第19話:街へ出よう3

「これが……街?」

 優里は目の前の通りを呆然と眺めた。車二台は通れそうな大きな道に人が溢れている。

 両側には店があるようで賑やかな声が聞こえてきた。

 自分が知っている町とは何もかもが違う。

 まず道がまっすぐに舗装されているだけでもすごいのに、建物が道に沿って隙間なく整列して、十字路のところで横に長い通りと交差し、さらに続いている。圧巻の眺めだ。

 ここまで来る間に民家が並んでいる住宅地というところは通ってきたがそれとは密集度が違う。

「ここはシルル市という街の一部で、商店街といいます。様々な商店が並び、人が買い物にくるんです。服、アクセサリー、雑貨、医薬品、食品、嗜好品……大体のものはここで買えますよ。順番に見て回りましょうか?」

「は、はい」

 改めて行き交う人々を見る。ここにいる人たちは周辺の住宅地から来たのだろうか。これだけ人の流れがあれば誰かが他人に気を止めるということは少なそうだが……優里の頭に浮かぶのはすれ違う人からの何気ない罵詈雑言だ。

 その上こんなに人がいれば息が詰まりそうで行くのを躊躇う。

「大丈夫ですか? やはり……」

 その時、優里の目に幼い少女が母親らしき女性と手を繋ぐ様子が目に入った。

「はぐれないようにね」という女性の言葉に元気よく返事をしている。

 それを見て、温かいものがこみ上げてくるような……微笑ましいような気持ちになり、同時にこれだと思った。

「あの……手を、握っていただけませんか?」

 人混みを恐れる前に、このままでは人に流されて奏人とはぐれてしまうような気がする。だから手を差し出すと、奏人は暫し黙った後、

「これははぐれないための処置……ですよね」

 と確認をとるようなことを呟いて優里の手を取った。大きな手から温かい体温が伝わってきてなんだか嬉しくなる。

 勿論、優里は記憶にある限り人と手を繋ぐのは初めてだ。


「では、こちらです」

 まずは左側の通りから、順番に商店街巡りがはじまった。

 一番手前にはお菓子屋。それから服屋が続き、アクセサリーショップや雑貨屋もところどころに並んでいる。どの店もそれぞれ独特な雰囲気を持ち、優里が来ている可愛らしい服を売っている店もあれば、原色ばかりを使った派手な服を売っている店もある。パンク系というらしく、何故か絢音なら合いそうだと思った。他にも詩織に似合いそうな清楚な服が並ぶ店があったり、男性向けの服屋もある。偶然奏人が来ているパーカーと同じものが売られている店も見つけたため、彼はここで服を買っているのかもしれないと思った。

 他にも掃除道具を始め何に使うか分からない日用品までが売られている雑貨店があったり、多様な薬が売られている店もある。優里の知っている薬屋というのはもっと怪しげな雰囲気を持つ暗い店舗だったため、それが薬屋と分かるまで時間がかかった。

 それにしても……見たことのない様々なモノで溢れていて目が回りそうだ……優里がそう思っているとなんだか甘い香りが漂ってきた。

「この匂いは……」

 詩織が用意してくれるクッキーやケーキの匂いともまた違う。もっと蕩けるような濃厚な香りだ。

「ああ、クレープですね」

「クレープ?」

「はい。生地……えっとパンを薄くしたようなものに生クリームを乗せ、そこに果物やチョコなど好きなものをトッピングして丸めれば完成です。ほら」

  ピンク色の看板を掲げた店の前にはいくつもの写真が並んでいる。薄黄色の生地の上には生クリームと果実のようなものが並べられ、イチゴ、バナナ、ブルーベリーなど名称も添えられていた。優里の知らない果物の名前もある。

