第3話 銀翼と男 ①

 込み上げる吐き気によって強制的に目が覚めた。


 「……目が覚めたようですね」


 薄暗い空間の中、必死になって手足を動かし上下左右を認識する。横たわっている事が確認できた。勢いのまま起き上り、喉の奥に指を突っ込み胃袋内の異物を吐瀉する。酸っぱい臭いが鼻孔を刺激し、もう一度吐く。


 「貴男が誰かなど興味はありませんが、上層に行く迄手が必要です。協力しなさい、人間」


 「……協力ぅ?」


 声の主、化け物のような男と戦っていた少女は瓦礫の上に座り、俺を見下ろす。何とも絵に成る姿である。例えるならば、廃墟に憂う天使。その言葉が相応しい。


 腰まで伸びた白金の髪、成長段階を迎えた未熟な肢体とそれに相反する大人びた表情。背から四枚の刃を生やした少女は真紅のルビーのような瞳で俺を一瞥すると遥か上方に位置する穴を見上げた。


 「傷の具合はどうですか? 死なない程度になら回復した筈だと思いますが」


 「死なない程度って……ッ‼」


 身体全身を襲う激痛にのた打ち回る。古傷という古傷が一気に開いたかと疑う痛みは数分間続き、何度も痛みによる気絶と覚醒を繰り返す。血を吐き、視界が暗くなっては明るくなる。この身に起こる地獄の中、心臓に焼き鏝を押し付けられたかのような痛みを最後に大量の血を吐き出し、四肢の力が完全に抜けた。


 「行きますよ。気を失うのは後にして下さい」


 少女は呆れたようにそう言い放ち、歩を進める。這ってでも進もうとしたが、足は麻痺したように力を失い、腕は機械腕を初めて取り付けた頃のように上手く動かない。呼吸も乱れ切っているこの状態では真面に肉体を動かせそうには無かった。


 「……手を」


 白い手が目の前に差し出された。


 「仕方がない人間ですね、貴男は。私の手を取りなさい」


 真紅の瞳の奥に俺が映る。傷を負った無精髭を伸ばす己の姿は少女よりも一、二回り程年老いており、ドブ底のような瞳をしていた。


 「……舐めるな、小娘」


 足筋に力を入れ血の巡りを確認する。次に腕、脳と血を巡らせる。熱い血潮が四肢に流れ終わる事をイメージし終え、胴体に位置する心臓の鼓動へ耳を澄ます。


 ―――僅かにだが鼓動の音が聞こえる。ならば、大丈夫だ。俺はまだ生きている。


 「―――おォオ、あァア‼」


 額に汗の雫が流れる。全身が燃えるように熱いが、燃えていない。立ち上がれないと思い込み、諦めてしまえば楽になれるが其処で諦めてしまえば俺の中の何かがプッツリと途切れてしまう。そんな気がした。


 それに、俺は俺自身が諦めて終う事が嫌いだ。生者に限界は無いのだから。


 「―――ッハァ‼」


 大きく息を吸い込みその勢いのまま立ち上がる。足はガクガクと笑い、口の中で再度血が逆流する。俺は息を吐き出すついでに血を吐くと膝と太腿を叩き、震えを止める。


 「……立てるのなら早く立ち上がりなさい。数分無駄にしました」


 「それは……悪かったな」


 「貴男の装備は安置しています。空気の事は安心なさい」


 少女が指差す方へ向き直り、整理された装備品を身に着ける。彼女が何処の誰でどう云った存在か分からない以上無根拠に信頼を寄せるべき者ではない。俺は乾いた血が詰まったマスクで口と鼻を覆い、レンズ部分が割れたゴーグルを装着する。環境対策用の装備全てが駄目になってしまっていても、武器類やマントが無事であった事は不幸中の幸いだった。


