第4話 死闘 ①

 「何だ、手前」 


 影は答える事無く闇に溶ける。静かな殺気が辺りを支配する。


 「イブ」


 イブへ視線を向け、表情を確認するが彼女は瞳に殺意を漲らせ、無表情であるにも関わらず憤怒の意思を張り付けていた。この異常な殺気は先の戦闘で感じたものと同じだ。イブの言っていた使徒と表現された者が影であるのだろう。


 「おい、答えろ、イブ‼」


 「黙りなさい」


 「黙れって、お前」


 「逃げればいいじゃないですか。私一人で対処できます。逃げなさい」


 「逃げればいいって、こんな状況で逃げられるわけねぇだろ」


 「なら戦いなさい。敵は直ぐ目の前に迫っていますよ」


 イブの言葉に連れられ、目の前を見ると影が闇を纏い、崩れた柱を蹴りながら高速で此方に向かっていた。


 「野郎……!」銃を構え、照準を合わせようとするが影はポインターから身体を僅かにずらす。機械腕の自動照準機能を用い正確な射撃を試みようとする程に影は身軽に宙を舞い、銃の照準から逃れ続ける。


 的が早いうえに縦横無尽に跳ね回る。ポインターと影が重なり引き金を引くラグを影が理解しているのか、発射した弾丸は僅かにずれた影を貫く事無く闇の中に消える。猿と胎児を掛け合わせた生物兵器を相手にしているような感覚だった。最も、その場合は用意周到に罠を設置してからの追い込み漁に近い形であり、此方側が圧倒的に優位な立場であったが、今は違う。追い込まれているのは俺だ。


 呼吸が荒くなり、嫌な汗が染みだす感覚。力量が違う。立っている土台が違う。この場から一歩も動けない。見えない糸で空気と足を繋がれたような束縛感が肉体を支配していた。


 「邪魔だ、消えろ」低い男の声が耳元で囁かれたと同時に両足が血を噴き出しながら切り飛ばされ、視点が低くなる。


 「な、あ」支えを失った身体は天を仰ぎ、転がっていた。続いて生暖かい血が尻から腰にかけて血溜まりを作り、確実な死が迫っていると言葉なく主張していた。


 「……片割れの天使よ、鍵を渡せ。私とて無益な死を望んでいるわけではない」


 「ポエナの使徒、寄生体に渡す鍵は無い。鍵を得たいなら私を殺して奪いなさい」


 「死を望んではいないのだ。貴女は死んだ世界を捨て、我らの主が創造する世界に住む権利がある。鍵の運用という義務を行使せずとも、権利だけを得られるのだ。何度剣を交えようと、私は貴女を殺す意志などない」


 「……そう。なら、私が貴様を殺すだけよ」


 イブの刃が左右上から影に迫り肩と足を切り裂き、右腕を鋼の爪に変形させて腹を抉った。血飛沫が舞い、大量の血液を垂れ流しながら影は立ち続ける。


 「……分かってくれ。彼女には貴女が必要だ。彼女は、一人、孤独に苛まれている」


 「黙れ‼」


 イブが叫び、鋼の爪を引き抜き、二本の刃で男の腕を切り飛ばす。男は小さな呻き声を口の端から漏らし、一歩大きく飛び退き足で腕を蹴り上げるとそれを空中に固定して傷口に癒着させた。先の、カアスと呼ばれていた男同様の驚異的な回復力だった。


 「何時まで寝転がっているのですか? 足を癒着させ、立ち上がりなさい」


 「な、なにを」


 「ルミナを起動させなさい。コードはオリーゴ。私の持っていた機能の一部です」


 「ルミナって、お前、何を」


 「早くなさい」


 有無を言わさぬ圧力に気圧される。ルミナ……カアスが言っていたルミナの蟲と呼ばれるあの気味の悪い蟲が俺の身体に巣食っているというのだろうか? 切り裂かれた筈の腹が治っていたのも、そのせいだろうか?


 「死にたいのですか? ルミナを持っている人間であろうと心臓と脳の損傷、血液の減少、修復不可能なほどの致命傷を負えば機能停止に陥ります。今貴方は無意味な死を選ぼうとしているのですよ? 抵抗もせず、大手を広げて満面の笑みで死を迎え入れようとしています。―――滑稽ですね」


 無意味な死という言葉に脳が震える。抵抗もせずに死を迎え入れている状態と言われ、圧倒的な力量を持つ相手に対し燻っていた闘志の火種がガソリンをぶちまけられたように燃え上がり、心臓が早鐘を打つように脈打つ。


 肉体の、ありとあらゆる部位が蠢くような感覚を覚えた。筋肉が膨張と収縮を繰り返し、目が闇の中でもよく見えるようになる。荒かった息遣いは次第に落ち着きを取り戻し一定の呼吸リズムを刻み始める。全身の力が漲るような、全く新しい肉体に切り替えたような奇妙で経験したことのない感覚。ルミナが起動スタンバイの状態に移行した。その一つの答えを明確に理解した。


 「コード」たった一つの言葉でもう後戻りができないような気がした。「オリーゴ」だが、無意味な死が嫌だった。抵抗もせず死ぬことだけは俺自身が許さなかった、だから。「解放」生きる為の手段を、戦う為の力を欲したのだ。


 「ルミナの蟲を与えたのか、天使よ」


 「ルミナの蟲なんていう劣化品と一緒にしないでもらえる? 彼に与えたのは本物のルミナよ。お父様がもしもの時に私に埋め込んだ希望の一滴を彼は起動した。たったそれだけの事実。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 「……ならば、奴を殺し私が本物を手に入れる。望みを叶えるために」


 脳が肉体の仕組みを理解している。新たに加わった情報を直接脳味噌にぶち込まれ、意識を用いて操作する。そんな簡単な仕組みだ。俺は切られた足を傷口とくっ付け、癒着し、刀を突き出し突進する影を見据える。


 「イブ」


 「何でしょう」


 「俺一人じゃぁ奴には勝てん。協力してくれ」


 「ええ」


 立ち上がり、銃を構える。敵の攻撃方法は現時点で確認している限り刀による近接戦闘と何かしらの拘束術。高速戦闘は俺の領分ではない為、イブに任せる。俺に出来る事は彼女の戦闘支援だ。


 「天使を前に出すか外道‼」


 「俺がお前に勝てるわけねぇだろ! 悔しいが、俺に出来る事っていやあ銃を撃つくらいなもんでな!」

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