1節 ブレイル・ホワイトスター5



 診療所があった路地を抜け、ブレイルは大通りへと飛びだす。

 先程平穏だった様子とは大きく違い、逃げ回る人々が目に映った。

 その中で彼は叫びを上げた人物を探す。


 「――!」


 見つけたのは直ぐ。

 数メートル離れた場所。小さな露店の前。

 ツインテールのピンクの少女が地面に座り込み小さく震えている。

 たが、それだけじゃなかった。


 彼女の足元に、黄色い液体を垂れ流す緑の物体が倒れているのが分かる。

 緑の異形な手で、リリーの細い足を掴み、離さない。

 リリーはそんな化け物の前で手にナイフを持ったまま震えているのだ。

 ブレイルはそんなリリーの元に駆け寄った。


 「リリー!」


 声を掛ければ、怯え切った瞳がブレイルに向けられる。

 彼女の元に駆け寄ったブレイルは、聖剣でリリーの足を掴む化け物の腕を切り離す。

 ちぎれるような嫌な感触が聖剣から手まで伝わり、思わず眉を顰めたが、気にしていられない。


 しかも、腕は簡単に切り落とされたと言うのに、リリーを掴む手は離そうとしなかった。

 仕方がなく、ブレイルは膝を付くと気色の悪い手に自身の手を伸ばす。


 「――っ」

 ぶよぶよした気持ち悪い感触。少し力を入れるだけで化け物の指の一本が潰れ、黄色い液体がリリーの足に掛かる。


 「ひ――」

 「わるい我慢してくれ!」


 気持ち悪いのは分かる。しかしどうすることも出来ない。

 ブレイルは残りの指をもぎ取り、リリーの足から化け物の手を剥す。


 リリーの足は黄色い液体で汚れたが、かすり傷1つついていない。その事には胸を撫で下ろす。

 しかしだ、リリーはそうもいかない。

 取り乱したようにスカートのすそで汚れた足を必死に拭い、化け物を見下ろしながらカタカタと震える。


 「――リリー。リリー、大丈夫だから、何があった?」


 そんな彼女を気遣い、彼女の顔を覗き込みながらブレイルはリリーに問いただした。

 縋るようにリリーはブレイルに抱き着き、口を開く。


 「わ、私、パルから話聞いて…!あ、あんたを探してたら!!こ、こいつらが急に、こいつらに襲われて!襲い掛かって来て!それでナイフで!!!なんで、どうして!?」

 「わかった。分かったから、もう大丈夫。こいつはもう動かない。お前を襲う奴はもういない」


 怯えるリリーを慰めながら、ブレイルはあたりを見渡す。

 逃げ惑う人々の中にあの化け物の姿は無かった。少なくとも動いている化け物は――。

 綺麗な白い街が彼方此方に黄色と緑の物体で汚れている。

 どうして突然。こんな化け物が現れたのか。何処から現れたのか。ブレイルには分からなかった。


 そんな中リリーが震える手で、ある大通りを指差す。


 「あ、あっち!あそこから出て来た!!ゲレル様の…と、父さんの、び、病院がある!!と、父さんがまだっ!ぱ、パルも一緒に――!」

 「!!」


 その説明だけでブレイルには充分だった。

 パルがあの先に、化け物が出て来た場所にいる。

 早く助けに行かなくてはいけない。


 「――リリーは待ってろ!!」


 頭より体が先に動いたのはコレで何度目か。

 縋りつくリリーの手を離し、ブレイルは示された大きな通りに身体を向ける。

 人ごみの中を何とかすり抜け、人が逃げてくる大きな角を曲がれば。


 「――っ!」

 角を曲がった瞬間。最初に見えたのは、あの化け物。

 意味の分からない叫び声を上げながら、腰が抜け震えている男に手を伸ばしている。


 先ほどと同じだ。もう恐怖も驚きも無い。

 ブレイルは聖剣を握りしめ地面を蹴ると飛び掛かる。


 距離は3メートルはあったが、彼には関係ない。ひと蹴りで目標までたどり着く。

 瞬時に、体制を変え、男に伸びる腕を切り落として、次は首。

 化け物は相変わらず脆く一瞬で崩れ落ちる。


 「うわぁぁぁ!」

 「!」


 次にまた、近くで誰かの叫び声が上がった。

 顔を上げる。別の男が襲われている。もう既に覆いかぶさられている。

