1節 ブレイル・ホワイトスター3



 この世界に、“神様”と名乗る存在が現れたのは、何時の頃だっただろう。

 それはあまりに古い太古の時代からであるため、覚えている人間は存在しない。

 一番初めに現れた神は誰であったか、本当の所、もう誰も知らない。

 それ程までに、この“世界”では昔から数多く神が存在し、二兎と共に暮らし、細やかな幸福を与えながら、崇められている。それが、この“異世界”の在り方であった。


 そんな神と人が共存する『“街”』は、とても美しい。

 白を基調とした外壁だけでない。美しいのは住人の在り方だ。


 夜が無くなったと言うのに、彼らは文句ひとつ言わない。

 「仕方がない」と笑顔を浮かべ、理不尽を起こした神々に怒る事もなく当たり前のように日常に溶け込む。

 街に並ぶ沢山の露店からは、店主の大きく通る声が響き。その顔に名一杯の笑顔を浮かべて接客、どこの店からも人柄の良さがあふれ出る。泣いている子供がいれば、誰もが駆けよって対処に当たる。困っている人物がいれば、すぐ様に手を差し出す。来るもの拒まず、誰にでも親切に。まさに温かみにあふれる『“街”』と言えよう。

 

 そんな『街』の中心にある時計台の上に、その“生命の神”と呼ばれる存在は住んでいた。

 白いレンガを高く積み上げ、至る所にステンドグラスが埋め込められた白亜の塔。

 黄金の鐘へと続く、広く白い螺子階段。

 花で飾りつけられ、汚れなど一つもない部屋の中。

 真っ白な玉座にも似た椅子に、神エルシューは優雅に腰かけていた。


 妙に白い肌、白い髪、切れ長の紫色の瞳。

 線の細い美しい顔立ちに、純白の衣を纏い、程よく筋肉が付く細い身体は、淡く淡く輝き。浮かべる笑みは自信と慈悲に満ちている。


 それはあの夜、ブレイル達の前に現れた男に間違いない。

 対峙したブレイルとパルは、その美しさに思わず息を呑んだ。


 こうして面と向かって対峙してみると、彼は人間じゃない。もっと上の存在。神であると嫌でも理解する。出来てしまったわけだ。

 そんな緊張から固まる二人とは反対に、2人を紫の瞳に映したエルシューは爽やかな笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。


