1節 ブレイル・ホワイトスター4


 

 路地裏から大通りに出て、暫く。

 ブレイルは男を三人抱えたまま、右往左往する羽目となった。


 というのも、あの後。街ゆく人に事情を説明して、警吏の場所を聞こうとしたのだが、何故か拒絶。

 「そんなものは無い」そう言われて逃げられてしまった。


 それでもめげず、様々な人に声を掛け、漸く

 「この地域を守っているのはエルシュー様で、警吏をしているのはゲレル様」

 ――と、いう情報をゲット。


 そのゲレル様とやらの居場所を教えて貰おうとしたが、また逃げられて。

 三度目の挑戦。やっと簡単な地図を貰ったものの、結局迷ってしまったからである。


 「い、いや、俺のせいじゃないし。地図が悪すぎなんだよ、絶対」


 だからこうして片腕で男三人を抱え。

 片手に握りしめた地図と睨めっこしながら、街中をうろついている訳だ。


 「つーか、ゲレル様って誰だよ…」


 そもそも今思えば、そのゲレル様とやらの事を聞き忘れていた。

 「様付け」されるぐらいなので、偉い人物なのは間違いないだろうが、分からないものは分からない。

 「ゲレル様」とやらの特徴ぐらい、屋敷の特徴ぐらい聞いておくべきであった。


 しかし、もう仕方が無い。話を聞こうにも、町民には逃げられるのだ。自力で辿り着くしかない。

 ブレイルは歩みを止め、あたりを見渡した。

 側に「メイデル」そう記された看板が立っている店がある。

地図を見れば、地図にも同じ名前が記されている。それは分かった。


 問題は此処から。

 地図上では、その店メイデルから更に真っすぐ先に進んで、三つ先の角を曲がった先に、ゲレル様の館があると記されている。


 ブレイルは顔を上げて、目に見える道を確認。

 「メイデルの店」その先。確かに曲がりが角は存在する。

 大きくはないが小さくも無いが3つと、目に見えて分る程に大きなが3つ。それが見事なまでに交互に並んでいる


 ――さて、三つ先の角。いったいどれの事だと言うのか。


 「わかんねぇよ!もっと詳しく書けよ!」


 なので、ブレイルは叫ぶしか無い訳だ。

 どうしてこの地図はこうも適当なのか。どうして道を聞いても逃げるのか。ブレイルの憤りは最もだ。

 

 ただ、町民の視点からも考えて見て欲しい。

 少年が、だ。10代後半の子供が、大の大人を三人軽々と抱えていたら、普通に怖い。

 剰え彼が担ぐ男達には嫌なも付いているのだから。

 というか、地図は結構しっかりとした物で、細かく記されているのだが。

 ブレイルはソレらに気が付かない。ただ、地図を睨みつけるしか出来ないのである。


 「そもそもこの街広くない?同じような建物ばかり並びやがって!目印ぐらい用意しとけよ!」


 「………二つ先の路地裏です」

 「――!!?」


 ぽつりと、真後ろから声が聞こえたのは正にその瞬間だった。

 あまりに唐突な出来事で、ブレイルは飛び上がるほどに驚く。


 思い切り振り返る。

 振り返り、そこに立っていた人物を確認したのち、ブレイルは直ぐに胸を撫でおろしたが。


 「な、なんだ。お前かよ」


 ブレイルの目に映ったのは、つい先程と変わらない真っ黒に身を包んだ一人の“少女”

 先程別れた筈の、名も知らない“彼女”がブレイルを静かに見つめていたのである。


 「お、驚かせるなよ!」


 “彼女”を前に、つい先程会ったばかりだったが、ブレイルは緊張したような口ぶりで、ぎこちない笑みを浮かべた。

 まさか、こんなに直ぐに再会するとは思ってもいなかったし。”彼女”はいつも唐突に現れるから心臓に悪い。


 ただ悪い奴では無いから無下に出来ないし、あからさまに怖がるのは流石に失礼だと分かっている為、コホンと咳払いを一つ零して、改めて“彼女”を真っすぐに見た。


 “少女”はそんなブレイルとは反対に、俯きフードを深く被ってしまうが。

 “彼女”は目を逸らしながら、細い指で一つの路地を指す。


 「………あそこ、連れて行ってください」

 「え?あ、ああ!そういう事か」


 何処までも静かな声に、漸く“彼女”の真意に気が付いた。

”この子”はどうやら、道案内してくれるらしい――と。


 ―― あれ?俺が目指す場所、知っているのか?


