第6話 夜の基地

「いつものコーフィをおくれ」


セルゲイがカウンターの椅子に座ろうとすると、何故だかウサギ耳の女性がコートを受け取ってくれる。

店の隅に外套掛けがあるようだが、今まで存在に気付いた事も無かった。

自分で隣の席にクシャリと丸めて置いておいたのだ。


「聞いたわよ、アナタ兵長サ・マ・なんですって~」


不思議と女性はセルゲイに身体を密着させる。

今までマトモに会話をした事も無いウェイトレスなのだが。


「若いから新人の二等兵かと思っちゃって……

 ゴメンなさいね。

 アイツらの上官と知っていたらサービスしたのに」


どうやら女性は何処かからセルゲイの職位を知ったらしい。


「いつもコーフィばかり飲んでいないで。

 ここは酒場よ。

 たまにはブランデーでもどう?

 ウォッカだって……普通の客には出してない取って置きのビンもあるのよ」


「……俺にそんな取って置きを出したら、常連客に怒られるんじゃないかい」


セルゲイは少し女性から身を離して答える。

女性の胸の膨らみが当たっていて、顔がニヤけてしまう前に慌てて避けたのである。


「今度ね、今度。

 ホラ、呼んでるよ」


店の奥では男が、酒はまだかー、と声高に叫んでる。


「チッ、あいあーい。

 ただいま」


女性はティモシーから緑色のカクテルを受け取って歩き去る。

聞こえるように舌打ちする事はないだろうに。



女性が去ってティモシーが珈琲豆を挽いてるのを眺めるが。

何故か、いつもより素っ気ない気がする。

表情が変わらないのはいつもの事なのだが、時に朱色に輝く瞳がこちらを見ない。


「元気が無いね。

 体調でも悪いの?」


季節の変わり目だ。

風邪でも引いたのだろうか。



そんな事はありません。



慌てた様に紙を差し出す少年。

達筆だけど、少し字が崩れている。

続けて何か書いている。



あの。

あの女性にこちらで話し相手をするように頼みましょうか。



もう一度差し出された紙にはそんな事が書かれていた。


「はぁ……?……

 なんで…………」


と思わず言ってしまったが、確かに少年の考えも不自然では無い。

酒場に毎日のように訪れている。

コーフィ目当てより、ウサギ耳の女性に興味があってそんな行動をとる男の方が割合で言ったら多いだろう。


「あの女性はさ……おそらく兵長職の給与袋が気になるんだろ。

 だけどね。

 実のところ職位は高くとも、輜重課員には危険手当も無いし夜勤手当も無いんだ。

 月末に渡される封筒の厚みは一等兵よりも薄いんだよ。

 それが分かったら、コートを受け取ったりしなくなるんじゃないの」



そんな事。

正直にバラしてしまって良いんですか?



「良いんだよ。

 そんな下心ありで近づかれたって嬉しくないさ。

 ……もっとも俺も下心アリで来てるんだったかな」


こちらを不思議そうに見るティモシー少年へ下手くそなウインクをしてみせる。


「珈琲豆の仕入れ先を教えて欲しくて来てるのさ」



ダメです。

企業秘密なので教えられません。



そんな紙を見て二人で笑い合う。

ティモシーは笑顔にならないのだけど。

二人で笑った。

セルゲイは確かにそう思った。




数刻後、帝国軍基地へとセルゲイは戻って来ていた。


「おっ、ウサギちゃんによろしく言っておいてくれたか」

「ええ、今日は店が忙しいからムリだけど。

 機会が有ったら差し入れ持ってくるそうですよ」


「ホントかーっ?

 ウサギちゃんーーーっ」


そんな言葉を交わして門から入っていく。


別にウソでも無い。

一等兵の給与袋は危険手当が着くから、結構分厚い。

そんな情報をウサギ耳の女性には流しておいた。


「あらっ、そうなの。

 ……今度給料日になったら差し入れでも持って行こうかしら」


女性のその情報を聞いた時のセリフである。

給料日になったら、の部分を伝えなかったのは優しさのつもりのセルゲイなのだ。



さてと。

セルゲイは自分の兵舎をすり抜ける。

この基地に勤める兵隊のほとんどは基地内の兵舎で寝泊まりしている。

故郷の家から軍の命令書に従って前線に来ているのだ。

稀に現地の女性と家庭を持って基地の外に家を造る者もいるが、小数例である。


そんな自分の寝泊まりする建物をすり抜けて静かに足を進める。

夜の帝国軍基地は歩兵が数か所に立ってはいるが、巡回まではしていない。

巡回するなら基地の外。

その方が効率が良い。

夜の間ウォーキングしたがる兵隊が多い筈も無い。


セルゲイ・ニコーラエヴァは人目につかずに移動する。

その向かった先は厳重に扉に鍵が掛かっているが、彼は鍵を持っている。

ダイヤルキーに暗号を打ち込んで、更に真鍮のカギで持って扉を開ける。

建物内は暗いが、明かりを付けずに入り込む。

セルゲイが眼鏡を外すと、暗がりに緋色の目が輝く。

便利な事に夜目は効く。



「…………数が違い過ぎる」


コートの中から取り出した書類と付け合わせをしていた。

声に出してつぶやいてしまうくらいに冗談事ではない。


その時、夢中になっていたセルゲイの後ろにある扉がキィっと開かれる。


「そこで何をしている?」


月明りを背後に受けて、顔の前面は暗いが、見間違えようが無い岩の風貌。

ラスカリニコス軍曹であった。

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