第17話:街へ出よう1

「テレビ……で電話ができるんですね」

「はい、こちらはテレビではなくコンピュータ。テレビのように映像を受信するだけでなく相互での情報やりとりが可能で、映像を映しながら電話をすることができます」

 優里は机に置かれたコンピュータというものをまじまじと見つめた。長老の家で見たテレビと画面の大きさは似ているが、機械自体はもっと薄く、そして折り畳み式のようだ。

 奏人がコンピュータについているいくつものスイッチをカタカタと押していく。すると画面が変わり鏡のように優里の顔を映した。

「これは……」

「この上部についている丸いものがカメラです。ここに映った情報やマイクを通した声が相手に送られます」

 優里はカメラと呼ばれた部分に手を触れる。すると画面に映っていたものも指で隠れてしまった。

「では……私の両親の映像や声も同じようにしてこちらに送られてくる……みたいな感じですか」

「ええ、流石優里お嬢様」

 奏人はいつものようにさらりと優里を褒め、それからまたカタカタと器用にスイッチのようなものを叩いた。

「カメラは正常に働いていますね。では、このまま暫しお待ちを……」


 僅かに開けてある窓から、朝の澄んだ空気が入り込む。

 今から優里は十年間離れていた自分の両親に会おうとしていた。

 やはり貴族であるからには厳格な人たちなのか、それとも奏人たちのように温和な人たちか。

 高鳴る胸を押さえ込んで画面を見つめること一分程度、急に画面が代わって、そこに二人の男女の姿が映った。

 五十歳ほどの垂れ目の男性と彼に寄り添う年齢不詳の美しい女性。男性の水色の瞳、そして女性が一つに結いだブロンドの髪は優里に似ている。

「伯爵、奥様、こちらが優里・イーストプレイン様です。経緯は全てお話の通り」

 やはりこの二人が優里の両親らしい。一瞬緊張で固まってしまい、それから口を開いた。

「はじめまして……ではなく、お久しぶりです……優里・イーストプレインです」

 優里は彼らを初めて見たように思うが、五歳までは彼らの元にいたのだろう。

 男性は少し悲しそうな顔をして、

「やはり覚えていないんだね」

 と、言った。

 五歳といえど五年間暮らしていた記憶が一切ないのはおかしな話だが、辛い生活を送っているうちに自ら記憶を消してしまったのかもしれない。

 優里自身記憶がない理由がさっぱり分からない。だから、

「申し訳ございません」

  と、謝るしかなかった。

「あなた、ご挨拶を」

 そのうち、女性の方が男性の腕をつつく。

「ああ……優作ゆうさく・イーストプレインです。優里、覚えていないかもしれないが君の父親だ。またお前に会うことができて本当に嬉しいよ」

 ふにゃりと笑う顔はどこか優しげで伯爵の威厳のようなものは特に見られない。優里はやっと少し肩の力を抜いた。

「私は灯里あかり・イーストプレイン、あなたの母です。奏人から全ては聞いています。今は身体の調子はどうかしら?」

「ぐ、具合は今は順調です。奏人さんや詩織さんにも支えていただいて……えっと、イーストプレイン家の娘として恥じないように勉強中、ですので」

 一方の灯里夫人の顔は硬く冷たいままだ。優里はボロを出さないようにと言葉を慎重に選ぼうとする。

 すると夫人の隣で伯爵が安心したように微笑んだ。

「それはありがとう……国王が定めた1ヶ月後まで私たちは人質のようにこのセントラルランド内にいなければならない。でも家のことは二の次でいいんだ。私たちが望むのは優里がこれ以上辛い目に合わず生活をすること」

「黒龍のことは本当に災難でした。本当はこの手で抱きしめたいのに会えないことがもどかしいです」

 灯里夫人の表情は変わらないが、彼女も優里のことを大事に思っているのは変わらないらしい。優里はやっと一息つくことができた。


「ところで、メールでもお送りした銀髪で赤い瞳の女性はご存知でしょうか」

 奏人の問いに二人は首を横に振る。

「残念ながらそのような女性に心当たりはない。知り合いの何人かには連絡をとってみたが知らないと言う」

「まあ誰かが嘘をついている可能性を考えればキリがないわね。確かなのは収穫がゼロということ」

「そう……ですか」

 やはりイーストプレイン家での情報もゼロと言っていいだろう。

「もう……国王の元へ来るまで三週間もない。奏人は今後の方針をどうするつもりだ?」

 伯爵は奏人に尋ねる。

「優里お嬢様には学業を中心に行っていただく予定です。ウェストデザートとサウスポートともコンタクトをとっておりますが黒龍を解放するためのはっきりとした情報が見つかるまでは、極力優里お嬢様を外の地域へ出したくはありません」

「まあ奏人にとってもずっと探し続けていた大事な大事な主人だものね」

「……は、い」

 灯里夫人にさらりと告げられ奏人の顔が固まる。できれば言わないで欲しかった、という顔だ。

 優里はそんな奏人の顔をしげしげと眺めた。どうしてこんなに表情が豊かなのに、自分にはいつも同じような顔ばかり向けてくるのだろうと思いながら。

「私たちにとってもそれがありがたい。とにかく優里には安全でいて欲しいんだ。手放したくないのは私たちも同じだ。ところで優里……今の生活はどうだい? 戸惑うことや辛いことはないか?」