 ほんの僅かに、ブレイルの頭に疑問が浮かぶが。

 口に出す暇はなく。スタスタとブレイルを追い越して“少女”が歩き出す。着いて来いと言う事なのだろうと、ブレイルは慌てて“彼女”を追った。


 まあ、一連の出来事を知っているんだ。俺が目指す場所ぐらい見当ついているんだろ。

 ――なんて、簡単に判断して。


 其れよりも丁度良い。“彼女”とは話がしたい。


 「えーと。少しいいか?」

 「………」


 歩きながらブレイルは口を開く。

 ブレイルの問いに“彼女”は何も反応はしない。

 この様子からすれば、何も答えない可能性が高い、と思いつつもブレイルは続けて口を開く。


 「お前さ、名前――」

 「名乗る必要ありません。名乗りたくないです。どうしてもと言うのならモルスとでも呼んでください」


 一発目から拒絶だった。いや、答えてはくれたが、今のは明らかに偽名だ。今考えたに違いない。

 しかし、そんな人物もいるだろうと自分に言い聞かせる。

 問いに答えてくれるだけで十分だ。―― 次の質問にうつる。


 「えー、さっきの、さ。アドニス……だっけ?お前はあいつと一緒にいるの?」

 「……はい。先ほどは、彼が其方の方々を相手にしてくれました」

 

 ちらり、“彼女”がブレイルに視線を向ける。

 正確に言えば、ブレイルが担ぐ男達に。


 ――やはり、先程は随分と「アドニス」に迷惑をかけてしまったようだ。

 ブレイルは頬掻く。続けて少女が言う。

 

 「貴方も私を助けようと追いかけて来たようですね。一応礼を言っておきます」

 「い、いや」


 先ほどの礼だと言わんばかりに、小さくペコリ。

 正直あまり感謝されている感じはしないが。

 ブレイルは目を泳がせるように上へと向ける。


 「さ、さっきのアドニスってやつに、改めて俺が謝っていたって伝えておいてくれるか……?」

 「……後で伝えておきます」


 とりあえず伝言は伝えておこう。“彼女”はすんなり応じた。

 

 「私からも、一ついいですか?」


 さて、次の質問はと考えているとき。“少女”が遮る様に口を開く。

 ブレイルが視線を“彼女”に戻す。――直ぐに逸らされてしまったが。

 

 「なんだ?」

 そう問えば、“彼女”はゆっくりと口を開いた。


 「……先に言っておきます。私はそちらの方々を罰したいとも、罰しようとも考えていません。ですので、その方々に罪はありません」

 「――は?」

 

 “彼女”の口から出た言葉は理解が出来ない発言であったが。

 ブレイルは、考える。“彼女”と担ぐ男を交互に見る。「罰したいとも、罰しようとも思っていない」


 それは、もしかして自分は彼らに対しての怒りは無いから見逃せ、と言う事だろうか?


 暴行未遂とは言え、“彼女”は被害者だ。そして彼らは被疑者。

 被害者が許すと言うのなら、見逃すべきなのか?

 いいや。“彼女”が何を発言しようとも、婦女暴行しようとしていたのは事実であるし、今後同じ事を仕出かさないとも言い切れない。


 さすがに、見逃す事は出来ないのだが……。

 それを見越したように“少女”が、また口を開いた。


 「その方々に罪はありません。少なくとも、牢屋に入るほどの咎はありません」


 はっきり言い切る。相変わらず目は見えないが、無駄に圧を感じる。

 その視線に、ブレイルは考え。少しの間を置いてから、頭を掻いた。


 「――分かったよ。『お前には、まだ何もしていなかった』。ゲレル様だっけ?そいつにはそう証言してやる。けどな、暴行未遂については話させてもらうぞ!前科持ちだったらどうするんだ!」


 これが、ブレイルに出来る唯一の妥協。仕方がないので、彼女への暴行未遂は見逃すことを約束する。

 本当の所は、許せない事なのだが。ブレイルが引き下がらない結果、“彼女”が「案内止める」と言い出したら、それは困るからだ。だから、これは唯一限界まで引き下げたブレイルなりの答え。


