第8話

「…………い、ま、なんと仰いましたか?」

 数秒間黙りこくった末に絞り出した言葉は震えていた。

 ハウトはにこにこと笑みを浮かべたまま、先と同じ言葉を繰り返す。無駄に明るく華やかな口調は牢屋には相応しくなく、狂気すら感じるほどだ。

 身なりから考えて、集められているのは奴隷たちだ。以前のハウトの言葉で、この国にそういった身分の人々がいることは察していた。押し込まれるまでに手ひどく扱われたのか、怪我を負っている者も少なくない。

「どうだ、これだけあれば女神を蘇らせるのは可能だろう?」

「っ……殿下! 何度もお伝えしたはずです。女神は幻獣で、昔と違って現在は幻獣を作成すれば火あぶりだって!」

「だが俺は女神を蘇らせろと最初から頼んでいる。作るまで返すつもりもないと言ったはずだ」

 ドゥルーヴに広い牢の鍵を開けさせて、近くで縮こまっていた若い女が無理やりガレスの前に立たされる。絶望に染まった瞳は虚ろで、頬や腕などいたるところにすり傷が確認できた。

「女神には最低でも二人、人間が使われていると言っていたな。コレなどどうだ? 美しく若い素材だ。女神の麗しさには劣るだろうが、作る過程でどうとでもなるだろう」

「いい加減にしろよ!」

 もう我慢ならない。ガレスは思わずハウトの胸倉を掴みあげ、間近で叫んでいた。坊ちゃん、とオリフィニアが諌めるように肩に手を乗せてくる。それでも一度噴きだした怒りは収まらなかったし、オリフィニアも強く止めようとしてこない。

「あんた、俺の話を聞いてないんじゃない。聞く気がないんだろ! 何回同じことを言わせるんだ。女神は幻獣、作れない! 作れば俺や、俺の家族までまとめて処刑される! いかに長く存続してきた魔術師でも例外はないっていう見せしめのためにな! 確かに魔術師や幻獣の文化のない国に育ってきたあんたには分からないと思う。けど理解はしてくれ、頼むから!」

「理解はしているさ」

 ハウトは不愉快そうに目を眇め、ドゥルーヴにガレスを引き離させる。彼がずっと居たたまれない表情をしていたのは、奴隷を材料に女神を作らせようとしている主の行動を咎めたいのに咎められないからだろう。

 掴みかかられたことで乱れた衣服を整えると、ハウトはふん、と鼻を鳴らして牢をざっと見まわした。額の上で揺れる赤い石がぬらりと輝く。

「理解はしたが、それを受け入れるのとは別の話だ。そうだろう? 俺は女神を作らないというそなたの考えは受け入れていないし、受け入れるつもりもない」

「はあ!?」

「幻獣作成の事実などいくらでも揉み消してやろう。俺はただ、女神を蘇らせてほしいだけなのだ。女神が無くてはこの国は立ち行かぬ」

「……その事なのですが、殿下」

 オリフィニアがおずおずと口を開く。

 彼女は町を見た時の様子や、書物を読んで二人が出した結論を話した。ハウトは大人しく聞いているが、不愉快そうな表情は深まる一方だ。

「女神サラスヴァティーの存在は、必要不可欠とまでは言えないかと。降臨以後は人々の願いに応えて雨を降らせたり、水を湧かせたりはしていますが、それだけです。他国との諍いに勝利をもたらしたり、水害以外の災害を食い止めるなどはしていない」

「それだけ、だと……?」

 ぎり、と歯が軋む音が聞こえた。ハウトが奥歯を強く噛みしめたのだ。

 彼はそばで俯いたままだった女の奴隷の髪を引っ掴み、乱暴にガレスに押し付けた。声を上げることすら恐れているのか、女は唇を強く引き結んで悲鳴を堪えている。

「それだけなものか! 水害を治めるだけでもどれだけの恩恵があると思っている。〝女神が確かにこの世にいる〟という安心感がどれほどのものだと! それに言ったはずだ、父上は女神が失われてから臥したままと。これが加護を失った結果出ないというなら一体なんなのだ!」

「俺が証明してやる」きっぱりと言い切り、挑むようにしてハウトを睨みつける。「だから国王陛下のところに案内してください。そのためにあんたを捜してたんだ」



 国王の居室は王宮の中心にあった。どの部屋よりも広く、各国から収集したと思われる調度品の数々がところ狭しと並べられ、なかには異国にのみ生息しているという色鮮やかな小鳥が飼われている籠もある。

