第20話:ウェストデザートからの医者1

「愛子さんと二人っきりって何気に初めてですね」

 優里は椅子に座ったまま微動だにしない愛子を見つめる。二人分の紅茶と詩織が焼いてくれたクッキー。普段はこれを詩織や奏人と共に食べるのだが今日は二人とも大事な仕事があるといって部屋に篭っている。

 そこで遣わされたのが愛子だった。

 彼女であれば侵入者が来ても優里のことを守れる。だからこその判断だろうか。

 この屋敷に来て以降、舞紗立ちの他に侵入者など来たことはないが。

「あの、詩織さんの焼いてくれたクッキーは本当に美味しいんです。だから、愛子さんも食べてみてください」

「しかし……」

「私は、二人で食べたいんです」

 愛子は殆ど表情を変えることがない。優里にクッキーを勧められても僅かに口を動かすだけ。姿勢も背筋をピンと伸ばしたまま変わらなかった。

「詩織さんや奏人さんも一緒に食べてくださいますよ。大丈夫です」

 優里が必死にお願いすると、やっと愛子はクッキーに手を伸ばす。口に入れて咀嚼しても無表情だったが、やがてぽつりと「美味しい」と漏らした。

「はい、美味しいですよね」

 優里自身昔は殆ど甘いものなど食べられなかったため、すぐに詩織の焼くクッキーの虜になってしまった。ほんのり紅茶の風味もして口の中で柔らかく溶ける。奏人と共に食べた商店街のクレープも美味しかったためまた食べたいが、詩織のクッキーも毎日食べても飽きなかった。

「愛子さんはどうしてこのお仕事についたのですか?」

 絢音や千尋にした質問を、まだ愛子にはしていなかった。尋ねると愛子は俯いて、

「レイクサイド家のしきたりです」

 と言った。

「ああ……えっとサンチェス家がイーストプレイン家に仕えるのと同じようにレイクサイド家も代々用心棒をしているという感じですか?」

「はい。まあ……元々はイーストプレイン家についていたわけではないのですが」

 愛子は言葉を濁すように紅茶に口をつけた。

「では、どこに?」

「サウスポートです。そこで失態を犯して追い出されたところ、遠縁のサンチェス家に拾っていただきました」

 サウスポートは大きな港のあるテイル王国南部にある地域だ。愛子が他の皆とどこか距離を置こうとするのは生まれた土地の違いがあるからか……それとも昔の失態というのがあるからか。

「では、教えてください。愛子さんがいたサウスポートのこと。その……私はまだ全然テイル王国に詳しくないので」


 街へ出たり奏人と共に歴史の勉強をしたことで、王国の全貌はなんとなく分かってきた。

 はるか昔、王が国を五つの土地に分け、そこにそれぞれ龍を住まわせた。その時から土地ごとに違った文化を築き始めたのだ。

 ノースキャニオンはいくつもの小さな集落が生まれ、呪術や昔の風習が根強く残り、人々は常に自然と共存している。文化は発展しておらず電子器機がある家は少ない。モノの質や治安に関してもよくないところは多いようで、ノースキャニオン家の苦労もなんとなく分かる。

 イーストプレインは、大部分の土地が『市』や『町』という区分で分かれており、その区分ごとに管理をしているらしい。多少悪さをする人間はいるものの治安はよく、のどかで平和な生活が続いている。しかしこれといった特徴がなく、地域独自の産業もない。他の地域からの物資の供給がなければいつまでも成長することのない場所でもある。行き過ぎた平和は衰退に繋がるのだと……奏人は青龍の説明も交えながらそう言っていた。

 ウェストデザートは大部分が砂地でできており作物が殆ど育たない。だから人々は砂の入ってこない人口都市を作り上げそこで暮らしているという。発明を司る白龍の元、様々な電子機器の発明に成功しており、電話やテレビ、コンピュータといったテイル王国独自の機械類は全てウェストデザート産だ。

