第3話 エキノプシスと刃

 9時40分。塾の自習室には日向を含めて、五人いた。隣で熱心に勉強をしている小田原は、クラスは違うが同じ高校に通っているので仲は良い。二つ前の席の愛木とは、高校が違う。話したりはするが、特別に仲が良いとは言えない。日向は小田原に声をかけることにした。


「なあ、終わったら。ファミレスに行こうよ」


「おお、いいよ。いつものサイゼでいいよな」


 塾の近くにあるサイゼのことだろう。しかしそれは日向にとって都合が悪かった。


「いいや。今日は公園の近くにあるジョセフに行こうよ」


「ジョセフか。たまにはいいか。確か今はコラボのハンバーグが美味しそうだったよな」


 小田原は無味な話を続けては、話を広げていくので収拾がつかなくなっていく。日向は話すタイミングを計らう。時間が迫っていた。


「ちょっとトイレに行くわ」


 日向は慌てた様子を見せて、トイレに向かう。椅子を大袈裟に引いた。時間は9時45分になっていた。



 9時57分。自習が終わる前には、席に戻ることができた。安息からなのだろう。脇がベトベトしていることに、日向は気づいた。


「長いトイレだったな」


 小田原に言われて、少しだけ戸惑った。不自然だったのだろうか。


「まあ、お腹が痛かったからな」と日向はお腹をさするような仕草をした。


「本当かよ。サボって携帯触ってただけだろう」


 日向は特段に否定することなくこの場を凌ぐことにした。


 10時となったので退出をするために席を立つ。約束通り小田原とファミレスに向かう。小田原の準備が終えるまで待っていると、肩を触れられる感覚があった。


 驚いて振り向くと、愛木がいた。愛木は指先に摘んでいる細長い枯れ葉を観察してる。まるで、いかがわしい物を見るかのような目であった。


「ゴミでもついてた?」


「ええ。森でも走ったの?」


「そんな馬鹿な。けど、公園は歩いたよ」


 あんまり納得が行ってない様子であったが、愛木は口を閉ざした。小田原が「待たせた。行こう」と声を上げてくれたことには助かった。


「早く行こう。お腹が空いた」


「ねぇ。私も行ってもいい?」


 愛木がそんなことを言うとは思わなかった。日向が唖然としていると、小田原が答える。


「もちろん。日向は別にいいよな?」


 小田原が愛木に気があることは以前が知っていたので、彼の喜んだ顔は多少気持ち悪い。


「別にいいけど、愛木はいつもご飯を食べてから塾に来てないか?」


「たまにはいいじゃない。少し小腹が空いたのよ。明日は休みだし。たまにはいいでしょ」


 それでわざわざ男とこんな時間にファミレスに行こうと言うのか。塾には女子もいるんだが。日向の不信を他所に、愛木と小田原は話を進めて行った。断る隙はどうにもなさそうであった。


  

 11月の夜は流石に冷えている。外気は否応なしに熱を奪っていく。ファミレスのジョセフは歩いて、30分はかかってしまう。しかし、I公園を横切って行けば、15分で着くことができる。I公園は展望台施設や、スポーツ施設、1000本の桜が植えてある総合施設だ。今歩いている歩道も、春になれば桜で桃色で一面が染まる。小田原は愛木に桜の話をして、春になったら見に行こうよ、と誘っていた。清々しいくらいに、わかりやすい。日向は愛木が苦手であった。確かに愛木はスタイルも良く、端正な顔立ちだ。男子から好意を寄せられるのは、当然にも思える。しかし、感情が表情にまるでない。掴みどころがないのだ。それが一部の男子には受けがいいのは、小田原が証明している。


「ねぇ。なんだか様子がおかしくない?」


 公園の様子がおかしいことに気づいたのは愛木であった。夜も遅いのに明るく人も多い。先を進んで行くと、救急車とパトカーが見えてきた。何か事件があったことは明白である。


