第二十四話 因縁

 太陽が随分と頭上高く昇った頃、未だ王都に留まっていたミーナとジェフは帰郷の手はずを整え、宿を後にしようとしていた。

 だが、宿の者に出立の声を掛けると、女将は首を大きく横に振る。諸侯の軍が街に迫っている事は、既に市井の者たちにも伝わっていたのだった。


「まあ内輪揉め程度で済むと思うんだけどねぇ……、正直、フィオレンティーナ様でもセレスティーヌ様でも、どちらが女王でもあたしゃ変わらないと思うよ。でも、悪いこと言わないから、落ち着くまで出歩かないで、しばらくはうちに居なよ。宿代はまけとくからさ」


 二人を案じるかのような女将の言葉だったが、それを受けたジェフは眉間に深いしわを刻んでミーナに向かって口を開く。


「本当にエリーさんを放っておくのか?」


 彼の目は真剣そのものだった。そんな少年の視線から目を逸らした少女は、小さなため息をつくと言葉を返した。


「だってエリー自身が、わたしたちを邪魔だって……」

「だから何だよ。それなら邪魔じゃなくて役に立てるようにすればいいじゃないか」

「ジェフ……」


 煮え切らぬ幼馴染を傍目にジェフは荷物を部屋の隅に置くと、愛用の革鎧を身に着け、そして長剣を腰から提げ直す。


「女将さん、また後で荷物取りに来ますから、しばらく預かって下さい」


 そう言い残すと、少年は勢いよく宿を飛び出していった。


「ちょっと坊や!」

「ジェフ!」


 女将の傍らで、残されたミーナは鞄の肩ひもを強く握りしめたまま、立ち尽くしていた。




 都を囲う城壁、その周囲を取り囲むかのように巡らされた堀、そして胸壁の間には大きく口を開けた最新鋭の大砲が十数門設置されていた。

 物々しい雰囲気に包まれた都の住民は皆、家に閉じこもり、まるで嵐が去るのを待つかのように息を潜めている。

 そんな様子の報告を、宮殿内の玉座に座したまま受けたフィオレンティーナは、傍らに立つ妹に声を掛けた。


「セレス、悪いがお前には前線へ赴いてもらう事になるかもしれない」

「ええ、覚悟は出来ているわ」


 若草色の鎧に身を包んだエリーは、報告を終えて戻る兵士の背を見つめたまま言葉を返した。


「敵方も正面からの戦闘は避けたいはずだ。交渉の為の者を送って来るとは思うが、そんな交渉が上手くまとまる確証は無い。そうなれば、奴らが擁立する者が偽者である事を示しつつ、こちらから攻勢を掛ける予定だ。その際にはお前には先陣を切ってもらう事になるかもしれない」