 「――やぁ。勇者ブレイル、そして聖女パル。昨日ぶりかな?頼んだ仕事の方はどうだい?倒せそうかい?」


 優しく気品に満ちた声。

 “神”なる存在は、まるで親しい友を迎えるように、美しく笑みを浮かべたまま、嬉しそうに二人へと近づく。

 思わず傅きたくなる男の前で、ブレイルはただ困惑するしかない。


 ――まさか本当に、こうも簡単に神様に会えるとは。


 エルシューの元に連れて来られたのは、あっと言う間の出来事だった。

 昨日の話し合いの通り。一夜明けた今日、2人はリリーと彼女の父アーノルドに連れられ、この時計塔へやって来た。


 最初に目にしたのは、時計塔の前に並ぶ沢山の街の住人達。

 その全員が、果物やら、花やら両手にいっぱい抱えて、列を作っていた。

 それがエルシューの信者たちで、“神”に謁見するために並んでいる……と言う事は嫌でも察することが出来た。


 此処まで信仰されている神なのか、と驚いているうちに。

 アーノルドとリリーが時計塔の前にいた、妙に美しい容姿をした門番たちに話しかければ、あっという間にエルシューの元に案内されたのである。


 と、まあ。そんなのは些細な事だ。

 ここで、ブレイルは我に返る。パルを見れば、彼女も同じであったようだ。

 2人は顔を見合わせ、頷き合った。

 そして意を決したように、真っすぐ。目の前まで歩み寄って来た、神エルシューを見据える。


 「エルシュー!お前に聞きたいことがある!」

 「うん?」


 ブレイルの強気な発言。

 しかしエルシューは全く気にしていないのか、微笑みを絶やさない。

 どうやらこの神は、これぐらいは何とも思わないらしい。

 ならば、とブレイルは一度生唾を飲み込み、言い放つ。


 「お前の答えによっちゃ、俺たちは元の世界に戻らせてもらう!」


 取り敢えず、これだけは先に言っておくと決めていたことを。


  ◇


 2人は、エルシューから「世界の危機」

 そう助けを求められたからこそ、異世界へやって来た。

彼らを助けたい、その一心で。


 しかしだ、現実はどうだ。

 リリーは「そんなものは無い」と一括。剰え「この“神”エルシューは何かと理由を付けて異世界から人を連れてくる」とまで伝えられた。

 つまり自分達はエルシューに騙された可能性が高いと言う事。


 それならば、彼らが出す答えは一つしかない。


 「騙して自分たちをこの世界に連れて来ただけなら、帰らせてもらう!」


 それが二人の、当たり前な最後に導き出した答えである。

 ブレイルの言葉決意を聞いてエルシューは口を閉ざす。

 かれは一体何を告げるのか、彼の言葉を待つ。


 僅かな間が流れる。エルシューは何も言わない。


 ……少しの間。エルシューは何も言わない、


 …………いや、長い間。エルシューは何も言わない。


 あ、いや。

 何も言わないけれど変化はあった。

 微笑んでいたエルシューの顔が見る見ると、変わっていったのだ。

 怒ったか、いや怒りじゃない。


 眉を「ハ」の字にして。

 目に沢山涙をためて。

 口を「へ」の字にして。

 ――なっさけない顔である。


 「えええ!?なんでぇ!!僕の事すてないでぇぇ!」


 そして、ようやく口を開いたかと思えば出たのは、情けない声である。

 しかも何を思ったのか、エルシューはそのままブレイルにダイブ。

 わんわん泣きべそをかきながら、鼻水を垂れ流しながら、抱き着いて来たのである。

 うん、これは酷い。


   ◇


 抱き付かれたブレイルはあまりの事に固まる。

 勿論隣にいたパルも同じだ。彼女は、数歩後退った。

 いままで“神”として在った男が、だ。泣きわめき始めるとか、ドン引きでしかない。


 「おま!?きたな!!は、はなれろ!!」


 我に返り引きはがそうと引っ張るが、エルシューはびくともしない。無駄に力強い。

 ぐすぐす泣きながら


 「捨てないで」だとか

 「僕が悪かったから」とか

 「力かすから」とか、色々駄々洩れである。


 あまりの事にブレイルが後ろにいた。アーノルドとリリーに助けを求めるのも仕方がない。

 2人は苦笑いを一つ。アーノルドが口を開いた。


 「エルシュー。彼らは貴方に聞きたいことがあって来たんですよ。まだ見捨てていません。最後まで話を聞いてください」

 「ふえ?ききだいこと?捨てでない?ほんとぉ?」


 アーノルドの言葉に、エルシューは漸く身体を離す。

 鼻水がブレイルの服にベットリ張り付いて、まだグスグス泣いていたけれども


 「どうしたんだい?」

 キョトンとした様子で、問いかけてきたのだった。


 「どうしたんだい…じゃない!」


 我に返ったブレイルは、エルシューの頭をバコンと一発。

 エルシューは「痛い」と泣いて蹲った。その様子に苛立っても仕方が無い。

 泣くエルシューにお構いなしに。いや、神の威厳とかもう粉々になっていたから、ブレイルはエルシューに掴みかかる。


 「お前!!俺達に強大な悪がいるって言ったよな!!それを倒してほしい!そうだよな!!助けて欲しいって言ったよな!」

 「う、うん」

 「それなのに、詳細も言わずに突然異世界に飛ばして、全部投げやりにして、ほったらかしとかどういうつもりだ!!」

 「う、そ、それは」

 「何処だよ、その強大な悪って!!」

 「だ、だから……」

 「つーか、聞いたぞ!お前は適当な理由を付けて、異世界から人間を何人も連れ込んでいるだけって!人間を繁栄させるためだけで合って、此処には魔王とかいないし、世界の危機とかも無いって!!どういうことだよ!!」


 ――と思いの丈をぶちまけてやった。

 しかし当然である。

 何度も言うが「助けて欲しい」なんて言われたから、承諾したら。そのまま異世界に飛ばされて……それは良い。自分達が選んだことだ。


 問題はどうして、なんのために、本当は何の用で、ここに連れて来たか。そして、あやふやの謎のまま放置されたことだ。

 「巨大な悪がいる」なんて言われたが、この世界に、そんなモノいるようには見えない。だからブレイルの怒りは至極当然な物だ。


 エルシューは、

 エルシューはブレイル怖いと泣いた。


 その様子に、ブレイルも「ぶちっ」と来た。

 そこからはもう勢いだ。さっきから勢いしかないけど。


 「エルシュー!お前、俺達に助けて欲しいって言ったよな!」

 「言ったよ!君達、承諾したじゃないか!あ!!それを途中で投げ出すのは酷いよ!」

 「途中で投げ出したのはテメェだろ!おかげでこっちは、パルと離れ離れになったんだぞ!」

 「重かったんだもん!仕方がないじゃん!」

 「おも…!」


 ブレイルの勢いに、エルシューは流されるままに答えていく。

 いや、自分たちは重かった、と言う理由で投げ捨てられたのか。


 「なんで探しに来なかったんだよ!!」

 「僕が君たちの居場所、知る訳ないだろ!!!」

  ……もう一発殴った。


 あまりの言い訳に、信者であるはずのリリー達もエルシューを庇う事はしない。

 パルだけは「落ち着いて」とブレイルを止めたが。

 彼女に止められて、ブレイルは僅かに怒りを収めた。次の本題に入る。


 「もういい、じゃあ…」

 「ひどい二回もなぐっだぁぁぁ!!」

 「おいはなし…」

 「暴力はんたいだぁぁ!!」

 「だから、はなし…」

 「びぇぇぇぇぇぇ!!」

 「………」


 勿論と言うべきか、話は一切噛合わないけど。

 ――うん。理解した。ブレイルは一つ理解した。


 この男に遠慮は必要ない。

 いや、と言うかこの男、この神。――駄神だしんだ。


 何故、お前が被害者ぶる事が出来る?