「事故かしら」


「そうかもね。あっちに原付が見える」


 小田原が指を差す。人混みに紛れて原付を視認できない。愛木は野獣魔に紛れて、事故現場を観察する。小田原が愛木についていく。日向は原付の確認をするために二人からは離れた。迂回するように、野獣魔の周りを歩いていくと、原付を確認できた。メーカーはわからないが、白い中古の原付で、フロントには詳細不明のバンドのステッカーが貼られている。日向は確認を終えると、二人を探した。愛木がどこかの誰かと話している姿が見えた。


「事故の詳細でも聞き込んでるのか」


「そうみたいだ」


 小田原はため息混じりに言った。


「どこまで分かったんだ?」


「それがただの事故ではないみたいなんだ。高校生が原付を運転して事故を起こしたことは事実みたいだけど、事故の原因がロープらしんだ」


「ロープ?」


「公園の歩道にロープが張られていたみたいで、運転手が気づかず通り過ぎた。ノーヘルだったこともあって、重症みたいだ。事件性があるみたいで警察も来たみたいだ。まあ、そもそも公園を原付で走ってるのも問題だろうけど」


「事故は残念だけど、ルールを破ってるのも問題だな」


 愛木と合流するまでに30分は費やした。彼女は警察のように話を聞いていき、情報を正確に集めていたのだ。学校でのトラブルを何度も解決している風紀委員であると聞いたことがある。その血が騒いだのだろうか?


 予定よりも30分以上も遅れて、ファミレス「ジョセフ」に到着した。席に着くと早速、オーダーを済ませた。


「いい情報を聞けたのか?」


 愛木が先ほどからメモ帳と睨めっこをしている。何がそんなに気になるのだろうか。


「そうね。今回は間違いなく事故ではなく事件ね」


「事件? そりゃあそうだろうけど。ロープが張られていたのなら、事件だろうな」


 悪戯でロープを張ったことが大事になったと考えるのが普通だろう。しかし、愛木の意見は違うようだった。


「ロープの仕掛けは業者が使うような頑丈なカラビナとベルトを使った簡易的なものだった。色んな人に話を聞いてみたんだけど、みんな同じようなことしか言っていなかったの。だけど、日課で毎日走ってる近所の人がロープなんて直前までなかったと言ってたの。それが本当なら、この事件は特定の人物を狙った犯行の可能性がある」


「どういうことだよ。誰かの悪戯だろう。偶然で原付の運転手が事故を起こした。それだけだろう。考えすぎだよ」


「ウォーキングを日課にしている近所の人は、公園を三週することを日課にしていた。二週目の段階ではロープはなかった。だけど最後の1週目に差し掛かって半周したところで事故が起きた。大きな音だったそうよ。一周は20分くらい、半周ならおおよそ10分」


「よくそんなことを聞けたな」


「運が良かっただけ」


「だけど、それだけで特定の人物を狙ったとは言えないんじゃないか? やっぱり偶然だと思うよ」


 日向の声は少しだけ震えていた。愛木はストローを吸ってから、飲み込む。それから、否定した。


「あの原付の運転手は、あの時間によく原付で走っていたのよ。おそらく近道なんでしょうね。マナーが悪いから近所でも有名だったわ。関係あるかはわからないけど、以前にも似たような事故があったみたね。多くの人が自業自得って話していた」


 日向は胸の高鳴りが強くなることを感じた。オーダーした料理がテーブルに並んでも、日向の食欲は減退をしていく。小田原に心配されて、やっと箸を動かした。


「どうしたの?気分が悪いの?」


「いいや。何でもない」


 消え入るような声だった。日向は無言で、食を進めた。愛木はその後も気になることを呟いた。彼女はこう言った。「数分」


「なにが?」


小田原が聞くと、愛木は箸を止めた。


「ロープが張られた時間よ。ランニングをしていた証言者の話から察するに、僅か数分の間……もっと切り詰めていけば3分から5分かしら、この僅か数分でロープが張って、立ち去ったことになる」


 日向の箸はますます進まなくなった。

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