 ブレイルの答えに“少女”は何も言わなかった。顔が見えず表情は見えないが、不満そうな様子は感じ取れない。

 ただ、何故だか呆れたような視線が浴びせられているのは分かった。

 そんな視線を送られても、ブレイルは判断を変える気はない。コホンと話を戻した。


 「他に何か言いたいことはあるか?」

 「……ありません」


 だが、“少女”からはこれ以上、何も聞きたいことは無いようであったが。

 少し待ったが、やはり“彼女”が何かを口にする様子はない。

 それなら、ブレイルは自身の質問にもどる。


 「じゃあ、質問に戻るけどいいな?」

 「……」


 やはり何も言わないが、肯定と取り、ブレイルは口を開く。

 一番聞きたかった事だ。


 「――お前さ、なんで、あのアドニスってやつと一緒にいる訳?」


 危険かもしれない。その言葉を押し込んで質問する。

 アドニスと言う男は危ない。ソレは違いない。

 “彼女”と彼が一緒に居るのは心配だ。何かあるなら助けたい。その一心で問いただす。



 「持ちつ持たれつ」

 「え」


 しかし“少女”から返って来たのは、意外な言葉だった。

 “少女”はそのまま口を閉ざす。


 ――持ちつ持たれつ?

 つまり、それは、何かしらお互いに助け合っていると言う事か?


 そう言えばと思い出す。アドニスも言っていた「彼女には借りがある」と。

 それが何か分からないが、結果的に協力し合う関係になったと考えるべきか。

 ブレイルの疑問に少しして、“少女”は渋々と言うように口を開いた。


 「――私は彼に住居と飲食など『暮らし』と言う提供をしています。それに対し、アドニスさんは私の『護衛と手助け』をしてもらっています。私一人だと暮らしづらい事もありますので、お互いに利益ありと考えた上での関係です」


 その答えを聞いて、漸く「ああ」と納得できた。

 つまり“少女”とアドニスの関係は、ブレイル自身とリリーと同じ関係だと。

 アドニスは自身を『異世界人』と言った、ならば自分と同じく行き成り“異世界”で暮らすには無理がある。1人で暮らすより、「こちらの世界の住人」に手を借りた方が一番楽だ。


 彼はその「住人」を“彼女”に決め、見返りとして用心棒を引き受けたのだろう。

 そして、今の話からだとこの“少女”は一人暮らしのようだ。”少女”にとっても男手があると色々と便利。


 「持ちつ持たれつ」――が合っているかは不明だが。お互い協力関係なのは違いないだろう。


 少々人選に問題があるのは、間違いないが。

……やはり心配なので、こちらも聞いておく。


 「アドニスってやつ大丈夫か?ほら、辛い事とか…」

 「特には。提供した住まいにも何も言いませんし、出す食事は文句なく食べてくれます。それ以外の身の回りの事は自身でしてくれますから、お互い適度な距離で過ごせています」

 「そ、そうか…」


 気になる点はそこじゃないのだが。聞きづらい。

 だが、少しして”少女”は「ああ」と呟いた。


 「もしも、それ以上の物を提供されているのではないか、と思っているのならご心配なく。彼は一人の大人ですから、私の様な子供を性的な目で見る事も、行為も求められていません。というか絶対無理があるでしょう」

 「――!!?」


 「もう少し言いますと、厳しく恐ろしい方ですが、暴力で言いなりにされている事もありません。私がミスすると、呆れて軽く頭を小突くぐらいです。たんこぶ一つできません。時折……恐ろしい目で睨んでくるぐらいです。でもそれは……それも私のミスから起こる事ですから気にしていません」

 「ちょ!!」


 思わず、ブレイルは少女の言葉を遮るように声を漏らす。

 そんなブレイルに“少女”は小さく首をかしげた。


 「聞きたいことはこういう事でしょう?」と――。


 いや、そうなのだが。

 そうだったのだが。


 こうもスラスラ口にされると困るものがある。

 しかし、まぁ、すこし安心する。

 こうも当たり前に、怯える様子もなく言葉に出来るのだ、アドニスとは、ただの普通な協力関係と見ていいだろう。


 アドニスという男が異常人物なのは確かだと思うが、協力関係になった相手には、そこまで危険な人物でないと言う事か。まだ、それなりに健常な判断が出来る人物なのだろうと判断した。