「……ええ」

「怖いか?」


 姉妹の他には、たった二人だけ近衛兵しか居ない、静まり返った玉座の間にフィオレンティーナの声が響く。


「そうじゃないわ。戦いを避ける方法が無いかと考えているだけ……」

「それはあちら次第だ。もっとも、偽者を使って王位を奪おうなどと考えている連中と、まともな交渉が出来るとは思ってはいないがな」


 僅かに震える声のエリーに対し、感情を抑えるかのような淡々とした声色のフィオレンティーナ。姉の言葉が終わると、再びその場には静寂が訪れた。

 だがその静けさは長くは続かなかった。駆け足で玉座に近づく一人の兵士、彼は直ぐ様に片膝をつくと、息も絶え絶えに口を開く。


「連合軍の使者が対話を求めています。人数は五人で、代表はジェラルド卿です!」

「やはり来たか。受け入れを表明しても警戒は怠るな。あたしも直ぐにそっちに向かう」

「はっ!御意に!」


 一度頭を垂れ直した兵士は急ぎ足でその場を後にする。


「恩師との感動の再開だな」

「……」


 姉の嫌味に返す言葉も無く、エリーは瞼を伏せていた。


「まずはあたしが奴と話をする。合図があるまで、お前は身を隠していろ」


 妹の様子など気にも留めないフィオレンティーナは、そう言って玉座から立ち上がった。




「どっか抜け道とか無いもんかね?」


 王宮を囲う塀をきょろきょろと見回していたジェフは、腕組みしたまま呟いた。

 何としてもエリーの元へと馳せ参じたい少年の想いとは裏腹に、見上げる程に高い白亜の壁が彼の行く手を遮っている。


「そんな都合の良い物がそこかしこにあるわけないじゃん」


 すると聞き覚えのある、少女の、何とも人を小ばかにしたような台詞が背後から聞こえた。その声を聞き、ジェフは目を輝かせると口角を上げたまま振り返る。


「やっぱり来てくれたんだな!」

「まあね。ジェフの言う通りだよ。それに、あんな風に言われても、わたしはエリーの事を仲間だと思ってるよ。仲間同士助け合わなきゃ!」


 愛用の鞄は宿に置いて来たのか、腰から投擲用の感応石を入れたポーチだけを提げたミーナは、肩を竦めたが笑顔で答える。


「で、エリーはこっちに居るの? 兵隊さんと一緒に城壁の方に行ってるとかじゃないのかな?」

「いや、あっちには居なかったよ。それに少し確かめたい事があるんだ」


 そう言うとジェフは眼前の壁に目を遣った。


「その為にも、何とかして王宮の中に入りたいんだ」

「よし! じゃあ手伝おう!」


 ミーナは胸を叩くと不敵な笑みを浮かべ、そんな少女の表情を見た少年もその瞳に闘志をたぎらせたかのようであった。




 数人の近衛兵を連れたフィオレンティーナは王宮を離れ城門を目指し歩いていた。

 そして、王宮と城門を結ぶ中間に位置する大きな噴水の近くに差し掛かった頃、兵たちに囲まれて歩みを進める、目深に頭巾を被った人物たちを従えた者の姿が視界に飛び込んで来た。

やがて双方の顔を見て取れるほどの距離まで近づくと、女王は緋色の法衣をはためかせて、その一団に駆け寄った。


「やはり貴様かジェラルド!!」


 一団を率いていると思われる、湖水色の法衣に身を包んだ青年風の男は、フィオレンティーナの怒声を浴びながらも、なんとも涼やかな表情を浮かべていた。

そして、何一つ悪びれもせずに余裕たっぷりな会釈を一度すると、ゆったりとした口調で言葉を返した。


「お久しぶりです陛下、今回の件に関しては心中お察し致します。陛下と諸侯たちの仲裁役としてこの場に馳せ参じた次第ですが、あまり時間が無いので本題に入らせて頂きます。単刀直入に言わせて頂きますが、本日を以って陛下にはご退位して頂く事になりました。もうご存じとは思いますが、行方知れずだったセレスティーヌ様がお戻りになりまして、さらには諸侯の三分の二がセレスティーヌ様のご即位に賛成しております」

「何を戯けた事を! そこまで言うのならセレス本人を連れてくるのだな!」


 今にも飛び掛かりそうなフィオレンティーナ相手に、かつての宮廷術士長は顔色一つ変えずに言葉を続けた。


「そう仰ると思って、もちろん殿下をお連れしております」


 かつての師と姉のやり取りを物陰から見守るエリーは、息を潜めたままにその会話の行方を注意深く聞いていた。

 ジェラルドに頭巾を取るようにと促された、女性と思しき小柄な人物はおもむろに頭巾に手を掛ける。そこには数日前にエリーたちと別れたシルヴィの姿があった。

 けれどもその顔には表情が無いかの様で、顔色は土気色、ともすれば死人のような色を呈しており、瞳も焦点が合わないかのように虚空を見つめていた。


「六年ぶりの再会ですね。抱き合って感慨に耽って頂く時間くらいはありますよ」


 まるで自身の勝利を確信するかのようなジェラルドだったが、彼がセレスティーヌと呼ぶその人物を見たフィオレンティーナは、一目その姿を見るや否や、辺りに響く様な高笑いを始めた。


「ハハハハッ! なかなか面白い冗談だ! 確かに、どことなくあいつに雰囲気は似ているが、どこの誰だか分からん小娘をセレスと称して、即位させようと連れてくるとはな!」


 だがジェラルドは表情を崩すことなく彼女の言葉に反論する。


「では私の傍らに居る女性がセレスティーヌ様で無い事を証明して頂きたい。かつて殿下が御幼少の頃から、その傍らで仕えさせて頂いていた私の言葉を認めないというのであれば尚の事です。出来ないのであれば陛下の振る舞いは、臣下や諸侯、そして民の目には、民意になど耳も貸さずに退位を拒み、駄々を捏ねる我儘な女王と写るでしょう」


