激動に駆られた日を鮮明に覚えている。


由美がバイトを辞めることになって、日向がバイト先に制服を返却することになったのだ。適当な時間を見計らって、バイト先に向かい、適当な店員に事情を話して預けた。事故のことを聞かれた。事故は、バイト帰りに車に轢かれたことになっていると話した。店員はあんまり納得はしていない様子だった。日向から詳細を聞き出すつもりが、既に周知になっている情報しか得れなかったのだろう。日向は辞去してから、普段とは違う順序で塾に向かった。すると男に声をかけられた。その顔には身に覚えがあったが、誰かは思い出せない。わざわざ乗っていた白い原付を降りてまで、話しかけてくるのだ。日向は思い出そうと、記憶を探っていく。


「君は、由美ちゃんの知り合いだろ?」


「由美? あいつになんか用ですか」


 男はいかにも素行が悪い感じで、何かと圧のある言い方をした。まばらに染まった髪に、嫌悪を覚える。


「あの子、事故にあっただろ」


「そうですけど。由美とはどう言う関係ですか?」


 日向はバイト先で由美にナンパをしていた男であることを思い出して、警戒心を強くした。


「どうってほどでもないけど、無事かどうか知りたくてな」


「無事かどうか……」


「ほら、公園で原付に轢かれたろ。怪我とか大丈夫かなってな」


 男の言葉に日向の脳は、急激に血流が上がっていく。


「なんでそんなことを知ってるんだよ。お前」


 日向は知らなかった。事故のことを聞くわけにはいかないと思い、詳細について一切の遮断を貫いていた。ただ、事故は車に轢かれたことになっていることは理解していた。それなのに、この男はどうして原付に轢かれたと確信しているのか。具体的な事故の詳細を知っているのだろう。


「いいや。その……偶然見かけたんだよ!元気なら別にいいんだけど」


 男は僅かにだが遺憾な表情を見せた。


「由美なら入院してる。あの事故でもう以前のように体を動かすことはできない」


 男は嫌悪を示すような顔をした。日向の直感が強く働いた。こいつだ。こいつは何かを知っている。


「お前、事故について何か知っているのか」


「俺は知らねぇよ。時間をとって悪かったな」と男は早足で原付に跨がって、去っていった。その後ろ姿はあまりにも滑稽で、情けなく見えた。


 

 日向はまず由美のご両親に事故について聞いた。昔からの家族付き合いがあるにしても、少しだけはばかれたが、由美の母親は自身が知る範囲のことを教えてくれた。 


 由美はバイト帰りに公園で事故にあったと言う。駅前の公園はショートカットで道を使用する者が多く、違法にも関わらず原付で走る者も時々いたようだ。なので由美は原付に轢かれた可能性は高い。由美が事故のことを、あまり覚えてないことは歯痒い。事故の衝撃で脳がダメージを負ったことが原因だと思われる。


 次に日向はあの男について調べることにした。とは言え手がかりなんてない。由美に遠回しに聞くしかなかった。


「体調はどうだ?」


 日向は当たり障りのない質問する。詰問ではなく遠回しにさり気なく、聞き出すことを念頭において、切り出す。


「前よりは良くなってきたよ。今日は頭痛も吐き気もなかった」


 体調が良くなっても、今だに入院生活から抜け出せないのだ。もどかしい。


「良くなってきてるんなら、良かった」


「勉強はどう?」


 由美の問いに日向は逡巡とした。何も手がつけられていなかったからだ。今やるべきことは、机に向かうことなのだろうか。


「あんまり上手くいってないんでしょ。最近、よく来るし」


「そりゃあ心配するだろ」


 話は途切れた。日向は話を繋げるように、あの男の話題を振った。


「そう言えば。由美にナンパしていた男に話しかけられたよ。由美を心配していた」


「あ……そうなんだ」


 反応が鈍い。やはり由美はあの男をよく思っていないようだ。


「会うことがあったら、何か伝えておこうか?」


「それはいい。あいつしつこいんだよね。事故があった日も告白されたんだ」


 日向は言葉を失った。そんなことになっていたとは。


「告白された後に、事故にあったのか?」


 間があった。由美の顔が強張り、日向は失言をしたと後悔した。だが、由美は視線を逸らしてから答えた。


「実は事故にあった前後のことは、あんまり覚えてないの。バイト帰りに、あの男がいつものように絡んできて、告白してきたの。断ったことは覚えてるんだけど、その後の記憶がまるでなくて」