 その事実に胸を撫で下ろす。

 とりあえず、一番気になっていた一個目の問題は解決できた。


 ブレイルは、再び咳払いを一つ。

 再度質問に戻る。


 二つ目、これもまた気になっていた問題。

 一息ついてから、ブレイルは口を開いた。


 「――じゃあさ。次なんだけど、なんでお前戻って来たんだ?ほら、俺に声かけたのはなんでだ?」


 ブレイルのこの言葉に、”少女”は僅かに視線を向けた。



 ◇



 それは先程の事だ。

 先ほど路地裏での一悶着の後、“彼女“はアドニスと共にそそくさと去っていった。

 また暫く会う事も、見かけることもないだろうと思っていたが。


 予想外、街で困っていたブレイルに声を掛けて来たのは“彼女”だ。

 一旦アドニスと別れ、その後に偶然困っているブレイルを見かけ声を掛けた。

 その可能性も十分あり得るが。何故かこの時ばかりは、『“彼女”はブレイルの為にわざわざ戻って来た』そういう謎の確信があった。


 なら、なぜ彼女は戻って来たのか。コレが疑問なのだ。


  「余計なおせっかいするでしょ、貴方」

  「え!?」


  この問いに返って来たのは、これまた思わず声が漏れる答えであったが。

  “少女”は、一瞬だけチラリと後ろのブレイルに視線を送る。正確には彼が抱えている男たちに。


 「アドニスさんは『目の前にのびた暴漢たちがいても普通は放っておく』と言ってくれましたが、ブレイルさんでしたら、正義感からわざわざゲレルの所に連れていくのではと思いまして。案の定でしたので声を掛けさせて頂きました」

 「あ、そ、そう。」

 「それと、仕事もありますから」


 ブレイルの言葉を彼女は否定しなかった。

 どうやら、ブレイルの「彼女は自分の為に戻って来た」この考えは正解で。戻って来た理由も唯ブレイル自分の為だったようだ。

 

 「余計なおせっかい」は少し酷い気もするが。結果、助かったのは事実だ。

 ――ふと疑問が頭を巡る。

 あれ、この子、なんで――。


 「ここです…」


 しかし、その疑問を口にする前に“少女”は突如として立ち止まる。

 話に夢中になって気が付かなかったが、目的地に着いたようだ。


 気づけば、暗い路地の道。ブレイルは顔を上げる。


 目の前には大きな古ぼけた屋敷が一つ。白煉瓦ではなく、木造作りの屋敷。

 玄関前には、屋根付きのテラスがあって、小さなテーブルが一つ。

 しかし全てがボロボロ。手すりなんて今にも壊れてしまいそうだ。

 その外装は、確かに「屋敷」と表すのに相応しいが、ボロボロ過ぎで周りの雰囲気とあまりに合わない。


 ここが「ゲレル様」のお屋敷と言うのか?

 思わず、本当にここかと、ブレイルは“少女”を見つめた。


 だが、”彼女”はもう何も言わない。それ処か“彼女”は中に入る気が無いらしく、屋敷の前に置いてあったボロボロのベンチに向かうと、腰掛け小さく丸まってしまう。

 ――どうやら、中には入らないが、待ってはくれるらしい。


 その様子だけで、何を言っても梃でも動かない意思が感じられて。ブレイルは仕方がなく再度屋敷を見上げる。

 魔王は出ないが、魔女やらお化けは出てきそうだ。

 

 ごくりと、生唾を呑む。


 いや、しかし此処で臆していて何が勇者だ。

 お化けとかこんなもの魔王軍のゾンビ軍団と比べれば可愛い物だ。


 そう心して、ブレイルはボロボロ屋敷へ足を進め、錆びだらけの扉のノブに手を掛けた。


 ……少しだけ開いただけで、ありきたりに「ぎぃ」なんて軋む扉の音。

 おもわず、肩が跳ね上がる。

 スキマから、中をのぞくが、暗くて何も見えない。


 しかし、と。ブレイルは再度決意する。


 「――ええい!ままよ!」


 そんな音にビビっていられるか!

 なんて、「ありきたりの音」を打ち消す様にブレイルは声を上げて、思い切り扉を叩き開くのだ。

 ……べつに怖いとかじゃない。


 「ばん」と大きな音が響く。

 衝撃で、はらはらと天井から砂埃。

 一番に目に入ったのは。


 「…くそうぜぇ…」


 眼鏡をかけた一人の“男”であった。



 ◇



 目に映るのは不機嫌と言う言葉を形にしたような、険しい顔をした男。

 長い黄緑の髪に、スラリと整った顔立ちには、形の良い鼻と薄い唇。鋭い灰色の瞳に眼鏡をかけ、真っ白な白衣を纏った、そんな容姿の“男”が、待ち構えていたように扉の前で立っていたのだ。