 被害者はどう考えてもブレイル達だぞ。


 ブレイルは再度拳を作り上げる。


 「泣き止め。もう一回殴るぞ」

 「ッひ!ご、ごめ…ど、どうして英雄ってやつらは皆こうも怖いんだよぉ」


 結果、エルシューはしゃくり声を上げながらも泣き止んだ。

 その時の殺気は、すさまじい物だったと後でパルは言う。



  ◇



 エルシューがやっと泣き止んだところで、話を戻す。

 ブレイル達を何のためにこの“世界”に呼んだか。これを判明させるために。

 正座するエルシューにブレイルは口を開いた。


 「もう一度聞く。お前は俺達に助けて欲しいって言ってきたよな。」

 「うん。いった」


 コクリと頷くエルシュー。

 パルが続ける。


 「ええと。強大な悪がいるとか…でしたが、それは作り話…では無いですよね?」


 もうこの会話、三回目なのだが。

 殺気を漂わせるブレイルに、パルはブレイルと比べればかなり落ち着き、エルシューへの気遣いも感じられるが、その言葉の端々から疑いの色が伺えられる。彼女もエルシューへの信頼はガタ落ちのようだ

 だが、そんな二人を前にエルシューは大きく頷いた。


 「作り話じゃないよ!強大な悪はいる!本当だ!君がさっき言っていた、適当な理由を付けて異世界から人間を連れてきている。それも誤解だよ!異世界の人間は強いって話だから、承諾を得て連れてきているんだ!理由は君たちと同じ!……でも一般人は皆弱かったから。むしろ力寄こせ、とか言って来るし、おれつええ?意味わかんない。そんな神の力、ポイポイあげられるはずないじゃん」


 ああ、しかも、意外にも。ちゃんと話聞いていたらしい。いや気になる点は、無いこともないが。

 

「だから!」


 ――とエルシューは叫ぶ。


 「今度はちゃんとした、世界を救った英雄様に声を掛けたんだよ!」


 潤んだキラキラした目で、ブレイル達を見据えながら。

 その様子は嘘には見えない。


 エルシューのそんな姿を見てブレイルは僅かに胸を撫で下ろす。

 口車に乗せられ、連れて来られた訳ではなさそうだ。だったら、次の問題だ。

 

 「じゃあ、その悪ってのは、何処にいるんだ?城とかか?根城は?」


 少し冷静になって言葉が出る。

 だが、ブレイルの言葉にエルシューは再び「きょとん」。


 「え?知らないけど?この『“街”』のどこかじゃないかな。いつもフラフラしてるし」

 「…は?」


 しかし次に帰って来たのは、的を射ない、適当な言葉だった。

 いまなんて?しらない?このまちのどこか?ふらふらしている?

 こいつが言う強大な悪とは、そんな自由気ままに街にいると言うのか。


 「むしろ、今の僕はアレだけにはどうしても勝てないっと言うか。だから君たちを呼んだだけだし」

 「……は?」


 どんな悪だよ、と思っていると、また聞き捨てならない発言が一つ。

 嫌、何だ、勝てないって。先程この男、協力するとか言っていなかったけ?

 だと言うのに、信じられない言葉であると言うか。協力とは?


 「うん、でもあれ!他の“神”は味方してくれるよ!“愛の神”とか、“恋の神”とか、“光の神”とか?それにこの『“街”』にいるのは確かだから、すぐ見つかるよ!他の“神”とか比べ物にならない程、あいつ陰気で強いから!」


 おい、矛盾。

 いや愛だとか恋だとか光だとか、確かにあまり強そうでないけど。

 いや……むしろ、その“神達”が足元にも及ばない、悪とやらの特徴も知らないのだが。


 「あの、そのエルシュー様や、他の神様が勝てない相手とは、一体どのようなお姿で?」


 呆然とするブレイルの代わりに、パルがエルシューに問いただした。

 その問いかけに、何故かエルシューは顎に手を当て悩み始める。


 「さぁ、だから僕、アレに会えないんだって。見るのも無理。あー、でも何時もバカでかい本をもって、青い白い顔してたかな?貧血でさ。まぁ一万年以上前の話だけど…」


 パルが思わず息を呑むのが分かる。ブレイルも同じだ。

 この男はサラリと一万年以上も前の話をしたのだ。冗談かと思いたくなるが、エルシューの様子からは、冗談には全く見えない。


 むしろ、“神様”より強力な力を持っていて、一万年前から生きている存在。そんな散在は一つしか知らない。正確に言えば、たった今知った。見ている……と言うべきか。

 少しの間、動揺しつつもパルがまた口を開いた。


 「ええと…その存在は、魔王か何かでしょうか?」


 おそらくパルも考えたくなかったのであろう。

 しかし彼女は遠回しに核心を付く。

 パルの言葉に、エルシューは何処までも美しく笑った。


 「魔王?あはは!そんなモノいないよ!この世界に魔族?モンスターっていうの?いないから!安心してよ!そんな化け物の姿?えーっと、モンスターじゃないから!」


 魔王と言う存在を、魔物と言う存在を全否定してから、彼は最後の言葉を紡ぐ。


 「――だってそいつ、僕と同じ“神”だもの!……邪神だけどさぁ」


 ブレイルとパルは、血の気が引くのが分かる。ああ、この男。 

 そんな笑顔で、当たり前のように、大事なことを口にしたのだ。


 エルシューが言う、倒して欲しい存在は、エルシューと同じ“神”