 とんだ屁理屈を言い出すジェラルドではあったものの、その言葉によって、エリーは既に反乱を起こした者たちが穏便に事を進める気など無い事を認識することとなった。

 またそれはフィオレンティーナも同様だった。それと同時にこの瞬間、彼女は妹が自身の助けとなるべく、放浪の旅から戻ったことに深い感謝の念を抱いた。


「そうか、ならばその小娘がセレスでは無い事を証明すれば良いのだな?」


 不敵な笑みを浮かべた女王は、さらにその表情を勝ち誇った物へと変えていく。


「セレス! 出番だぞ!」


 フィオレンティーナの合図を聞いたエリーは、物陰からゆっくりとその姿を現す。

 あの夜、半狂乱になり逃げだした少女は、再び王族としての責務を果たすべく、凛々しい鎧姿を皆の前に披露した。


「セレス……ティーヌ……!」


 これにはさしものジェラルドも顔を引きつらせた。こぼれるかのように口にした姫の名、それは彼自身が敗北を認めた証ともいえる言葉だった。


「見ての通りだ。さあジェラルド、容姿が似ているだけの小娘をセレスと偽らせ、王位を奪わんとした狼藉に対してどう弁明する?」


 見ものだと言わんばかりにほくそ笑むフィオレンティーナだったが、次の瞬間にジェラルドのとった行動は、彼女の予想には無いものだった。

 彼はエリー、つまりはセレスティーヌの前に膝まづくと顔を上げ、彼女の瞳を見つめながら懇願するかのように口を開いた。


「セレスティーヌ様、よくぞご無事に戻られました。ですが今この様な事を話している時間はありません。私どもは、確かにセレスティーヌ様の偽者を仕立て上げ、陛下に退位を迫りましたが、これは民の為、国の為を思っての事だったのです」


 師の言葉を受けたエリーは不意に表情を曇らせるが、それがこの期に及んでの聞き苦しい彼の言い訳への嫌悪なのか、それとも別のものに因るものなのかは、彼女自身も分からなかった。


「セレス! 聞く耳を持つな! そいつは二枚舌の卑怯者なんだぞ!」

「先生……それはどういう事でしょうか?」


 フィオレンティーナは怒声を上げたが、エリーはそんな彼女を無視するかのように言葉を返した。


「私のような者の言葉に耳を傾けて頂けるご慈愛に感謝いたします。では話の続きですが、フィオレンティーナ様は即位後すぐから国内の改革に動かれました。それは産業や軍事の面だけでなく、政治に関しても隣国グレンフェルから学び、模倣するというものでした。確かに陛下の政策によって、近年の経済難に光明が見えた事は確かでした。しかしながら陛下は事もあろうに国のかじ取りを国民自身にさせ、君主すらも国民の中から選出させるという、つまりは完全な共和制への移行を提案しました。ですが民というものは往々にして近視的な物の見方をするもので、短絡的に利益を得ようとするものです。そんな民に政治を押し付けるというのは、王侯貴族としての責務を放棄し、亡国への道を歩む事にほかなりません。そこで諸侯たちは陛下のご意向に従う事よりも、民を守るために立ち上がったという事です」


 ともすれば演説のようなジェラルドの言葉の後、フィオレンティーナは鼻で笑ったものの、エリーはといえば対照的に、眉間に深いしわを刻むと視線を逸らした。

 その様子に、王女の師はここぞとばかりに言葉を続けていく。


「どうか私たちをお救い下さい。今この場で陛下を御説得した後に、私と共に諸侯たちの元へ赴き、アルサーナの新たな時代を築く為にも、我々をお導き下さい」


 要約すれば、このままフィオレンティーナを退位させて、自身の王位継承権を主張しろという彼の訴えに、エリーは直ぐ様に返事をする事は無かった。

 ジェラルドの言う通り、自分が即位すれば、その女王としての権力を以って姉の身の安全を保障する事は容易い。何よりも眼前に迫る闘争を回避するならば、王侯貴族の手足となり戦う兵たちの、つまりは何の決定権を持つ事の無い民たちの命を無駄に散らす事を避けられる事もはっきりと分かっていた。


「もちろん、陛下の、フィオレンティーナ様の今後に関してはセレスティーヌ様の一存にお任せします。諸侯との折衝に関しては、このジェラルドが粉骨砕身で必ずや丸く収める事もお約束いたします」

「でも……、私は……」


 いつに無い、苦悶の表情を浮かべるエリーに、ジェラルドは言葉の嵐を浴びせ続ける。


「私の言葉を信じて頂けない気持ちは重々承知の上です。そして、それとともに、あの夜の私の軽薄な言動を謝罪したいのです。かつて私はアンジェリーヌ様へ淡い恋心を抱いておりました。そしてあの時、美しく成長なされたセレスティーヌ様を前に抱いてはいけない劣情を抱いてしまいました。あのような下卑た言動をした男の言う事など信じられないと言いたいのでしょう。ですから私の事など、卑しく矮小で唾棄すべき存在として見て頂いて結構です。しかし、我々がこのアルサーナの為に命を掛けて蜂起した事実に関してだけはどうか信じて頂きたいのです……」


 まくし立てるかのように言葉を終えると、彼は銀縁眼鏡を外すと、何ともわざとらしく目頭を押さえる。

 けれども、その様子を見たエリーは眉を八の字に、それは同情にも似た悲し気な表情でジェラルドへ歩み寄ろうとする。


「セレス! 目を覚ませ!」


 フィオレンティーナは激昂し、二人の間に割って入ろうとした時だった。不意に一団に投げ掛けられる声が、市民の居なくなった広場に響く。


「その人の言葉は大嘘だよ!」

「女の子を騙すなんて、なかなかに卑劣な色男じゃねーか!」


 言葉の主、ミーナとジェフの方をその場に居た全員が見遣った。

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