第二十五話 野望

 フィオレンティーナとエリー、兵たちと長衣の一団、そしてジェラルド。皆々の注目が集まる中、少女が手にした鈍色の箱を開けると、そこには血のような赤色の宝玉が姿を現す。


「これさ、話に聞いてた王妃様の魂を入れた感応石だよね?」

「お前! それは母様の……!」


 思わず女王は声を上げるが、それを制するかのようにミーナは言葉を続ける。


「これ、偽物だよ。残念だけど王妃様の魂は入ってないよ」

「な、何を……! 口から出まかせを言うんじゃない!」

「出まかせ言ってるのはあんたの方だろ? 俺たちは本物の魂を込めた感応石を見た事があるんだ」


 口調を荒げるジェラルドを傍目に二人はエリーに近づくと、おもむろに深紅の宝玉を彼女の手に握らせる。


「本当に魂の納められた感応石なら、孤独な魂は必ず語り掛けられた声に応えてくれる。でもここに在るのは悲痛な思いと、それを思い起こさせる心象だけ」


 ミーナはどこか物悲し気な微笑みを浮かべて話を続ける。


「さあ、真実を、お母さんの魂はもうここには無いの。還るべき場所に還ったはず。だから……


 促されたエリーは少女の言葉に従い、瞼を閉じるとゆっくりと意識を宝玉に向ける。

 彼女の脳裏に浮かぶはあの日の惨劇。そして母の苦痛に満ちた、助けを求める言葉。


――お母様!


 だが、その声に応えるように語り掛けた王妹の叫びは霧散するかのように、彼女の心の中にだけ残響を残し、やがて消える。

 そして繰り返される心象、助けを求める言葉。少女の言葉通り、そこに母の魂は無く、持つものに苦しみと悲しみを感じさせる何かが込められているだけだった。


「……ありがとう、目が覚めたわ」


 ぽつりとエリーは謝辞を――それは少女に対してだったのか――呟くと、全てを察したかのように瞼を上げる。

そして姫は先ほどまでの苦悶とも取れる表情から一転し、凛とした顔つきになると、かつての師の顔を睨むかのように見据えてこう言った。


「ジェラルド・アルフォン・ガルニエ、貴方のように自身の保身の為ならば人を欺き騙し、傷つけるような者に肩入れする気はありません。この場にて大人しくその両手に枷を受け、厳正なる裁きを受ける事を命じます」


 言葉を言い終えると、エリーは腰に差した剣を抜き、その切っ先をジェラルドの眼前へと向けた。


「フ、フフフ……」

「何がおかしいってんだよ! この詐欺師が!」


 ジェフは、自身が想いを寄せる娘の恋心を弄んだ男に罵声を浴びせたが、それでもジェラルドは笑う事をやめなかった。


「何がおかしいって、あまりにも滑稽だからですよ。十二年もの間、その石ころを後生大事に母親が蘇る鍵だと思いすがり、こんな非常事態にようやくそれが偽物である事に気付いたと思えば、まるでおとぎ話の勇者気取りの台詞を吐いている事がね」


 そう言うとジェラルドが一度指を鳴らす。

すると彼の傍らに立っていた、偽の姫に仕立て上げられていた娘は、まるで糸の切れた操り人形の如く崩れ落ちる。


「あっ!」


 石畳に音も無く倒れ込むシルヴィ。思わずミーナは駆け寄ると、彼女の身を抱き起した。


「ちょっと! どうしたの!?」


 手に伝わる、体温を失った肌の感触に少女は困惑の声を上げると、恐る恐る彼女の呼吸を確かめる。

 だが嫌な予感は的中した。


「息をしてないよ! 死んでる!?」


 真っ青な顔でエリーの方を向いたミーナは、シルヴィの亡骸を抱えたまま呆然としていた。


「その娘はあまりにも活きが良すぎたので、一度死んでもらってから役に立ってもらっていたのです。私ほどの術士になると、骸を操って腹話術のような事も出来るのですよ」


 そんな少女の傍らで、あまりにも非道な台詞を吐いたジェラルドは、今までの慇懃無礼な口調を改め、自らの狂気を誇示するかのように語り始めた。


「もはや王位如何など、どうでも良い。そもそも私の望みは術を極め、魂を操る事で生命や世界そのものを創り、治める事。その為には膨大な研究と実験、そして王家の、アルサーナの秘術を手に入れる事が必要だと考えた」


 狂気に憑りつかれた術士は語りを続けながらも、おもむろに歩みを広場の中央へと向けた。静まり返った広場の中央では、術の力で動く噴水がそれこそ平時と変わらずに、春の陽光にそのしぶきを煌めかせている。


「様々な文献や伝承から、王家の秘術が魂に関わるものである事は推測出来たが、やはりそのものに触れねば意味がない。そこで私は様々な方法で秘術を手にしようと試みた。もっともフィオレンティーナ、貴女があの時の約束を守ってさえいればこのような事にはならなかったのだが」