つまり、この男はたった今

『異世界』からやって来た二人に「“神”殺し」を頼んできたのである。


 二人が愕然とするのも仕方がない。

 心から後悔した。

 あの時、エルシューが助けを求めて来た時。もっとしっかりと、倒して欲しいと言う強大な悪の話を聞いておくべきであったと。


 いや、それ以前に、強大な悪としか説明しなかったこの男に、酷く腹が立つ。

 正に後出しじゃんけん。まるで騙された気分である。いや、騙された。

 

 2人の心境など露知らず、エルシューは微笑みブレイルとパルの手を握りしめ、再度、まるで当たり前の様に問いただしてくる。


 「やってくれるよね!」

 

 ――なんて。


 そんなの……。

 そんなもの……。



 「はい、やります――

  



  なんて、直ぐに答えられる訳ねぇだろ!!!神殺しだぞ!考えさせろ!こんの馬鹿神!!!」


 

  ◇



 「えーと。エルシュー神は昔からあんなやつでね。気にしない方がいいわよ。」


 エルシュー神と謁見が終わって。

 正確に言えば、泣きわめくエルシューを捨て置いて、塔を出た帰り道。

 白い街の中心で、リリーは酷く気まずそうに二人に声を掛けた。


 ブレイルはつい先程の事を思い出す。

 怒りのままに、エルシューを置き去りにして、去ろうとするブレイル達。

 そんな彼らを引き留めようとしたのか、エルシューは手を伸ばしながら最後に泣き喚くように叫んでいた。


 「あ!思い出した!思い出した!毛先が緑の金髪の!目に十字の模様が入った小柄な子だよ!!それで見つけられるだろ!お願い捨てないでぇ!」


 ――だとか。

 行き成り思い出したとか言われても信じられるはずがない。

 そもそも、その邪神とやらの特徴を叫ばれても、ブレイルの気持ちは何も変わらないのだが。

 というか、引き留めたいのなら追って来いよ、馬鹿が。


  頭を押さえるブレイル。

  しかし、先ほどと比べれば頭が冷えたようで、冷静になって口を開く。


  「いや、ちょっと着いて行けなさ過ぎて、俺も怒鳴り過ぎたと思う」

 少しだけ反省。


 「でも暫くあの馬鹿には合いたくないからリリー、謝っておいてくれないか?」

けど許す気は無い。


 「え、ええ。その言葉は伝えておくわ」


 リリーは酷く同情してくれたようで、承諾してくれた。

 しかしだ。ブレイルとパル、二人は大きくため息を付く。

 先程は唐突な言葉で、理解が出来なくて、つい塔を飛び出してきてしまったが、結局その“邪神”とやらの正体を最後まで聞けなかった。

 特徴とか、何の神だとか、何故“邪神”と呼ばれているのか、それら全て一切。


 考えさせろと怒鳴ったが、それぐらいの特徴は聞いておくべきだった。

 ああいったが、ブレイルの「この世界を救いたい」この考えは変わっていない。


 しかし、分かる事はある。

 エルシューは残念アレだったが、神としての力は上の方だろう。それは理解できる。


 『異世界』から人を連れてくる。それも「何人も」とか。

 「世界転移」なんて魔法は、ブレイルの世界では存在しない魔法モノだ。少なくとも彼の『世界』で、そんな偉業を使える人間やモンスターは聞いたこともない。


 そんな未知で強力な力を持つエルシューが、勝てないと断言した存在。


 だから、分かったことは一つ。

 少なくとも、“神”が倒して欲しいと願う敵は。

 あの馬鹿神エルシューより強力と言う事で、エルシューアレ以上の“存在”と言う事。


 「なぁ、えっと、アーノルドさん。エルシューってやつは神としては、どうなんだ?強いの?リリーは生命の神って言うけど……」


 ブレイルは自分達の後ろを歩く、歩くリリーの父に声を掛ける。

少なくとも、リリーより有力な情報を持っていそうであったからだ。年の功と言う奴。

 アーノルドは眼鏡の奥に困った表情を浮かべて、小さく笑った。


 「ああ、エルシュー様はとても御強いよ。なにせ生命……『原初の神』と言われていて、此処の神様達を纏め上げているぐらいだからね。他の殆どの“神様”は彼には逆らわないし、実力も下だ。異世界から人間を連れて来られるのも彼だけ」