 父に尋ねられ、優里は屋敷での生活を思い出した。ここは素直に言っていいだろう。

「最初は今までの生活と違うことばかりで戸惑いましたが……それでも今は大切な人に比べて楽しく過ごしています。詩織さんは私の身なりを整えて作法をいろいろと教えてくださるだけでなく、実のお姉さんのように面倒をみてくださって。新人メイドの絢音さんも同い年なこともあってお話しするのが楽しくて。同じく新人の千尋さんはまだ小さいのに器用で料理も美味しいんです。愛子さんは私のこと身を呈して守ってくれて……無口の中に優しさを感じます。奏人さんはいつも側にいて、動けない時に身体を支えてくださったり、いろんな知識を教えてくださったり。それから屋敷の書庫には多くの本があって毎晩楽しく読ませていただいています。だから……えっと、すごく……幸せなんです」

 挙げれば挙げるだけキリがない。指折り数えながら話していると、灯里夫人が僅かに口角を上げた。

「よかった……あなたが楽しく過ごせているようで。奏人にも改めてお礼を言うわ。ありがとう」

「いえ、礼には及びませ……」

「あの! 奏人さんは本当に勉強を教えるのが上手でどんな知識もすぐに頭に入ってしまいます。私が疲れてきたことを早めに気付いてくださって、本が読みたいという我儘も聞いてくださって……寒い時も何も言わずにストールを用意してくださって……本当に」

「優里お嬢様、そ、その辺で」

 優里が奏人の功績を必死に伝えようとしていると奏人は顔を真っ赤にして優里を止めようとしていた。

 自分のために熱心に仕事をしてくれる奏人のことを両親に是非とも伝えたいと思ったのだが、よくなかっただろうかと首を傾げる。

 対する両親は二人とも微笑んでいた。

「本当によかった……では三週間後、かならずセントラルランドで会おう」

「はい」

 手を振る両親に優里も小さく手を振り返す。そこで、テレビ通話は終了した。


「どうでしたか? ご両親は」

「お二人ともとてもお優しそうで……安心しました」

 きっと彼らの手は温かくて自分をぶったりひっかいたりはしないのだろう……そう思うと早く会いたくもなる。

「では今日の勉強ですが……」

 奏人はしゃべりながらコンピュータを閉じ、それから窓の外を眺める。

「街へ行こうと思います」

「街……ですか?」

 優里もつられて窓の外を見た。そういえば昨日ノースキャニオンには遥々向かったのにイーストプレインのことは何も知らない。

「はい。イーストプレインの人々のこと、街の様子、文化を知っていただきたいので。体調はよろしいですか?」

「は、はい」

 白いブラウスにブルーのスカート。やけにシンプルな格好なのは元から街へ行く予定だったからだろうか。

「では俺も準備してきますのでお待ちください」

「分かりました」


 奏人が出ていくのを見送り、靴をしっかり履き直し、鏡の前でくるりと一転してみる。もう、洗面器に顔を映して溜息をついていたあの頃の自分とは違う。

 多分この街の人々から蔑まれるようなことはないだろう……そう考えながらも不安と期待が入り混じって心臓が高鳴る。

 優里が今まで行ったことのある場所といえばあの集落と、そこから少し歩いたところにある小さな町で、そこで食糧や日用品を買っていた。

 その町はあまり衛生的な場所ではなく腐った食品も少なくなかったが、それでも横暴な店主は強引に金を奪って渡してくるから恐ろしかった。

 イーストプレインの街というのは一体どういう場所なのだろう。


「おまたせいたしました」

 と、扉から奏人が顔を覗かせ、その予想していなかった姿に優里は目を丸くした。

「えっと……珍しい格好ですね」

「ええ、スーツでは目立ってしまいますから」

 白いシャツにジーンズ、それに薄手のグレーのパーカーを着ている姿はいつもの奏人とは大きく印象が異なる。

 集落にも似たような格好をしている男はいたがそれよりももっと清潔感もあるし、何より似合っている。

 いつものは仕事着で、これは彼の私服といったところだろうか。

「今日はお嬢様としてではなく一人の町娘としてお出かけしましょう」

 奏人はそう言うと優里の頭に麦わらのハットを被せた。召使でもなくお嬢様でもなく町娘。それはまた難しい注文だ。

 それに、そういう前提であればまた違和感がある。

「では私には敬語をつけずに話してくださるんですか?」

「え?」

「年上の男性が年下の少女に敬語を使うなんて町娘なら不自然じゃないですか」

 前から違和感はあったのだ。詩織は自分を妹のように扱いタメ口で話してくれるのに、奏人はいつも改まった話し方をする。

 正直七歳も年上の奏人から丁寧な話し方をされるのは時々むず痒い。

 奏人は虚を突かれた顔をして固まった。そして大きく手を横にふる。

「む、無理です。俺は優里お嬢様にタメ口を使うなどとても……できません」

「他の人にはタメ口を使っているのに……」

「そりゃあ使用人や実の姉と主人では立場が違いますから。俺は主人にタメ口を使うおこがましい執事にはなりたくありません。どうか分かってください」

 頭を下げられ流されそうになるも、やはり優里からすると違和感があった。彼からの扱いが一人だけ異なるのが嫌だからか。それとも……彼にもたまには一人の少女として見てもらいたいためか。

「でも、違和感があるとは思いませんか?」

「……愛子みたいに誰に対しても敬語で話す者だっています。俺も、そういうことでいいじゃないですか」

「むう……」

 頬を膨らまし奏人を見つめる。やはり彼の気は変わらないようだ。

「分かりました、今日のところは諦めます」

 肩を落としてキュッとハットを被りなおす。こうして優里の初めてのお出かけが始まった。

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