 ガレスたちが案内されたのは、居室のもっとも端にある天蓋付きのベッドだった。そばには王妃が座り、突然の客に驚いている。彼女に手を握られ、横臥している男が国王に違いない。

 ろくに食事を摂れていないのと、出歩いたりしていないためか全体的に痩せこけ、為政者たる威厳がわずかほどしか感じられない。ハウトによく似た黄土色の瞳で力なくガレスたちを見ると、か細い声でなにか言ったようだったが、口元を覆う白いひげに唇が隠れているせいでよく分からなかった。

「父上、この者たちは魔術師です。女神を蘇らせるために客人を招くとお伝えしていたでしょう」

「……………――……」

 もそもそと髭が動いているのは分かるが、やはりなんと言ったかは分からない。それほどまで弱っているのだろう。

「父上は女神がいなくなって間もなくしてからずっとこの調子だ。一時的に体調がよくなることもままあるが、ほとんどはこうして過ごしている」

 これが女神の加護失くしてなんという、と問うようにハウトがこちらを見るが、ガレスは「失礼します、陛下」と一言断って、国王に近づいた。

「恐れ多いのですが、少しお体を拝見してもよろしいですか。陛下の不調の原因を知りたいんです」

 口元に耳を近づけてしばらく待つと、渋く低い声で「うむ」と応えがあった。

 ガレスは王妃に少し下がっているよう頼んで、国王の体に手をかざした。足元から上半身にかけてゆっくりと探るように動かし、時たま痛みはあるか、あるとしたらどこかと問う。ハウトや王妃は訝しげにガレスを見つめ、オリフィニアは心配そうに、だが同時に頼もしそうに視線を送ってくれていた。

 ――腹は痛むかって聞いたら、頷いたよな。喉のあたりも苦しそうだ。

 ――……よし、分かった。

「申し訳ありません。少し服をめくってもよろしいですか。布越しではなく、直接触れた方が効果があるんです」

「……父上に何をするつもりだ」

「不調の原因を治すんです」

 国王が頷いたのを確認してから服の裾をまくり上げ、痛みを与えないよう、弱々しくやせ細った腹にゆっくりと触れる。ガレスは目を閉じて手のひらに意識を集中させると、すうっと深く息を吸い込んだ。

 ガレスが神力イラの操作で得意とするのは防御と他人の神力の探知で、他に出来るのはちょっとした攻撃くらいだ。誰かの怪我を癒したりした経験は、はっきり言って、ない。

 ――でも、やるしかない。

 経験はないが、父から教わったことはあるのだ。教わったというより、母が怪我をした際には父がどんな風に治して、そのたびに仲が深まったとかいう惚気話を聞かされたといった方が正しいかも知れない。

 ――確か、父さんは……。

 手のひらに神力を集めるような感覚で、そっと患部に触れる。ただ触れて注ぐだけでは、一般人の体では神力の効果を十分に受けられずにただ通過してしまう。だからしっかりと「病んでいる場所を治す」という具体的な場面を思い浮かべるのが大事だ、と言っていた。

 ガレスの手がほのかな熱を帯びる。それを国王の体に浸透させる場面を脳内で思いえがいた。熱はゆっくりと体に染み込んでいき、痛みの原因と思われる腹に到達すると、神力はじわじわと、けれど確実に病を癒していく。

 懐疑、あるいは信頼の眼差しを受けながら続けること、十分ほど。頃合いを見計らってガレスは手を放し、国王の衣服を整えながら問いかけた。

「お体の加減はいかがですか」

「……不思議だな。苦しさが消えている」

 子どもが奇妙なものを見た時のようにぱちぱちと目を何度も瞬き、国王は王妃の助けを借りながら体を起こした。苦しさの源が消えたことを確認しているのか、皺の目立つ手で何度も腹や胸をさすっている。声も先ほどより明瞭だ。

「陛下が倒れられたのは女神がいなくなったころ……二十年前ですよね。二十年前、ファラウラは他国からの侵略を受け、勝利したのちに領土の一部を吸収したと聞いています。その際に政治的なやり取りが重なったことでしょう。治療した位置から考えて胃を患っていたものと思いますが、恐らく精神的な負担が病と化したのではないかと」

