第5話 帰還 ①

 「命懸けで戦ってやっと退かせたんだ。恐らく次は無い。イブ、アイツは今まで手を抜いてお前と戦ってきたらしいが、それはお前が一人だったからだ。多分、恐らく、次戦う時はお前をダルマにしてでも連れ帰る筈だ。片割れの天使って奴のところへな」


 敵の情報を何一つ持っていない俺にとって奴らの扱うルミナの蟲は脅威以外の何物でもない。戦闘中イブが停止した現象も影が持つルミナの蟲が何かしらの干渉を行った筈。何故俺に干渉しなかったのか理由は不明だが、俺のようなちっぽけな人間に対して影は停止させる必要も無いと判断したのだろう。……肉体変化と物体への干渉。絶対的な力を持つ使徒に対し俺が持つ力はイブが持っていた機能の一部。ルミナ、コード・オリーゴ。ただそれだけだ。


 「……随分冷静ですね。死ぬ可能性が高いというのに」


 「死にたくないから戦ったんだ。俺には大義や名分も何もない。在るのは命一つだけ。お前の言葉で生きれたんだ。無意味な死が、嫌だったから」


 「……単純な人間ですね、貴男は」


 フッと少しだけ笑みを浮かべたイブは何か考えるような仕草で顎を撫でると此方に歩み寄り、俺の首筋に手を添えた。


 「貴男は私と戦ってくれますか?」


 「それは問いかけか? 脅しか?」


 「問いかけです」


 「脅しなら小便でも撒き散らしてハイと言ったが、問いかけならイエスだね」


 「何故?」


 「……無意味な死は嫌だから。それじゃ駄目かい?」


 「もう少し具体的な言葉が欲しいですね」


 「敵と戦うなら敵を知っている人間と戦いたい。奴……影が退いた以上敵はお前が仲間を作った事を知るだろう。常に狙われるなら俺一人じゃ絶対に勝てない。勿論、お前一人でもだ。俺は死にたくない。唯々、死にたくないだけだ。圧倒的な力で捻じ伏せられて、無意味に、生きる意味を何も見いだせずに死ぬのは絶対に許容できない。俺自身が許せない。敵が俺を殺そうとするなら俺も敵を殺す。俺は……死にたくないから戦うんだ」


 生きながらにして死んでいる人間に明日は無い。無意味に生きる人間に価値は無い。人は常に何かを求め、何かを失いながら歩き続ける永遠のジレンマを持つ生き物だ。個人の命が金より軽い下層街では何時も何処かの誰かが何かを失い、何かを得ている。明日を得る為に今日を切り売る日々を送っている。誰かを踏み台にしてまでも生きている。


 命を奪う者は奪われる覚悟を持つ者だけ。そんな綺麗ごとを真面目に語るつもりは無い。必要だから殺し、不必要だから殺される。死にたくないから敵を殺す。到ってシンプルな思考過程は下層街に住む人間に深く根付いていると言える。俺もその一人故、よく分かる。奪われたくないから、奪うのだ。命さえも簡単に。


 「奴らが俺の命を奪うつもりなら逆に奪う。戦える力があるのなら全て使ってでも生き残る。だから俺はお前と戦う。それが答えだ」


 手を力強く握り締めゆっくりと開く。柔らかい痛みと血の温かさが掌全体に染み渡り、興奮しかけた心が落ち着きを取り戻す。殺意と狂気は表裏一体の感情だ。生きたければ殺意を持って武器を取り、狂気を抑えて闘争に臨まねばならない。どちらかに偏れば例外なく人は死ぬ。強靭な精神力と冷静な判断力を持って初めて戦いは成立するのだ。強大な力は二の次で、人は思考を巡らせ生き続ける存在だ。己を律し、敵を打破する。生きたいから戦う。奪われたくないから殺す。今までだって何時もそうだった。


 「……死にたくないから戦う。合格です」


 「……いいのか? 俺が言ってるのは全部自分のための言い訳だ。お前みたいに何かを背負って戦う訳じゃない」


 「私は貴男に使命を持って戦えと言ったわけではありません。ただ共に戦ってくれますか、と聞いたのです。ただ戦うなら知性の無い蟲でも出来ます。しかし、明日を望み、生を渇望し、死を極度に恐れる事は人間が持つ尊い感情の発露です。まだ、搭の中にも貴男のような人間が残っていたのですね」


 頬を緩ませ、目に微笑みを浮かべたイブは美しく、何処か儚げで、触れれば壊れてしまいそうな危うさを持った少女に見えた。俺よりも小さな身体で戦いに身を投じる彼女は確かに強者と呼べる存在だ。しかし、それでも、彼女は人間なのだ。俺と同じ人間なのだ。精神の許容量を超える負荷を何時までも耐えられる人間なんて存在しない。彼女は俺を助けてくれた。ならば、俺は彼女を助けねばならない。非力であろうが、脆弱であろうが、俺は応えよう。共に戦ってくれと問うた彼女の為に、戦おう。


 「コード・オリーゴ。起源の名を持つコードは貴男に預けます。戦う人間には力が必要です。少し痛みますが我慢してください」


 そっとイブが俺の首筋をなぞると針で刺されたような痛みが身体全身を駆け抜け、体内に根付いたルミナに新しい機能が追加された。


 「生体融合金属。ルミナは元々万能ナノマシンとして開発された生体機械です。肉体に注入されたルミナは使用者の意思を電気信号として感知し、コードを発現します。貴男のルミナに生体融合金属の機能を追加しました。説明しなくともルミナが脳に情報を書き加えていると思うので、理解しているかと」


 視界がぐらりと回り、堪らず眼を手で覆う。生体融合金属。細胞をルミナが鋼鉄で覆い、使用者の意思によって形状をも変形させる機能。意識を過った映像はイブが脚に刃を纏う姿。あれは生体融合金属を持って成せる攻撃だった。


 「塔へ行きましょう。貴男の状態を見るに荒野を渡る方法は危険ですから、地下道を通ります。あそこの道はまだ敵に見つかっていない筈ですから」


 「了解。にしても、ルミナってのはとんでもない代物だな」


 「ルミナは優れた戦闘兵器として開発された経緯がありますが、本当の目的は別にあります」


 「本当の目的?」


 腰を上げ、埃を払い、地下へ続く非常階段へ歩を進めるイブの後を追う。


 「世界の開花。終わり往く世界を再び蘇らせる為にルミナは開発されました。搭は緊急避難施設にすぎません。多くの時間を生き延びられるよう設計された凝縮された偽りの世界。それが貴男達の住む搭の役割です」


 「偽りの世界って……なら、敵は搭をどうしようっていうんだ」


 「静かなる死へ導くでしょうね。希望を抱いたまま絶望に嘆き、慟哭し、死ぬ。カナ……敵は世界の死を望んでいるんですから。偽神に操られていると知らぬまま」


 「その偽神って奴なんだがよ、そいつは人間……いや、生物なのか? 神様って聞く分じゃ生物を連想出来やしない」


 「人であり無機物。生物と呼ぶには悍ましい生存方法を選択した醜悪なる存在。それが搭を支配している偽神です。人類種の存続を拒否した神は私よりも先に目覚めたポエナを天使と定め、死へと歩ませています。全てが手遅れとなる前に神と使徒を殺さなければなりません」


 人であり無機物。バイオメカニカル技術を応用した半機械体が神と名乗り搭を支配しているのだろうか。敵の親玉が半機械体であるのならば殺せる方法は幾らでも存在する故に、勝てない戦いではないだろう。となれば、先の問題は使徒と片割れの天使ポエナとどう戦うかが鍵となってくる。

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