「だからなんだと言うんだ? この場で捕らえられ、裁かれる罪人が何を喚こうが知った事ではない!」


 取り囲む女王とその兵たち。誰の目にもジェラルドの敗北は明らかだった。


「それともう一つ伝えておこう。定刻までに私とその娘、確かシルヴィとか言ったな、が戻らなければ、諸侯の軍は総攻撃を仕掛ける事になっている。要するに交渉決裂と受け取るわけだ。王都を簡単に攻め落とせるとは思ってはいないが、双方ともに甚大な死者が出る事に間違いは無いだろう。それとも感情に任せて、唯一の仲介役に成り得るこの私を、ここで殺すとでもいうのか?」


 様々に策を張り巡らせるジェラルドは、未だに自身の敗北を認めないかのように言葉を返した。

 けれども、多勢に無勢。彼の従者の、長衣を纏った護衛と思しき残りの三人には、女王の近衛兵たちが槍の刃先を向けており、何か不穏な動きをすれば即座に串刺しに出来る体制を取っていた。


「ならばその定刻までにお前の首を持って、セレスと共に諸侯の元に向かおうではないか! 奴らとて、本物のセレスの姿と無残に息絶えた貴様の骸を見れば意気消沈し、許しを乞い、再び王国に忠誠を誓うだろうからな!」


 女王の怒鳴り声が響くと、エリーとジェフは剣を構え、兵たちも同じく臨戦態勢を取る。


「……では仕方あるまい。この様に美しい場所に血の雨が降るのは甚だ残念だ!」


 何かやってくる――そう感じたフィオレンティーナは彼の言葉が終わる瞬間、兵たちの中でも術に長けた数人に号令を出した。


「殺ってしまえ!」


 それと同時にジェラルドが指を鳴らした瞬間、兵たちが掲げた手の平から複数の大火球が放たれる。


「す、すげえ!」


 火球の炸裂音とその火力にジェフが驚きの声を上げたが、次の瞬間、彼らの背後、既に半ば拘束されていたジェラルドの護衛たちの居る方から悲鳴が聞こえた。

 皆は驚き、その叫びの方を見ると無残にも体の半分を失った兵士と、その傍らに立つ禍々しい外見の化け物三体の姿をその瞳に映した。


「な、なんだ、あの怪物は!?」

「やっぱり先生が……!!」


 その外見はかつて戦った二足歩行のドラゴンに酷似していながらも、その姿はどちらかと言えば人間の形を強く残していた。


「セレスティーヌ、貴女はもう知っているかもしれないが、そこに居る無知な女王の為に説明しよう」


 再度ジェラルドの居た方、未だ業火の燃え盛る方を向くと、彼は平然とその炎の中から歩みを進めてこちらへやって来た。その身体の周囲は煌めく霧に覆われ、それが彼をあの凄まじい火術から守った事は明白だった。


「その怪物どもは、人間の身体にドラゴンの魂の一部を封じた感応石を埋め込む事で、必要に応じてその力を取り出させて肉体を変化出来る能力を与えた、いわば竜人とでも言える存在だ。ちなみにあの関所で貴女たちが戦ったのは、所謂失敗作だ。あれはあまりにも知性と自我が壊れ過ぎていて、大した戦闘力を有さなかったので廃棄する予定だったが、愚かな部下が私腹を肥やそうと、辺境の地で横流ししようとしたものだな」


 竜人と呼ばれた存在の周りには、既に息絶えた思しき兵士たちが横たわっていた。残る兵は数人で、女王たちは前後を挟まれる形となった。


「ミーナ! 早くこっちに!」


 エリーは視線を師の方から逸らさずに叫んだ。少し離れた場所で未だにシルヴィを抱えていた少女は、唇を噛みながら彼女の身体をそっと地面へと横たえ、仲間の傍へと駆け寄った。


「では最後にもう一度問おう、私にアルサーナの秘術を授ける気は無いか、と。そうすれば諸侯を説得し、無駄な血を流す事無くこの争いを終結させる事が出来る。秘術さえ手に入れば、もはや王位などには興味は無い。人智を超えた至高者として、私がこの世界を治めるべく君臨しようではないか」


 にじり寄るジェラルドと配下の竜人。形勢は一瞬で逆転し、窮地に立たされたエリーたちに最後通告が突きつけられる。これには居丈高なフィオレンティーナも思わず妹や兵たち、そしてミーナとジェフの顔を見回した。

 けれども、恐れの色こそ浮かんでも、誰一人として降伏の仕草や諦めの表情を浮かべる者は居なかった。

皆の表情に勇気づけられたのか、女王は一度大きく息を吐くと、ジェラルドの双眸を指をさしながら、戦いの意思を声高く叫んだ。


「断る! 貴様の魂胆が分かった以上、この身が灰になろうとも貴様を倒す!」

「ならば姉妹ともども、両親の後を追うが良い!」


 竜人たちは彼の声に押し出されるかのように、王国を守る者たちを屠るべく間合いを詰め始めた。

 そして、ジェラルド自身も歪な野望の成就の為に彼女たちに牙を向いた。

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