第9話

 ふんわりと丸く柔らかな横笛の音が広場を包み込む。初めは一つだった音が二つ、三つと順に増えていき、やがて太鼓や弦楽器、さらに踊り子の手足に取り付けられた鈴が加わると、一気に壮大さが増した。

 息抜きにふらついていたところ、どうやら「楽団ガンダルヴァ」と「アプサラス舞団」が曲と踊りを披露するようだと聞いてやってきたのだが、到着した時にはすでに人だかりが出来ていて、ガレスの身長でも少し見えにくいくらいだった。横からなら少し見やすそうですよ、とオリフィニアが場所を見つけてくれなければ、せっかく来たのにと歯がゆい思いをするところだった。

「雨とか豊穣を願うって聞いたけど、今日はどういう曲なんだろうな」

「前回もそうでしたが、歌ってはいませんから歌詞がないんでしょうか。歌詞があればある程度推測できたかもしれませんが」

「話を聞けそうだったら、楽団の人たちが帰る時にでも聞いてみようか」

 楽団の演奏者は十人、舞団の踊り子は四人ほど。以前たまたま見かけた時と人数に差があったから、いつも同じ顔触れで披露しているというわけではないのか。舞団の方は衣装も違っている。

 ガレスは手元の紙に、どんな楽器が使われているか、曲の雰囲気はどうか、それぞれの衣装の特徴はなにかと目についたことを書きこんでいく。

 あいにく楽器の具体的な名称までは分からないが、絵を描くくらいは出来る。砂時計型の太鼓を観察していたところで、一曲目が終わった。集まった人々が次々に拍手をし、踊り子たちがゆったりとお辞儀をする。またすぐに別の曲が始まったが、今度は先ほどまで演奏されていた穏やかな曲調と違い、情熱的で少し激しい。

 ペンを走らせていると、ふあ、と大きなあくびが漏れた。

「坊ちゃん、やっぱり今日は休んでいた方が良かったんじゃ……」心配そうにオリフィニアが顔を覗き込んでくる。「朝から魔力マナの浄化をして、ずいぶん神力イラを使ってしまったんじゃないですか」

「そんなことないって」

 元気だからと説得するように笑ってみせたが、オリフィニアが納得した様子はない。

 今日は朝早くから昨日感じた魔力を探っていたのだ。結論から言うと見つからなかったのだが、部屋に戻る途中に奴隷たちが押し込まれていた例の小屋に足を向けた。

『いくら人由来の力って言ってもごく普通の一般人がいきなり魔力を持つわけじゃないだろ? 神力の素質があったか、〈核〉を持ってるかしないと』

『あの場にいた奴隷のどなかたが、それに該当すると?』

『じゃなきゃ魔力の気配が漂うはずないから』

 残念ながら奴隷たちはすでにどこかへ連れていかれたのか、誰一人残っていなかった。けれど放っておくと魔力になりかねない空気感は停滞したままだった。ガレスは神力を放出してそれらを浄化したのだが、おかげで先ほどからあくびが止まらない。

 オリフィニアの言う通り、神力が回復するまで休んでいることも考えた。けれど女神の調査もまだ不完全で、女神を復活させずにハウトを納得させる方法も思いついていない。これ以上問題を先延ばしにすると、家に帰るのも遅くなってしまう。きっと家では両親や他の家族たちがガレスの報告を期待して待っているに違いない。

 というわけで城下町にくりだし、女神に関するもろもろを調べていたのだが、腹も空いたし息抜きをしようとしたところで楽団たちの噂を聞きつけたのだ。

「ドゥルーヴくんがいたら『これって今なにを願ってるの?』とか聞けたんだけどな」

「仕方ありません。殿下に付き添っていてお出かけできないと言われてしまったんですから」

「……昨日からずっと部屋にこもりっぱなしなんだっけ?」

「そうらしいですよ。坊ちゃんと喧嘩をしてからずっと」

「別に喧嘩したわけじゃないけど……」

 ガレスより年上のはずなのに、不貞腐れて部屋から出てこないとか、自分の望みを押し通そうとするところとか、いちいち行動が子供じみているような気がする。付き合わされているドゥルーヴが少し可哀そうになってきた。

 本当は彼を連れ出してアニック老の店に行こうと思っていたのだ。次に来る時は連れてくると約束したから。だが出来なかったので、アニック老のところには行けずじまいである。