 あれでは聖剣で切り掛かる事は難しい、男を傷つけてしまう可能性がある。

 仕方がない。ブレイルは数少ない「魔法」に頼る。


 「――‴百歩穿楊ターゲット‴――オン――」


 一つ「どんな攻撃も必ず狙った相手に当たる」魔眼制作。

 これで、ブレイルの目には「絶対命中」の魔眼が宿った。

この目に射抜かれたものは何があっても、彼の攻撃から逃れることは出来ない。

勿論、ターゲットは「化け物」。直ぐさま、指先を化け物へと向ける。


 「‴一箭双雕プファイル・アロー‴!!」


 二つ目、その指先から一本の鋭い光輝く弓矢を飛ばす魔法――。

 単純だが、威力は充分。

 

 「絶対命中」の加護を着けた光の矢は一直線に化け物へと向かう。

 化け物は逃れられるはずもなく、矢先は緑の頭に突き刺さり破裂と共に貫通した。


 ――それだけでは終わらない。


 輝く矢は消えることなく、そのまま飛び続ける。

 真っすぐに曲線を描き。

 その矢尻は迷うことなく、その先に蠢いていた別の化け物もう一匹の頭に見事に命中した――。 

 化け物が倒れると、ようやく矢は消え去る。


 これが数少ないブレイルの魔法の一つ。

 「一本の矢で、複数の敵を一気に仕留めることが出来る魔矢」だ。


 矢の最大補足は三人と少ないが、‴目‴の効力は30分。

 二つを合わせて戦うなら、三つあれば十分である。

 何せ、「絶対命中」はブレイルが聖剣を振り上げるだけでも標的に当たるのだから。


 矢と聖剣があれば、これぐらいの敵は何も問題はない。



   ◇



 ブレイルは次から次へと目に付いた化け物を倒していく。

 20体ほど倒したか。しかし何処にもパルの姿は見つからない。

 魔矢と聖剣を使いながら、更に先へと道を進んでいく。

 進むたびに化け物の姿は多くなっていったが、見かける人も少なくなっていった。



 「――ブレイル!!」


 そして、ようやく探していた人物の声。

 視線の先、10mほどか。

 大きな特徴的な屋敷の前、座り込むアーノルドと彼に寄り添うパル。


 2人の周りには化け物が三匹。パルが結界魔法を張ったのだろう。化け物は二人には触れられないが、結界の周りでうぞうぞと蠢いていた。周りを見る限り残りの化け物は、その三匹だけだ。


 しかし、アレからもう30分。魔眼が消えるまで数十秒。

 聖剣で飛び掛かろうにも流石に距離がある。パルの結界も限界に見えた。

 ブレイルが、あそこ迄走り間に合うのが先か。パルの結界が消えるのが先か。


 もし結界が消えたら近接攻撃は流石に厳しい。魔眼がない以上、二人に当たる可能性が無いとは言い切れない。

 ――だから、選択肢は一つしかない。ブレイルは化け物に指を向ける。


 「――っ!‴一箭双雕プファイル・アロー‴!!!」


 ブレイルは力を振り絞って魔矢を放つ。

 ここに来るまで10発以上は撃って来た。さすがに魔力の消耗が激しい。

 魔眼の効力が消えかかる。消えてしまえば、アレは唯の矢に変わる。


 ターゲットに、ちゃんと当たってくれるか――……。

 その前に、敵を殲滅しなければ。


 指先から、魔矢が飛びでる。

 飛び出た輝く矢は勢いよく、化け物達の頭を吹っ飛ばしていく。


 ――1匹。――2匹。


 魔眼の能力が消える。


 ――……そして、


 「――っ」


 魔眼の効力が消えると同時に最後の1匹の頭が吹き飛んだ――。

 パルの結界が消えたのもほとんど同時。


 鋭い痛みが、ブレイルの目に襲う。無理し過ぎたのは嫌でも気付く。

 それでも、ブレイルは目元押さえたのは一瞬だけ。

 彼は、直ぐに体制を整えて、聖剣を握りしめると、二人の元へと駆け寄るのである。



  ◇



 「お…い!大丈夫か!」


 駆け寄って直ぐ、2人に声を掛ける。

 パルはアーノルドに寄り添いながら何度も頷いた。

 膝を付き、2人を見たが、少なくともパルにケガはない。ただ、アーノルドの額には僅かに血が流れている。怪我はないようだが。

 

