第2話:天才魔術師の初恋

 エルンストは、自分がちょっと小賢しいだけの平凡な男だと知っている。

「『難』な男が寄ってくるんじゃなくて、寄って来た男を『難』に堕落させちゃう血筋なんだよね、そもそも」

「お前筆頭にか?」

「失礼な。私ほど己を律している魔術師はいないだろ!」

 どうだか、とかつての仲間のひとりが肩をすくめる。

 天翔ける竜種たちの王が千数百年ぶりの代替わりを迎え、それに相前後して起きた諸々のゴタゴタをなりゆきで解決に導いた英雄サマも、今ではすっかり農家の親父だ。

 よく日に焼けた肌には皺ができ始め、日々の労働で培われた筋肉に覆われた体はちょっとばかしカタギには見えない。

 外見のみ美女とこうして場末の酒場で飲んでいても誰にも絡まれないほどの風格を持つその姿は、かつてエルンストが憧れた「大人の男」そのものであった。

 だからあの頃は無駄に突っかかってたなあ、とエルンストは少年だった自分を思い出す。ずっと一緒にいるためにお抱え魔術師になったのに、人の気も知らずに西の都にホイホイ移動した幼馴染ユリアに対し、理不尽に苛立ちを募らせていたせいもある。

 かつてのエルンストの体はいくら食べても鍛えても贅肉も筋肉もつかないほど脆弱で、おまけに生まれつき視力が低かった。暇さえあれば魔術書を読みふけっていたせいだろう。他人に比べて高すぎる身長は自然猫背になり、分厚い眼鏡をかけても癖で眉間に皺を寄せて目をこらしてしまうので人相も悪い。

 せめて顔の造作が整っていればまだマシだったのだろうが、特別醜くもない代わり目立った美点らしいものもないとくれば、まず初対面の相手に好感を与えることなどできなかった。

「呪いどころか精霊の加護だから、神殿に行ったって無駄なのさ。『大好きな子どもたちの大切な伴侶』だと思うから精霊たちも張り切るし、かと言っては身の丈に合ってないんだってこともなんとなくわかるから不安になって、外に安心材料を求めるわけだ」

 麻薬のようなものだよ、とかつて小生意気な少年だった者は言う。

 意地の悪そうな目つきは母親から、普通に笑っているつもりでもいびつに歪む薄い唇は父親から受け継いだ。

 少年の頃は小生意気で済んだ顔立ちも、青年ともなればただの陰気で偏屈そうな男でしかなかった。まあ順当な出来上がりだろうとエルンストは思う。むしろ、あの男女からとびきりの美男子が生まれてくるわけもないのである。

「幸運っていうのはちょっとしたものだから嬉しい、でも精霊にはそんな矮小な人間の心なんてわからない。もともとまっとうな人間であればあるほど、彼女たちといる間の幸運に堪えきれなくなって」

「破局する、ってわけか」

「不誠実の言い訳と言われればそれまでだけどね。いやー、私、天才でよかった!」

 そういう心の機微、想像はできるけど理解はできないんだよね! といっそすがすがしく言い切る相手に、それはそうだろうよとかつての旅の仲間は苦笑する。

 故郷の村では評判の魔術師だった妻が、昔この少年との才能の差に悩んでいた時。あっけらかんと笑い飛ばして『しょうがないよ私天才だから!』なんぞとのたまったせいで殴り掛かろうとする妻を抑えるのに必死になったのも、今では良い思い出だ。

 なお、妻はその後世界の理不尽とこの少年へのいら立ちすべてを拳に込める拳闘士にジョブチェンジした。夫婦喧嘩は絶対しないと心に決めたのも同じ頃の思い出である。いくら世界の危機を救った勇者でもまだ命は惜しい。

 ところがその魔術の才能だとて、意地が悪く陰険で偏屈な父親から受け継いだものだろうことはわかっていたので、エルンストにとっては特筆すべきものでもないのだ。

 その父親はといえば倫理観のない人間ではあったが方向性さえ修正できれば大賢者にもなれた、と言われている。その実子であるエルンストの頭脳が魔術特化の天才であることを、少なくとも彼自身が不思議に感じたことは一度もない。顔立ち同様、まあ順当な仕上がりだろうと、そう理解しているのである。

(多分、胎児の頃にいろいろいじられてるみたいだからね)

 自分の血を引いた子どもを次の研究対象にしようと金と引き換えに子を産む女を探し、手っ取り早く大金が欲しかった女がそれに応えた。エルンストが生まれた経緯は実に単純で、母親が臨月になった頃父親が粛清さえされなければきっと今のように面白おかしく生きることはできなかっただろう。

 エルンストの人生最大の幸運といえば、路頭に迷った母親がお涙頂戴の作り話で都会に出て来たばかりで人を見る目がなかった男を捕まえ、これ幸いと自分を放り出してくれたことだろう。放り出した先がひっかけた男の婚約者だったことは倫理的にどうなのかと思わなくもないが、善良な一家は捨てられたも同然のエルンストを憐れみ、孤児院に放り出すのではなく、手元で養育してくれた。

 あの一家はどうにもそういう、根から善良なところがあるとエルンストは思う。だからこそ精霊たちに愛されていながら堕落も発狂もせず、大陸有数の大商家になれたのだろう。爵位と男運以外は全て持つ、などという評価もあながち間違いではないのだ。