 サウスポートは人と人との繋がりを大事にしており、毎週祭りを開くほどに活気に満ち溢れた場所だという。しかし、その情報だけではどうもサウスポートのことを想像できなかった。


「賑やかな場所です。いつも露店が道に並んでいろいろな商売をしていて。治安はイーストプレインよりも悪いですがサウスポート家の監視体制がしっかりしているので然程問題はないでしょう。大変なのは海が荒れた時くらいで」

「海……ですか」

 優里はまだ海を見たことがなかった。川のもっと大きくて底が見えないようなもの……そう説明されてもピンとこない。

「愛子さんはそこで生まれ育ったのですか?」

「はい。生まれも育ちもサウスポートです」

「でしたら、いつかサウスポートを案内してください」

 優里の教育機関が終わって黒龍のことも解決すればきっと旅行にいくこともできるだろう。その時には愛子も一緒がよかった。

「何故……私なのですか。私はサンチェス家のお二人のようにお話しもうまくありませんし、あるのは出来損ないの体術くらいです。案内なんてとても」

「だって、現地の方の方がきっとその場所のことを知っていると思いますから。それに愛子さんは出来損ないなんかではありません。私のことを守ってくださったじゃないですか」

 優里は愛子の手を取った。どうか目を逸らさずこちらを見て欲しいのに、それが伝わらないのがもどかしい。

「人間誰しも失敗はあります。私もお皿を手から落として割ってしまい三日間食事を禁じられました。でも、こうして生きていられていますし……愛子さんだって場所は違えどまた用心棒のお仕事をしています。それならえっと……挽回のチャンスはあるのかな、と」

 また昔の話をしてしまい、なんとか話を逸らす。

「私はあまりご迷惑をかけたくはありませんが、まだまだ頼りない主人……だと思いますから、これからも一緒にいて欲しいです。愛子さんは私を守ってくれた大切な人ですから」

 サウスポートの話をしたことはなんだか失敗だった気がして、とにかく思いの丈を伝える。すると愛子は顔を上げて優里のことを見つめた。

「一緒に……いて、いいのですか?」

「はい。一緒にご飯を食べたり、街へ出かけたり、こうしてお茶をしたり……いろんなことをしたいです」

 優里にとっては初めてできた仲間の一人。できればこれからも仲良くしたかった。その思いを伝えると、愛子はずっと固まっていた表情を僅かに崩し、

「優里お嬢様は変わっていますね」

 と、微笑む。

「……千尋さんや舞紗さんにも同じことを言われました。やはりまだお嬢様らしくないのでしょうか」

「いえ、優里お嬢様はそのままでいいと思います」

 少しだけ愛子との距離が縮まった気がして優里は肩の力を抜く。この調子で絢音や千尋とも一緒におやつを食べれるような仲になりたかった。


「あれ……」

 ふと、窓の外から何か大きな音が聞こえてきた。雷の音……とはまた違う大きな音。それは空の上の方から聞こえてくるような気がして窓から身を乗り出す。

「危険です、優里お嬢様」

 しかし、すぐに愛子に引き剥がされてしまった。

「あれは一体……」

 音はどんどん近づいてくる。けれど警報が鳴る様子はない。

 代わりに愛子のポケットから電子音がした。

「はい……分かりました」

 ポケットから素早く携帯電話を取り出し短い返事だけ放った愛子は、優里の動きを制す力を弱めた。

「お客様……のようです。ウェストデザートからの」

「ウェストデザートから……?」

 上空から車と同じサイズの巨大な機械が降りてくる。頭や長い尻尾のような部分の先に回転する羽のようなものがついており、そのままゆっくりと庭に着地した。

「あれは?」

「ヘリコプター、空を飛ぶことのできる機体です。詩織さんに呼ばれたため応接室に行きましょう」

「は、はい」

 愛子に続いて廊下に出る。イーストプレインの反対側にある西の土地から、一体どんな客人が来たのだろうか。

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