 「え、ええええ!!?」


 これにはブレイルは驚くしかない。

 ――いや、“男”が待ち構えていたからじゃない。


 「ラスク!!?」


 その“男”が、ブレイルの偏屈な魔法使い仲間その人であったからだ。

 だから当たり前のようにブレイルは、その仲間の名前を叫んだ。叫ぶしかなかった。

 お前もこの“世界”に来ていたのか、なんで此処に居るんだ、とか、声にしようとして。


 しかし、その違和感は直ぐに訪れる。

 彼の此方を見つめる冷たい眼。自身より背が高くて、ブレイルを見下ろすその目。

 こちらを見降ろす目があまりに冷たいその眼は、まるで初対面のソレだ。


 「患者、そこに置け。ほらそこの床で良い。早く」


 そんな冷たい目で、目の前の“仲間ラスク”がこれまた冷たい声で支持する。

 しかし、ブレイルは呆然とするしかなく、ただ立ちすくむ。

その様子に“ラスク”は大きく舌打ちを繰り出した。


 「とんま、聞こえないのか。ぐず。――抱えている患者、そこに置け!!役立たずになりたいのか!」

 「――!!」


 あまりの暴言にブレイルはやっと我に返る。

驚いたまま、言われるままに屋敷の中に入って、抱えていた男たちを指された床に降ろす。


 「……タナトス信者か、最近加入したばかりだな」


 途端に“ラスク”はブレイルを押しのけると、膝を付き男たちに手を伸ばした。

 腕に入った刺青を確認してから、次に何かを確認するように彼らの頭に触れる。

 ”彼”の、その様子は、まるで診断しているようだ。


 少しして、”ラスク”は再び舌打ちを繰り出した。


 「まじか容赦ゼロ。骨イッてんじゃねぇか!仕組み知って面倒になって力任せにやったって所じゃねぇだろうな?異常者が!――あー、それと、おい緑の馬鹿ガキ」


 鋭い眼がギロリとブレイルをにらんだ。もしかしなくても、緑の馬鹿ガキはブレイルである。

 “ラスク”はブレイルを睨んだまま、言葉を発する。


 「おまえ。こいつらの事この状態で馬鹿みたいに担いでここ迄やって来たのか、テメェの世界は応急処置一つ知らない馬鹿か?それとも魔法でなんでも出来るおめでたい世界か?それにしては魔法なんぞ掛かってないように見えるが?」

 「は?え?」


 応急処置?いきなりそんなマシンガンのごとく問われてもブレイルは何も答えられない。

 頭を掻いて、困惑するだけ。そのブレイルの様子に“ラスク”は再び思い切り舌打ちを繰り出した。


 「つーか、おまえどう見ても医者じゃなければ、そう言った魔法も使えないだろ。切り殺す事しか能のねぇ、ぐず。」

 「――!」


 何という暴言なのだろう。

ここ迄言われて、ようやくカチンと頭にくる。

 何故ここ迄言われなくてはいけないのか、腹立たしくて、何か言ってやろうと口を開く。

 

 「おまえ――!」

 「うるせぇガキ!!こちとら呼ばれたんで向かってみれば患者は居ねぇ!頭蓋叩き割る異常者と、ちゃんとした判断が出来ない馬鹿!!『異世界人』ってのは異常者と馬鹿ばかりか!!言っとくがな、馬鹿ってのはテメェの事だ『異世界人』!!!!!」

 

 ――けど、その剣幕に何も言えなくなってしまった。

 屋敷中に男の怒鳴り声が響き、頭がきーんとする。

 どうして此処まで、この男が怒っているか分からないが、これだけは分かる。


 “彼”はどう考えても“ラスク”じゃない。

 ラスクは偏屈であったが、こんなに暴言を吐きまくる性格ではない。

 それに、よくよく聞けば目の前の“男”の声はラスクと違っていた。


 つまりだ、目の前に居るのは完全なる別人。

 しかし、その容姿は似ていると言う物じゃない。


 この“男”の容姿は一寸の違いもなく、いや、よーく見れば、身長と年齢が違う気もするが。

 なんにせよ、目の前の彼がラスクその人であるのには違いない。


 いや、というかこの人物。この屋敷の主であろうこの人物。

 彼こそが“ゲレル”様とやらなのだろう。何故だか、確信した。


 ――“ラスク”…否“ゲレル”もう何度目かも分からない舌打ち。


 「……もういい。患者は受け取った。処置にうつる」


 相手にしていられないと。”ゲレル”が当たり前のようにブレイルから目を逸らしたのはこの時。

 その瞬間からブレイルに興味を失ったようで、“ゲレル”はビニール手袋を手にはめると、気を失っている男達へと手を伸ばした。


 淡く“ゲレル”の手が輝く。

 そのまま輝く指先が、一人の男の頭に触れた。

 いや、「触れた」じゃない。

 僅かに頭に触れたかと思えば、その瞬間、”彼”の指先はすぶりと男の頭に食い込んでいったのだ。


 呆然としていたブレイルも我に返り、これには身体が動く。

 

