第3話 無敵の人の倒し方

 足がプルプルしている。

 柵に覆われている非常階段。いわゆるマンションの非常口の鍵を開けて侵入し、階段を昇ることすでに十階。

 ナツメちゃんの足は止まらない。道順に迷いはなかった。マンション。部屋番号。侵入経路に至るまで。

 けれど夏の蒸し暑さと階段昇りは夜でも苦行だ。互いに汗だくで下着が透けて見える。


「ねえナツメちゃん。侵入してからエレベーターを使わないことになにか意味があったの?」


「……そっか入ってからならエレベーター使えばよかったんだ」


「え? セキュリティに引っかかるとか」


「たぶん普通に利用できる。いちいち止めていたら来客者が大変だし」


「実はフロントからでも入れたとか?」


「……今から不法侵入するのに堂々と玄関から侵入するのは悪いと思って」


「そっか……そうだね」


 ナツメちゃんは計画的で割と無計画かもしれない。

 階段苦行に理由はなかった。この無意味さがナツメちゃんらしくて懐かしい。


「ここが鳩阪の部屋。中に入るよ」


「……うん」


 少しだけ躊躇した。それがおかしくて気が抜ける。

 不法侵入は犯罪だ。鍵もスマートフォンも遺体から奪った。持ち主は殺してしまっている。

 殺人現場に出くわしても動揺しなかったのに、不法侵入に躊躇するなんて。

 やけっぱちかもしれない。

 心は高揚している。心を殺して自暴自棄になっていたときよりも暖かい。

 知らない場所を探検した子供の頃みたいに楽しんでいる自分がいた。


 扉はあっさりと開いた。

 ナツメちゃんが玄関で靴を脱がず、土足で上がったので私もならう。

 部屋には物がない。

 モデルルームみたいだ。生活臭がしない。

 テーブルとソファーに大型テレビ。綺麗なキッチン。ここが私を犯した男の家。入ってみると拍子抜けした。

 ナツメちゃんは早速部屋を物色している。

 そして鍵付きの部屋に目をつけた。外壁に面していない内部屋だ。


「ここ番号付きの鍵かかってる」


「家の中なのに?」


 怪しかった。

 この部屋の主が変態なのは私がよく知っている。鳩阪に清潔なイメージはない。いかがわしい写真を撮られたし送らされたこともある。大きく引き伸ばされて部屋中に貼られていることも覚悟して侵入したのだ。


「鍵の番号もわかるの? えっ!?」


 ナツメちゃんに躊躇はない。

 横を見ればバットを振り上げていた。

 その動作はスムーズだ。上から下に振り下ろす。ナツメちゃんのバットコントロールは正確無比にドアノブを鍵ごと。むしろドアごと叩き壊していく。

 番号を知らなければ壊せばいい。ナツメちゃんは鍵開け界のマリーアントワネットかもしれない。

 私が唖然としている間に破壊される。マンションのドアなので軽くて脆いのかもしれない。結構な音が出ているが大丈夫だろうか? いやそれも今更の話だった。


「よし開いた!」


「そ……そうだね」


「じゃあ開けるよ! ……うわ」


 ナツメちゃんの口からドン引きした声が漏れる。

 私も同じ気持ちだ。窓のない密室だからだろう。まず臭い。栗の花と言えば聞こえがいいが消臭スプレーの臭いと混じって甘ったるく臭い。

 それに内装も酷い。

 戦利品のように女性の写真が貼られていた。裸体。下着姿。着替えの最中。目線が合っておらず、構図もおかしい。明らかに盗撮写真だ。私の写真もあるが、何人もの女子高生の写真が壁一面に貼られている。私のクラスメートの写真もある。


「ここにあるかな?」


 私が動けない間に、ナツメちゃんは電源付きっぱなしのパソコンのマウスを動かす。パスワードはかかっておらずディスプレイに光が灯る。

 映し出されたのは四面の監視カメラ映像。

 真っ暗でわかりにくいがうちの高校の更衣室や女子トイレだろう。

 やっぱり殺されて当然の変態だった。私の想像以上に酷いが。


 ナツメちゃんは監視カメラ映像を最小化して、フォルダやメールなどを探っていく。

 肌色が多い画像が表示されるときもある。開けてからナツメちゃんの手が少し止まる。私かナツメちゃんのお姉ちゃんの写真もあるのだろう。

 ナツメちゃんがなにを探しているのか。どんな気持ちで調べているのかはわからない。

 でも後ろで見ているだけでも嫌悪感が伝わってくる。見たくもない。バットを振り回してこの部屋ごと破壊したい。そう思っているのだろう。


「……やっぱり見つからないか」


「なにを探していたの?」


「鳩阪が父親に隠蔽してもらった証拠。やっぱりドラマのように物証が簡単に見つかるわけないよね」


「追い詰めるだけならこの部屋で十分じゃないの?」


「私は世界をそこまで信用してない」


「……そうだね」


 所詮は息子の醜聞だ。

 しかもすでに殺されている。告発してもどんな風に歪曲され矮小化されるかわからない。皆が保身に走るだろう。そしてナツメちゃんは殺人罪で捕まる。私も共犯になるのかもしれない。ナツメちゃんと一緒に破滅するならいい。両親に迷惑をかけるのは嫌だが。