「食べますか?」

「いいんですか……でも」

「街の食べ物を味わうのもまた学習の一環です」

 鉄板の上で生地を焼いている店主と目が合う。食べてみたい……そう思って奏人の目を見る。

「あの、お金は」

「学習ということで、イーストプレイン家の財布から出しましょう」

 もし奏人が出すというなら断ろうと思ったことも見抜かれてしまったのかもしれない。

「では、おすすめはなんですか?」

「んー、俺なら……ブルーベリーですかね」

 ブルーベリー……看板の文字を読む限り、それは紫色の小粒の果実がいくつも乗ったクレープのことなのだろう。優里はもう一度看板を確認すると店の前へ行き、

「ブルーベリーとイチゴを一つずつください」

 と、注文をした。

「……え」

 優里に手を引かれ店の前まで来た奏人は困惑するも、店主に値段を告げられれば逆らえない。仕方がなくその金額を払い、呆然と職人の作業を眺める。

 生地を薄く円状に敷いて、鉄板の上で鉄製のヘラを使いながら綺麗にひっくり返す。次にまな板の上に乗せて生クリームを絞り、果実を丁寧に乗せてからくるくると丸めていく。それをさらに薄い紙で巻き、上部には乗せられる限りの果実を存分に乗せれば完成。薄く焼かれた香ばしい生地の匂いと果実の甘酸っぱい香りが食欲をそそる。優里は受け取ったクレープを見つめてうっとりとした後、

「ありがとうございます、大事に食べますね」

 と店主に頭を下げた。

「おう、後ろの彼氏さんと仲良く食べな」

「彼氏……?」

「行きましょう」

 奏人は優里からブルーベリーのクレープを受け取ると、彼女の手を引いて店が途切れる十字路の曲がり角辺りまで強引に進んだ。

 優里には奏人が慌てている理由が分からない。

 彼氏という言葉は男性の恋人という意味だっただろうか。であれば自分たちは違うのだから慌てる必要もないはずだが。

 それよりも、目の前のクレープについつい目が惹かれる。

「奏人さん、もう食べてもいいでしょうか?」

「ええ。どうぞ……というか何故俺の分も?」

「え……と、折角二人で来たのだから一緒に食べたかったのです。ダメでしたか?」

「いえ……嬉しいです」

 自分が食べているのに奏人だけ何も食べられないというのは寂しいし、どうせなら二人で味わいたかった。

 それが叶って優里にとっては満足だ。

 よかった、と呟いてクレープに口を近づけ、まずは先端に乗っているイチゴを口に入れる。

 途端に果実の甘く瑞々しい味が口いっぱいに広がった。

「甘くて……温かくて……幸せな気持ちになりますね」

「ええ、そうですね」

 奏人もクレープを口に入れる。美味しそうなのに少し困り顔なのは何故だろう……もしかしたらまだ申し訳なさでも感じているのだろうか。

 だとしたら、なんとしてもそれを払拭したい。

 そう思った優里は自分のクレープを奏人の方に突き出す。

「あの……奏人さんもイチゴ食べますか?」

「え?」

「甘くてとっても美味しいんです。是非……」

 イチゴを包むホイップクリームもまた美味だ。じっと奏人を見つめていると、彼は溜息を吐いて、

「では、ブルーベリーをどうぞ」

 と、自分のクレープを差し出す。お互いのクレープを交換する形になった。

「お、美味しい……」

 ブルーベリーは初めて食べたが、イチゴとは違う甘酸っぱさがあってこれもクセになりそうだ。

「ブルーベリーって甘酸っぱくて……イチゴと一緒に食べても合いそうですね。みんなで作ってみたいです」 

 前からキッチンには入ってみたかった。夕食はダメだと言われているがお菓子作りなら許されないだろうか。

 そう思っていると奏人は眉を下げて、

「仕方がないですね」

 と、やっと笑ってくれた。


「では、反対側を通りながら帰りましょうか」

 三十分程度かけてゆっくりクレープを堪能してから、今度は先ほど来た道と反対側の通りを歩くことにする。

 こちらはアクセサリーショップなど女性向けの雑貨店が密集していた。

「はい」

 迷わず手を繋いで歩き出せば、目の前に他の店とは違う、明らかに古めかしそうな建物が出てきた。

 とはいえ集落にあったトタン屋根の家よりも十分に造りのしっかりした木造の家屋だったが。

「これは……」

「雑貨屋……でしょうか」

 店頭には様々な色をした石が並んでおり、それを使ったアクセサリーなどもあるようだった。

 優里は一つのアクセサリーに目を止める。青い、光沢のある石を嵌め込んだネックレス。何故かそれから目が離せない。

「あら、それが気になる?」

 奥から店員らしき女性がやってきて、少し屈んで優里に目を合わせる。

 彼女もまた、頭や胸元や腕など身体中に様々なアクセサリーをつけていた。

「うちは綺麗な石を見つけてはアクセサリーにしているんだけど、それも石収集の時に偶然見つけたの。綺麗でしょ? お値段はちょっと高めだけど……お兄さんどう? 彼女にプレゼントということで」

