第二章 ~『森を抜けた先』~


「私たちの事忘れないでくださいね」


 新しい領地への旅立ち。その見送りのために屋敷中の関係者が門前に集まっていた。


 メイドたちが彼との別れを惜しんで、涙を流している。そこに紛れて、サテラも見送りに顔を出していた。


「来てくれたのだな」

「大切な教え子の門出ですからね……それに伝えたいことがありましたから」


 ゴホンと息を吐くと、彼女は真摯な目を向ける。


「あなたは一人前の剣士です。私から教えられることはもう何もありません」

「だが一度もサテラに勝てたことがないぞ」

「それは私が《剣王》だからです。あなたの腕なら上級剣術師にさえ後れを取りません。私の役目は終わったのですよ」


 人から教わって到達できる地点には限界がある。そこから先は自らの努力のみで切り開くしかない。彼女は師として伝えられることをやり遂げたのだ。


「免許皆伝の証として、私のコレクションから一振りお譲りしましょう」

「いいのか?」

「大切に扱ってくださいね。これを手に入れるために、わざわざ東の和国にまで訪れたほどの逸品なのですから」


 サテラは腰に提げていた刀を外すと、リグゼに手渡す。墨で塗ったような黒柄と黒鞘は見惚れるほど美しい。


「刀身も綺麗だ」


 刀を鞘から出して確認する。反りの浅い刀には、樹木の年輪のような丸みを帯びた波紋が浮かんでいた。


「嘘か誠か、ドラゴンの牙を素材に作られた刀とのことです。リグゼくんの闘いにも耐えられるはずです」

「ありがとな。刀もそうだが、それ以上にサテラが師でよかった」

「私もリグゼくんが弟子でよかったですよ」

「あとな、アリアの友人になってくれたことにも感謝している。また遊んでやってくれ」

「ふふふ、素敵な友人を得られたのは私の方です。必ず遊びに行きますから、美味しいお菓子を用意しておいてくださいね」

「約束しよう」


 サテラとの別れを済ませる。涙を我慢する彼女に釣られて、リグゼの目頭まで熱くなった。


「リグゼ、待たせたな」


 グノムが馬を連れてやってくる。毛並みの良い大型の黒馬である。


「その馬は?」

「お前の旅のお供だ」

「まさかとは思うが、大切な息子の旅に護衛を付けないつもりか?」

「護衛……いるか?」

「いらないが……なんだか複雑な気持ちだ」

「私は無駄な予算は使わん主義なのだ」


 護衛がいても足手纏いになるだけだ。その判断に納得できたため、愚痴はそのまま飲み込んだ。


「護衛はいないが、先行して部下は送っている。優秀な奴ばかりを選りすぐったからな。頼りにするといい」


 グノムから黒馬の手綱を受け取ると、アリアを抱きかかえて、鞍の上に飛び乗る。


「慣れたものだな。どこかで習ったのか?」

「昔、友人にな……ん? もし俺が馬に乗れなければどうするつもりだったんだ?」

「リグゼの事だ。そこは信用していた」

「五歳を過信するのは親としてどうかと思うぞ!」


 結果良ければすべてよしと、グノムは笑う。信頼されているのだと前向きに受け取ることにした。


「では行ってくる」

「達者でな」

「グノムもな」


 名残惜しさを感じながらも、手綱を引いて黒馬を走らせる。


「手綱を離すなよ」

「はい、お兄様!」


 黒馬が大地を駆ける。スピードはアリアが慣れるのを待ちながら徐々に上げていった。


「これから暮らすエルド領とはどのような場所なのですか?」

「荒れた土地で作物が育たない上に、魔物が暮らす危険な領地だ。前の領主も捨てるように、経営権を譲ったのだろうな」


 ただどれほど粗悪な環境でも住めば都である。長年戦場で暮らしてきたおかげで耐性のできていた彼は、これからの生活に不安はなかった。


「お父様はなぜこのような粗悪な領地を引き受けたのでしょうか?」

「農作物は育たなくても、鉱山があるからな。それに魔物も捉え方によっては資源になる」


 魔物の肉や毛皮は高く売れる。危険とのトレードオフだが、手中に収められるなら、それに越したことはない。


「それに他の公爵たちとの勢力争いに勝つには力がいる。貴族として領地を繁栄させるためには、避けて通れない選択だ」


 王国にはグノムを含めた三人の公爵がいる。だが経済力・軍事力共に、残り二つの公爵家と比べると僅かに劣っていた。


(くだらない権力争いに敗れるならいい。だが権力がそのまま不運な縁談に繋がるとなっては話が別だ)


 それぞれの公爵は、パワーバランス順に推している王子がいる。アリアが第三王子と婚約したのも、イーグル家が公爵家の序列三位であるからだった。


(第一王子と第二王子がどんな人物か知らないが、第三王子よりはマシだろう。アリアの幸せな結婚のため、イーグル領の権威は高めておかないとな)


「お兄様、森が見えてきましたよ」

「あそこが領境だな。ここからは魔物が出てくる。覚悟はいいか?」

「スピードにも慣れました。もう私に遠慮しなくても構いません」

「なら本気で行くぞ」


 危険なエリアは早く抜けるに限る。《強化》の魔術で黒馬の脚力を強化したおかげで、鬱蒼とした森の景色が瞬く間に過ぎ去っていった。


「魔物が出てきませんね」

「このスピードのおかげだ。俺たちに気づいても、追いつけないからな」


 リグゼは事前にエルド領で出現する魔物の一覧をチェックしていた。その中で張り合えるスピードを持つ魔物は一種のみ。


「お兄様、なんだか森が騒がしくはありませんか?」


 鳥の鳴く声や、茂みの不自然な揺れで異変を察知する。


「俺たちを狙う魔物に追跡されている証拠だ。姿を隠して回り込もうとする知能とスピード。その正体は間違いない。レッサーウルフだろうな」


 レッサーウルフは灰色の毛に覆われた狼の魔物である。その鋭い牙は一度食らいついた獲物を離さない。殺意が森に満ちていく。


「お兄様、怖いです……」

「心配するな。俺がいる」

「お兄様は怖くないのですか?」

「殺気には慣れているからな」


 戦場では常に命を狙われていた。今更、魔物相手に怯えることはない。


「来るぞッ」


 レッサーウルフが先回りして茂みから飛び出してくる。獰猛な唸り声をあげて、止まるよう威嚇してくるが、リグゼはそれを無視する。


「恐れるな。このまま突っ込め」


 《強化》の魔術で黒馬の肉体を鋼のように硬くし、《命令》の力で恐怖を忘れさせる。猛スピードで突撃した黒馬が、レッサーウルフを弾き飛ばした。


「《強化》を使えば砲弾でさえ傷を負うことはない。レッサーウルフに止められる道理があるものか」


 速度を維持したまま、危険な森を抜ける。その先には開かれた丘陵地が待っていた。


「綺麗な場所ですね」

「地平線の先に微かに外壁が見える。あれが目的の街だな」


 近づいてみると、見上げるほど高い石壁が広がっていた。魔物たちから住民を守るための盾である。


「この外壁の向こう側にある街が、俺たちの新しい住処になる」

「私たちの愛の巣ですね」

「愛は愛でも兄妹愛だけどな」

「ふふふ、お兄様は素直じゃないですね♪」


 魔物の森を抜けた安堵と、新天地への期待で胸を躍らせながら、アリアは微笑むのだった。

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