「ごめん。余計なことを聞いた」


 日向は謝罪を述べたが、内心では疑心を強くしていた。あの男こそが犯人なのではないか。もう少し確信めいたものが欲しい。


「そうだ。サボテン。元気そう?」


「あぁ、それなら元気そうだよ」


 由美のサボテンなら元気に育っている。そもそもサボテンは日当たりのいい場所に置いとけば勝手に育つ。水やりも一ヶ月に一回たっぷりあげるだけでも充分だ。


「前から思ってたんだけど、私の部屋を覗いてるの?」


「そんなわけあるか。カーテンを開けると視界に入るんだ」


 日向は動揺を隠しているつもりだったが、自身でも顔が真っ赤になっていくことを認識していた。


「本当かな?」


「そんなに気になるなら、持ってきてあげようか?」


 由美のベッドは窓際で日当たりがいい。ここならサボテンも充分に育つだろう。翌日、日向は由美の両親に話して、由美のサボテン を病院に持っていくことにした。由美の母がサボテンを持ってきてくれるとばかり思っていたが、「部屋に上がって」と促されるので従った。例え幼馴染だとしても、思春期の女子の部屋に男子が上がるのはどうなのだろうか。日向には罪悪感があったが、最後には好奇心が増した。由美の部屋は、服や通販サイトのダンボールが積み上がっていた。テーブルには化粧品が何個も置いてある。多少片付いてはいないようだったが、女子の部屋らしかった。


 長いは無用。窓際のサボテンを持った日向は、部屋を離れた。サボテンは少し日焼けしているようにも思えたが、元気だろう。部屋に持ち帰った日向は、水をあげることにした。なんとなく色んな角度から観察する。このラベル。由美は園芸用のラベルに「エキノプシス」と書いている。その裏には「由美ちゃんへ」と書かれていた。これは紛れもなく日向が書いた文字であった。

 


 特に代わり映えの無い日々であったが、見舞いに行く回数が増えたことで、由美と過ごす時間が増えた。充実した日々であった。


由美と話しているなかで、五年前に流行した漫画の話になって、続きがどうなったか気になった。まだ連載中の作品で、数年前に2シーズンのみでアニメが放映されていたと思う。終わったアニメや漫画に続きがあると思うとワクワクする。日向は駅近くの古本屋に出向いて立ち読みができないかと、足を運んだ。店内は思いの外広く探すのに苦労した。目当ての漫画を見つけると、日向は時間が許す限り読み進めていく。時間は10時00分となっていた。そろそろ帰ろうと思い退店した。外は少しだけ肌寒い。ただ、駐輪場にあの原付を見かけた瞬間に鳥肌が立った。関係者入り口が開く。あの男が出てきた時には、日向の思考は止まった。男は仲間とタバコを吸いながら、その場で談笑を始めると、日向は近くに駐車されていた車に身を潜める。聞き耳を立てた。


「そういえばお前。大丈夫だったか?」


「その話はするなよ」


「原付はすぐに処分したんだろ」


「ああ。結構まずいことになってるみたいだ」


「まあ、そう言う日もあるか」


「そもそもあいつが悪い。ブサイクのくせに、俺の言うことを聞かないから」


「お前、クズだな」


「うるせえ」


 男たちが誰について話しているのか。日向に思い当たることは一つしかなかった。

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