「二十年間も私は腹を患っていたというのか。そのようなことがありえるのか?」

「残念ながら私は医師ではありませんし、詳細は分かりません。失礼を承知でお尋ねしますが、陛下は元から腹が弱かった、ということはありませんか?」

 国王は考え込むように髭を撫でていたが、やがて「うむ」と頷く。幼少期から緊張する場面に出くわすと、腹を痛めたり、下すことが多かったのだという。大人になってからは弱ることが少なくなったけれど、それでも時々精神的に追いつめられると苦しさを覚えていたそうだ。

「とすると、胃や喉が病に侵されたのは女神がいなくなった直後ではなく、もう少し時期が前後する可能性がありますね。先ほども申し上げた通り、私は医師ではないのではっきりとした病名を申し上げることはできませんし、『こうだったんじゃないか』という予測でしかお話しできない」

 もう一つ残っている魔術師の血筋・ゼクスト家は薬師でもあるし、病などに詳しいだろう。だがガレスは幻獣の調査や記録、管理を担うエアスト家の人間だ。病うんぬんに関しては門外漢である。

 重ねてそう説明すると、国王は「いや、構わない」と柔和に微笑んだ。目尻に優しさをうかがわせるしわが刻まれる。

「病を癒してくれたのは事実なのだ。長らく苦しんでいた病から解放されて非常に心地いい。感謝するよ」

「痛み入ります」

 頭を下げた瞬間、今さらどっと緊張が襲ってきた。汗まで拭きだしてくる。

 ぎこちなく後ずさってオリフィニアの隣に並ぶと、彼女は手巾でガレスの額や頬をぬぐって労ってくれた。

 だが、これで終わりではない。ハウトへの説明がまだ残っている。

「陛下が長らく臥せっていたのは女神が消えたからではなく、病が原因です。これでお分かりいただけましたか」

「……その病は女神が消えたから患ったものではないのか」

「違います。精神的な負担だとさっき言ったはずです」

「だがそれは、あくまでそなたの予想だろう。女神が消えたのも原因の一つのはずだ」

「国王の体調が女神の存在に左右されるなら、女神が降臨する以前の国王はどうやって体調を保っていたというんですか」

 建国秘話に書かれていた歴史はすみからすみまで見たし、どの王がどれだけの期間在位していたのかもちゃんと読んだ。幻獣サラスヴァティーが降臨する以前、もちろん病を理由に退位した王もいたが、ごく一部だ。降臨してからも同様だ、女神がいるからといって病に侵されなかった王はいない。

 ガレスの反論に、ハウトがぐっと言葉に詰まる。

 彼にとって「父王の不調は女神がいないせいだ」というのは、ガレスに女神を蘇らせる最高の説得材料だったのだろう。けれどこうして不調は病が原因だと判明し、それも治癒できた。

 つまり説得に必要な理由が一つ失われてしまったのだ。

「お分かりいただけましたか。女神は必ずしも必要な存在では……」

「――――ならぬッ!」

「ぅわっ!」

 ハウトに掴みかかられ、ガレスは思わず呻いた。すがるようにして両肩に彼の指が食いこみ、突き刺すような痛みを感じた。

「女神は作らぬ、と言うつもりだろう。許さぬ! そなたたちは女神を蘇らせるために招いた客人なのだ、作らずして帰るなど断じて許さぬ! 女神がいなければ国は繁栄しない、それがなぜ分からぬのだ!」

「サラスヴァティーがいなくても国は保たれているじゃないですか! なにが不満なんですか、どうして殿下はそこまで女神が〝実体を持つこと〟に固執するんですか!」

「女神は、サラスヴァティーは俺の――――俺が…………!」

 目を見開いたまま、なにを言うべきか、なにから話すべきかと言葉を探すように、ハウトは何度も口をはくはくとさせたかと思うと、舌打ちをしてガレスの肩を乱暴に突き飛ばす。尻もちをついて目を瞬くガレスを刺々しく一瞥すると、身を翻して去ってしまった。

「な、なんなんだよ、一体」

「大丈夫ですか坊ちゃん!」

「うん……」

 オリフィニアが伸ばしてくれた手を取りながら腰を上げる。

 彼は一体、なんと言おうとしていたのだろう。

 分からないまま、ガレスは無言でハウトが立ち去った方向を見つめるしかなかった。

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