三 百足の城

 荒井の猛進撃はすべてを蹴散らし、切り伏せていった。秀興が供の侍たちと大門に差しかかったときには、もはや抵抗する敵兵はほとんど残っていなかった。それどころか、門を破り城になだれ込んだ荒井の者たちを迎えたのは、ただ不気味な沈黙であった。濃い霧は城内にも充満し一間先もわからぬ有様だった。

 彼らがこわごわ城内を検めていると、奥から念仏のような声が響くのが聞こえた。同じ文句を繰り返す男女の声で、内容は判然としなかった。彼らは急に恐ろしくなり、逃げ戻った。


 秀興は城内の様子を聞くと、軍勢をひとまず待機させることにした。ここで急いて動き、敵の妙な罠に嵌るようなことがあれば、荒井の兵たちの恐怖心は遂に爆発し軍が瓦解しかねない。この霧中では同士討ちの危険もある。

 秀興は盛大にかがり火を焚かせ、城を固く包囲するように命じた。そうしているあいだにも、山中での戦を切り抜けた兵たちが続々と集まってきた。


 しばらくすると、いきなり霧が晴れた。まったく唐突に視界が開けたのだ。これぞ好機と、荒井の者たちは再び城の奥に進んだ。この度は奇妙な念仏のような声は止んでいた。最奥部のひときわ大きなに踏み込んだ彼らは、あっと息をのんだ。

 広い板敷のには数百人の男女が様々な姿勢で、またある者たちは折り重なるようにして倒れていた。男も女も、老人も幼児もおり、貴人や武者から、みすぼらしい身なりの者たちまでがごった返していたが、皆一様に事切れていた。そしてそれらの死体を見下ろすように、部屋の奥には高く頭をもたげる百足の銅像が据えてあった。


 このことが伝えられると、秀興と家臣たちもどかどかとその場に入っていった。彼らは室内の凄惨な有様をしばらく無言で眺め渡した。この者たちは自害したのだろうか。一滴の流血も無い。毒を飲んだか。

 荒井の兵は城内をくまなく捜索したが、生きた者は一人もいなかった。間の郎党はまったく滅びたのだ。呆気ない、だが不思議な終焉であった。

 あれほど恐れていたにも関わらず、終わってみれば間家はまじない者でも妖でもなく、荒井は完全な勝利を手にした。だが、それでも皆の心はどんよりと曇ったままで、息をするたびに重苦しい何かが肺を満たすような気がした。

 元来、神仏妖鬼も霊も呪いも恐れぬ秀興ですら、広間を埋め尽くす死体と百足の銅像を眺めていると、なんとなくうすら寒いものを感じるのであった。


 早々に死体の検分が行われ、間家の当主や縁者の死が確かめられた。そのうち半数が百足の広間で死んでおり、その他は山中の戦で討ち取られていた。

 当主の叔父にあたる間実臣は稲木勘兵衛が手にかけており、彼は首をかついで山中を迷い歩いているところを発見され、城まで連れてこられた。


 検分が済むと、秀興は敵の首や死骸を百足の広間に集め、すべて焼くように命じた。それには山中で打ち殺したものも含まれており、兵も人夫も総出で死骸を運んだ。死骸の収容が済むと広間には油と薪が運び込まれ、火がつけられた。

 城は巨大なかがり火となって闇夜に赤く輝き、三日三晩燃え続けた。

 荒井の者たちの恐れが根深いため、秀興はこのようにしたのだった。彼自身、間のまじない者が死から蘇るやも知れぬという憶測をまったく否定することはできなかった。


 こうして間家は滅び、間の領地であった森と山々は荒井の者たちが切り拓いていった。

 敵将のひとり間実臣を討ち取った稲木勘兵衛は新たな地位とさらなる領地を与えられ、その家は大いに栄えた。彼と妻のあいだにはさらに二人の男子と三人の女子が生まれ、皆健やかに育った。


 間家の滅びから十年を過ぎた晩秋のある日、下男たちが甲冑の手入れをする様子を見ていた稲木勘兵衛は、屋敷の物置の隅にある竹筒に気づいた。

 彼はその時までずっと忘れていたのだが、この竹筒こそは、かの戦の折に間の老将から受け取ったものだった。老将は言った。この百足の入った竹筒を自分の首と共に埋めてくれと。

 結局、間の者たちの死骸は妖しきまじないを断つべくすぐに焼かれたため、老将の願いはかなわなかった。


 勘兵衛は懐かしさをもって竹筒を眺め、手の中で転がした。あの時、運良く間実臣を討ち取ったことで彼の道は拓かれた。実臣は己の定めをすんなりと受け入れ、首を渡してくれた。思えば、恩人であるとさえ言えるかもしれぬ。

 勘兵衛はせめて実臣への供養と思い、竹筒を埋めて塚を作ろうと考えた。あの時、実臣は筒の蓋を外し大きな百足を見せたが、勘兵衛はそれ以後中を開けて見ることはなかった。


 勘兵衛は蓋を外した。すると大きな百足が顔を出し、無数の足をせわしなく動かして彼の腕につかまり這い上がろうとした。勘兵衛はヒッと叫んでのけぞり、竹筒を放り投げ、百足を手から振るい落とした。

 百足は艶々と黒光りし太った体をのそのそと動かし勘兵衛に背を向けると、逃げるように縁側を這い降り、庭木の下を覆う落ち葉の中にもぐって姿を消した。


 勘兵衛は長いこと腰を抜かしていた。百足があの時のまま生きていたのかと思い震えたが、そのようなはずはない。竹筒の小穴か蓋の隙間から虫が入り込みあの時の百足を食い尽くし、近頃になって新たな百足が入り込んだのだろう。いや、そもそも百足そのものが幻であったかもしれない。恐れが自分に見せたものだ。

 勘兵衛はため息をついて額の汗をぬぐうと、竹筒を取り上げて中を検めた。すると、筒の底に小さな白いものが見えた。紙片であった。

 折りたたまれた紙片を開くと、そこには異国の言葉かあるいはまじないの印か、何やらわからぬ模様が描かれており、その下に歌のようなものがしたためてあった。


「頭残らば頭食らい 足残らば足食らい 切られば増え 焼かれば萌えん」


 それから一月の後、稲木勘兵衛の家の者は残らず死んだ。勘兵衛も妻も子も、従者から下男下女に至るまでが一夜のうちに息絶えたが、彼らの死体には刃傷も、流れる血も、獣の爪痕も何もなかった。

 毒を飲んだか、病か、呪いか、と人々は囁いたが、屋敷の様子を見た秀興や家臣たちは皆一様にかつて間の城で見たものを思い起こした。皆が不吉な予感に打たれ、おののいた。


 稲木家の不幸があってしばらく後、荒井秀興が死んだ。荒井の家臣も次々に死に、領民も死んだ。荒井の国の者がことごとく息絶えた。


 たまたま国を通りかかった旅の薬売りが、不思議な光景を見た。数えきれないほどの百足が黒いむしろ・・・のごとく固まって、列を作り地を這っていたのだ。百足の群れは隊列を外れることなく、一心不乱に山を上っていた。うごめく黒い帯は、いつまでも絶えることが無かった。薬売りは我が目を疑ったが、恐ろしくなり旅の進路を変えた。


 やがて山肌に拓かれた田畑は荒廃し、若木が生い茂り、あっという間に大木となり、深い森を作った。

 山頂には朱に塗られた大門と唐風屋根を誇る城が、鋭い剣のような峰々を背にそびえ、住む者の絶えた平野を静かに見下ろしていた。


 完

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百足の城 SUMIYU @sumiyu

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