 「何してるんだ!」


 叫びながら“ゲレル”の肩を掴もうと手を伸ばす。

 しかし、伸ばした手は肩に触れる前に止まった。

 その異様さに、気が付いたのだ。


 目の前の光景。

 男の頭には“ラスク”の指が第一関節ほどまで深々と突き刺さっている。

 違う。正確に言えば、それは頭に突き刺したと言うより、まるで男の頭が“ゲレル”の指を飲み込んでいると表した方が正しい。やわらかな砂に指を押し込んだ。そういえばイメージしやすいか。

 頭には指が深々と押し込めれているのに、血は一滴も溢れていない。


 「……頭蓋の罅、修復完了。外側はコレでいい。……脳は……よしこれで良い。……首は、むち打ちだけか、神経もやられてない。運が良いと言うか、まさか手加減してコレってことか?」


 “ゲレル”が何やら呟いている。

 その様子は正に治療を施す、医者と呼べそうな「何か」だった。

 いや、“彼”は確かに男たちを治療しているのだろう。その様子が異常なだけ。


 どんなふうに治療しているかは変わらない。「見えない」から分からない。

 ただ人間の頭に指を埋め込ませて。「そうやって治している」それは嫌でも理解した。

 “ゲレル”が治療を終わらせたときには、男の顔色が見てわかるほどに良くなっていたからだ。そのまま“ゲレル”は次の患者にうつり、同じように治していく。


 これは魔法の類か。しかしブレイルの世界では、こんな魔法は見たことも聞いたこともない。癒しの魔法が得意とするパルでさえこんな魔法は使えない。

 いや、そもそも“ゲレル”のそれはどう見ても魔法に見えない。


 それは正に、ああ。そうだ。

 ――“神の領域”だ。

 

 ここで漸くブレイルはエルシューの言葉を思い出す。

 リリーも言っていたじゃないか。この世界では神様は沢山いる。

 知っている限り少なくとも、生命の神、太陽の神、愛の神、恋の神、そして——光の神。


 光を司る様な神であるならば、人間の治療なんて当たり前に行えるのではないか、つまりだ。

 ゲレルという、目の前の“男”は光の――。

 

 「おい、ゲレル…でいいんだよな!お前——」

 「は?ゲレルだと?――ただの“光”が人間を治療できるはずねぇだろ。俺は“医術”だ、見て分るだろウスノロ!」


 ――間違えた。

 ゲレル……否。目の前の“医術”と名乗った男はすさまじい形相で睨み上げて来た。

 びくりと震えるブレイル。

 “医術”は舌打ちを繰り出して、目の前の患者に意識を戻す。

 いや、ブレイルの推理は間違えていないと言えば、間違えていないのだが。


 治療が終わったのは数分後の事だ。

 全ての治療を終えた“医術”を名乗った男は。ようやくと言わんばかりに、立ち上がると酷く険しい顔でブレイルに再び、身体ごと視線を移す。


 見て分るほどに彼は怒っている。何故か怒っている。何故怒っているかは分からない。

 ただ、ブレイルからすれば。「知り合い」が向けた事もないような怒りの表情。

 そんな「友」を前にブレイルは口を噤んでしまう。なにを言っていいのか分からない。


 あまりにブレイルが情けない顔をしていたからか、少しして大きなため息が一つ。

 険しい顔をしつつも、“医術”と名乗った男は静かに口を開いた。


 「人違いをしたんなら、謝れ!!俺はアイツ等が大嫌いなんだ!!」


 出たのが怒号。――……アイツ等とは?

 もしかして「ゲレル」とか言う、“神”の事か?