 「大丈夫。私にケガはないわ。でも逃げる時に人に押し飛ばされて、アーノルドさんが少し頭をぶつけてしまったの。でも、もう大丈夫だから」

 「……あ、ああ。僕も大丈夫だよ…ありがとう二人とも…」


 安心させるように笑顔を浮かべるパルと、アーノルドも頭を押さえながら小さく笑みを浮かべる。

 その様子に安堵した。

 話を聞く限り、パルがアーノルドの怪我を直したのだろう。ソレは良い。

安堵の後、ブレイルは直ぐさま立ち上がる。


 まだ、油断は出来ない。

今は化け物の姿はもう見えないが、いきなり飛び出してきて襲われる可能性はある。

 少なくともアーノルドだけでも安全な場所に連れて行かなくてはいけない。

 怪我はないようだが、頭を撃った影響か、彼の視点は合っておらず。何処かボンヤリしている。


 「アーノルドさん。ここはまだ危険かもしれない。どこか近くに安全な場所とかないか?」

 「え…ええと…ダチュラなら…」

 「?ダチュラ…?」

 「あ、いや、私の研究室の事だよ…あ、いや、まって…」


 問いただすも、やはりアーノルドは朦朧としているようだった。

 ブレイルはパルを見る。しかし、パルは小さく首を振った。


 「ごめんなさい。コレばかりは……」

 「そうか。うん、大丈夫だ。ありがとうパル」


 パルに笑みを浮かべながらも、直ぐに表情を変える。

 アーノルドの様子から、尚更安全な場所に連れて行かなくてはいけない。

 ブレイルはあたりを見渡す。――匂いが酷い。化け物のだろう腐った肉の匂いだ。


 せめて、この匂いが届かないような場所は無いだろうか。

 嫌でも目に付くのは目の前の、この大きなお屋敷だが。

 ふと気づく。屋敷を囲む障壁に屋敷の主であろう名前が彫られている事に。そう、「ゲレル」と――。


 つまりだ。このお屋敷は元から目指していたゲレル様のお屋敷という訳だ。


 「そこはだめ。鍵がかかっているの。その、お留守みたい」


 しかしブレイルが提案する前にパルが首を横に振った。

 この非常時に留守とは。町の警吏をしているらしいが――役に立たない。


 それでも確認の為、ブレイルは屋敷の敷地に入る。

 敷地に入った途端思わず驚く。鼻が曲がると思う程漂っていた匂いが消えたのだ。

 どうやら。名だけで想像していただけだが。確信に変わる。ここもやはり一応、神の御屋敷らしい、と。

 ここなら休むのに適しているのには違いないだろう。


 だから期待を込めて扉の前に立った。朝顔だろうか。扉の上に花の紋章が一つ。いや、朝顔だけじゃない。水仙やリコリス、スズランの紋章が美しく彫られている。


 ただ今はあまり気にしている暇はない。

 思い切って扉をたたく。しかし、案の定か。物音ひとつしない。

 一応扉を引っ張ってみる。ビクともしない。


 「あー……ゲレル様は、今日は居ないよ?……明日まで戻らない……」


 極めつけにアーノルドの一言である。

 流石にブレイルも顔をしかめた。


 こんな騒ぎが起こっていると言うのに。

 今日一日いないどころか、神様は戻ってくる気配がないと言う事実。

 エルシューにアクスレオス。今日で二人の神とやらにあったが、神様とやらは何処か問題を抱えているのではないかと思えてしまった。


 「父さん!!」


 そこに声がもう一つ。

 屋敷の敷地を一度出て見てみれば大通りがあった場所からリリーが走って近づいて来るのが見える。

 待っていろと言われたが、我慢できずに追って来たのだろう。

 リリーは父であるアーノルドを見たとたん、泣きそうな表情をして、父に駆け寄ると抱き着いていった。


 「よかった……!良かった父さん!わたし――」

 「……大丈夫、大丈夫だよ、リリー。ブレイル君とパルさんが助けてくれたから、ね」


 抱き着いて来た愛娘を宥めるようにアーノルドが優しい口調で語りかける。

 リリーはアーノルドの話を聞いて、ブレイル達に今にも泣きそうな顔で見上げた。