 「そ、そうか…」


 うん。嫌なことを聞いてしまった。ブレイルは再度溜息をこぼす。

 そんなブレイルの隣でパルが問いただした。


 「あの、『原初の神』とは?」

 「そのままの意味だ。一番初めに産まれた神の事だよ」


 その問いにアーノルドは頷くと話をする。


 「この“世界”が出来て暫くして、一番に生まれた神。それがエルシュー神だ。生命の源の神」

 「生命の源?」

 「ああ。――彼がいるから、生き物は生まれ育んでいく。彼こそが、この世界の秩序、そして善そのもの。彼がいるから争いは起こらない。彼がいるから悲劇は生まれない。彼がいるから悪は栄えない。他の神様を創ったのも彼だと声もある。死もなく老いも無い。完全な神。……二柱の御一人、それが生命の神エルシュー」

 

 紡がれた物語にパルは息を詰まらせる。エルシューとは想像以上の存在であったらしい。

 それは確かに「生命の神」だ。

 普通に考えて、彼はこの“世界”では最強と呼べる存在ではなかろうか。


 そして、その“生命”より強い“邪神”とは?彼女には想像するもの、恐ろしく感じられた。

 パルの様子にアーノルドは気づいたのか、慌てたように言葉を付け足す。


 「すまない。強い力を持っている……っと言っても、戦闘と言うのかな?そこらへんには、あの方は弱いんだ。生命の神だから、命を奪うことは出来ない。与える事しかできない。そんな制約がある」

 「制約……?」

 「そう、彼はモノの命を奪うと力を失って消えてしまうと言い伝えられている」

 「……」

 「だから、むしろ“愛の神”や“恋の神”、“光の神”の方が御強い。それに他の“神様”たちも……一応だからね。エルシューだけが凄くて、強いという訳じゃない」


 説明を聞いて納得する。

 「“生命の神”」である以上、彼の能力を聞く以上、言い伝えを聞く以上。

 それは、確かに強い力を持っているが、戦力には成らないだろう。

 だが、パルが不安げに口を開いた。


 「―― ですが、そんな”神様”達より、その“邪神”は強いんですよね?」


 その言葉にアーノルドは口を噤む。

 重たい静寂が流れる。それは肯定にも近い。


 長い間、そんな雰囲気を壊したのは今まで黙って聞いていた少女。

 「パンっ」と、今この雰囲気を壊す様に手を叩き、響かせ。

 リリーは「ふんっ」と腰に手を当てる。


 「仕方がないじゃない!アレはそんな存在!以上!この話は終わり!話したくもないわ!」


 強気に、しかし恐怖が混ざった声色で答える。

 どうやらその“邪神”とやらは、リリーからすれば、話したくもない存在の様だ。

 「でも」と声を漏らすパルに。リリーはビシッと指を差した。


 「でも、じゃない!あなた達だって、怖くなって『考えさせてくれ』って、言ったんでしょう?正解よ、正解!今までの異世界人だって、話を聞いた途端『はなしがちがうー』とか言って逃げていったもの!」


 彼女の様子から。今の言葉は本当なのだろう。

しかしだ、ブレイルは腑に落ちないと言う目をリリーに向ける。

 

 「…その『異世界人』ってのは、何の力もない人間だったんだろ?」

 「ま、そうね……。酷く頼りない奴らばかりだったわ」

 話を聞いて、ブレイルは首を横に振る。


 「けど俺たちは違う。力を持った人間だ。民衆が困っているのなら見過ごせない。この世界で“邪神”と言う存在は強いのかもしれない。でも、もしかしたら俺達なら倒せるかもしれない。それは対峙してみないと分からねぇだろ」


彼の言葉に、リリーは怪訝そうに首を傾げた。


 「――は?でも貴方承諾しなかったじゃない!怖かったんでしょ」


 彼女の言っていることは正しい。

 確かに「強大な悪」が“神”と聞いて、怖気付いたのは紛れもない事実だ。

 相手が強いから恐怖がある。それも嘘じゃない。しかし、それ以上に問題なのは、相手が「神」と言う点。


 「あのな、神を殺せ。なんていきなり言われても。はいそうですか……って答えられるか。確かに俺たちの世界では神なんてモノは居なかったが、それでも信仰は在った。そんな存在を殺してくれとか、いきなりは決められないだけだ」

 「……なにそれ、相手が“邪神”でも?」

 「あのな、邪神、邪神って言うけどな……。その“邪神”とやらはこの街にいるんだろ?でもこの街は平和じゃないか。とてもじゃないが邪神とやらがいるようには見えないんだよ!」


 そのブレイルの言葉に、リリーが口を噤み、目を逸らした。

 また背弱が訪れる。


 「……みんな慣れたふりをしているだけよ…」


 少しして、ポツリと。

 リリーの言葉にアーノルドも何も言わない。困ったように笑みを浮かべ、頬をかくだけ。パルも何も言えず、俯くだけだった。

 その様子に、ブレイルは小さく唸って頭を掻く。そして、辿り着いた答えを口に出す。


 「――取り敢えず、どんな存在か見てみたい。一回対峙してみたい。それで決める。パルもそれでいいか?」

 「ブレイルがそう決めたのなら、私もそうする。神様と対峙するのは不安だけど……」


 ブレイルの出した答えにパルは小さく頷く。


 これに驚いたのはリリーだ。

 険しい顔のまま、ブレイルへと詰め寄り。

 彼女の顔が、目の前まで来る。

 