 彼女……というのはおそらく単に女性を指すのではなく女性の恋人の意味を指している気がしたが、優里と奏人はそのような関係ではない。

「いえ、私は……」

 と、優里が訂正しようとしたところを、

「是非、買わせていただきます」

 という奏人の言葉が遮った。

 奏人が何故焦っているのか優里には分からないが、もしかしたら彼は自分が失言をしそうになるのを防いでくれているのかもしれないと思った。

 だから、これに関しては何も言わないでおく。

 値段は見たことのない額ではあったが、おそらくイーストプレイン家の財産からすれば問題ないのだろう。

 奏人が財布から金を出すと、

「おーう、太っ腹」

 と、女性は機嫌よさそうに口笛を吹いた。


「それにしてもどこかで見たことがあるような……」

「あ、奏人さんもそう思いましたか?」

 すぐに袋に入れてもらったネックレスを見つめる。真ん中にはめられた光沢のある青……それはいつか見た景色の一部にあるような気がする。

 しかしそれが何だか思い出せない間にまた問題が発生した。

「おいおいそこの兄ちゃん随分と金持ってるじゃないか」

 と、背後から声がして振り向けば、赤い髪を一つに結んだイカツイ男が自分たちを見つめている。その後ろにも何人か似たような男が立っていた。

「恐喝ですか? 警察を呼びますよ」

 奏人は優里を自分の元に引き寄せながら静かに告げる。優里はじっと男たちを見つめた。怖いとは思わない。奏人は必ず自分を守ってくれると思ったためだ。

 ただ、彼らのことが気になった。

「あの……あなたたちはお金に困っていらっしゃるんですか?」

 イーストプレインは平和な土地だと聞いていたが例外もあるのだろうか。思えば、絢音も金がないためにメイドの仕事を始めたと言っていた。

「そうだ、俺たちみたいな学歴もなく身分も低い人間はなあ、存分に稼げる働き口がないんだ。だから力づくで奪わなければ生きていけねえ」

 学歴……身分……確かに優里も昔はそんなもの一切なく、継母に命じられるままに仕事をして生きるしかなかった。彼らにも他人からものを奪わなければならない事情はあるのだろう。

 だとすれば、単純にそれが悪事だと責めてはいられない。

「雇ってもらえない……なんて、イーストプレインもやはり平等とは程遠いんですね」

「ええ……まあ、彼らは努力不足という側面もあると思いますが」

 優里の言葉に奏人が答える。それが相手を余計に怒らせることだと知りながら。

「努力不足!? 俺たちはこれでも……なあ?」

「そうだ、一生懸命やってきたんだ。けど働いていた仕事場が倒産したり」

「突然クビにされたり」

 気づけば優里たちの周りは人がいなくなり、皆距離をとって彼らのやりとりを眺めている。

「それなら……奏人さん、彼らにお仕事を紹介することはできませんか? 絢音さんだって詩織さんに紹介されて……」

「いいですが……彼らに続ける根性があるかどうか」

「大丈夫です、街中で人にこうして困りごとを告げられる度胸があれば、きっとどこかでやっていけるはずです」

 優里は自分たちに声をかけてきた男たちに向かって改めて微笑む。本当に悪い人間なら会話などせず力づくで暴力を奮ってくる……それが分かっているからこそ余計に恐怖はない。

 一方男たちは優里が微笑むのを見て、顔を引きつらせた。恐喝しにきたのに何故か励まされているのだから無理もない。

 奏人は双方の様子を見て溜息を吐いた後、財布の中から手のひらサイズの紙を取り出す。そこにはイーストプレイン家という名前をはじめ何やら小さな文字が書かれているようで、右下に赤いハンコが押されている。