「証拠はあればいいなぐらいだったし別にいいや。最後の仕上げをしないと」


「仕上げ?」


 ナツメちゃんは私の問いに応えず、部屋を出て自分のカバンから封筒を取り出した。


「はいメグミちゃん」


 真っ白な分厚い封筒を手渡された。


『私の親友メグミちゃんへ』


 表紙にそう書かれている。

 一生懸命綺麗に書かれた字。なにが書かれているのか恐怖で開けない。ずっと嫌な予感がしている。開いたら現実になってしまう気がした。


「全部で三通用意したんだ。でもメグミちゃんのは特別。ごめんね。勝手に中学時代も連絡取り合っていた親友ってことにしちゃった」


「ナツメちゃん?」


 ナツメちゃんはベランダと戸を開けて外に出る。


「メグミちゃんとずっと仲良くしていたらって妄想したら止まらなくなって。あのときメグミちゃんがそばにいたらとか。すると内容が分厚くなってね。もう腕がパンパンで」


「待って! ベランダでなにをしようとしているの!?」


「私だけの復讐がいつの間にか私がメグミちゃんを救出する話になっちゃってね。ははは……そんな資格ないのに」


「いいから! 内容はいいから部屋に戻ってきて!」


 叫んだ。今止めないといけない。

 止めないといけないのにナツメちゃんはベランダから身を乗り出していく。


「ダメだよ。私は無敵の人なの。失うモノなんてないんだから」


「……無敵の人って」


「女子高生が鳩阪の家から投身自殺する。遺書がある。私の最低な両親のこと。お姉ちゃんのこと。鳩阪のこと。口止め料のこと。鳩阪の父親のこと。……メグミちゃんのこと。詳細の書かれた告発文の遺書がある。完璧でしょ。マスコミは騒いでくれるよね?」


「ナツメちゃんやめよ!」


「止めない! 今更だよ! 私は最低なの! クズの両親から生まれたクズなの! メグミちゃんにだってそう! 憧れたメグミちゃんが堕ちてくれたことが嬉しかった! だから今日声をかけることができた。実はね……メグミちゃんが鳩阪に呼び出された現場に行ったのは二度目なの! 一度目は助けようともせずずっと見てた。後悔した……メグミちゃん押し殺した声で泣いていたから」


「それは……でも!」


 ほんの少しの動揺。

 束の間の静止はすぐに振り切った。だって助けてくれたから。

 ヒーローのように助けてくれたから。

 でも遅かった。


「最期に話せて嬉しかった。昔みたいに一緒に下校できて楽しかった。私がホームランしようか訊ねたときに拒否してくれて救われた。まだメグミちゃんには生きる気力がある。この腐った世界への執着がある。私とは違うんだってわかったから」


「違わない! ナツメちゃんが来てくれ――」


 また私は最後まで言わせてもらえなかった。

 スローモーションのように。

 ナツメちゃんが。

 ベランダから。

 飛び降りて。

 消えた。


「――ナツメちゃん?」


 慌てて私もベランダから身を乗り出す。下を見ると人が倒れていた。ゆったりと広がる血だまり。

 階段で十階昇るのは大変だったのに、墜ちるのは一瞬だ。

 頭は真っ白なのに、長い間自暴自棄だった私の意識は覚醒した。かけるのは119番。110番ではない。

 ずっと言えなかった救いを求める言葉が口から飛び出す。


「助けてください! ナツメちゃんを助けて! 飛び降りです! お願いだから! 私はどうなってもいいから助けて!」


『落ち着いてください! 場所は――』


 涙交じりの慟哭と懇願。

 救急車と一緒に警察も呼ばれて。

 私は白日の下に全てを告白した。

 自分のされたことも。鳩阪の殺害も。

 ナツメちゃんとは途絶えることなくずっと交友があった。そんな嘘を交えて。

 嘘が真になるように。


 これはナツメちゃんの英雄譚でなければいけない。

 ナツメちゃんはヒーロー。私は悲劇のヒロイン。

 県議会議員の鳩阪の父親やナツメちゃんの両親やお姉ちゃんにも届くように盛大に声を上げる。

 ナツメちゃんをただの殺人犯にはしないために。



――――――


 七月三日。

 私とナツメちゃんの誕生日。同じ日だから親友になれた。

 もう本格的な夏だ。

 変態盗撮淫行教師鳩阪と県議会議員の父親の醜聞は連日ワイドショーを騒がせた。ナツメちゃんに対して世論は同情的だ。未成年の少女をそこまで追い詰めた大人の責任となっている。

 その騒ぎも今は落ち着いた。

 私は病院のベッドの横で祈る。


「私がナツメちゃんを無敵の人にはさせないから」


 ナツメちゃんは一命を取り留めた。

 頭を強く打っており、あの日から起きない。起きる気がないのかもしれない。

 でも地面に墜ちる寸前で頭を庇った痕跡があった。

 まだ生きたいと思ってくれたのだと信じている。


「今度はちゃんと親友としてそばにいるから」


 だから無敵の人にはならない。

 もう失うモノがないとは言わせない。

 私が失いたくない大事な人になるから。


「起きて。ナツメちゃん」


 病室はナツメグの香りに包まれている。

 ナツメちゃんの好きな香り。

 私の好きな香り。

 私達を繋ぐ香り。

 ナツメグの花言葉に祈る。


『眠りを起こす』


 ナツメちゃんの指がピクリと動いた。


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ナツメグ-無敵の人の倒し方- めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定 @megusuri

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