 「本気で言っているの!?どこにいるかも分からないのよ!」

 「今は分からないけど、エルシューが言ってただろ。毛先が緑の金髪、十字の模様が入った目で小柄。そんな特徴的な容姿だ。それに神様はだろ?だったら姿は変わってないはずだ。情報ぐらい直ぐに手に入るんじゃないか?」

 「!……それは、確かに。……正直、アレの容姿なんて今日初めて知ったけど、でも……」


 リリーの顔が険しくなるのが分かる。その表情は、完全に恐怖に染まった顔だった。

 ブレイルは、そんなリリーを見て察した。彼女からすれば、その邪神とやらは会いたくもない存在なのは違いない。

 そんな存在の容姿が分かったとしても、探す処か、関わりたくない。今、こうして話しているのも嫌なのだろうと。


 その存在を探し。剰え会おうとしている、ブレイル達を彼女なりに心配してくれているのだと。

 だからブレイルはニッと笑う。


 「分かった!この話はこれ迄だ!というか、これは俺達が勝手に決めたことだ。これに関してはリリー達に協力は求めないし協力しなくていい」

 「――!」


 リリーはブレイルの言葉に、思わず顔を上げる。

 何か言いたげな彼女を前に、ブレイルは当然の様に彼女の頭に『ぽんっ』と手を乗せるのだ。


 「心配してくれて、ありがとうな。リリー」


  彼の言葉に、行動に、リリーは顔を赤くする。

  少しして、彼女は真っ赤な顔のまま小さく俯いた。


 「し、心配なんかしてないんだから!」


  照れたように、撫でる手を跳ね除けたのは数秒後。

  再び腰に手を置いて。『ふんっ』と勢いよくそっぽを向いて、彼女は普段の様に声を荒げる。

  彼女の表情からは、もう恐怖とかは一切なく、気の強い少女そのもの。


  リリーの様子に、ブレイルも、見守っていたパルも安心したように笑みを浮かべる。

  そんな二人に、リリーは更に顔を赤くして怒るのだ。

 

 「そ、そもそも考えてみれば。家に居候させてあげるんだから、それだけで十分なことだったわ!手助けとか必要ないわね。むしろ居候の分しっかり働くべきよ!勇者なら“神様”の一つや二つさっさと見つけて倒してきなさい!」


 また、『びしっ』と指を差して、リリーは叫ぶ。

 言い終われば、そのまま勢いよく背を向けて、街の、人ごみの中へと一人で走って行ってしまったのだった。


 ブレイルは彼女の発言に頬を掻く。

 「そんな無茶な」と思わず苦笑いを浮かべるが、彼女の調子が戻ったのは良いことだ、そう思えた。


 「ありがとう。悪いね。ブレイル君」


 リリーが街中に消えた後に、今まで見守っていたアーノルドが申し訳なさそうに口を開いた。

 小さな微笑みを浮かべる彼を前に、ブレイルは笑顔のまま首を横に振る。


 「いいや!アーノルドさんも期待して待っていてくれよ!俺達があんた達の不安、取り払うからさ!」

 「はい!私もブレイルも精一杯に頑張ります!」


 そう、自信満々に胸を張って。

 正に英雄らしい二人を前に、アーノルドは声を漏らして笑った。


 「頼もしいな。……そうか、これが勇者か。……確かに今までの、自称異世界人とは違うな……。うん、私は応援しているよ」

 「ああ、任せておけって!」


 初めて送られた声援に、ブレイルは胸を「どんっ」と叩いた。

 先ほどと違って、和やかな雰囲気が当たりに漂う。

 三人分の笑顔が当たりを照らす。


 「――!!」


 ――唐突に、その存在に目を引かれたのは正にそんな時。

 瞳の端にある人物が映り、ブレイルはさっと表情を変えた。


 ……それは、黒の服に身を包んだ、とある人物。

 街の中、人の中を通り過ぎ建物の路地スキマに入っていく姿。


 問題はそんな“少女”を大柄の男が、3人。

 血走った目で、笑みを浮かべながら追いかけて行った事だ。あの様子から“少女”は気づいていない。


 「……そうだブレイル君。もし、良かったら、私の研究の手伝いを――」

 「悪いアーノルドさん。パルを連れて先に帰っていてくれ」


 ブレイルの身体は自然と動いていた。

 何か言いたげなアーノルドを押しのけて、ブレイルは街の中へと駆けだす。

 掛けられた声は、彼の耳には聞こえていなかった。


   ◇


 ブレイルが向かうのは、勿論先ほど“少女”が入って行った細い道だ。

 路地に入ると、そこは入り組んでいるようで、既に誰の姿もなくブレイルは一瞬焦る。


 しかしだ。耳を済ませれば微かな声がする。

 それは紛れもなく、男の怒鳴り声と、微かな“少女”の声。

 ブレイルは声を頼りに、入り組んだ道の一つに飛び込む。


 彼の目に最初に映ったのは、黒い影。

 1人の、黒いコートを纏った男だった――……。



 ◇


 

 男が目に映った刹那。

 ブレイルは考えるよりも前に手を動かす。

 聖剣を鞘ごと背から抜いて、力いっぱい握りしめ。振り上げる。

 そして。

 最初に目に入った男へと容赦なく、聖剣を振り下ろした――。



 「――」

 「――!!」


 がきん――!