 「わ、わるい」


 とりあえず。思わず流れるように謝罪を声に出す。

 ただ、思う所は勿論ある。


 なんで、其処まで怒っているのか――……は、置いておいて。

 ゲレルでないのなら、この男は誰だと言う事。


 「あ、あのさ。じゃあ、あんた。だれ?“医術”って言ってたけど」


 おずおずと問う。

 男は僅かに顔を顰めた。まるで「知らないのかよ」と言わんばかり。

 それも瞬間だ。舌打ちを、また一つ。

 “医術”は改めて、自身を名乗るのだ。


 「――俺はアクスレオス。腹立つがこう名乗ってやる。――“医術の神”アクスレオスだ。そしてここは俺の……『医術の診療所』。光、の神『ゲレルの警備屋敷』はこの裏路地から二つ先の大きな道にある屋敷だ」


 自己紹介のついでに、新事実を添えて。

 ブレイルは放たれた言葉に着いて行けず、呆然だ。

 なにせ、今まで自分は「ゲレル」と言う存在の屋敷に居ると思っていたのだから。


 「――」

 「お前、案内にまんまと騙されたな。違和感、感じなかったのか?ま、勝手な行動したのはお前だし、これも御心だ。これはもう俺の患者だ。善人だろうが咎人だろうが関係ない。――邪魔だからお前はでていけ」


 無言のブレイルに、アクスレオスと名乗った“神”が不機嫌そうに言い放つ。

 静かで、しかしまるでゴミか何かを見つめるような目だったと言う。


 ――そして。

 未だに状況がつかめていないブレイルの首根っこを引っ掴むと。

 もう、用は済んだと言わんばかりに。

 そのまま、ブレイルを想像以上の力で引っ張り、すぐ傍の扉へ。

 ポイッと診療所の外へ投げ捨ててしまうのだった。



 ◇



 ばたんと、目の前しまった屋敷の扉。その前でブレイルは呆然と考える。

 ブレイルは暴漢たちを、街の警吏を務めると言う、ゲレルなる人物の屋敷に向かっていた。


 ――……これが最初から、今までやり遂げようとしていた目的だ。

 そして、結果的に“少女”の案内により、この屋敷についた。

そして、屋敷の主人に引き渡すことはできた。ある意味目的達成だ。そこまでは良い。


 しかし。

 この屋敷の男、あの男、仲間の姿をして医術の神を名乗ったアクスレオスと言う男。

 彼はこの屋敷が「医術の診療所」だとか抜かした。つまり、ここは、「ゲレルの屋敷」ではない。

 そもそも、もちろんあの男、この屋敷の主人であろう男ははっきりと「アクスレオス」と名乗ったので「ゲレル」な訳もない。

 


 つまり――。

 ここは目的地でも何でもない。



 つまり――。

 案内してくれた“少女”に騙された訳である。 



 ここまで三分。…長かった。



 ◇



 「おまえぇぇ!!だましたな!!」


 勿論、ブレイルは事実にブチギレる訳で。

 我に帰るや否や、屋敷に入る前に彼女がいた場所に、それはもう凄い形相で振り返ったのである。

 そもそも、迷わずここに連れてきている時点で。“少女”は、ゲレルの屋敷に連れて行くつもりは、端から無かったようだ。


 なんにせよ、騙されたことが腹立たしい。

 一言怒鳴りつけて、げんこつ一つくれてやらなければ気が済まない。

 そんな勢いでブレイルは“少女”に顔を向け。


 そして。

 ただの一瞬で、身体が固まったのである。


 屋敷に入る前と変わらず、屋敷の前のベンチの上で小さく丸まる“少女”。

 その前に、その“彼女”をギョロリ、ギョロリと――。


 ――只ひたすらに例えようがない、“化け物”が見下ろしていたのだから…



 ◇



 ブレイルは、ただただ息を呑む。

 その場の時間が、止まったような、そんな気がした。


 ぎょろぎょろの大きな沢山の目玉とか。

 縦に大きく広がった涎が垂れ流しの大きな口とか。

 肩にいれられた鈴の花とか。

 金色の物体とか。

 皮膚が無い血管むき出しの緑の身体とか。

 手が異様に太かったり細かったり。

 足が三本で、指がうねうね沢山あったりとか。

 ぱっくり開いたお腹から内臓が触手のように蠢いているとか。

 少し動くたびに背中から蛆がぽろぽろ落ちてくるとか。


 人間じゃない。モンスター?