 祖母も母もどちらも忙しいからと、お嬢さまであるにも関わらずユリアは使用人の子らと一緒に育てられていた。エルンストもそこに放り込まれ、もの心つく頃にはとっくに自分はユリアと結婚するのだと決めていた。魔術師ギルドが年々増長して依頼料を釣り上げてくる、と彼女の祖母らが苦い顔をしていたから、なら自分がお抱え魔術師になれば良いと思ったのだ。そうすればユリアの助けになるからと。

「ふう、ほんとに私って一途で健気だよね……会長ユリアの祖母総支配人ユリアの母も『非実在献身系男子』なんて褒めてくれてるし」

「褒め……られてるのか、それは……?」

 実在性を危ぶまれてるじゃないか、などといぶかる男に、バーのマスターが無言で首を横に振った。恋する男に何を言っても無駄である、と。

「……いや待て。どうしてこの話の流れでお前がになる必要があるんだ? エルンスト、お前に今更精霊の加護なんて追加されたとしても堕落の仕様がないってことだろ?」

「胸もあればもある、このお得さが君にはわからないと!?」

「…………」

 わかってたまるか、とかつての英雄は思ったが、賢明にも沈黙を保った。

「とはいえ、外見はともかく中の機能はほとんど男のままでね。具体的に言うと子供を産む機能がまだ解明できてない。まさに生命の神秘、世界の真理は未だ闇の中というわけさ」

「……それは別にいいんだが」

 というより聞きたくなかった、と言わんばかりの苦い顔をした旅の仲間に、エルンストはひょいと片眉を上げた。

「それじゃあ、何のために王都くんだりまでやって来たんだい? 英雄殿」

「お前がそろそろ人の道を踏み外してそうな気がすると、魔女様がな」

 『魔女』。それは、魔術師とは似て非なるの存在だ。

 本来、魔術はヒトには過ぎた力である。竜種の加護を受けた竜騎士や妖精の知恵を授けられた妖精博士、獣たちを友とする獣師らと違い、から力を借り受けてもいない。だからこそ、魔族との内通を疑われた時代もあった。

 エルンストに言わせれば、魔術師は錬金術師らとさして変わりがない者たちである。錬金術師は様々な道具を駆使して奇跡を引き寄せるが、魔術師は自身の肉体を媒介にして理に触れる。

 対して、『魔女』とは理そのもの。ヒトの女のような形を取ることが多いから『魔女』などと呼ばれているが、要は会話できる山や川のようなものである。嵐や雷でもいい。単体で影響を及ぼせる範囲も規模も所詮ヒトでしかない魔術師とはけた違いのバケモノだ。

 エルンストはひょいとわざとらしく片眉を上げた。この英雄サマが話題に出すような『魔女』といえば十中八九、冒険の旅で遭遇しこちらをコテンパンにのしてくれたあの魔女だろう。

「『結婚式には呼ぶからよろしく』って伝えておいてくれたまえ」

「俺たちのパーティ解散の時も同じ伝言を頼まれた気がするな、10年前だが」

「失礼な! まだ8年ちょっとしかかかってないよ!」

 そもそも長期計画なのだ、と力説すれば、それも前聞いたよ、とかつての仲間は苦笑した。





「とはいえそろそろ決めに行きたい今日この頃。おはようユリア! 今日もすこぶるいい天気だよ!」

「やかましい日の出前から大声出して人の部屋に突撃してくんじゃないのこの男女!」

「ちっ、着替え終わってやがる。遅すぎたか……」

「聞こえてんのよバカ!」

 ぶおん、と枕が飛んでくる。エルンストはさっと屈んで当たるのを回避した。

「王城からの緊急招集だよ、ユリア。ふたりで行って来いってさ」

「そういうの普通会長おばあちゃん総支配人母さんが行くものじゃないの」

「そこはほら、ふたりともお休みとって大事なデートだから……」

「破局したばっかの孫娘と娘に対する配慮とかないの⁉ どうせまたダメンズに引っかかってんでしょふたりとも!」

 はい委任状、としっかりはっきりサインされた紙をひらひらさせるエルンストに、ユリアは大きく舌打ちした。

 らしくない右上がりのサインといい、祖母も母も浮かれまくっていることがよくわかる。真剣なお付き合いだとか今度こそ大丈夫だとかいう言い訳を伝言としてついでに受け取るが、ことこの家系に限っては信頼性などまるでない。

「王都の主要ギルドの長と騎士団、魔術師連中まで呼び集められて、なーんかきな臭い感じだからね。きちんと武装してくるんだよ」

「朝番のメイドを呼んで来て。王城に行くならせめて準礼装にしなきゃ。あと倉庫街の元締めに今日は行けなくなったって伝書飛ばして」

「はーい。あ、朝食は私特製卵サンドだよ!」

「はいはい、ありがと。……いや待って。どうしてエルンストが作ってるの朝食を。キッチンメイドのタバサは?」

「スープ鍋を持ち上げようとした時にね、こう……ぐきっ、と」

「……診察はしてあげた?」

「ぎっくり腰だねえ。湿布を貼って、まあ明日には歩けるようになると思うよ」

 ユリアは少し考えて、「大事を取って五日くらい休みなさいって伝えて」と指示を追加する。

 ただ歩き去るだけでも無駄にドラマチックな外見のみ美女を見送って、着替え直すために部屋に戻る。

「緊急招集ね……シリーズ最新作の開始ってことかな」

 プレイ前に死んじゃったから、ざっくりとしか知らないのよね、でもどうせまたネームド・モブとして端っこで悲喜こもごもするんだろうなあ、と。

 東から昇り始めた朝日を眺めて、ユリアは小さくため息を吐いた。

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道具屋店主はもう恋なんて絶対しない! 北海 @Kitaumi

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