 「あ、ありがとう二人とも…!」

 「――いや、いいんだよ!これぐらい当然だ、言っただろ?リリーたちは心配しなくていいって!」


 ブレイルは満面の笑み。

 彼女を更に安心させるために、心から笑顔を浮かべる。

 そんなブレイルの言葉にリリーは僅かに微笑んだ。


 何時もの、気の強い眼差しじゃなくて、どこか期待した眼差し。

 初めて彼女にそんな視線を向けられた、そんな気さえした。


 今まで黙って見ていたパルも小さく微笑む。

 雰囲気は何処か和やかになった、それでもだ、今は此処から離れなくてはいけない。

 パルはリリーを見た。


 「あの、リリーちゃん。アーノルドさん、先ほど少し頭を打ってしまったみたいで、治療はしたのですがどこかで休ませてあげないと…この近くでどこか休めそうなところはありませんか?」

 「――!そ、そうね…ゲレル様、今日いらっしゃらないんだもんね。……………分かった。少し離れたところに広場があるの、そこへ行きましょう」


 少しの間。リリーが少し離れた路地を指差した。あの先に広場があるようだ。

 勿論危険が無いとは限らない。ただ、選択肢も無い。

ブレイルは聖剣を手にしたまま、リリーの指差した方向を見る。


 「分かった。じゃあ、俺が先行するから付いてきてくれ」


 今、魔力は殆ど使ったために魔法の類は使いたくない。

 しかし剣術ならまだ十分にいける。

 小さな危険なら、ブレイルが取り払える。

 ブレイルの言葉に三人は小さく頷いた。

 

 こうしてブレイルを先頭に4人は路地へと入っていく。

 ブレイルは先頭に立ち、リリーとパルはアーノルドに肩を貸して、ゆっくりと。


 建物の隙間から先を見る。

 まだあの化け物が居ないか気を張っていたが、見る限りこの先に化け物は居ないようだ。


 先に進む。

 気を緩めることなく、常に気を張り巡らしながら、ゆっくり前へ。


 暫く、5分ほどして、開けた場所に出た。

 心配と裏腹に化け物は出て来なかった。もういないのか。

 騒ぎの影響か、広場には誰もいない。小さな噴水とベンチが置かれた小さな広場。


 ここがリリーの言っていた広場であるのは間違い。

 確かに、ここでなら休めそうだ。


 リリーとパルは、肩を貸していたアーノルドを一番近いベンチに横にさせる。

 ここまではあの酷い匂いはしない。後はあたりに危険が無いか、だが。

 広場には通路が二つあったが、ブレイルはどちらも確認して、危険が無い事を確かめる。


 確認の後、少しだけ安心して、ブレイルは噴水へ。

 側に腰かけるリリーに改めて声を掛けるのだ。

 無駄な気はするが一応聞いておかなくてはいけない。


 「リリー、さっきの化け物、なんだか分かるか?」


 ブレイルの言葉にリリーは少しして首を横に振った。


 「初めて見た。この神の街であんな存在いるなんて思ってもしなかったわ…」


 まぁ、それはそうだろうなと思う。

 あの化け物の正体はブレイルもさっぱりだ。

 今まで数多くのモンスターと戦ってきたが、あんな怪物は初めて見た。――いや、似ている存在ゾンビは知っているが、アレとブレイルが知る存在とでは形状が違うとか、そんなレベルじゃない。


 エルシューはこの“世界”にモンスターはいないと断言していた。

 で、あるなら、ソレを信じるならアレは自然から生み出されたモノじゃない。


 ――だったら、あれは、いったい誰が用意したのか…。


 また少しして、ブレイルは「じゃあ」と口を開く。


 「――お前たちの言っていた“邪神”の仕業……とかじゃないよな?」


 ――リリーは黙った。

 リリーたちもエルシューも恐れる“邪神”と呼ばれる存在。

 存在は分からない。だが、邪神と呼ばれるぐらいの存在なら「」があるかもしれない。

 そして、その「」はリリーにも思い立ってしまったらしい。

 だから彼女は何も言わないのだろう。

 

