第18話:街へ出よう2

「さて、では定例会議を行いたいと思います」

 詩織は応接間の机の上に紙の束を置いた。机を挟んで座るのは絢音と千尋。

 参加人数はたった三人の定例会議である。

「これ、する必要あるのか?」

 と、絢音が突っ込む。わざわざ応接間まで使って改まる必要を感じない。

「まあ……もう少し使用人がいた時には情報共有が必要だったのだけど……今は大半が伯爵たちについていってしまっているから」

「じゃああまり意味がないんですね」

「いいえ……今は優里ちゃんも大事な時期だし、銀髪の女性のことだって気になるわ。伯爵の仕事も一部千尋くんにやってもらっているし……まずはそこから聞いておきましょうか」

「はい、喜んで」

 詩織の言葉に千尋は微笑み、待っていましたとばかりに資料を広げる。

「いやお前も準備万端なのかよ」

 という絢音のツッコミは無視だ。意味がないと言ったのは一体何だったのか。


「僕はみなさんがノースキャニオンに出かけている間、地域管理システムを使って街の情報を絶えず収集していました。その結果特に大きな問題は見られず、今回優里お嬢様たちが向かうシルル市も安全だと判断しました」

「ありがとう、千尋くん」

 千尋が出した資料にはいくつものグラフが記されており、絢音は首を傾げる。簡単な文字しか読めない絢音にとってこういった資料は天敵だ。

 そう思い、年下の千尋に負けていることに気付いてショックを受けた。

 同じ時期に働き始めたのに格差がありすぎる。

「じゃあ絢音ちゃんには私たちがノースキャニオンに行って得た情報を千尋くんに共有してもらいましょうか」

「……は、はい」

 項垂れていると、急に詩織に指名された。

 これは詩織に試されていると考えていいだろう。彼女からの視線がそれを物語っている。

 帰りの車の中でおさらいとばかりに全て聞いたのでちゃんと理解できているか示さなければならない。

 絢音は姿勢を正すと千尋を睨むように見つめた。

「えーっと、優里お嬢様に黒龍が降ろされたのは偶然じゃないということが分かった。十年前、優里お嬢様の叔母さんを操った銀髪の女性が優里お嬢様をノースキャニオンの辺鄙な集落に連れて行き、こいつはイーストプレインのお嬢様だから黒龍が暴れたら人柱として使うようにって言って……実際に十年後、その集落の長老が優里お嬢様を利用した。黒龍が暴れたのはノースキャニオン家が……えーっと、近代システムを導入できなかったり後継問題があったりして民を十分に監視できていなくて、森林伐採とかが行われていたから、らしい」

 これで合っているかと詩織の顔を伺えば彼女はにこりと微笑んでいる。ならば千尋にも伝わったのだろうかと横を見れば千尋は呆然としていた。

「千尋?」

「いや……裏にそんな計画的なものがあったなんてなんだか恐ろしいですね……」

  どうやら話の内容に驚いているようで、絢音の説明は無事伝わったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

「で、銀髪の女性って誰ですか?」

「優里ちゃんを集落に連れてきたのは銀髪で赤い瞳の女性だって言うの……今のところノースキャニオン家やイーストプレイン家では心当たりがないけれど……探っていく必要はあるわ。ウェストデザートやサウスポートにも連絡はとっているし……有益な情報が見つかるといいけど」

 彼女が見つかれば優里の中に入り込んでしまった黒龍を取り出す方法が分かるという確信はないが、それでも有益な情報が得られると信じたかった。

「なるほど……僕のお父さんにも聞いてみますね」

「千尋の父さんって何をやっている人なんだ?」

「テイル王国国内外交官です。イーストプレインは食品や嗜好品、電子機器や娯楽の多くを他の地域から輸入しているので、変なものや変な人が入ってこないか監視しているんですよ。だからイーストプレイン伯爵とも面識がありました」

「へえ……すげえなあ……アタシの家とは天と地の差だ」

 千尋の言葉に絢音は遠い目をして相槌を打つ。

「絢音さんのご家庭は?」

「あ、アタシの家は……父さんは昔、死んだ。母さんはずっと内職してたんだけどお金もなくて……アタシは頭も悪いしスリとか恐喝まがいの行為に加担していたりいて……そんな時詩織さんに出会ったんだ」