 いつの間にか二曲目が終わり、三曲目が始まっている。今度はしっとりと落ち着いた雰囲気だ。まるで恋人たちが愛を囁き合っているような、甘く豊かな曲調だ。

 なんとなく周囲を見回して、ガレスはふと気づいた。

 ――地元住民だけじゃなくて、意外と俺たちみたいな外国人も集まってるんだな。

 装いから察するに商売目的でファラウラにやってきた者たちだろうか。観光客という雰囲気ではない。彼らもガレスと同じように休憩中なのかもしれなかった。

 曲が終わった頃、楽団と舞団を率いていると思しき少し年配の男女が木の器を手に見物客たちの間を巡り、客たちはそこに金を入れていく。ガレスとオリフィニアも適当に金を入れたところで、「あの」と声をかけてみた。

「他国の文化などを記録する旅をしている者なんですけれど、先ほど演奏していた曲について少し話をお聞きしたいんですが」

「ああ、構いませんよ。少々お待ちいただけますか」

 男女とも快く頷いてくれて安心した。

 楽団と舞団が引き上げるのに同行し、ガレスたちが案内されたのは商人が使っていたと思しき邸宅だった。庭が広く、部屋の数も多い。合同練習や打ち合わせの際はここに集まっているのだそうだ。

 ありがたいことに茶まで出してもらったところで、ガレスは男女を前に紙を広げて質問を口にする。

「楽団と舞団はいつごろ創られたんですか」

「だいたい三百年くらい前ですね。女神が降臨したという話はご存知ですか? ――それなら話が早い。女神は我々人の子の暮らしに興味を示して降臨なさったのですから、おもてなししなければいけない」

 人の子の暮らしに興味を示し――か。女神が降臨した理由は建国秘話や神話には書かれていなかった。口伝くでんではそのように理由付けされているのだろう。

「つまり女神を歓待するために作られたのが楽団と舞団だ、と」

「でもどうして別々の団体なんでしょう? 演目を披露する際は合同なのですから、団体としても一つで良いような気がするんですが」

「女神が降臨される以前から、我々の前身となる団体はあったんですよ。ただ発足していた地が遠く離れていて、お互いの存在を知らなかった。降臨した折にそれぞれの団体に当時の王から声がかかり、それ以来ともに行動するように」

 また楽団や舞団はサラスヴァティーではない、他の神を奉る地に出向いて演奏を行ったりしているらしいが、場所によっては男女どちらかが禁制の掟が残っている。その場合に備えて、現在もあくまで別の団体として活動していると。

 ガレスの国で信仰されている光の神や闇の神には言葉で祈りを捧げるが、この国では曲や踊りで神に人々の意思を伝えているのだろう。

「雨乞いや豊穣を願う演目があると聞いたことがあるんですが、先ほど演奏されていた曲にはどんな意味が?」

「いつも神に願うばかりではないんですよ。今回演奏していたのは、神と人間の愛を表していた曲でして」

 一曲目は出会い、二曲目は恋の盛り上がり、三曲目は別れを奏でていたそうだ。言われてみれば踊り子の衣装も、二人は露出の多い神秘的な装いだったが、残りの二人は少し地味で布地の多い服をまとっていた。前者が神で、後者が人間を演じていたのか。

 演目が終了した時に集めていた金は団員たちの生活費や楽器の維持費だけでなく、身分の低い人々に寄付しているのだという。

「団員のほとんどは、元々奴隷なんですよ」

 私たちもです、と楽団の長だと名乗った男が言う。

「そう、なんですか?」

「ええ。寄付と言えば聞こえはいいですが、我々は奴隷を金で買い、団員として育てているんです。一人でも苦しい思いをする人々を減らそうと」

「けれど人を一人買うには莫大な費用が掛かりますし、そう頻繁に買い取れるわけではない。年に奴隷の身分から救えるのはほんの一人、二人程度です」

 ガレスの脳裏に牢に押し込められていた人々の姿がよぎった。

 楽団と舞団に所属している者たちも、買われることがなければあのような怯えた表情で今も暮らしていたのだろう。商人や武人の家に雇われた者は薄給でこき使われ、命をすり減らして倒れては次の奴隷が補充される。使い捨てだ、と苦しげに舞団の長である女が涙を流した。

 神に願う曲が多いのは、多くの恵みをもたらすことで誰もが平等に幸せになれるように、との祈りを込めているのかも知れない。

「いつも広場で演奏しているのはどうしてです? お金も観ていた人たちが自由に入れていて、決まった額を入れていたわけではないようでしたが」

「我々を観に来てくださる多くは庶民です。日々の稼ぎは決して多くない。そんな中でわずかなお金を下さっている。具体的な金額を支払うように言うと客足が遠のくかもしれず、どこかの施設を借りずに広場で演奏しているのも同様の理由です。足を運びやすいでしょう?」

「たまに旅の方がご覧になるんですが、その際は普段一日にいただくくらいの金額を出されるんですよ。そういう時は少しありがたいですね」

 ガレスは先日見かけた時に演奏していた曲や、どんな楽器を使っているのか、曲は誰が考えているのかと訊ね、男女はそれぞれ教えてくれる。すると女の方が「女神が消えてからというもの……」と億劫そうにため息をおぼした。

「どうしたんです?」

「いえ、ね。二十年前に女神が天界に帰られたでしょう? それから時々、殿下から我々にふみが届いていたんですよ」

 ――天界に帰られた?