 とりあえず、あの化け物は今の所すべて倒したが。


 ――アレを作ったのは高い確率で“邪神”。

 そう、決定付けられた。


 先程の化け物の戦闘能力は皆無に等しい。

 対峙したから分かる。不気味で恐ろしい容姿で、ただ人間に襲い掛かっていただけ。


 しかし、そんな化け物を生み出す事が出来るなら。

 この先が心配だ。“邪神”と呼ばれる存在がさらに強い化け物を生みだすのなら、パルと二人で対峙していけるか。


 ふと頭にアドニスと名乗ったあの男が浮かぶが直ぐに首を振る。正体不明の危険な奴には借りを作りたくない。むしろ彼は最初から協力しないと拒絶していたし。

 いや、こんな状況だ。話せば協力してくれるかもしれない。――だが、どこにいるかも分からない。


 あの黒フードの“少女”を伝手に探してみるのもありだが、“彼女”、今度はすぐに見つけることが出来るだろうか……?

 その不安が渦巻き、だからこそブレイルは大きくため息を付くしか無い――。

 

 「これからどうするかな……。こんな事件が起きるなら早く“邪神”を見つけないと……そもそも邪神、邪神って名前も知らねぇし、リリーその邪神様の名前って何なんだよ。なんの神なんだよ!」

 「――。それは…」


 思い出したように、ブレイルが問いただした。

 そもそも、その“邪神”の名は?いったい何の“神”と言うのか。

 リリーは口籠る。真っ青な顔をして。俯く

 口に出すのが恐ろしいと、言う様に。




 「――――――。へぇ。今回は隠すことにしたんだ…。はい、納得しました」




 リリーの言葉を遮る様に、その“少女”の声が広場に響き渡った。



 ――カツンっと静かな靴の音。生暖かい風がゾワリと吹き抜ける。

 唐突な声に、ブレイルも、その場にいた全員が驚き、声がした通路に顔を向けた。

 自分達が入ってきた場所とは反対の通路。


 ただ驚いたのは一瞬だけ。

 ブレイルは変わらず、また引き攣った笑みを浮かべる。

 驚かされたのは4回目。

 相変わらず、“彼女”はいつ現れたかさえ、気づきもしない。


 黒い、黒い。

 頭からつま先まで真っ黒に染め上がった。フードの“少女”――。

 「今度は」……なんて言ったが、直ぐに見つけることが出来たらしい。

 ――いや、今回は、付いて来てしまったらしい、と言うべきか。

 

そこにいたのは一人の“少女”だった。



 ◇


 

 唐突に表れた“少女”に、同様にパルもリリーもアーノルドも驚く。

 しかしパルは正体に気が付いて直ぐにホッとしたような笑みを浮かべ、2人に声を掛ける。


 「彼女は、心配ありません」

 「――……彼女……?あ、ああ、女の子、なんだ」

 「あ、ああ。酒場の……」


 パルの話を聞いて、リリーも気が付き、アーノルドも安堵の表情を浮かべる

 特にアーノルドは人の良い小さな笑みを浮かべた。


 もう頭は大丈夫なのだろう。ベンチからゆるりと立ち上がって。

背の高い、しかしまだ幼い声をする“少女”へと近づいてく。


 「えー、お嬢ちゃん。君も逃げて来たのかな?迷子?」


 優しい、気遣うようなアーノルドの声。

 彼は本当に“彼女”を気遣ったのだろう。それは見て取れる。

 “少女”の目の前に立って、大きな手が“少女”の頭に触れた。

 まるで、我が子の頭を撫でるように、優しく。


 そんなアーノルドをフードの奥で、黒い瞳は見つめている。

 感情はない。

 ただ真っすぐに、じっくりと。何かを待っている様に。



 そして――。

 その時がやってくる。



 “少女”はアーノルドの顔にゆっくり手を伸ばした。

 頬に触れて。優しく撫でる。


 そして、囁くように、彼の耳元で、呟くように伝える――。



 「アーノルド・ヴァリー。……後5分です――。」


 