 でも、こんな存在見たこともない。

 

 そんな存在が“少女”を悍ましく、物欲しげに、見下ろしている。


 意味が分からない。意味が分からない。意味が分からない。

 あまりに展開が急すぎて、頭が全く回らない。

 だって、いままで、平和すぎるぐらいな、街だったのに。


 ――ごああああああああああああああおあああああああああぢあああああああああああああああえぇ


 化け物が叫びをあげる。意味も分からない声を上げる。

 血走った目で、“少女”を見下ろしたままに、大きく腕を振り上げる。


 ――ブレイルの身体は自然と動いていた。

 頭が理解に追いつく前に。

 地面を蹴り上げ、聖剣を抜く。


 屋敷の手すりに手をつき。勢いよく飛び上がれば、身体はふわりと宙に浮き、障害物を軽々と飛び越える。

 眼光はすでに化け物の首をとらえていた。


 振り下ろされた手が、“少女”に触れる前に、2人の間へ。刃を振り上げる。

 その刃は、手を振り下ろす化け物の、その腕を抜け。緑の膨れ上がった首へ。――迷いはない。

そのまま、グチュリという嫌な感触のままに首を撥ね飛ばす。


 化け物の頭は勢いのままに、飛び上がる。

 空中で、くるくる回って、少し。

 まるでトマトがつぶれるように、ブレイルの足元に潰れ落ちた。


 首からは血しぶきの様なモノは出なかった。

 ただ、無くなった場所から、ドロドロとろみの掛かった黄色い液体が流れていくだけ。

 化け物の身体は、そんな液体の中に膝から崩れ落ちていく。

 ぐしゅり、ぐちゅり。何もかもが嫌な音。


 ブレイルの足元に、倒れた化け物は、酷い匂いを放つ。


 「………」


 そんな様子を“少女”はただ無言で見つめていた。

 いつの間にか、ブレイルの隣迄来ていて。

 ただぼんやりと、もう動かなくなった。緑の身体と。

 まだ、小さく何かをつぶやき続ける異形な頭を。

 「……グレイス………」

 黒い瞳がただ静かに見つめ、空中で、指を小さく動かすのだ。


 ――化け物は声も出さなくなった。

 沢山あった目は、みるみるうちに白く濁り。唇の動きも止まる。

 完全に死を迎えたのは確かだった……。


 ひどい悪臭が漂う中、ブレイルは大きく肩で息をする。

 聖剣についた黄色い液体。それを見て、何とか間に合ったのをわずかに実感する。


 しかし、けど、でも、今のは、本当に、ちゃんと、刃は通ったのか?

 だって、ほら、かんしょくが、てごたえ、おかしい、なかった。


 あまりに勢いのまま、ただ身体だけを動かしたから、頭がまだ上手く回っていない。

 大きく息をしながら、必死に酸素を身体に巡らせながら、やっと我に返る。

 そう、“彼女”。あの“少女”は無事なのか。


 「おい!!おまえ!!大丈夫か!!」


 ブレイルは“少女”の肩を掴む。

 “彼女”はぼんやりと佇んでいた。

 ただ、その視線は化け物へと注がれている。

 液体を垂れ流して、つぶれた頭。ただ、それをじっと見つめている。


 「――!!見るな!」


 ブレイルは“少女”の頭のフードを深く被らせる。

 あまりに異常で、恐ろしくて、女の子には見せるべきでないと判断したのだ。


 “彼女”は何も言わない。ただ、大人しく従うようにフードを深く被る。顔を俯かせ、その場を離れていく。

 再び、ベンチの上で小さく丸まった。そんな“少女”を見て、ブレイルはようやく安堵した。

 “彼女”には、ぱっと見だが、傷一つない。間に合ったのは違い。


 ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!


 そんな安堵している暇もなく。叫び声が響く。

 此処からではない。恐らく路地を出た大通りからだ。

 それに、この声。


 「リリー!?」

 それは間違いなくリリーの物だ。

 ブレイルは一瞬“少女”に視線を送るが、唇をかみしめて駆けだす。


 「お前はそこの神様の所に居ろ!!」


 それだけを叫び伝えて。

 ブレイルは叫びが上がった大通りへと走る――。



   ◇



 「……」


 そんな騒ぎの後、診療所の扉が開いたのは直ぐの事。

 屋敷から出て来た。男は静かに化け物の残骸を見下ろす。

 その目に映るのは、金色のネックレス――。


 彼は愕然と、ただ、絶望に染まって、唇をかみしめ、

 最後に“少女”へ、その鋭い視線を向け――。




 『――勇者は戦った!』

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