 携帯ポーチの中から汚染カウンターを取り出し空気中の汚染指数を調べてみると、数値は驚く程低く、塔の内部よりも空気が清潔だった。少女が言う言葉に嘘は無いが、一応マスクを着けたまま行動するとしよう。他人を軽々しく信用してはならない。


 「付いて来なさい」


 俺を置いて足早に去ろうとする少女を、距離を置きながら追う。


 「なぁ、此処は何階層なんだ? 見たことの無い景色だ」


 「Dエリア、研究開発地区です」


 「……聞いたことが無い階層だな。君は此処にずっと居るのか? 先の、遺跡発掘者を殺したのは君か?」


 「言う必要はありません。貴男は黙って付いて来てください」


 目にも止まらぬ速さで刃が喉元に突き付けられる。脅しているのだろう。俺は降参のポーズを取り、視線を周囲に巡らせる。


 朽ち果てた生物の残骸と割れた試験管。厚い埃を被った機械は緑と青のランプを交互に点灯させ、静かな稼働音を鳴らしている。一見して接続端子が付いていない記録装置だろうと判断したが、埃に僅かな窪みがある事に気付き其処が接続部だと判った。


 「……オーケー、君がボスだ。指示を聞こう」


 「……」


 刃が喉元から離れ、少女の背中にピッタリと張り付く。やけに精密な動きをする機械義肢だ。まるでもう一つの手足のような動きをする。


 「ボス、一体何処へ向かうつもりなんだ? 教えてくれよ」


 「上、第四情報集積所へ戻ります」


 「敵の存在は? ボス」


 「兵器番号丙四種が存在します。ネストを構築している様子は無いので、単体撃破が主な戦闘内容です」


 「えっと、ボス、何だって? 聞き覚えの無い単語が出てくるんだが」


 「……貴男、よくそんな知識で生き残ってこられましたね。それとボスという呼び名は止めてください。私にはイブと云う個体識別名称が存在しています」


 イブ……イブ、何処かで聞いたことがあるような名前だったが、忘れてしまった。だが、少女の名前が判明した事は予想以上の収穫だ。


 「了解だ、イブ。まぁ、お互い信用も信頼も無い関係で初対面みたいなもんだ。精々殺し合わないように気を付けよう」


 「……私の敵は私が決めます。後始末は自分で着ける性質ですので」


 「同感だ」


 アサルトライフルの弾丸を装填し、銃を構える。照準は暗闇の向こう側、僅かに揺らいだ影へ弾丸を撃ち放ち、息の根を止める。


 「生物兵器丙四種……影狼か」


 影狼。光度が低量の場所を主な生息地域とし、固形物であるのならば文字通り何でも食い漁ると言われる獣人型の生物兵器。強靭な体躯から繰り出される型も何も無い乱雑な攻撃はいとも簡単に人間の腕を吹き飛ばし、無残に引き裂く獣性が形となって表れた暴力の嵐である。基本的に繁殖期以外は単独で行動しており、群れを率いず生きる影狼は飢餓状態であれば同族をも喰らう獣以下の畜生のような存在だ。


 「イブ、戦闘経験は?」


 「舐めないでください。貴男よりはよっぽど動けます」


 「そりゃ心強い」


 今日は何月だっただろうか……四月下旬。丁度繁殖期に値する月ではないか。ならば、一体居る内の番は何処に居る? 闇の中か? 狩りに出かけている最中か? それとも―――。


 「周りに目を向けなさい。後ろよ」


 頬の横を刃が通り過ぎ、獣の短い鳴き声が聞こえた。


 「やるねぇ」


 「無駄口を叩かない」


 「こりゃ手厳しい」


 ヘレスを抜き、機械腕の自動補正機能を用いてイブの真後ろへ剣を投げる。鮮血が舞い、砂が崩れるように頭部が消失した影狼の心臓へ銃弾を数発撃ち込み完全に息の根を止める。イブは真後ろに影狼が居た事を既に知っていた風に余裕のある溜息を吐くと地面に突き刺さったヘレスを抜き、俺に手渡した。

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