 静かで、しかして、その声は妙にはっきりと。

 ―― 言い切ったのだ。


 アーノルドは自分の時間が止まったような感覚に陥った。

 周りの音が無くなり、自身の呼吸音と心臓の音だけが響く。

 目の視点が会わない。

 目の前がぼやけて見える。ただ、そう、目の前の青白い“少女”以外は――。


 がくりと、いつの間にか尻餅を付いた。足が震えて上手く立てそうにない。

 後ろから声がするのに上手く聞き取れない。目の前の少女から目が離せない。


 ――もう一度言いましょうか?…ああ、そうですね。コレ、必要ですね。


 聞こえないはずの音が、“彼女”の声だけはっきりと聞こえる。

 黒い冷たい目、黒い髪。

 ちがう。容姿が違う。金髪じゃない。目の色も違う。背格好も違う。

 だから違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。


 

 ――“少女”の手に、分厚い本が現れる。

 ただ、その瞬間まで、アーノルド・ヴァリーは神エルシューの言葉をただ信じ続けていた。



 「アーノルド・ヴァリー、貴方は5分後に死にます」



 「冷たい“死”」が宣告する――。



   ◇



 「あああああああああああああああああああああ!!!!!」



 アーノルドの口から洩れたのは絶叫の他に何もなかった。

 恐怖に引き攣った表情となり、這い蹲って目の前の存在から逃げ出す。


 その様子にブレイルとパルはただ唖然と、見つめるしか出来ない。

 隣の噴水の音だがアーノルドの絶叫と噛合う様に響き続ける。

 何があったかなんて、分かる筈がない。


 だが、もう一人。リリーだけは違う。

 彼女も目に映したからだ。

 その昔からの言い伝え通りの“彼女”の特徴に。


 ああ、ちがう。ブレイルもパルも気付いていたに違いない。

 だが、あまりに聞いていた容姿が違う為に信じたくないだけ。


 特にブレイルは信じたくない。

 だからこそ震える声を絞り出す。“少女”に駆け寄り、“彼女”の肩を掴む。


 「こ、こら!お前、なに言ってんだ!そんなこと人に言ったらだめだ!!」


 幼い子にするように、叱り飛ばす。

 しかしだ、“少女”はブレイルに視線一つ送らない。

 ただ静かに告げる。


 「――あと4分」

 「――っ」


 思わず手を振り上げる。

 頬を、狙って。振り下ろす。


 しかし。

 振り下ろしたブレイルの手は“少女”に掠りもしなかった。

 彼の手は止まっていた。

 彼女に触れる前に、少女にしては大きな青白い手が、ブレイルの手首をつかんでいる。

 

 ――受け止められたと気が付くまで、時間が掛かった。


 ブレイルの表情が変わる。

 腕を引っ張る。力いっぱい。

 でも――……手はビクともしない。

 彼女の手は、微動だにせず、ブレイルの手を離さない。


 女の力とは到底思えない。



 「いや!!父さん逃げて!!」

 すぐ、後ろでリリーがアーノルドを支えながら叫ぶ。


 「っ!ブレイル!ブレイル助けて!!」

 縋りつくような彼女の声が耳に届いた。

 リリーは恐怖に染まりながら叫んだ。ただひたすらに助けを求めるために叫んだ。


 「――そいつが“邪神”よ!この世界で唯一の悪よ!!そいつは――」

 「――あと、3分」


 その声さえも掻き消す様に、静かな声が響き響く――。

 

 ブレイルは何とか、自身を掴み上げる手を振り払うと、聖剣を手に取った。

 数歩後ろに下がって。睨みながら。

 目の前の存在に刃を向ける。それでも切り掛かる事は出来なかった。


 ――……彼女が、この“少女”が“邪神”だなんて思いたくなかったのだ。

 相変わらず“少女”の顔は見えない。“彼女”がどんな顔をしているか分からない。

 ああ、いや。そんなものはブレイルの願望だ。ただ一つだけ分かっていることがある。



 “彼女”をアーノルドに一歩でも近づけさせてはいけない。それだけは確か。



 ――嗚呼、それ以前に“彼女”の正体を知っておくべきだった。



 「うあああああああああああ!!!!」


 ブレイルの後ろ。

 アーノルドが逃げようとした先、誰かの怒号と共に駆けてくる足音が聞こえた。



  ◇



 ――……アーノルドの目に映ったのは一人の男だ。

 奇声を上げながら男は、側にいたリリーを撥ね飛ばしアーノルドに容赦なくぶつかる。

 血走った目で、片手に金色の何かを握りしめて、狂気に染まった顔で、憎しみに歪み切った顔で、見知らぬ男の感情を一心に受けながらアーノルドは、ただ小さく「え」と声を漏らす。