 ガレスはオリフィニアと目を見合わせた。その間にも女の話は進む。

「お前たちの演奏や踊りの質が落ちたから女神は消えたのだ、でしたっけね」

「女神が戻ってくるよう祈りを捧げる曲を増やせとも言われていたな」

「ああ、確かにそんなような文もありましたね」

「ちょ、ちょっと待ってください。殿下ってハウト殿下ですよね。彼から手紙が?」

 ええ、と男女が同時に頷いた。

 女神が消えて数年後から、彼らのもとにハウトの直筆の手紙が届けられていたらしい。それには女神を蘇らせてくれとたびたび書かれていた。ガレスに頼んだのと同じことが書き連ねられていたわけだ。

「女神が消えた、蘇らせてくれなんて、おかしな話ですよ。女神はただ天界にお戻りになっただけ。地上での暮らしを満喫されたから天に帰っただけなんです。人と違って死んだわけじゃあない。殿下の頼みは『本来の居場所に帰った女神を呼び戻せ』と言っているようなもの」

「神に対してそんな恐れ多いこと、出来ると思いますか?」

 ハウトは城下町にお忍びでくりだして楽団や舞団の観ていたのだろうが、目的は楽しむためではなく、彼らがちゃんと女神を呼び戻すための曲や踊りを披露しているか確認するためだったのだろうか。

 催促が止んだのはつい最近だという。時期的にガレスの叔母と出会った頃だ。

 話を聞かせてくれたお礼を支払い、ガレスたちは王宮に戻った。ハウトはいまだに部屋から出てきていないようだ。

「――なんていうか、町の人たちの間に女神が消えた悲しみが薄い理由が分かった気がしたよ」

 ベッドに背中から倒れ込みながら、先ほど聞いたばかりの話を整理しようと紙を目の前に掲げる。

「彼らにとって女神は消えたわけではなく、天界に帰ったものだったんですね」

「むしろ地上にいた方がおかしかったって考えなのかもね」

「人の目には映らなくなってしまったけど、女神は今も見守ってくださっていると感じているのでしょう。今もサラスヴァティー信仰が強いのは、降臨した影響が多分にありそうですね」

 その時、扉がノックされて若い女が顔を覗かせた。女中だろう。

「失礼いたします。ガレスさま、オリフィニアさま。国王陛下がお呼びです」

「国王が?」

 なんだろうと思いながらついていくと、案内されたのは昨日も訊ねた国王の居室だった。体の調子が戻ったからといって無理はするなと伝えておいたからか、国王はベッドで上半身を起こし、かたわらの王妃に粥を食べさせてもらっていた。

 ――いや、ご飯くらいは一人で食べられると思うけど。

 そう思いはしたが、さすがに口には出せなかった。

「おぉ、来たか」国王は朗らかに手を挙げ、ガレスとオリフィニアに近くに来るよう促す。「そなたたちは魔術師だという話を聞いて興味がわいた。ぜひ話をしたいと思って呼んだんだ。迷惑だったかな?」

「いえ、とんでもない」

 長らく臥せっていた影響で他国へ出向く機会も少なかったからか、国王は魔術師や神力の説明のほかに、ガレスの故郷であるレンフナの文化についての話をことのほか喜んだ。いつか行ってみたいと胸を躍らせる姿は少年の様である。

 話はハウトが女神を蘇らせてほしいと願っていることにも及ぶ。ガレスは女神の正体が幻獣であることや、幻獣を作るのは無理だときっぱり言い切った。ハウトのように粘られたらどうしようかと思ってのことだったが、国王は息子と違い、「それならば仕方ないな」と拍子抜けするほど簡単に折れた。

「え、いいんですか? いや、いいんですかって俺が言うのもおかしな話ではありますが」

「女神を蘇らせればそなたたちが殺されてしまうのだろう? 命の恩人にそのようなむごい結末は迎えてほしくない」

 常識人で助かった。ガレスが密かに安堵している前で、国王は寂しげに目を伏せる。どうしたのだろう。

「まあ、ハウトの気持ちも分からんではないのだ。奴にとって、女神はただの女神ではないから」

「……えーっと、つまり?」

 ガレスが首を傾げていると、国王は懐かしむように目を細めて言った。

「奴にとって、サラスヴァティーは母のような存在だったのだ」

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