花に水やりをしていると声をかけられた。はじめは空耳かと思った。斜め上。ベランダに由美がいた。


「それは何?」


「それって、サボテンのこと?」


「そうそう」


 由美が指さすのは刺々しく、触ったら怪我しそうな恐ろしい植物だった。見ているだけでドキドキする。日向はサボテンが苦手であった。近所の植物園で親に買ってもらったが、植え替えをする時に刺が刺さってから、どうにも苦手意識ができた。水あげも頻繁にしなくても育つので、愛情が薄れても、サボテンは独り立ちするように、すくすくと大きくなっている。


「これがどうしたの?」


「そのサボテンって簡単に育てられる?」


「簡単だよ。日当たりがいいところに置いとく。水やりはたまにやればいい」


「そうなんだ」


 由美は目を輝かせて言った。


「欲しいなら、子株を分けてあげるよ」


「えー。本当に!! 欲しい」


 後日。日向は小さな鉢にサボテンの子株を植え替えて、由美に手渡した。由美はとても嬉しがってくれた。大事に育てると、何度も言った。転校生として同じ学校に通い、新しい環境に慣れてきても、時々由美はサボテンの話をしてくれた。エキノプシスという品種だとか、一年くらい経ったけどめっちゃ大きくなったとか。由美の家に遊びに行って、観察することもあった。日向が育てていたサボテンは枯れていたが、由美のサボテンは彼女の愛情をたっぷりに育んで、大きく成長していった。


 高校生になると由美とは疎遠になった。中学から距離ができたことは薄々感じてた。日向も由美も新しい人間関係があって、日向が塾に通って受験の準備を始め、由美はバレー部の主将として活躍する。二人の進む道は大きく分かれた。高校はもちろん別々だ。日向は進学校で、由美はよくわからない私立の高校だった。由美の容姿は大きく変わった。メイクをして、派手な服装を好んだ。人間関係でここまで人間が変われるのかと、日向は驚いた。日向の部屋からは由美の部屋が見える。窓際の陽射しを占領しているサボテンは、すくすくと成長を続けていた。きっとストレスとは無縁の生活なんだろう。



 肌寒い季節となって、厚着に暖房がマストである。日向は自室に籠ると、暖房器具のスイッチをオンにして、暫し部屋が温まるのを待った。机に向かい受験勉強を開始する。夜に勉強をするのは日課になっていた。しばらくしていると、破裂するような音が何度も、何度も聞こえた。近所の外人が暴れているのだろうか。それとも素行の悪い高校生か。あまりにもしつこいので日向は窓を開けた。見えたのは花火にあった。どうしてこんな季節に花火なんだろうと、考えたがこれは余計なことだ。日向は窓を閉めようとしたが、隣の建物の窓が開いた。由美は部屋着姿で、あまりにも無防備に見えた。目が合うと、開口したのは由美だ。


「こんな季節に花火なんて珍しいよね」


「そうだな。屈折の関係で冬の方が花火は綺麗だって聞いたことがある」


「へぇー相変わらず物知りね」


 少しだけ皮肉に聞こえた。


「そんなことはない。志望校にはいまだに遠いよ。知らないことばかりで、苦労してる」


「あっそ」と由美は笑って「頑張ってるのは偉いね」


 日向は自分の表情が歪んでいくのを感じた。


「なんだか話すの久しぶりだな」


「そうだね。学校はどんな感じなの? 進学校なんでしょ」


「うーん。勉強ばかりで気がおかしくなりそう」


「何それー」


「そっちはどんな感じなの?」


「自由って感じ。来週からバイトする」


 時間があれば由美のバイト先である某ファストフード店に遊びに行くと約束して、その日の会話は終えた。思えば由美と会話するのは、数年ぶりのような気がした。意図的に距離を置いていたわけではない。ただ多感な時期になり、互いに互いに対する接した方や、距離感がわからなかったのだ。日向は昔と変わっていないと思うと、感情が溢れた。ここから二人は急激に距離を縮めていく。それは失った時間を取り戻すようだった。


 約束はしたが由美のバイト先には行けなかった。照れくさいし、用もないのに連絡することも今までなかったので、日向にはどうにもハードルが高く感じた。一度だけ、塾仲間を連れて行ったがことがあったが、タイミングが悪く由美はいなかった。


 時間だけが過ぎていく。由美のバイト先での制服姿を見れたのは、3ヶ月も先になった。普段よりも少しだけ高く通る声で接客をする由美に、日向は感心した。新しい一面を見れたことで、想いに新鮮さが加味された。


「ヤッホー。後少しで終わるからもう少し待っててね」


 日向は決して能動的に動いたのではなかった。由美から連絡が来たのだ。塾終わりに日向が駅前のショッピングモールで買い物することを話すと、 由美から一緒に帰ろうと誘われたのだ。家は近所どころか隣同士なので、断る理由はない。


 店の外で待っていると由美の姿が見えた。だが様子が不自然だ。どうやら男と話している。お店の関係者ではなくお客のようで、年齢は高校生くらいだろう。


「お待たせ。帰ろう」


 由美は何食わぬ顔で言った。


「もう良かったの?」


 由美は一瞬だけぽかんとしたが、すぐに察したようだった。


「さっきのは奴は気にしないで、ただのナンパ。最近しつこくて」と由美は言った。店内からその男がこちらを見ていることは黙ることにした。


「モテるんだな」


「そんなことはないよ。いても変なのしかいない」


「変なのね」


「そうそう。本当に気になる人はなかなか近くにいてくれない」


「え……気になる人とかいるの?」


 由美の言い方はどう考えても、意中の人はいることを指しているのではないか。一体どんな奴なのだろうか。知りたいが知りたくない。複雑な気持ちだった。


「内緒」と由美は微笑んだ。



 由美が事故にあったと知ったとき、日向は頭が真っ白になるような感覚に見舞われた。家族総出で由美が入院する病院に向かった。向かう途中の車内で、日向は爆発しそうな感情を必死に抑えていた。事故から数日が経っていて、由美は意識こそが取り戻していた。一時期はかなり容体が悪かったと聞いていたので、思っていた以上に元気で安心した。だけど包帯姿の由美の姿が、痛々しい。二人きりになるタイミングになって日向は初めて口を開いた。


「大丈夫か?」  

 

 投げ掛ける言葉を考える時間は十分にあった。それなのにこんなことしか言えない。大丈夫じゃないのは見ればわかる。日向は自身を呪った。だけど由美はいつぞやの微笑みを見せてくれた。


「元気よ。見た目は元気そうではないだろうけど」


 どうしてそんなに元気なのだろうか。日向の心が痛んだ。


 日向は時間が許す限り、由美の元に足を運んだ。いつでも由美は日向を歓迎してくれて、満面な笑顔を晒した。ある日、スライドドアを開けようとしたら、すすり泣くような声を聞いて、病室に入ることを拒んだ。やはり無理をしているんだ。そのことに気づくと日向が由美の見舞いに来る回数は極端に減ったのだった。


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