 絢音は他の皆とは違い名字すら持たない貧乏な家の娘だった。

 父親の記憶はほとんど残っていない。気づけば母と二人きりで、母を支えるために犯罪に手を出していた。詩織との出会いも今考えれば酷いものだ。

「この子私から財布をスろうとするんだもの。きちんと制裁を与えてあげたけど」

 いつも通り道を行く人から財布を取ろうとして、偶然街を歩いていた詩織の懐に手を伸ばした。

 幸いにも反射神経は良く、スリの経験も積んでいる。美人でおとなしそうな女性相手なら今回も問題なく取れるだろう……そう思ったところ、突然腕を弾かれたのだ。

 一切絢音の方を見ていないにも関わらず見事な手刀だった。

「そのまま物陰に連れて行かれて、今までのことを根掘り葉掘り聞かれて……で、最後にメイドにならないかって勧誘を受けた」

 その間詩織は殆ど表情を崩さず絢音を勧誘してきたのだから恐ろしかった。それがあって絢音は未だに詩織に逆らうことができない。

「お家のために一生懸命なのは伝わってきたし、何より可愛かったから。もしあなたが私の眼鏡に敵わないダメ人間だったら普通に警察に突きつけていたわ」

「う……っ」

 絢音は本当に、詩織に拾ってもらえて幸運だった。それ以外の展開は考えたくもない。

「それに比べサンチェス家のお二人はすごいですよね。流石幼少から教育されているというべきか」

「そうねえ……私も奏人も幼少期からお父様に使用人とはなんたるべきかをきっちりと教わったからね。一般業務の他にも、主人の隣に並んでも恥ずかしくないよう教育を受けたわ」

「ノースキャニオンに行った時、ふたりともすごかったもんな……」

 絢音は昨日のことを思いだす。二人とも雰囲気が凛としておりいつもの面影がなかった。勿論優里も気を引き締めているようだったが、二人がいるからこそ余計に優里が気高く見えたようにも思える。

「そういえば今日も優里お嬢様には奏人さんがついていってますけど、そういうのって同性の詩織さんがついていったりしないんですか?」

 千尋が首を傾げる。優里の身辺管理を行うのは詩織の仕事で、彼女の一挙一同の指導まで行っている。けれど優里の最も近くにいるのは奏人の方だ。

「ええ。だってもし優里ちゃんが誰かに見つかって追われた時、私じゃあの子を抱えて逃げることはできないもの。発作を起こした時の介抱だって力が強い方がしやすいし、悔しいけどそういうことを踏まえると奏人に任せざるを得ないことは多いのよね」

 もしもの時を考えると奏人が側にいた方が安全なのだろう。詩織もそれが分かっているからこそ一歩引いているようだ。

「じゃあ僕が大きくなったら奏人さんの代わりに優里お嬢様の側にいることができるかもしれませんね」

「ふん、一体何年後になることだか」

「何が言いたいんですか絢音さん?」

「別に。奏人さんみたいになろうってのは百年早いって話だよ」

「だったら絢音さんは詩織さんみたいになるために千年はかかりますね」

 千尋の言葉に絢音が突っかかるとすかさず応戦されるからキリがない。詩織はそんな二人を微笑ましそうに眺めた。

「ああでも千尋くんは……そうね、奏人がそう簡単には近づけてくれないのじゃないかしら」

「え? 奏人さんが?」

「ええ……だってあの子の独占欲は……強いもの」

「独占欲って……」

 執事にそんなものがあるのだろうかと思いたいが、絢音にもなんとなく詩織の言いたいことは分かった。

 彼からはたまに優里に対する変な執着心みたいなものが見える気がする。

「だって十年前からずっと探し求めていた主人が帰ってきたのよ? でも彼女はまだ狙われているかもしれない、もう絶対に離したくはない……それは確かな独占欲のはず」

「もしかして奏人さんって……」

 優里のことが好きなのか、と絢音と千尋は目を合わせる。確かに奏人の優里に対する距離はいつも異様に近いような気がするが。

「いえ……少なくとも本人に自覚はないと思うけれど。今あの子の中にあるのは優里ちゃんを守らなきゃって気持ちだろうし。なんなら私の方がいっぱい愛情表現できるのに」

 詩織は詩織で気持ちは重そうだ。

「さ、もう会議は終わったし今日もきっちり掃除をするわよ。大丈夫かしら?」

「勿論です」

 絢音は勢いよく立ち上がる。自分にできるのは掃除かバールのようなものを振り回すことくらいだ。であればできることを全力でやるしかない。それくらいしか、自分が優里に返せるものはないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る