 金属同士がぶつかる音。

 ひどく驚き、愕然としたのは、ブレイル自身。


 当たり前だ。

 刀身は使わず、気絶する程度に、力を抑えてはいたが。

 彼なりの渾身の一撃を、それも重量のある聖剣の一撃を


 ――……ただのナイフ一本で、受け止められたのだから。


 思わず自身より大柄な、その男を見上げる。


 此方を見下ろすのは、鋭く、冷たい黒い目。


 辺りに冷たい風が吹く。背筋がゾクりとするほどの冷たい空気。

 その殺気に、ブレイルは顔を青ざめさせ、後ろへの道へ飛びのく。


 「………お前、なんだ?」


 飛びのいた瞬間に、低く静かな声が響いた。

 まだ、殺気は収まらない。

 額に冷や汗が流れるのが分かる。油断は絶対に出来ない。

 ブレイルは恐る恐ると、その人物を見上げる。


 1mほど先。

 其処に立っていたのは、一人の見知らぬ男だ。

 よくよく見れば、先ほど見かけた男達の中に、彼は居なかった。別の男だ。


 黒い髪。鋭い眼光で、何処までも黒い瞳。

 黒いコートに黒いシャツとジーンズ。頭から足先まで黒染くろぞまり。

 歳の程は、30程か。年相応の、男らしく整った顔立ち。

 背丈は、2mはあるんじゃないかと言う高身長で。

 身体はバランスよく鍛えられているのが服の上からでも良く分かる。

 思わず、羨ましいと思えてしまう程の、体格を持った美丈夫。


 ブレイルは、息を詰まらせる。

 この男に自分の一撃が止められたのか?

 ただのナイフ一本で。しかも、ほぼ不意を突いた形だと言うのに。


この男は、誰だ?さっきの男たちは?


 嫌、よくよくとあたりを見渡せば、男の足元には数人の男たちが倒れている。

 紛れもなく、”少女”を追いかけていった先ほどの男たちだ。


 死んでいるのか?この男がやったのか?


 ――ちがう。それよりも………。

 目の前のこの男、その雰囲気から全てが、あの“少女”に――。


 「………」

 「!」


 ――ひょこり。

 そんな効果音が似合う程。

 頭からローブを深くかぶった、“彼女”が男の陰から出て来たのは、その瞬間だった。


 昨日と変わらない。顔は見えないが、黒い髪と白い肌が僅かに見える。背の高いあの“純粋な少女”。

 少しの驚きの後、ブレイルは思わず安堵の笑みを浮かべた。


 「よかった…」


 思わず声が漏れる。しかし直ぐに我に返る。

 理解したのだ、この男。どうやら“彼女”を助けたのだと。

 良く見れば、男たちは生きている様だし。つまり、ブレイルの早とちり。


 

 慌てたように“少女”から目を逸らすと。

 目険しい顔で冷たい視線を送る、目の前の男を見上げ、慌てて頭を下げる。


 「わ、悪い!!あんたを攻撃しようとしたつもりは無かったんだ!たださっき、その子を追って、そこの男たちが路地に入っていくのが見えて!」

 「………知り合いか?」


 ブレイルの必死な言い訳を前に、男はチラリと後ろの“少女”を見た。

 顔も見えないローブの奥、”少女”は小さく頷く。


 「……昨日、来た人……です」

 彼女の言葉に少し安堵する。彼女もどうやら、自分の事を覚えていてくれたらしい。

 “彼女”の言葉に黒い男は、小さく息をついてナイフを収めた。漸く殺気が消える。

その様子に、ブレイルも釣られる様に聖剣を差し直す。


 「……お前、容赦なく殴りかかって来たな。この男たちが、このガキの知り合いだとか思いもしなかったのか?」


 そんなブレイルに、男から冷たい声が駆けられたのだが。

 思わず、ブレイルは息を呑む。「確かに」と――。


 男達に追いかけられる彼女を見かけて。

 思わず助けなければと、ただその思いだけで追いかけて来たが。男の言った事までは考えていなかった。

 ただ、見知った“少女”が、一人の女の子が危険だと思い、何も考えずに行動しただけ。


 「なるほど、考えなしの直情型か。ただ、思い付いたままに周りを巻き込み行動し、結果良ければ良い、実に迷惑だ。――『他世界』にはこんなバカがいるのか。……まあ、いいか」


 更にぐさりと、男の一言。

 反対に男の方は、途端にブレイルから興味が無くなったらしい。

 男は後ろの少女へ視線を向けると、何事も無かったように歩き出した。ブレイルの隣を男が過ぎ去っていき、“少女”も静かにそれに続く。


 「え?あ、まて!!