 彼は鞄からペンを取り出しそこに何かを書き込んだ後、

「お近くの役場にこれをお持ちください。あとで近辺の役場に仕事の斡旋をするよう連絡しておきましょう」

 と、男たちに渡した。

「な……何を言っている……?」

 奏人は優里の肩に手を置くと「作戦を変えます」と囁く。

 それから周囲をぐるりと見た後、

「イーストプレインを統治するイーストプレイン家の一人娘、優里・イーストプレイン様のご慈悲ですから無駄にしないようにしてくださいね」

 と、敢えて声を張り上げて伝えた。

 それに伴い、彼らを囲んでいた野次馬たちもざわつき始める。

「だって、優里・イーストプレインはいなくなったと……」

「ええ、十年前にそのような話が出回りましたね。しかし彼女が亡くなったなどと誰がいいました?」

 奏人は懐からナイフを出すと、慌て出す男たちを他所に自分の腕を軽く切った。みるみるうちに血が出てくる。

「か、奏人さん……何をされているんですか!?」

 奏人が何をしているのか分からず、優里は慌てて彼の腕に触れ……治癒の能力を使った。

 触れるだけで傷を治せる。それが、イーストプレイン家に伝わる能力だ。それくらいは、イーストプレインに住む者なら誰でも知っている。

 優里が触れただけで奏人の傷が治った。それが優里がイーストプレイン家の人間であるという何よりの証拠だった。

「後継争いで一時的に隠しておりましたが、優里・イーストプレイン様は再びこの地に戻ってまいりました。今後もこの街の治安を乱すようでしたらそれなりの対応を取らせていただきますのでご了承ください」

 奏人はそう言って優里の肩を抱いて歩き出そうとするので、優里は慌ててその手から逃れた。

 作戦を変えるというのは、お忍びであることをやめて正体を明かしてしまうということらしい。

 だとすれば……イーストプレイン家の者として言ってみたいことがあった。

「優里お嬢様?」

「あの、奏人さんは厳しく言っていますが、私はイーストプレインに住む方が辛い思いをすることなく幸せに暮らしていただきたいと思っています」

 自分のように辛い思いをする人など今後一人も出て欲しくない。

「だから、困ったことがあったらなんでもおっしゃってください。まだ私は頼りないかもしれませんが……それでも少しでもお力になりたいと思います」

 そう言って一礼すれば皆黙り込んだ後、すぐに拍手が湧き上がった。

「え? あの……」

「皆様優里お嬢様のことを歓迎してくださっているということです。さあ、そろそろいきましょう」

 今度こそ奏人に手を引かれ、優里は街を後にする。

 お忍びで行くという当初の目的は失敗してしまったが、それでも街の人たちに温かく迎えられてよかったと思う。

 少し嬉しくなって奏人を見上げると、何故かまた眉を下げられ溜息を吐かれた。

「奏人さん?」

 どうも今日は困らせてばかりのようだがやはり理由が分からない。

「その……優里お嬢様は本当にお優しい方です。どんな相手にも偏見を持たず正面から向き合える……それが貴女の素晴らしいところだと思っています。けれど、人類皆が分かり合える訳ではありません。元に貴女を殺そうとした人々もいたのです。警戒心というものも少しは覚えて欲しいですね」

「す、すみません」

 どうやらよかれと思ってやったことが裏目に出たらしい……と、俯く。そんな優里の頭を大きな手が撫でた。

「まあそれでも……貴女に迫る危険は必ず俺たちが倒します。ただ本当に無理だけはしないでくださいね」

 見上げれば奏人は随分と優しい顔をしていた。それはまるで儀式の時に見た慈悲深い顔で……彼が本当に優里のことを大事に思っていると……そのことが十分伝わってくる。

「あの、私は何も考えていないわけではありません。あの人たちが暴力を振るうかもしれないことは分かっていました。でも、私の隣には奏人さんがいた……だから、安心して対話しようと思ったんです。だって何かあったら奏人さんが絶対に守ってくださると思ったから……」

 優里は自分を撫でる手とは反対の手を握る。

「でも、いくら私の能力を見せるためだからといって自分の腕を切るなんてことしないでください。お互い無理はダメです」

 優里に見上げられ奏人はふっと息を吐いた。

「そうですね、お互い気を付けましょうか」

 もう、日が傾き始めた。車に乗り込むと、優里は窓の外をぼんやりと眺める。奏人たちに出会い自分の世界は大きく広がっている。けれど本当にこれでいいのだろうか。

 何か長い夢を見ているような気がして怖くもなる。もっと頑張れば……彼らの期待に答えられればこの不安や恐怖もなくなるのか。

 右手で自分の左手をぎゅっと掴むと段々近づいてきた屋敷の姿をぼんやりと見つめた。

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