 男が離れる。手から血が流れている。違う。

 アーノルドはゆっくり、視線を下げた。お腹が痛い。


 ゆっくりと下ろした視線の先、

 アーノルドの目にはナイフが一本。


 銀色で赤い、赤い色をして、

 深々と、自分のお腹に深々と突き刺さっていた――。



 「――あと、2分」

 少女の声が木霊する。



 ◇



 「うあああああああああああああああああああ!!!!!」

 男が再び、アーノルドに襲い掛かった。

 ぶつかる身体。

 その手は、銀色のナイフに伸びる。

 力いっぱいに男はナイフを抜き取る。そのまま、また後ろへ数歩。


 嫌な音と共にアーノルドの腹から銀色の異物が飛び出た。

 同時に“栓”が無くなった穴からは真っ赤な液体が溢れ出す。

 アーノルドはただ、理解が追い付けず、その穴を押さえるようにゆらりと屈みこんだ。


 でも、まだ終わらない。男はまだ許してくれない。

 手にナイフを握ったまま、男の手がアーノルドの髪を鷲掴み、容赦なく地面へと叩きつけたのだ。


 男は仰向けに倒れ込んだアーノルドに馬乗りになる。

 血走った目、狂気に染まった目、理性も全て無くした目。

 男はそんな目をしていた。アーノルドの目に、そんな男の顔が映っていた。


 男は、その目のままに、ナイフを振り上げ、振り下ろす。

 再び、肉に刃先が食い込む。血が、白衣を染め上げる。


 終わらない。

 振り上げる。振り下ろす。

 まだ。まだ。まだ。



 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、


 ――同じ行動を続ける。


 「あああああああああああ!!!しねしねぇぇ!!ああああああああ!!!!」


 気が狂った男の声がひたすらにあたりに響く。

 ただ「死ね」と狂気じみた声だけが辺りに響き渡る。

 あまりの事にその場にいた全員が、動けなくなっていた。

 ただ、その見知らぬ男の狂気を目の当たりにして、だれもが、愕然と、唖然と、呆然と佇むしかなかった。


 ああ、いや。見知らぬ男。違う。

 ブレイルだけはその男を知っている。

 だって、その男は、つい先ほどブレイル自身が“医術”の元に連れて行った。――暴漢の一人だ。


 「――!!!やめろ!!!」


 ようやく身体が動いたのは、その事実に気づいた時。

 ブレイルは“少女”から目を逸らし、ナイフを振り回し続ける男へと駆け寄りぶつかった。

 男が弾き飛ばされる。


 「――う…あ、あ」


 パルとリリーが我に返ったのはアーノルドがわずかに身動きを取った時。

 アーノルドの口から大量の血が吐き出る。


 「いやぁぁぁ!!父さん!!」


 リリーはそんな父に泣き叫ぶように縋りついた。

 パルも慌てて走り寄る。


 アーノルドは酷い状況だった。

 生きているのが不思議なぐらいに彼の中心はぐちゃぐちゃだった。あたりに液体が広がり続ける。


 ――しかし彼はまだ生きている。

 それならば、パルの魔法で助けられる。

 パルは名一杯自分の中の魔力を身体全身に集中させ、アーノルドに手を掲げた。


 「‴妙手回春ホーリー・デウス・リカバリー‴――っ!!」


 それはパルの覚えた限り最上級の回復魔法。

 死んでいなければ、わずかに心臓が動き、息をしていれば、脳がまだ活動しているのなら、全てが嘘のように元通りに治す。聖女される彼女だけが使える神代の魔法。


 ――アーノルドはこれで大丈夫だ。


 ふと気づけば、あの“少女”のカウントダウンが止まっていることに気づいた。

 間に合ったのか、なんて。

 ブレイルは安心する暇もなく、発狂した男に視線を向ける。


 今すぐにあの男を取り押さえなくては不味い。また襲い掛かって来ないとは言い切れない。

 だから、発狂した男を見て。


 「――――」

 言葉を失う。


 あの男。ブレイルが助けた結果、アーノルドを殺しかけた男。

 その男がたった今、アーノルドを突き刺した銀色だった赤いナイフで。


 自身の喉にナイフを突き立てていたのだから。


 赤い鮮血が噴き出る。

 助けようにも、今パルが回復をやめるわけにはいかない。


 そもそも、アレはどうやっても助からない。

 血走り涙にくれた男の目は、ぐるりと反転した。大きな体が音を立てて倒れる。


 ――その様子を、その側で、あの“少女”が彼の目の前で目を逸らさずに見続けていた。


 助けようとするわけでもなく、ただ本を開いて、小さく手を動かして。


 「……レイジー・グレイス………………」


 表情だって見えやしない。ただ、ポツリと聞こえたのはそれだけ。

 