 ああ、そこでだ。ブレイルは何かに気づいたように、我に返ったように男に声を掛けたのは。

 だって、今この男は、あまりに重要な言葉を口にしたから。

 男は立ち止まる。相変わらず、何の感情も無い眼がブレイルを映す。まるで、用が有るなら、さっさと言えと言わんばかりに。


 「あ…お、おまえさ、今『他世界』って言ったよな!もしかして、お前も此処とは違う世界からやって来たのか!」


 男の威圧に黙り込んでしまいそうになるものの、ブレイル問いかける。

 ブレイルの問いに、少しして男は口を開いた。


 「……お前、名前は?」

 「!ぶ、ブレイルだ!ブレイル・ホワイトスター!」


 名を問われて思わず、名乗る。

 男はブレイルを静かに見つめ


 「やはり知らんな」

 と一言。しかし、その後に男は続ける。


 「――俺も此処ではお前と同じ『異世界人』とやらだ。どうやら、元住んで居た世界は違うようだが。……同じ立場だ。これぐらいは教えてやる」

 「!!」


 ブレイルは驚くしかなかった。

 まさか、ここで別の『異世界人』と会おうとは。

 しかも自分達とは更に『別の世界』の住人だと、この男は言ったのだ。


 いや、エルシューは色んな『世界』から、人間を連れてきていたと断言済みだから。あり得ない話ではない。ならばと、ブレイルは男の隣の“少女”をみる。


 「じゃあ、その子はお前の仲間か?」

 「……違う。こいつは“此処の世界”の住人だ。借りがあるし、見ての通りガキなんで俺が面倒を見ている」

 「そ、そうなんだ…」


 意外と言うと失礼だが、男は素直に答えてくれた。

 結果的にブレイルの先ほどの行動は、完全に男からも“少女”からも迷惑な行動であった可能性が高まったが。

 思わず二人から目をそらすブレイルに、男は静かに口を開いた。


 「答えてやった代りに“生命の神”とやらに伝えておけ、俺はお前に手を貸す気はない。むしろ勝手に巻き込まれた。腹が立って仕方がない。お前の全てに興味も何もない………とな」

 「は?」


 逸らしていた視線を男に向ける。

 男の方はもうブレイルを見ていなかった。


 嫌でもわかる。この男はかなり強い。

 そして、自身と同じように“世界”を救って欲しいと、エルシューに連れて来られたのだろう。

 だと言うのに、目の前の男は「手を貸す気はない」と、そう言った。

 それは世界を救う気はない、この世界の住人を助ける気はないと言う事だ。


 この世界の人が困っているのに、何て奴だ。

 そう思ったが、しかし言い返すことは出来ない。


 その判断を否定できる立場では無い事を、ブレイルも自信で理解している。少なくとも今はまだ。

 ブレイルは、悪の元凶に会って対処を決めると決断したが、中途半端な答えでしかない。

 だから、ブレイルはまだ何も言い返せない。


 「……分かった。言っておく。あんたの名前は?」


 本当に言いたい言葉をぐっと堪えて、承諾と共に最後にブレイルは男に問いかける。

 男はブレイルに視線を向けないままに静かに答えた。


 「………アドニス」


 ただ、その一言。

 それだけを口にして、アドニス。そう名乗った男は。再び歩みを進める。

 その後ろを“少女”が着いていく。彼女もチラリとも此方を見ることも無かった。

 ブレイルからも、もう何も問いかける事も、止める事も出来ず、その様子を見送るだけ。



 二人が路地から消えて、ブレイルは息を付く。

 正直、衝撃が大きすぎた。


 別の『異世界人』に出会ったからじゃない。

 あのアドニスと名乗った男。正体不明のあの男

 その底知れない強さに、あの目の奥に感じる、不穏などす黒さに、油断が出来なかったのだ。


 いや、これでも旅をつづけた勇者だ。あの正体は嫌でも察しがついた。

 あの眼、あの殺気が籠った何処までも黒い闇の様な眼。

 ……アレは「暗殺者」の眼だ。

 おそらくかなり手練れ。ブレイルからすれば苦手な人種。


 それどころか、ブレイルこちらの世界で対峙してきた、暗殺者とあまりに格が違う。

 悔しいが、率直に言う。――あの男は自分より強い。

 『異世界』には、あんな存在がいるのかとゾッとしたのだ。


 そして、もう一つ。こちらは僅かな不安。

 そんな男の側にいる、あの純粋な“少女”


 あんな男の側に、何故あの“少女”はいるのか。

 アドニスは「借りがあるので面倒を見ている」と言っていたが、あの男の側にいると言うだけで、不安が押し寄せてくる。


 ただ彼が、“彼女”を守っているのは確かなのだろう。

 周りの倒れている男が証拠。

 もやもやした気持ちはありつつも、そうやって納得するしかできなかった。


 取り敢えず、一人になった路地裏で、今やるべきことを考える。

 嫌でも目に入るのは倒れる男たち。

 婦女暴行……未遂の連中達だが、だからこそと言うべきか、ここで放っておく訳にもいかない。


 「――仕方がねぇな……。ここ、警備とかいるのか?」


 そうポツリと呟いて。

 ブレイルは3人の男たちに手を伸ばし、見事軽々と持ち上げると、路地から去って行くのであった。




 『――勇者は出会った!』


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