第2話 銀翼の少女 ②

 「ルフェル、生き残りが居るとは聞いてないぞ」


 「カアス、彼は敵ではありません。が、私達にとって良い存在とも言えません」


 「殺せばいいか?」


 「貴男がそうしたいのならば、そうすればいいでしょう。主は敵を殺せと申しただけです」


 「そうか」カアスと呼ばれた男は機械腕の取っ手を掴み。「じゃぁ、殺すか」一つ引くとブレードを展開した。


 自らに迫る危機は全力を持って排除せよ。俺はライフルの引き金を躊躇いなく引き、男へ向かって銃弾を放つ。空薬莢が宙を舞い、熱と硝煙を撒く。男は素早く身を屈め、全ての銃弾を躱すと虎狼のような身のこなしで俺に斬り掛かる。


 恐ろしく俊敏な男だ。人間を殺すために訓練を積んだ殺し屋ですら、男の繰り出す剣戟には遠く及ばないだろう。俺は薄皮一枚のところで男のブレードを回避し、腰に吊っているヘレスを抜く。


 「カアス、退きなさい。あの武器は危険です」


 子供の一声で猛攻を続けていた男が一気に飛び退き、俺を見据える。獣のような獰猛さを宿す翡翠色の瞳だった。


 「ルミナの蟲の使用を許可します。貪り、喰らいなさい」


 「コード・ニブ解放」


 全身の毛が逆立つ感覚。脳が直感的に危機を察知し、全力でこの男から逃走しろと叫ぶ。殺せと叫ぶ。破壊しろと叫ぶ。さもなくば―――無情な死が待っていると叫ぶ。


 ライフルを片手で構え、機械腕の自動照準機能を用いて男の頭に銃口を向ける。何の迷いも無しに引き金を引いた鋼の手指は人殺しに慣れ過ぎていた。幾つもの弾丸が火薬の炸裂音と同時に飛び出し、目にも止まらぬ速さで男の顔面と脳を潰れたトマトの如く滅茶苦茶に破壊しようとした。


 「欠伸が出るなぁ」


 聞こえた音は肉が潰れ、内臓が破裂した音ではなく。血が噴き出る音ではなく。脳漿が飛び散る音でもなかった。それは、男が俺の耳元で囁く余裕の声だった。

 ぐるりと視界が回り、脳が揺らいだ。腹に感じる鈍い痛みと軋む背中。一撃の下に俺はドームの壁に叩きつけられ、吹き飛ばされた事が男との距離で分かった。一瞬何が起こったのか理解出来なかったし、何故唯の人間が大人一人を吹き飛ばす程の膂力を得たのか分からなかったが、ぶれる視界が徐々に正常な位置に戻るにつれ、男が唯の人間ではない事だけが分かった。


 「ルミナの蟲ってのは気分が悪くなる。なぁアンタ、そう思わないか?」


 「……知るか、最悪だぜ、糞野郎」


 男の腕には本来ぶら下がっている筈の生身の腕と機械腕が無い。その代わりに露出した筋線維が脈動する血潮に濡れた巨腕がぶら下がっていた。成人男性一人分程の腕を見つめていた男は何か小さく呟き、腕を大きく振り払う。


 すると、ただの巨腕であった腕から五本の鋭利な爪が飛び出し、手甲の部分に黒い瞳が開かれ、鈍い輝きを見せた。


 「んな、馬鹿な」


 「大体の人間はそう言うさ。だがな、俺にはこれが普通なんだよ」


 男は大きく飛び跳ね、双腕を振りかぶる。もし、あれが先の死体達を作り上げた元凶であるのならば一撃を貰っただけで一たまりも無い。俺は悲鳴をあげる身体を無理矢理動かし、間一髪で攻撃を避ける。


 「ック……!」


 鋼鉄以上の強度を持つ遺跡のタイルが抉られ、電子機械が火花を散らした。先程とは打って変わって緩やかな動作で俺を見た男は口元を覆っていたマスクを外し、醜く歪んだ獣のような口を露わにした。


 「……ふむ」


 「何を、一人で納得してやがる!」


 ポーチからグレネードを取り出し、男へ向かって投げつけた俺はマグナムを構え男の目の前に飛ぶグレネードを撃ち抜いた。


 耳をつんざく炸裂音と炸薬の匂い。爆炎が男を包み、肉を焼く。壁に寄り掛かり何とか立ち上がった俺は一先ず男と距離を取る為によろめきながら歩き出す。


 「……グレネードとは面白い。だが、俺を殺すにはあと百倍以上の火薬を持って来い」


 驚愕する。常識を超えた光景に恐怖する。血を垂らし、歪な笑みを浮かべた男はグレネードによる爆風など無意味であるかのように笑い、ゆっくりと歩を進めていた。


 普通の人間ならば爆発物による傷は致命傷と成り得る筈だ。過酷な環境に晒される外生物や人工的な遺伝子改造と肉体強化施術を施された生物兵器であったとしても至近距離で爆発物の攻撃を受けたとしたら一たまりもない。だが、男は違った。


 頭部の損傷部位を細かな虫が糸を紡ぐように癒着させ、流れ出る血液は時間が経つにつれ乾き、剥がれ落ちる。男の纏う衣服や装備品だけが攻撃を受けたという事実を表し、ボロキレのように焼け焦げている。痛みを感じない。恐怖を感じない。死を恐れない。ただ、目の前に存在する敵だけを殲滅し尽そうとする意志を持った化け物が存在していた。


 「化け物が……!」


 「何時も言われている。慣れたよ、その罵倒は」


 「そうかい!」


 敵の生命維持活動の停止方法は不明。此方が持つ手札はアサルトライフルとそのマガジン一つ、グレネード一つ、残り弾数五発のマグナム、ヘレス、己が肉体。奴の力は俺がこれまで殺し合ってきた敵の中で最強最悪の存在だ。一つ気を抜くだけで死が訪れ、一つのミスが取り返しのつかない結果を招くだろう。生か死か、どちらか一つ。


 ―――生きるか、死ぬか。その二つの選択が目の前にぶら下がったのなら、俺が選択するものは当然一つ。


 ―――生きる。ただそれだけだ。


 戦わなければ生き残れない。生きる事を放棄してしまったら、それは両手を上げて死を受け入れてしまう事だ。それだけは許されない。認めない。許容出来ない。


 「……ほぉう」


 恐怖を押し潰し生存欲求へと昇華させろ。敵が異形の姿形と驚異の生体能力を持つ存在であっても元は人間の筈。死なない人間など居るものか。


 「俺と会いまみえて逃げ出さなかった人間はお前が初めてだよ。……試してみるか」


 視界が転げまわると同時に身体全体が痛みに悲鳴をあげる。生温かい血液が額から頬を伝って流れ落ち、青白いタイルに小さな点を幾つも作った。


 「こんな豆鉄砲で俺を殺そうとしたのか? 馬鹿馬鹿しい」


 地面に転がっていたマグナムを拾い上げた男は銃身から弾倉迄を一纏めに握り潰すと適当に丸い鉄塊を投げ捨てる。


 金属を軽々と握り潰す握力からなる打撃は通常ならば人間の内臓を木端微塵に粉砕出来る筈だ。口腔内に溜まる血は折れた奥歯から流れ出るものだと認識する。内臓が破裂していたり、傷ついているのならもっと大量の血が込み上げていても可笑しくはない。内臓は無事。肉体の表面上は無数の切り傷や打撲傷で一杯一杯だが、立ち上がれない訳ではない。―――まだ、戦える。

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