 たが、その姿が、その様子が。

 ブレイルは心の底から、初めて恐ろしいと思えたのだ。



 「ブレイル!!」

 後ろでパルが悲痛な叫びをあげる。

 振り向けば、パルが酷く困惑した顔で、何度も何度も同じ魔法をアーノルドに掛けているのが分かった。


 ――それはおかしい。

 だって、彼女の最上級魔法はたった一回で、全てを治す神がかりの魔法だ。

 あんなに何度も掛ける必要はない。それなのにパルはただ必死に何回も幾つもの魔法をアーノルドに掛け続けるのだ。


 「おかしいの!傷はふさがった!なのに顔色が一つも良くならない!手足が冷たい!!毒かと思ったけどそれも違うの!!!このままじゃ死んじゃう!!」


 駆け寄り、膝を付いたブレイルに、パルが言ったのは信じられない言葉だった。

 慌ててブレイルはアーノルドの顔をのぞき込む。


 パルの言った通りだ。

 アーノルドの顔は死人のように酷い。

 息が荒く、震えも絶えず、なのに汗が異常に多い。意識だけはあるようだが、目の視点が合わない。

 目に見えて異常な状態。


 リリーの泣き叫ぶ声が聞こえる。早く助けてくれと声が響く。

 しかしブレイルもパルもただただ意味が分からず困惑するしかなかった。

 だって魔法はしっかり掛けたのだ。生きているのなら治る筈なのだ。


 「――無駄ですよ。回復魔法…?…此処では聞きませんよ」


 いつの間にか、側に立ち見下ろしていた“少女”が口を開いた。

 “彼女”が側に立っていたと気づいた瞬間、怯えた様子でリリーが腰を抜かす。

 そんなリリーに興味も無いように、“少女”がアーノルドを見つめ、パルに視線を移す。


 「ここではどんな回復魔法も表面しか治せません。内臓の修復、筋肉や肌――?それらの回復は可能ですが、無くなった物はどうやら戻せないし増やせない様ですから…」


 あまりに場違いな静かな声。

 意味が分からない。“彼女”の言っている言葉も、彼女の態度も全てが、意味が分からなくて恐ろしい。

 フードの奥で初めて“彼女”の黒い目を確認する。

 光のない、何処までも黒い目。――この目はどこかで見たことがある。


 “少女”はブレイル達の様子に興味が無いように小さく首をかしげた。


 「あれ、もしかして貴方の世界の魔法って無限に増殖でも出来るんです?元に戻すとかじゃなくで、増殖魔法………。だったら理解できるかも。でも、ここでは無理ですよ。普通に考えてください」


 ――“少女”は静かに喋る。


 「ほら、なんて言いますか……。ずっと思っていて、普通、無理ですよね?ゼロから生み出すなんて」


 ――あまりにも静かに、当たり前のように。


 「ほら、『血』とか………?――……だから、無理だと思います。あなた達神様じゃないんだから」


 冷酷に、言い切った。


 その姿は異常。淡々とあまりに淡々としゃべる。声を出し話しているのに感情が全く感じられない。

 まるで取り敢えずの暇つぶしに独り言をつぶやいているようだ。

 仕方がなく録音された言葉をしゃべり続ける人形。


 「うううう、ああ、ああああ…」


 今まで、ただ震えていたアーノルドが絶叫を上げる。

 気が狂ったように手が宙を舞い、苦しむ用に胸を搔きむしる。


 それが数十秒。多分そんなぐらい。

 目玉がぐるぐるして、口から泡を吹いて、彼からすれば長かったかもしれない。

 その形相は目に映すのが恐ろしく感じるほどに、遂にアーノルドは動かなくなった――。



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